夢をみていた
今日も、雨が降っている。
いつものように、ソファに座って本を読む。
読んでいるのはいろんな子ども向けの物語を集めた本だ。この前読んでいた物とは又別の物。。
「おもしろい?」
カルアさんが、野草で作ったお茶を入れながら、わたしに聞いてくる。
「うん」
今読んでいるのは、この世界の話だ。国を守ってくれる神様や、悪魔とかバケモノとか、いろんな人ではない存在の話。
わたしは勉強を全然させてもらえなかったから、どれも知らないことばかりだった。
他にも、怖いお化けの話とか、人が死んだらどうなるのかとか。
「これって、本当なの?」
「どれ?」
「死後の世界の話」
この本によると、人は死んだらお空に行くらしい。
空を見上げても、誰も居ないのに本当だろうか?
「空か……こういう話は、国や地域によってもいろんな物語があるからね……」
そう言って、カルアさんはなぜか頭を撫でてくる。
「この国ではね、死した者の魂は天に昇って、いずれ生まれ変わるって信じられていたよ……」
「うまれかわる?」
「そう。もちろん、前世のことは忘れてしまうけれど……」
「……」
なら、わたしにも前世があったのだろうか。
「他に、何が知りたい?」
「お化けって、いるの!?」
少し食い気味に問いかける。
この本を読んでいてとっても怖かったのだ。本当にお化けが居るとしたら、この廃城にだっているかもしれない。わたしが気付かないだけで。
「いない、と、思うよ?」
少し、明後日の方を向いて応える。本当に、本当なのか疑わしい返答だ。
「私は一度も会ったことがないからね……まぁ、お化けについても諸説あるってことで……」
「……」
じゃあ、もしかしたらわたしが気付いてないだけで居るかも知れないという事じゃ無いか。
思わず、カルアさんの服の袖をつかむ。
「……」
しばらく、カルアさんと離れることができなかった。
「あ、つい……」
思わず言いたくなってしまうほど、外は暑かった。
日陰を探し、足を川に着けながら、私はカニや貝を捕まえていた。
川の水は冷たいが、それでも暑い物は暑い。
今日の分はこれくらいで良いだろう。
わざと全身に水をかぶって、それから廃城へ戻った。
早く帰りたい。城の中は、意外と涼しいのだ。
途中、開かれた場所に出る。
気付いたらできていた畑だ。いつの間にか、カルアさんが作っていた。
一応、わたしも手伝っているが、カルアさんは畑に詳しかった。
植物を育てるのが好きで、野菜も作っていたことがあるのだとか。
「あ、今から帰るところ?」
どんなに暑くても、シャツを脱がないカルアさんが、汗一つ無い余裕の顔で聞いてくる。
雪の中も、薄着で平気そうに出歩いていたし、きっとカルアさんは気温とかあまり感じないのだ。うらやましい。
汗をかいてへばっているわたしは、そっぽを向いて頷いた。
「なら、一緒に行こうか」
2人で並んで城へ帰る。たわいのない話をしながら。
ホールでの過去を聞いてから、カルアさんはよく過去のことを教えてくれるようになった。わたしも、時々気になると聞いている。
あの部屋は誰が使っていたのだとか、庭園で咲いていた花のことだとか、遠い国から来たサーカスの話とか。
どれも知らない話ばかりで、ドキドキする。
けれど、きっとカルアさんはその話の後でわたしの言葉を待っていたのだろう。
違う国に行ってみたいと、わたしが言うのを待っていたのだろう。
けれど、わたしは聞くだけだった。
残された短い時間を、この場所で終わりを迎えたかったから。
夏が、終わりを迎えようとしている。
冬に向かって蓄えなければと、わたしは連日忙しく動いていた。
木の実を拾い、保存できる食材を集める。薪はやっぱり心配しなくて良いと、カルアさんに言われている。
あの部屋は、ずいぶん昔の保護の術で経年劣化しないようにされ、さらに生活に便利な術を施されている、らしい。詳しい話をしてくれたが、まったく学んだ事の無いわたしには、むずかしすぎてよく分からなかった。
「ルーチェ。ルーチェ、起きて!」
夏は暑い。だから、朝早い時間に起きて、涼しい時間のうちに力仕事などは行なっている。けれど、その日はいつもよりももっと早くにカルアさんに起こされた。
まだ、日が昇る前だ。
ぼーっと、寝ぼけ眼でいると、カルアさんの大きな手で横に抱かれた。
目を白黒させるわたしに、カルアさんはなんだかいつもよりも機嫌良く階段を駆け上がっていった。
「君に、見せたかったんだ」
そう言ってバルコニーに出る。夜明け前の静かな世界が広がっている。
涼しい風が頬を撫でる。
まだ朝には早いと星がきらめいている。
その時、突然カルアさんはバルコニーから、飛び降りた。もちろん、抱かれたままのわたしも一緒に。
「えぇっ?!」
思わず、大声が出た。
眠気も覚めて、まさかこんな形で死んでしまうのかと恐怖と怖さで、慌てて目を瞑る。
思わず、カルアさんの体に思いっきり抱きついてしまった。
「見て、ルーチェ」
けれど、いつまで経っても死ぬことは無かった。なにも、起こらなかった。
恐る恐る目を開ける。
バルコニーから飛び降りたはずなのに、今どうなっているのか……。
「え……?」
一面の星空が広がっていた。一瞬、今の状況を忘れる。忘れてしまうほどの絶景だった。
下を見れば、うっすらと小さくなった廃城と、大きな森が見える。遠くの方に、ぽつぽつと見える明かりは、ディレトニアの町だろう。
わたしは、大空にいた。
カルアさんは、何もないはずの場所にまるで透明な床でもあるように立っている。きっと、空を飛んだり歩けるのだ。
「もうすぐ、見えるよ」
片手で、東を指す。
正直、抱いていた手を一つ、離さないで欲しかった。落ちそうで怖い。バルコニーよりもずっとずっと高い空に浮かんでいるのだ、落ちたら絶対に助からない。
きっと、カルアさんはわたしを離さないと分かっていても、怖い物は仕方が無い。
怖いのを我慢して、カルアさんが指さす方を見る。
少しずつ、空が白み始めていた。
朝日が、昇る。
「あ……」
黒から紺へ、紺から赤へ。白や橙、いろんな色が少しずつ現れては消えていく。
見たことのない、空が広がっていた。
いや、きっと今までずっと空は様々な色を見せていたのだろう。けれど、わたしはずっと見る余裕もこんなに綺麗なことも知らなかった。せいぜい、寒さに震えて星空を見上げるだけだった。
だから、こんなにも朝が綺麗だなんて知らなかった。
「今日は、朝焼けが特に見事だな」
その言葉に、前にカルアさんに言われた言葉を思い出す。
わたしの髪は光に透かすと朝焼けの色だって。
こんな綺麗な色をしているのだろうか。
「君の髪色のように、綺麗だ」
わたしが考えていた事を分かっているのだろうか。ちょうどカルアさんに言われ、どうしてかほおが熱くなった。
カルアさんは、時々変なことを言う。
「少しだけど、力が戻って来てね」
こうして飛べるようになったから、さっそく見せに来たと言うことだろう。
「一言ぐらい、言ってよ。すごく……怖かった」
「ごめんね」
カルアさんが、静かに謝る。
顔を見ると、やってしまったとばかりに申し訳ない顔をしていた。
「本当は、冬の方が綺麗なんだけどね……つい」
子どもっぽいところがあることを知って、少し笑ってしまった。
どんどん辺りは明るくなっていく。暗くて見えなかった場所が見えてくる。
涼しい風が髪を遊んでいった。
「……今も、綺麗だった」
「よかった。また、冬になったら見よう。それとも、このまま国を出てもいいんだよ」
「……」
どこまでも広がる空は、気付くと青く染まっていた。
わたしは、何も言わなかった。
秋が来た。
もうすぐ、わたしがこの廃城に来て一年になろうとしていた。
詳しい日にちは覚えていないし、今が何時のなのかもよく分からないけど。
「糸、引かれてるよ」
「あ……うん」
ぼうっとしていた。
隣で釣りをしていたカルアさんに言われて気付く。
もう一年になると思っていたら、寂しくなってしまった。
「カルアさん」
「なんですか?」
「なんで、わたしの事、助けてくれるんですか」
魚を捕まえながら、ずっと疑問だったことを聞く。
カルアさんがディレトニアを怨んでいないことは分かった。呪っていないことも、わたしを殺すつもりもない事を。
でも、わたしを助けてくれることは分からない。
「……こんな何もない廃墟を彷徨うボロボロの子を、見捨てられないだろう」
「……」
「それに、私は悪魔と呼ばれても、心まで悪魔にはならない」
「そっか」
この国にいるのは悪魔だと信じていた。けれど、きっとカルアさんは違うのだろう。例え、悪魔だとしても、ディレトニアで教えられ続けた呪いを振りまく邪悪な悪魔とは思えない。
カルアさんは、優しくて甘い。
この国は、どんな国だったのだろうか。カルアさんから少しだけ話を聞いた事があるが、見てみたかった。
カルアさんが守っていたその国は、きっと優しい国だったのだろう。
「ここから離れがたいしな……」
もう記憶の中にしかない国。懐かしい過去を思い出しながら、カルアさんは言った。
「ねぇ、カルアさん」
「なんだ?」
「ずっと、ありがとう」
「いきなり、どうしたの」
「お礼を、言ってなかったかなって」
「別に、感謝して欲しいから一緒に居るわけではないから、いいんだよ」
もしも叶うなら、このままの時間が続いて欲しい。
そう、思った。
「ルーチェ?」
そんなこと、叶わないって分かっていたけれど。
秋になって、暑い日が少なくなってきた。
森の木々が色が変わって美しく変わっていく。
ぼんやりとバルコニーから外を見ていると、カルアさんがひょこりと現れる。
「ルーチェ、最近どうしたんだ?」
「ん?」
「なにか、あったのか?」
表面上は何もないってことはずっと一緒に居るからきっとわかっているのに。どうして、察しが良いのか。
酷いなぁと思う。とにかく、何かを言わなければ。
きっと、気付かれるのは時間の問題だ。
もしかしたらどうにかなるかも知れない。でも、どうにもならないかも知れない。
自分の為にカルアさんが困るのも嫌だった。
「ルーチェ……?」
あ、と気付く。
声が出ない。視界が揺れて、声が出なくて、そのまま--。
秋が深まるにつれ、ルーチェの様子がおかしくなっていった。ぼんやりとする時間が増えていく。
そんなある日、ルーチェがバルコニーでぼんやりと遠くを見つめていることに気付く。
「ルーチェ、最近どうしたんだ?」
「ん?」
そう聞くと、ぼんやりとルーチェは振り返る。
ずいぶん血色が良くなって、成長もしたと思う。ずっとずっと、綺麗になった。
そんな彼女は、何を思っているのだろう。
「なにか、あったのか?」
何かを、ルーチェは言おうとした。
口を開いて……。
「ルーチェ……?」
ふらりと体が揺れると、そのまま意識を失った。
慌てて手を伸ばす。あの頃よりは重い。でも、やっぱりまだ軽めの少女の体を受け止めた。
「ルーチェっ! ルーチェ?!」
気を失っている。あの倒れ方は、どこか変だった。
部屋に戻りながら、何度か頬を叩くがまったく起きる気配がない。
だんだんと顔色が悪くなっている。一体、なにがあったのか。
ベッドに寝かせると、すぐに様子を見る。
先ほどは気付かなかったが、首元に何かが見える。服を少しめくると黒いミミズがのたくったような模様が胸元に広がっていた。
「……呪い?」
きっと、間抜けな声だっただろう。
そんなことがあるのかと思ったのだ。
首元にあったのが、少しずつ顔にまで呪いが広がっていく。
「なんで……こんな……」
ディレトニアは私が呪っているとのたまっていたが、私は呪ってなんてない。なら、これは?
まさかと、予想する。
「人柱を、絶対に殺しておくということか?」
昔から、人は敵が居ることでまとまることができる。何かしらの憎む対象を用意することで、自らへの不満をそらすことができる。
私は、きっと不満へのはけ口だったのだ。
黒に近い髪を悪魔の子と呼んで差別するのも、その子を人柱にしたのも。
何か悪いことがあれば、人柱が仕事をしていないと言えば良い。すべて悪魔のせいだと。
そして、そんな存在が、ずっと生きているのは管理が面倒だ。
不満のはけ口になったら、後は後腐れ無く死んでおいてもらえれば良い。
時限式の呪いを掛けておけば、法力も何もない無知な少女が死ぬのは確実だから。
「……ルーチェ」
呪いの進行を、止めなければ。
目覚めた時よりも力は戻って来ている。だが、全盛期と比べものにならない。
術はかけるよりも解くほうが難しい。かけた者よりも力が必用だ。
「……くそ」
足りない。
力が、足りない。
どうにか進行を止める。けれど、足りないのだ。
これほど無力さを感じたのは、聖女によって力を奪われた時以来だった。
「かるあ、さん?」
いつもより、力ない声が聞こえる。
「ルーチェ……君は、知っていたんだね」
「……」
何も言わないが、それが答えだと思った。
「なんで……」
言ってくれなかったのは、きっと自分の力が奪われてしまったと話していたからだろう。
でも、それでも教えて欲しかった。そしたら……どうにかできただろうか。
もしかしたらとか、仮定を言ってもどうにもならない。これが、結果なのだから。
「だから、逃げようと言っても行かなかったのか」
「……」
ルーチェは一瞬迷った後、こくりと頷いた。
少しだけ違和感のある返答。なにかを隠しているような頷き方だ。
「……ルーチェ」
教えて欲しいけれど、無理なのだろうか。
少しだけ悔しくて、悲しかった。
死ぬのは、分かっていた。
何時になるかは分からないけれど、例え生き残れても呪いで死ぬことは。
怖くは無かったし、一時の自由を楽しめれば良いと思った。
それなのに、出逢ってしまった。
出逢ってしまったのだ、自分にとっての死神のような存在に。
殺されると思った。呪いで死ぬ前に。それで良いと思った。それなのに彼は優しくて、わたしを助けようとしてくれる。
「……ごめん、なさい」
あの時……他の国に逃げようと言われた時、カルアさんと別れるかも知れないと思うと、頷けなかった。
わたしの記憶にある限り初めてだったのだ、わたしの髪を綺麗だと言ってくれたのが。優しくしてくれて、たくさんの事を教えてくれて、一緒にいてくれた。
別れたくなかったのだ。
もう、死ぬことは決まっているのなら、最期まで一緒に居て欲しかった。これは、わがままだろう。
残ったカルアさんの事を考えて居ない、酷いことだと分かっている。でも、最期のわがままぐらい、と思ってしまったのだ。
思って、しまったのだ。
呪いが、少しずつ進んでいく。
秋が過ぎていく。
二度目の、冬が来た。
なにも、変わらない。状況は、どんどん悪くなっている。もう、自分が長くないことを、分かっている。
ある朝、目覚めると不思議なほど体が軽かった。
ずいぶん長いこと起き上がれなかったのに、どうしたのだろうと首をかしげる。
階段を駆け上がると、そこはまるで別の世界だった。
綺麗な白い廊下。わたしには価値が分からないけれど、美しい絵画が飾られ、騎士の像が並んでいる。
廊下の先、バルコニーへ向かうと廃城が白亜の城へ変貌していた。城から美しい町並みが見える。
まるで、カルアさんが教えてくれた、かつての姿が目の前に広がっていた。
その城が、朝焼けに赤く染まっている。
「ルーチェ」
カルアさんが呼んでいる。
廊下から聞こえた声に応えて向かう。
「わたし、過去にきちゃったの?」
「……ここは、夢の世界です」
夢だから体が動いて、廃城がこんなに綺麗になっているのか。
不思議な気分だった。
「おいで」
カルアさんに手を引かれ、一階へ向かう。
何処に行くのだろう。廊下を歩くと、何かが聞こえてくる。
聞いた事のある音楽だ。カルアさんがダンスをする時に何時も歌っていた曲だ。
「私と、一緒に踊ってくれますか?」
ホールへの扉が開かれる。
キラキラと見たことのないシャンデリアが輝き、名前を知らない楽器を持った人たちが並んで音楽を奏で、綺麗な服を着た人たちが、思い思いに踊っていた。
いつの間にか、わたしの服もまるでお姫様のドレスのように変わっている。
夢のようだった。いや、本当に夢なのだ。
こんなに人が居るところ、前なら怖くて行けなかっただろう。
けれど、カルアさんが居るから。
カルアさんの手を取って、踊り始める。
周りの人たちは、微笑んでわたし達のダンスを見守っていた。
可愛いお嬢さん。カルア様が踊ってるわ。なんて声が聞こえてくる。
誰も、わたしの髪を見て何も言わない。
不思議な気分だった。
「疲れましたか?」
たくさんの人たちが、踊ったりおしゃべりをして楽しんでいる。
ざわめきの中、わたしたちはホールを抜け出した。
静かな礼拝場。
ステンドグラスから、青や赤の光が差している。
椅子に座ると、礼拝場に飾られた像を見た。
壊されていない像の顔は、見知ったヒトと似ていた。
「カルアさんは、この国の神様なだったんだね」
「……どうでしょう。歴史は、何時だって勝者の物です。私は悪魔とされた。この先、この国を守っていたのは悪魔だと伝えられていくのでしょうね……だから、私は悪魔なのかも知れません」
それは、なんだか悲しいと思った。
「それに、こんなにも力を失ってしまった。この国を守れなかった。君を、助けることもできない」
「そんなこと、気にしなくて良いのに」
ずっと、苦しんで独りで死ぬんだと思っていたのに、今笑ってこんな夢の世界に居る。
「カルア、さん」
「?」
「ありがとう」
せめて、感謝を伝えよう。
謝らなくて良いって、カルアさんは言っていたから。
だから、最期は笑ってさよならをしようと決めていた。
「わたし、カルアさんと出逢えて、しあわせだったよ」