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第3幕「愛しい白色は誰のため」

 ブルームの唐突な訪問から数週間が経った。

 その日、メルクはとあるカフェに来ていた。

 件の橋から少し離れた高層ビルの27階。そこのテラス席が彼のお気に入りだ。飛板のようにわざとらしくビルから突き出たその場所はあたりを一望できて、リフレッシュにはちょうどいい。

 風が強いからという理由で外でコーヒーを飲む客はほとんどいない。じゃあ、なんのためにあるのかが謎だけどメルクからしたら最高の環境だ。ひょっとしたら、彼のような一人で落ち着いた時間を過ごしたい人向けに作ったのかもしれない。 

 カレッジに在籍していた時は研究に行き詰るたびに来ていた。必ず扉から一番遠いテーブルの椅子に座り、深煎のコーヒーとイチジクのパウンドケーキを楽しむのが彼の最上級のリフレッシュセットだ。ここ最近はなにかと忙しくて来れなかったが、このふわりとしたバターの香りとイチジクの酸味、コーヒーの深みと苦味が生み出す幸福はいつ来ても変わらない。

 ナトリは今、リーズが面倒を見てくれている。

「行ってこい、お前さんにも当然休息は必要だ。なに、帰りに甘いものでも買ってきたらそれで良いさ。そうさな、ハルモニアのシュークリームが良い。あそのこクリームは最高なんだ」

 と言ってリーズはナトリに字を教えていた。

「ナトリご覧よ、書くたびに君の字は美しくなっている。あと2回練習したら次の文字に移ろうか」

「うん、見てて。さっきのと合わせると……」

「おぉ、クハハハハハハ!素晴らしい!『I Dance Now』という文が作れたじゃないか!」

 練習してた紙を見ると『like』『dance』『sing』『eat』などいくつかの動詞がびっしりと書いてあった。しかもリーズの言う通りちゃんと上手くなっている。

 やっぱこいつ、教えるの上手いな。なんて思いながらメルクはその言葉に甘え、こうして今休息している。



 カップに注がれたブラックコーヒーをちびちびとゆったりと飲み、耳を澄ませながらビルばかりの景色を眺め、飽きたら買ったばかりの新聞を読む。新聞に飽きたら再び景色に戻る。これの繰り返しだ。

 熱々だったコーヒーが徐々に飲みやすい温度に変わったとき、後ろの扉が開く音がした。

 誰かがテラスに入ってきたようだ。呼んでもいない店員が来るはずもない。とすれば、客か。

 メルク以外にテラスを利用する人がいるのは珍しい。

 カツッ、カツッ、カツッと鋭いヒールの音が徐々に大きくなり、ゆっくりと確実にこちらに向かっているのがわかる。

 そして不思議なことに歩き方や気配で、それが誰なのかメルクはわかった。

 足音は彼の背後でピタリと止まり、その主は口を開いた。

「こんにちは、メルク博士。相席してもよろしいかな?」

「……拒否する権利はないよ、好きにすればいい。ただ博士はよしてくれ、シエル」

 シエルと呼ばれたその女性は、「これは失礼」とにこやかに笑いながら彼の正面に座った。

 真っ白なスーツに薄緑色のネクタイ、短く整えられた清潔感あふれる髪、細い翼を持ったその女性はまるでお屋敷の執事のような立ち振舞いだった。

 男も惚れるイケメンというような凛とした彼女は超がつくほど人気者だ。さわやかな笑顔と紳士的な対応でみんなを虜にしている。

 だがメルクはあまり彼女のことが得意ではない。

「で、用件はなんだシエル。君が私に接触するってことは何かあるんだろう?」

 休暇を邪魔され、少し嫌味っぽく言ってみる。だがシエルは気にするそぶりを見せず、依然にこやかなままだ。

「嫌だなぁ、たまたまカフェに来たら君がいただけさ。久しぶりに見かけたからゆっくりお話ししたいだけだよ」

「シエル、お前コーヒー苦手だろ?基本水しか飲まないお前がこんなところに来るわけがない。それにその作り笑顔も必要ないはずだ。ここにはあのイヌもお前のファンもいないからな」

 メルクは手元の新聞を読みながら淡々と告げた。シエルと目を合わせるどころか視線を向けてすらいない。

 当のシエルも、彼の言葉を聞き先ほどまでの花のような笑顔から獲物を睨む狩人のような真剣な表情をした。こんな姿を彼女は滅多に見せない。

「はぁ、せっかく穏やかに話を進めようとしたというのに。君は相変わらずだね。そうだよ、ここには君に会いに来ただけだ。コーヒーなんてあんな黒くて濁ったもの、飲めるわけがない」

 声も一気に低くなり、喋り方自体も荒くなった。

 シエルの趣味嗜好の基準は透明度。味がどうとかじゃなく、濁っているからコーヒーが嫌い。紅茶はギリギリ飲めるが、ミルクティーは飲まない。

「で?本題に移っていいのかなぁ?」

「さっきからそう言っているだろう。くどいのは嫌いなんだ」

 メルクはようやく視線をシエルに向けた。と言ってもかなり鋭い目つきで。もはや睨んでいると言っても過言ではない。というか、睨んでいる。

「じゃあ遠慮なく。今回の用件は2つ。まず一つ目から話そう」

 メルクの対面に座り込み、テーブルに身を乗り出して人差し指をおピンと立てた。

「どうせいつもの、だろ」

「ご名答。メルク、【終末前夜】に入ってくれ。」

「断る。4年前から俺の答えは変わらん。無論これからも」

 シエル・クロー。ブルームと同じ組織、【終末前夜】のリーダーを務めている。

 【終末前夜】。国の保安を主に担当している警護集団で、ブルームが率いる調査部隊、シエルが率いる執行部隊の他に被疑者の罪が信じかどうかを見極める司法部隊と事件が起きた際の要人警護などに徹する防衛部隊がいる。

 その防衛部隊長の席は今はとある理由で空席となっている。シエルはそこにメルクを座らせたくて何年も彼に誘いの言葉をかけている。

 やろうと思えば彼女の一言でメルクをメンバーに加えることが可能だ。それこそ、命令してでも。

 でもシエルは依然、命令ではなく勧誘をしている。少なくとも形だけは、彼の意思を尊重しているんだろう。

「君の一族の研究が発展するかもしれないのにか?」

「もう、不老不死には興味がない」

 メルクの一族はかつて不老不死についての研究を行っていたことで有名だ。完成には至らなかったが研究の副産物として生まれた技術は医療に貢献したため、リーダス家を医療関係の研究一族と考えている人も少なくない。

 その研究も【前夜】に入れば国の支援をダイレクトに受けることも可能なため、メルクが入ることは彼自身にも、他の人にとってもメリットが大きい。

 それでも、メルクは所属する気にはならなかった。

「そうか、やはりダメか。まぁこれは君と私との挨拶のようなものだからな、仕方ない」

 シエルはあっさりと諦め、スーツの胸ポケットからメガネを取り出した。

 銀縁のインテリ眼鏡で、彼女のルックスを更にクールなものにしている。

「さて、では次だ。メルク、いやメルク・リーダス。君に聞きたいことがある」

 メルクは改めて顔を強張らせた。この間のブルームと同様、シエルのその顔は【前夜】としての顔だ。

 つまり、彼は今疑われている。【終末前夜】リーダー、執行官シエル・クローから。

「何かな。答えられるかどうか、わからないが」

「大丈夫、君は必ず答える。答えなければならない。メルク、この間ブルームが会議に遅刻したんだ。ちょうど君の家に行っていたようだね」

「あぁ、散々暴れてから血相変えて飛んでいったよ。本当に、迷惑なやつだ」

「まぁ彼の振る舞い方には私も手を焼いているよ、仕事はできるやつだからなかなか注意できないでいる。それは申し訳ないね。ただ、問題はここからなんだ。彼はね、説教のあとにこう言ったんだ。『あの愚物の家に幼女の匂いがした』とね」

 やはりその話だったか。ブルームがどのような報告をしたかはわからないが、シエルが『そうですか』と頷いて終わりなんて話があるわけがない。むしろブルームの直感を彼女が逃すわけがない。

「ブルームから聞いていないのか?リーズの姪がうちによく遊びに来るんだ。だからやつも

違和感を覚えたんだろう」

「もちろん聞いた。でもさメルク、これを見てほしいんだ」

 シエルはカバンから数枚の書類を取り出した。勝ちを確証したとでも言わんばかりの笑顔で。

「これ、なんだと思う?」

「……アンバー家のものか」

 そう、シエルが準備してきたものはアンバー家の戸籍謄本や家系図といった一族に関する資料だ。これが許されるのも執行官の特権だ。

「そう。正直あの紛い物に関する資料を集めるのは嫌だったがね」

 シエルはリーズのことを『紛い物』と呼ぶほど毛嫌いしている。メルクとブルーム以上に彼らは仲が悪い。

「だが流石はメルクだ。紙切れを見せただけでそれがなにかわかるなんて、思い当たる節があるのかな」

「……楽しそうだな。」

「ふっふふ、君を困らせるのは心苦しいよ。でもあの冷徹で有名だった君がわずかに冷や汗をかく姿は私しか見ることができないと思うと、どうしても意地悪したくなるね。職業病のせいでもあるのは確かだ。こうやって何度も何度も追い詰めてきたからね、容疑者を」

 笑いながら、にらみながら、楽しみながら、怒りながら、彼女はジャケットの胸ポケットから赤いペンを取り出し、家系図のとある部分を丸く囲った。

「ここ、わかるね。あの紛い物とその家族に関する情報だ。確かに君たちの言う通り、やつには姉がいる。姉がいた、正確にはね。まぁ今は一旦おいておこう。問題は、彼女には子供はおろか、配偶者すらいない。ということは君たちの言っていることと矛盾が生じているんだね。さぁメルク・リーダス、答えてもらおう。君の家にいる少女は何者だ?」

 確かに彼女の持ってきた家系図にはナトリの情報は記載されていない。だが、あのリーズがそんなヘマをするだろうか?

 メルクが言うのもおかしいかもしれないがあいつは相当やり手の詐欺師だ。ナトリを拾ってきたあの日だって驚きはしたがすぐにナトリの今後の扱いを決めた。そんなやつが戸籍情報の登録ミスなんてするだろうか?そもそも配偶者がいない姉の娘なんて設定を考え出すわけがない。

「俺はやつの姉に会ったことはないが、なにかの間違いなんじゃないのか?役所の人間の書き忘れとか。現にあの子は私の家に遊びに来るわけだ。一緒に食事もする。少なくとも亡霊ではないことは確かだ。それでも疑うなら、まずはその家系図が本物かどうかを確かめるのが先だな」

 メルクは彼の中でも整理がついていないことを必死にかつ冷静に訴えた。

 その言い訳をシエルは聞くに耐えなかったのだろう。視線をずらし、大きくため息をついてカバンを開けた。

「わかってるわかってる。君が言いたいのはこのことなんだろ?」

 シエルは先程とは別の紙を取り出した。先程よりもきれいで、そして上質な素材でできているのが見るだけでわかる。

 それは同じくアンバー家の家系図だった。そこにはしっかりとナトリの名前が記されていた。もちろん架空の配偶者の名前も。

「ナトリ・アンバーっていうらしいね、その少女は。今年で6歳になるのか」

「あぁ、そうだ。やはり嘘の家系図を俺に見せたな、シエル?」

「落ち着きなよ、口調が変わっているよ。だけどご明察の通り、こっちの紙切れは偽物。こっちのは、ね」 

 シエルはテーブルから立ち上がり、開けたばかりのカバンをひっくり返した。

 中に入っていたのはすべて今彼女が見せたものと同じものだ。上質な書類たちは重力に抗うこともできず虚しくすべてバサバサと音を立てながらテーブルに向かって落ちていった。

「ここ10年のアンバー家の家系図だ。こっちは間違いなく本物さ、証拠に政府の印までしっかりついているだろ?」

 確かに政府公式の印がついている。これを偽装でもしようものならたとえ【前夜】のリーダーだとしても極刑に処される。よりによってコピーとかではなく原本を持ってきたのか。そしてテラスだというのにも関わらずそれを雑に撒き散らしたのか。

 「その子が仮に6歳だとしよう。しかしおかしいことに彼女の名前が記載されているのは2年前からだ。それ以前のデータには、ない。さっき君は彼女の年齢について否定しなかったな?2歳と6歳を間違えられたら当然否定するはずだ」

 メルクは彼女が最初に差し出した書類が偽物だということは見抜けた。だがシエルにとってはそこまで計算のうちだったようだ。

 そしてシエルのそのセリフがまるで合図であったかのように彼女の部下が2人、店内からこちらに近づいてきた。

「現段階では逮捕はしない、だがこの議論は長くなりそうなんでね。店の迷惑もあるし、実際に君の家でゆっくりとお互いの謎を解明しようか」

 ほとんど逮捕確定に近いこの状況に、メルクは諦めがついた。シエルには口論だけでなく体術でも敵いやしない。ましてや多勢に無勢。大人しくついていくしか選択肢はもう残されていない。

 せっかくのリフレッシュタイムが一転、最悪のハーレムシチュエーションに変わった。

「はぁ……。良いだろう、同行しよう。ただし条件がある」

「ん?何かな?」

「ここの代金はお前が払え」

 先程まで快晴だった空にひとつふたつと薄暗い雲が現れ始めた。


 カフェからメルクの家まではそこまで距離はなかった。飛べば15分程度でつくが、敢えて歩いて向かうことにした。

 現実逃避のために時間をかけたいメルクと、空中で逃げられたら面倒というシエルの互いの利が一致したためである。

「ときにメルク。君、最後に飛んだのはいつだい?」

 ただ黙って歩いているのはつまらないと感じたのだろう。場を和ませようと他愛もない話を振った。

「……今日はよく喋るな。最後に飛んだのって、お前の飼い犬が報告したろ。あの日が最後だ」

「その前は?」

「2年は飛んでいなかったな」

 その言葉にシエルは少しばかり目を見開いた。二人の部下は何がそこまでびっくりするのかわかっていない様子だったが、シエルは「流石だな」と呟いた。

「やはり歩きにして正解だったよ。君の翼はやっぱりすごいな、美しい上に凄まじい飛翔力だ。2年も飛ばずにあの速度を出せるなんてね」

「世辞はよせ。あんな速度、お前たちなら余裕だろう」

「確かに、あの速度を出せないようじゃうちの組織ではやっていけないが……。むぅ、やはり私は君が欲しい。あの紛い物のせいで汚れた君を純白に戻して【終末前夜】の席に座らせたい」

 徐々に目を見開き、早口になりながらシエルは自分のなんとも言えない感情を吐き出し始めた。部下たちも焦りを見せている。

 だがそれでもメルクは動じずに平然としている。

「あの席は彼の席だ。俺は愚か、他の誰であろうとあの席に座るにふさわしいやつなんていない」

 彼。その言葉にシエルは更に不機嫌な表情を見せた。

「君は、本当に彼のことが好きなんだね……。妬けてしまうくらいだよ。でもいい加減認めてほしい、やつはもういない」

「ならお前もいい加減認めるべきだ。あの席はこの先も未来永劫空席だ」

 その言葉を最後に彼らは目を合わせることも、言葉を交わすこともなく目的地に向かって歩き続けた。



 40分くらい歩いて、4人はメルクの家に到着した。

 玄関に近づき、ようやくメルクが口を開いた。

「少し待ってくれ、鍵を開ける。っと」

 ズボンのポケットから鍵を取り出したが、彼の手から滑り落ちた。

 真鍮製の古びた鍵が甲高い音を立てて2〜3回転がった。

「あぁ、今日はついていないな」

 独り言には少し大きめの声でストレスを吐き出した。こんな些細なことでも今の彼には相当苛つかせることができるのだろう。

 久しぶりに外出したと思えば興味のない組織に勧誘され、これから事情徴収。そりゃ誰だって苛つくさ。

 鍵を拾い上げ、少し乱暴に鍵穴を回し、扉を開けた。直したばかりだというのにギィィと派手な音がした。

「リーズ、帰った。お客さんだ、招かれざる客だ。おかげでスイーツを買って来れなかった。文句はこの執行官殿に言ってくれ」

 メルクはリーズというよりは後ろにいるシエルに向けているように言った。だが、家の中から返答はなかった。電気もついていないし、窓も閉まっている。

「いない、のか?」

 数秒待ってもリーズやナトリの声どころか、物音ひとつとして聞こえることはなかった。シエルと彼女の部下も家の中を見渡すが、一切人の形跡を見つけることができないようだ。二人の部下達が率先して二階に上がり、探し始めた。メルクとシエルもその後にゆっくりと階段を上った。

「爆弾を仕掛けているわけじゃないってのにそこまで気を張って探す必要があるのか?」

「正直言って、その必要はない。ただ、彼女たちは緊張しているんだ。相手はあのリーズ・アンバーだからな」

「お前、リーズのことを嫌うのは勝手だがそれを部下にも押し付けるのは良くないぞ」

 一瞬、彼女にしては珍しく呆けた顔をしたが、納得したのかすぐに元の役人の顔に戻った。

「あぁ、そうじゃないんだが、うん、そうだよな。気をつける」

「やけに素直だな……」

「いずれ、君も真実を知るだろうさ。別に私から伝えたって良いが、今はそれどころじゃないからな」

 その曖昧で意味深な返事に「どういうことだ」と突っ込もうとしたところに、彼女の二人の部下がやってきた。

「シエル様、やはりどこにも見当たりません」

「すべての部屋を探しましたが、物音すらしませんでした。やはりこの家にはいないのかと」

 シエルは報告を聞き、腕を組み、目を瞑って2秒考えた。

「はぁ……。本当に……。君たち二人はまだ不慣れだから仕方ないとして、本当に面倒なやつだ。あの紛い物は」

 ゆっくりとテーブルに近づき、一番近くの椅子に腰掛けた。頬杖をつき、長い脚を組み、相変わらず鋭い目つきで面倒くさそうに口を開いた。

「さ、メルク。あいつを出してもらおうか」

「出すも何も、いまの報告を聞いたろ?ここにはいないって」

「聞いた。でも君の口からは聞いていない。ここに来てから一度も、ね。君は嘘をつくことはないが本当のことを口にしない癖があるからね。なんなら質問してあげるよ。メルク、リーズは今どこにいる?」

 彼女の言う通りだ。メルクは一度も「ここにはいない」と口にしていない。嘘をつくのを嫌うため都合の悪いことは喋らずに煙に巻く。これがメルクのやり方だ。

 しかし、そんなこと今まで数々の人間に取り調べを行ってきたシエルにとってはあまりにも簡単なものだった。それに、メルクのことは昔から知っている。成すすべは、ない。

「リーズは……」

「私をお探しかな、ミス・クロー」

 部屋のどこからか、リーズの声が聞こえた。と、同時に本棚から「カチャン」と音がなり、90度曲がった。観音開きとなった本棚の奥からナトリを抱きかかえたリーズ・アンバーが出てきた。

「っ、リーズ」

「いい、メルク。お前さんの気持ちはわかるが、正直に話せばクローもわかってくれるだろう」

 メルクがまとまっていない考えを口に出そうとする前に、リーズはそれをわかったように遮った。

「正直にぃ?今まで貴様が正直にものを話したことがあったか、紛い物のリーズ・アンバー」

 顔を見た瞬間にストレス度は限界に近づいたのだろう。さっきよりも目つきは鋭く、口調も荒々しいものになっていた。部下たちも顔は平然を装っているが、若干脚が震えている。それでもリーズは動じることなく、いつものように砕けた笑顔を見せていた。瞳と声の高さ以外はいつもと変わらない。

「そう人を殺すような目つきで見ないでくれ、この子が怯えてしまう」

「……その子が、ナトリ・アンバーか」

「あぁ、私の姉の娘。といっても信じないんだろう?」

「当然だ。2年前にデータを書き換えたみたいだが、規則上3年以上前のものは別のところに保管しているんでね。ツメが甘いんだよ、いっつもいっつも。で、教えてもらおうか?その子について、って……」

 久しぶりに会ったリーズに敵意を丸出しにして睨みつけていたせいで、ナトリに意識を向けていなかった。だがこうして彼に抱えられている少女を見て、すぐにその異常さに気がついた。

「その、その子……。どう、いうこ、とだ。つ、ばさが…」

 目は完全に見開き、滅多に動揺を見せないシエルが混乱している。あのときのメルクのように。

「順に、話すよ」

 3人はシエルの向かいの席に座り、説明を始めた。

 ナトリについて。メルクの研究について。彼らの生活について。これからのプランについて。

 いつもなら「クハハハ」と笑い声混じりに話すリーズも真剣な表情で、嘘つくことなく洗いざらい話した。シエルもその説明を途中で遮ることなく、ときにメルクを、ときにリーズを、そしてときにナトリを見ながら黙って静かに聞いていた。

 リーズが話しているというのに、やたら壁掛け時計の針の音が大きく聞こえた。

「と、以上だ。この子は翼がないがそれ以外は我々と何ら変わりのない普通の子なんだ。わかってもらえたかな?」

 約1時間、リーズはこの2年間の出来事を丁寧にわかりやすく説明してくれた。

 そしてその間聞き続けたシエルは、ようやくその口を開いた。

「何ら変わりのない?わかってもらえた?」

 声を震わせながら、リーズの言葉を繰り返した。

 そして立ち上がり、彼らを冷めきった目で見ながら端的に言った。

「メルク・リーダス。リーズ・アンバー。貴様らを逮捕する」

 



 逮捕。この街全体の平和と秩序を保つ【終末前夜】の幹部の口から、あまりにも簡素で重厚な言葉が彼らに告げられた。

 ある程度予想はしていたが、その宣告は確実にこの部屋の時間を止めていた。

「むぅ」

 リーズは目を瞑り天井を仰いだ。眉間には深いシワを寄せ、何かを深く考えている。まるですべてを諦めたかのように。

 そんな中、最初に口を開いたのはメルクだった。

「罪状は、やはり誘拐か?それとも、文書改ざんか」

 シエルは、メルクと目を合わせ、そしてすぐにそらした。

 腕を組み、部屋の壁を見つめた。まるで、壁の向こう側でも見ているかのように半ば呆けた目で。

「いや......危険物、所持だ......」

「危険、物、だと?」

「あぁ。その少女は、この国にとって危険物として扱われる。それも第1級以上のな」

「ふざけるのも、いい加減に!」

 ナトリの前であるにも関わらず、メルクは懐の拳銃に手をかけた。

 しかし、それよりも早くシエルの二人の部下が彼に銃口を向けた。脅しとしてではなく、一人は眉間を、もうひとりは心臓を狙っている。

 それでもリーズは目を瞑り、シエルは壁を見ている。

 ナトリはどうすれば良いのか、何が起こっているのかわからず、ただリーズの膝の上で彼のシャツをギュッと握っている。

「私達のこの翼はね、人類の叡智の象徴として考えられているんだ。何千、何万年も昔から。空を飛ぶ哺乳類は人間くらいだからね」

「それが、この子が危険であることとなんの関係がある」

 メルクは未だに懐に手を入れたままの状態で彼女を睨みつけている。

「栄枯盛衰。昔からの言い伝えでね、翼のない人間は文明を破壊する存在として考えられてきたんだ。君たちは知らないだろうけど、政府関係者はまず最初にこれを教わるんだ。正直、おとぎ話や神話の一種で企業理念みたいな感覚だと思っていたが、まさかそれを目にするとは思ってもいなかったよ」

 ようやく視線をメルクたちに戻し、ベルトのホルダーから彼女専用の拳銃を手に取った。

「本来であれば、君たちを捕らえるのが私の仕事だが、今回は特例中の特例だからな。残念だけど、その子には今、ここで」

「......職権を行使するのか?」

 聞いたことのないくらい低い声でリーズが呟いた。目は瞑ったままだ。

「そうだ。執行者としての責務を、果たす」

「だから、君はいつまで経っても幼い少女のままなんだ。本当につまらない子供だよ」

 天井を向いたままだが、目を開きシエルを見下すように言った。

「お前のような紛い物に、わかるものか」

「そうさ、私は君の言う通り紛い物だ。だが、君も小娘だ。そんなわからず屋さんに、この子の成長の邪魔をさせるわけにはいかないなぁ。この子は、ナトリはね私達の最愛の娘なんだから」

 リーズは諦めてなどいなかった。

 いつもの彼のようにニッと笑ったと思うと、右足を盛大に振り上げテーブルを思い切りシエルに吹き飛ばした。

「んなっ」

「メルク!ナトリを連れて逃げろ!」

「あぁ!」

 メルクはすぐさま彼女を抱きかかえ、天窓に向かって飛んだ。

「させるとでも思ったか!」

 シエルはテーブルを片腕で放り投げ、メルクたちに向かって数発撃ち込んだ。

 だがその弾丸はすべて、リーズの広げた大きな翼に弾かれ阻止された。漆のようにつややかな黒色の翼に。

 そしてその隙にメルクは窓を突き破った。

「ふたりとも、彼を追え!本部にも連絡を入れて増援を頼むんだ!なんとしてでもメルクを捕縛、危険物を処理するんだ!」

「「はっ!」」

 命じられた二人は割れた窓に向かって思い切り飛翔した。


 


 パラリパラリと小雨のように天井からガラスの破片が床にめがけて降ってくる。

 部屋には残された二人がじっと互いを睨み合っている。シエルは先程から彼女の拳銃をリーズに向け続けたままだ。緊張と静寂が混じり、張り詰め、今にも弾け飛びそうだ。

「禍々しい、翼だな」

「そうだろうか?漆のように、影のように、夜のように美しい私の誇りさ」

「何が誇りだ。本当に嫌いだ、お前も。お前のその翼も、何もかも」

 今にも泣いてしまいそうなくらい怒りで震えながら、拳銃を両手で握り、更に力を込めた。

 それでも冷静さを他もりながら、彼はニヒルな表情を浮かべた。

「私が、リーズ・アンバーでないことも、か?」

 その言葉が決定打のように、シエルの瞳からはついに3粒ほど涙がはたりと落ちた。唇を噛み締め、フルフルと体を震わせている。

「リーズ先生は、私の憧れだった。本当に、大好きだったんだ......。こんな私を執行官に育ててくれた恩人だったんだ。それを、お前は奪った。私から、先生を奪ったんだ!」

「あぁ、そうさ。私はこの国で最も重いとされる罪の一つ、殺人を犯した。私の親友、リーズ・アンバーを殺したんだ。そこに間違いなどない、紛れもない事実だ」

「なら、今ここで私に、執行官に殺されても文句は言えないな」

 今度は確実に心臓を狙い、右手の人差し指を引き金に当てた。この距離だ、いくら感情的になっているとはいえ執行部隊の隊長であるシエルが外すわけがない。

「そうさな、好きにするといい」

 怯えることもなく、少女の潤んだ瞳をじっと見つめてほんのりと優しい笑顔を見せた。

「ダメですよ、シエル」

 撃ち込む直前だった。

 ひんやりとしていて柔らかみのある声が二人の耳に聞こえた。

 その瞬間、物音一つ立てることなく一人の女性が、気がついたらシエルの前に立っていた。

 拳銃を手で抑え、銃口を天井に向かせながら。


「イーラ......、どうしてここに」

「君の部下から連絡があったから急いで来たんだよ。いくら執行部隊でも、私達司法部隊の判決なしに処罰を下すのはいけません。たとえ、彼が相手だとしてもね」

 そう言って、リーズの方に目を向ける。

 リーズはいつものように紳士的な振る舞いをして挨拶をした。

「ごきげんよう、ミス・オッド。こうして会うのは随分と久しいね」

「ええ、お久しぶりです、リーズさん。相変わらず渋みのある素敵な声ですね、あなたに名前を呼ばれると心が踊ります」

「お褒めに預かり恐悦至極。いつか名前で、ミス・イーリアスと呼びたいものだ。臆病者の私を許しておくれ」

「私はいつでも呼ばれる準備はできておりますよ。なんなら、そこにいる執行官様みたいにイーラと呼んでくれてもいいのですが、それでは彼女が嫉妬してしまいまね。っと、挨拶はここらへんにしておきますか。どうやらまたやんちゃなことをしたみたいですね」

「クハハ、またお世話になるよ。お手柔らかに頼む」

 リーズは両の手を前に差し出し、自ら逮捕される覚悟を決めた。

「約束はできませんが、そうですね、最善を尽くしましょう。さ、シエル、手錠を」

 シエルは拳銃をしまい、フイッとそっぽを向いた。

「イーラ、私は今心底機嫌が悪い......。悪いけど自分でやってくれ」

 少ししゃがれた声で手錠を取り出した。ポケットからハンカチを取り出し、目元を拭きながら。

 オッドは肩をすくめて、やれやれとした表情でそれを受け取った。

「まったく、本当はだめなことなんだからね?リーズさん、ご協力いただけますか?」

「あぁ、君の頼みとあれば」

 ガチリと重厚な金属音が手首周りから響き、空の色とともに部屋全体がどんよりと暗くなった。

 雨が、降りそうだ。


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