わたしを、殺してください
昔々、恐ろしい悪魔がおりました。
悪魔の甘言に乗せられて契約した国王がおりました。
なんと愚かな王でしょう。彼は始めに悪魔の力を使って隣国を滅ぼそうとしました。
けれど、隣国は聖女様によって守られていました。
悪魔の力を見破り、悪魔と契約した王を打ち破り、悪魔を倒した聖女様。
悪魔に支配されていた国は滅び、聖女様の守る国……すなわち祖国ディレトニアは平穏を取り戻し、さらなる繁栄を遂げたのです。
「だから、お前は聖女様に感謝し、その身を捧げるのだ」
ボロボロの石壁。廊下には砂と埃と、蜘蛛の巣だらけ。
カーペットらしきぼろ布がころがり、壊れた家具が散らばる。
石像や絵画はことごとく壊されるか燃やされ、噴水らしき残骸からは水が申し訳程度に垂れ流され、様々な花々が咲いていたであろう庭園は手入れなどされず荒れている。
かつてあったはずの栄華は見るも無惨に失われ、誰も居ない廃城が月明かりの下に残るだけだった。
ここは、ディレトニアによって滅ぼされた、悪魔が支配していた国があった場所。
呪われているからと名前を奪われ、町は燃やされ、歴史も文化も失われた国に残った最後の残骸。
廃城に繋がる道を少女が一人歩いていた。
自分で切ったのか、不揃いの黒っぽい赤髪。使い古されたコートとボロボロの靴。年の割に華奢で手も足も細い。
廃城に探検に……なんてことはあり得ない。
この廃城は国の命令によって厳重に立ち入れぬよう管理されている土地の奥にある。子どもから大人まで、決して知らぬ者は居ない呪われた城なのだから。
なら、なぜ呪われた城へ。しかも、こんな夜中に歩いていくのか……。
「……ここが、悪魔がいたお城」
ようやく見えてきた城を見て、少女はつぶやく。
これから、彼女はこの廃城に住む事となる。
悪魔の支配していた国の城。悪魔の呪いが残った城。その城の呪いからディレトニア国を守るために。呪いを肩代わりにするために。
そう、言い聞かされ続けてきた。
廃城の呪いを、国にかけられた呪いを引き受ける身代わり。
彼女は人柱だ。
小鳥の鳴く声で、わたしは目を覚ました。
朝日がボロボロの窓から差し込んでくる。
少しだけ肌寒くて、昨日どうにか見つけた布を体に巻き付かせる。
床に寝たせいで体が痛い。
誰も居ない廃城でただ一人。
それが、とっても……嬉しかった。
「ふふ……」
思わず笑みを浮かべながら、わたしは昨日持ってこられなかった荷物を少しずつ城の中へ運び込んだ。
季節は秋。あまり雨は降らない時期だが、動物にあさられてしまっても困る。それに、荷物の中身がなにか全く知らされていないから、確認も必要だ。
庭園だった場所に生えていたリンゴを見つけて、それを食べながら運んでいく。
重くて、何度も休憩しながら。
結局、荷物を城の中に入れるだけで一日が過ぎてしまった。疲れて城の探索もできない。
今居るのは、城の壊れて開いていた扉の先にあった、小さな部屋。何かの倉庫だったのか、いろんなものが床に散乱しているけれど、その隅っこにどうにか寝る場所を作った。
「門じゃ無くて、城の側まで持って行ってくれたら良かったのに」
まあ、無理だろうと思いつつもつぶやいて、思わず辺りを見回した。
こんなことを言ったら、怒られる。いつもの癖で。
心臓がどきどきしている。
けれどそんな緊張しなくても良かったのだ。
だって、ここには誰も居ない。
わたしを怒る人も、ぶつ人も、罵る人も、誰も。
自由だ。
明日は、何をしよう。
城の探索と、辺りにリンゴ以外にも食べ物があるのか探したい。
荷物には食糧も入っているけれどそう長くはもたないだろう。冬になったらこのままでは飢え死にしてしまうかも知れない。
幸い、今は実りの秋。どうにか、保存できる食べ物を探したい。
そんなことを考えて居るうちに、眠くなっていく。重労働をしたせいか、わたしはすぐに眠ってしまった。
城にやってきて二回目の朝。
昨日と同じく庭園のリンゴをかじりながら廃城を歩いていく。
おそらく、わたしと同じように人柱として城に閉じ込められた人が残したであろう痕跡が、所々に見つかる。
たき火の跡、何かを作ったらしき痕跡、鉈やスコップらしき物。だいぶ古いが、使える物が多い。
先人達の残した物をありがたく頂戴しながら歩いていく。
壊れて開かない大きな扉。きっと元々は玄関ホールだったのだろう。
所々壁の壊れた大きなサロン。
椅子や机が散乱している食堂と、調理道具などなくなってしまったボロボロの厨房。誰かが使った跡のある地下の貯蔵庫。
広い廊下の窓はガラスなど無く、蔦の葉が侵食している。なにかの像や美術品らしき物が壊れて転がっている。さらに進むと、立派だったであろう大きな扉があった。
扉を押す。重い扉が軋みながら開いていく。
小鳥の鳴く声が聞こえた。大きくなりすぎた木の枝が入り込んで、一緒に鳥たちも中に入り込んでいた。
部屋を見回す。天井が高い、そして大きくて広い部屋だ。
元々は赤かっただろう黒いカーペットが敷かれている。
そして、壊された椅子らしき物。
ここは、玉座の間だったのだろう。
他にも、大きな劇場のようなホール。礼拝場。たくさんの部屋。
壊れた階段を、踏み外さないように歩いていけば、当時の王族が過ごしたのであろう部屋が見つかる。
どこも、破壊者達の跡があった。
庭園には、リンゴの木。さらに、何かの木の実がいくつか見つかる。
奥の方へ行けばもうちょっと見つかるかも知れないが、野生の獣などが居るかも知れない。少しずつ日が傾き始めた空を見て、諦めた。
今日も、昨日と同じ場所で寝るのか。ちょっと考えて、まだ明るいうちに寝床をもう少し整えることにした。
床に散乱している物を片付けていく。
使えそうな物、使わない物、分けて行く。
今は秋とは言え、そのうち冬が来る。その前に薪をを集めておかないと。
ほどいた荷物には毛布やナイフ、火打ち石、野菜や干し肉などの食糧。食糧は昼間に見つけた保存庫に入れておいた方が良いかも知れない。
たき火が必用なほど暗くなる前に、寝床に潜り込む。
「……お母さん」
もう、顔も声も思い出せないけれど、教えてくれたことは覚えている。
食べれる野草とか虫とか火の熾し方、安全な場所の見つけ方……必用だったから。ずっと、そんなことばかり考えながら生きてきたから。
そのおかげで、この廃城で生きていくことができそうだと、感謝をする。
それが幸運なのか、分からないけれど。
三日目となると、だいぶ慣れてくる。
これからの生活に必要な物を探したり掃除をしながら過ごす。
庭園の奥、林のようになってしまっている場所を歩くと、魚の居る川が見つかる。
魚を捕まえるのは難しいかも知れないが、よくよく川底をのぞき込むとザリガニや貝がいる。
「つめたっ」
夏は過ぎてしまったが、まだ日中は暖かい。
川に足をつけると、その冷たさに思わず声を出してしまった。
思わず、周りを見渡してほっとする。
ここには誰も居ないから怖がる必要は無いのに、いつもの癖だ。
着ていた服や寝るときに使えそうな布をついでに洗っていく。
バケツなんかがあったら便利なのに。なにか、バケツの代わりになる物は無いか、考えながら城へと帰っていった。
穏やかな日々が過ぎていく。
呪いを引き受けるとか、生け贄とか、人柱とか、そう言われてこの廃城に押し込められたけれど、そんなことみじんも感じさせないほど、穏やかだった。
「さむ……」
赤くなった手に息を吹きかけながら、薪を足していく。
隙間から吹き込む冷たい風。静かな朝は、とても寒い。
季節は、冬になろうとしていた。
使っていた部屋のすきま風は、冬に近づくにつれて過ごしにくくなってきた。このままだと本格的な冬が来たときに凍死してしまうかも知れない。
この辺りの国は大雪が降ることで有名だ。
取っ手の取れた鍋で作ったスープを飲み終えると、庭園へ。
秋の間に見つけておいた山芋を収穫したり、スズナやアブラナの芽がないか探していく。朽ちた木を見つけて、ほじくり、虫を見つけたり、薪用に集めたり。何時もの日課を済ませると、城の探索へ向かった。
どこか、冬の寒さをしのげるところを探さなければ。
地下の貯蔵庫はすきま風はないが、寒い。ホールは広くてたき火で温めきれない。衛兵が待機していた部屋のようなところが一番温かそうだ。
あまり見に行っていない二階、三階も探索する。
大きな部屋ばかり。
三階のバルコニーから森やかつて町があったはずの廃墟が見える。
奥の方に、小さな部屋が合った。
ここも荒れてはいるが、たくさんの本が残っている。書斎だったのだろうか。
だが、どの本も濡れてしわしわになり文字が滲んでいたり、酷い汚れでよく読めない。窓が割れているので、雨が吹き込んできたせいだろう。
たき火に使おうか。きっとお城にあった本なのだから、高価な物だろう。それをたき火に使うなんて贅沢だなぁ、なんて思いながら、パラパラと気になった本をめくっていく。
何冊か、読めそうな本がある。が、簡単な文字しか分からないわたしには、少し難しそうだった。
完全に読めない薪用の本と、暇つぶしに読めそうな本を分けていく。
教会では本なんて読む時間は無かった。
何時しか、夢中になって本を見ていくうちに、少しずつ暗くなってきた。
たいまつなど持って来ていない。本を抱えて暗い中を歩くのは危険だ。
そろそろ、戻ろうとした。
「あっ」
床に落ちていた本に躓き、転びそうになって、思わずそばの壁に手を伸ばした。
がたり。
「え?」
なにかを押してしまったような感触がした。
ガリガリと動く音がする。
辺りを見回すと、そばの壁だった場所が、横にずれていくところだった。
隠し部屋だ。王様の住む城には、本当に隠し部屋などがあるのだ。
初めての事に、わたしは思わず固まって見ていた。
開ききると、奥は薄暗く、階段が続いていた。埃が積もっていて、もう長いこと誰もここに入っていないことが分かる。
手元を見ると、壁にへこみができていた。そこが、隠し部屋をあけるスイッチだったのだろう。
空は、まだ明るい。少しだけ、奥へ行ってみたい。そんな好奇心が湧き上がる。
こんなこと初めてで、どきどきしていた。
どうせ、誰も怒る人は居ない。誰かに迷惑をかけることもない。
迷ったのは一瞬で、わたしは暗い階段を降りていった。
外の光はすぐに消えていく。所々隙間があるせいか、見えないと言うほどでもない。
埃っぽい階段をどれほど降りただろうか。
小さな扉に辿り着いた。
この城にはわたし以外生きている人はいない。特に警戒すること無く扉を押すと、以外とすんなりと開かれた。
「きゃっ?!」
突然、明るくなった。まさか、どこか外に出てしまったのかと目を瞑って思ったが、だがそれにしては明るい気がする。
さらに、パチパチと火が燃えるような音がする。
そんなこと、ありえないのに。
目を開けると、そこは不思議な部屋だった。
誰も居ないはずなのに、暖炉に薪がくべられ、ランプの明かりが煌々と燃えている。
床も、埃一つ無く、誰かがさっきまで住んでいたようだった。
だが、人が居る気配がない気がする。そもそも、ここには誰も居ないはずなのだ。
もしかしたら、神術なのかも知れない。
ふと、教会でのことを思い出して、考えた。
わたしは神力も無いし才能も無かったらしい。だから、遠くから時折眺める程度だったが、教会では神力と才能ある子ども達を集めてよく修行していた。
自らの神力を捧げ神様の力を借りて、奇跡を起こす術だと聞いた。
だが、この国では悪魔と契約していたから、悪魔と関連する術だろうか。とにかくなにも教えられなかったから、本当に基礎的なことしか知らない。
明るい部屋で、大きな暖炉に手をかざすと、久しぶりのぬくもりに緊張が解けていく。
ドキドキの探検だったが、とても良いところを見つけた。問題が無ければ、冬の間この部屋に拠点を移せば凍えずに過ごすことができるかも知れない。
この暖炉がいつまで燃えるのか分からないが……。
手足が温まったところで、部屋を少し物色する。
何も置いてない机とふかふかのソファ。何が書いてあるのか全く読めない文字が書かれた本ばかりの大きな本棚。そして、天蓋付きの大きなベッド。ベッドは、天蓋カーテンで閉められている。
そこを、そっと開いた。
「えっ……?」
青年が、眠っていた。
もうずいぶん長い間物音を立てていたから意味は無いかも知れないが、口に手を当てて息を殺す。
遺体、ではない。よく見れば、少し胸が上下しているのだ。
それよりも目を引いたのは、夜のような綺麗な黒い髪だった。
見た目男性なのに、だいぶ長い黒髪がベッドに広がっている。疲れてコートを着たままベッドに横になり、そのまま寝てしまったような、そんな様子だった。
とても、綺麗な黒髪だった。自分の黒になりきれない赤髪とは違う。うらやましいほどに。
もしかして、彼は……。
見入っているうちに、ふと胸の傷に気付く。
不自然に血は流れていないが、服が切り裂かれ、傷口が紫色に変色した傷があった。
「……」
痛そう。
思わず、その傷に手を伸ばす。けれど、手が届かずにベッドに倒れ込んだ。ベッドが大きくて、届かなかったのだ。
ふかふかのベッドに沈み、彼の体にぶつかる。
慌ててベッドから落ちるように退いた。尻餅をついて、涙目で起き上がろうとすると、目の前に大きな手があった。
「……」
「大丈夫か?」
顔を上げると、先ほどまで眠っていた青年が起き上がって心配そうにこちらを見ていた。
宝石のような黄玉の瞳が、まるでキラキラしている。
見入ってしまい、それから今の状況に気付く。
「どうした?」
「あ、あの、ごめんなさい。勝手に入って」
怒られる。
「す、すぐ出て行きます」
尻餅をついたまま、じりじりと後ろに下がっていく。
立ち上がると、一気に扉に向かった。後ろから何か声が聞こえたが、怖くて耳を塞ぎながら、長い階段を駆け上がった。
息を切らしながら、あの書庫に戻ってきた。
もう、辺りは暗くなっている。
月明かりが、廃城を照らしていた。
早く、見つからないところに隠れよう。
息が上がってうまく呼吸できない。
ふらふらしながら、部屋を出ようとして、肩をつかまれた。
「っ……」
振り返ると、彼がいた。
つかんだ手と反対側の手が、あげられる。
怖い。
いつものように、目を瞑って身を縮める。逃げたくても、体が動かない。
「冷たいな」
片側のほっぺが、温かい。
そして、何かを上から掛けられた。
「怖がらなくて良い」
そっと、頭を撫でられる。
知らないぬくもりが、体を温める。いつの間にか、手は離されていた。
恐る恐る目を開けると、彼が着ていたコートを掛けられていた。
あれ?と首をかしげる。引き裂かれていたはずだが、その跡がない。アレは、見間違えだったのか。
青年は、わたしから離れて書庫から出て行くところだった。
そっと、すぐ逃げ出せるように距離を取りながら、彼を追う。
崩れた廊下。近くのバルコニーに出て、彼は辺りを見回していた。
「そうか、滅びてしまったのか……」
どこか寂しい声だった。そして、わたしに向かって振り返った。
「さて、君はどうしてこんな滅びた国の城に、独りで彷徨っていたんだ」
「わ、わたしは……」
なんて、言えば良いのだろうか。
わたしの予想が当たっているのなら、彼はあのヒトだ。
彼が何を思っているのか、分からない。怖い。でも、もう終わることができるかも知れない。思ったよりも、ずっと早く。
「わたしは、人柱、です」
「?」
彼は、首をかしげる。
「ディレトニアに降りかかるすべての呪いをすべて引き受ける、人柱です」
「ディレトニア? 隣国の……」
黒っぽい赤髪は、明るい髪色の人しかいないディレトニアでは異端で、悪魔の子と呼ばれてきた。
悪魔と縁のある子ども。教会に閉じ込められ、監視された時からずっとずっと言い聞かされてきた言葉は--
『本来なら殺される所を、聖女様のお言葉でここまで生きられたのだ。だから、お前は聖女様に感謝し、その身を捧げるのだ』
分かっています。
だから、ぶたないで。
地下に行きたくない。
自分がここに居る意味は分かっています。
呪いで死ぬのが自分のやることだって。
悪魔に殺されるのが、望まれていることだって。
だから。
「だからあくまさん、どうかわたしを祖国ディレトニアの代わりに、殺してください」
自分の物よりも、ずっと綺麗な夜色の髪。
この黒っぽい赤髪なんかよりもずっとずっと綺麗で、うらやましくて、悲しかった。