ツッパリとトラック
男は退屈していたーー!!
「津張さん、西高の橘に一対一で勝ったって、本当スか!?」
「津張さん、ツッパりすぎッスよ!」
取り巻きの男たちの言葉を背に、『津張 剛』は、欠伸をこぼした。
一見すると時代錯誤とも取れるほどーー立派にたくわえられた彼のリーゼントは、しかし向かい風に逆らうように、力強く前だけを向いていた。
津張はつまらなそうにローファーを引きずりながら、荒れた通学路を歩いていた。
狭い歩道である。とはいえ、人がニ・三人通れるほどの幅は十分に確保されている。
しかし!
津張一行を中心に、距離にして約半径50メートルーーその歩道は、彼らの独占を許してしまっていた。
津張が歩く道には、誰も近づかない。
ーー否!
津張が発しているのだ。何人たりとも近づかせない圧をーー。
もしも、歩く先に津張の姿を確認したならば、皆一様に彼を避けて通るーーどころか!直ちに踵を返してしまうのである。
絶対王政さながらの有無を言わさぬ強制力ーーそれをほしいままにするのが、『津張剛』という『漢』である。
したがって、繰り返すがーー彼が歩む道には、誰も近づかないし、立ち入らない。
そう、一握りの命知らずを除いてはーー。
「津張ィ!てめェ!ふかしてんじゃあねェぞッ!!」
見るからにオーバーサイズのボトムスを、しかし裾で絞るーーいわゆる『ボンタン』を履きこなし、大股で津張に歩み寄ってくる男がいた。
一介の高校生とは思えぬほど身長がある『ボンタン男』の顔には、まだ日が浅いものと思われるアザがいくつか散見された。
さらに、男の手に握られていた『それ』はーー
「西校の橘!」
「津張さん、橘、刃物持ってるッスよ!」
「言われずともわかっている」というふうに取り巻きたちに目配せをした津張は、「ボンタン男」つまりーー橘に視線を戻した。
「橘ァ……何のつもりだ……!?」
津張は、ドスの効いた声でそう尋ねた。
ただ尋ねただけーーとは思えないほどの凄みが、その言葉からはだらだらと溢れ出ていた。だが、橘もまたツッパリーー負けじと声を荒げた。
「てめェ……たかだか一回の喧嘩で、俺を『シメ』た気でいるんじゃねェぜッ!『コイツ』を見てもよォ……まだそんな態度が取れッかよ!」
そう言って、橘は手に持つ『それ』の刃先を、津張にギラリと向けた。
「『たかだか一回の喧嘩』ねェ……」
津張は呆れたように言った。
「その『たかだか一回の喧嘩』に『敗北』たてめェが、デケェ顔してんのは……一体どういうことだ……!?」
津張は、相手を見下すように顎を上げた。
「……!
今にその『スカ』した『顔』を、『泣きっ面』に変えてやるよ……!!」
怒りを抑えるように、ひくついた笑みを浮かべながら、橘は自分の力を誇示せんとばかりに、手に持つ刃物に舌を這わせた。
対して津張は、凶器の一つも構えることなくーーただ右の『拳』を堅く握りしめた。
「おまえさんが大事そうに持っている『刃物』はョ……『拳』より強ェのかィーー?」
意趣返しーーといわんばかりに、津張は堅めた右拳に舌を這わせた。
「『スカ』してんじゃねェェェッ!!」
!?
怒りに任せ、橘が駆け出したーー刹那、
一閃!!
津張の右拳が、橘の額を打ち抜いた。
後方へ吹き飛ぶ橘の巨体ーー。
「やっぱ、拳ョ……!」
津張は、巨漢を屠った右拳にkissをした。
「津張さん、刃物相手に『素手』って、本気スか!?」
「津張さん、ツッパりすぎッスよ!」
津張の『強さ』とは、類稀な腕っぷしの強さーーではない。
津張の『強さ』とは、刃物を手にした相手に物怖じせず立ち向かえるーーその『度胸』にこそある。
「覚えてろよ!!」と、いかにもな捨て台詞を吐きながら、橘は背を向け駆け出した。
「フンッ」と、津張は鼻を鳴らす。
津張と『対等』を張れる者は、もはやこの街には存在ない。
その事実が認められず、半ば自棄を起こしながら津張に挑む『ツッパリ』や『腕自慢』は未だいるものの、敵わぬことを知り、皆諦め、確実に数を減らしているのもまた事実。
そんな『命知らず』を払い除ける。
津張にとってはいつも通りーー退屈な『日常』である。
ところがーー今日は、その『先』が違った。
本日何度目かの欠伸をーーたまらずこぼしそうになったそのとき、いち早く津張は異変に気づいた。
「どけよ!ガキ!」
敗走する橘が、道行く子どもを跳ね飛ばした。
狭い歩道である。したがって、巨体と衝突した子どもが弾き出されるのは、わけもなくーー。
その子どもは、意図せず、自らの意思とは無関係にーー車道へと転がり出た。
クラクションが耳に飛び込む。
しかし、あまりに突然の出来事に、子ども自身はあえなくフリーズーー何もできずただその場にへたり込んでいた。
無理もないーーが、そうも言っていられない。状況はひっ迫している。
「本当スか!?」
取り巻きの一人が叫んだ。
「オイオイ……!!」
言うや否や、津張は地面を蹴った。
「ッ本当スか!?」
迫り来る大型トラック。
震える子ども。
駆け寄る津張ーー。
次の瞬間ーー起こった出来事は、あまりにも『必然的』であった。
形容し難いーー鈍い衝突音。
けたたましく鳴り響く摩擦音。
アスファルトを掘削せんばかりの急停止。
噴き出す鮮血。
耳をつんざく誰かの悲鳴。
しかし、子どもは無傷であった。
五体満足で歩道に膝をついていた。
一方、力任せなタイヤ痕を描いたトラックの傍らで、車道のど真ん中、地に伏す津張剛ーー。
『漢』は、真っ赤に染まった宙を見ていた。
「津張さん、こんなの……こんなの現実じゃないッスよねェッ!?」
「津張さん、ガキのために命張るなんて……ツッパりすぎッスよォッ!!」
大の男二人が、大粒の涙をこぼしながら津張に駆け寄る。
状況は理解できなかったものの、つられて子どもも泣き始めた。
しかし、そんな光景も、もはや津張には薄ぼんやりとしか見えない。
また、彼らの悲痛な叫びも、もはや津張には薄ぼんやりとしか聞こえないーー。
それでも津張は、振り絞る。
「『マヌケ』がョ……俺らァ、死なねえよ。あんまりにも『退屈』だったもんで、ちょいと『眠く』なっちまっただけョ……」
そう言って津張は、誰の目にも明らかなーー『作り欠伸』をしてみせた。
「ッ津張さァン……!」
取り巻きたちが嗚咽を漏らす。
「それにョ……」と、津張は続ける。
「聞いたことがあるぜ。人は死んだらョ、『異世界』ってトコに行くらしい。なんでもそこには、『魔王』だとか『勇者』だとか……『強』ェヤツらがごまんといるらしい。『退屈』しねェで……済みそうじゃねェか……ッ」
徐々に語気が弱まる津張ーー『絶命』は近かった。
『漢』が最期に見たのは、自信の返り血を浴び、フロント部が大きく凹んでしまったーー欠損が激しいトラックの姿であった。
『漢』は静かに口角を持ち上げた。
そして間もなくーーどこか満足したように、ゆっくりと瞳を閉じた。
「あばョ……」
!?
取り巻きの男たちが、悲しみに打ちひしがれていたのは、ほんの少しの間だけであった。
なぜならば、そんな『心情』を吹き飛ばしてしまえるほど、衝撃的な光景が彼らの目に飛び込んできたからである。
『漢』ーー津張剛!!
瞳を閉じた今もなお!!彼のリーゼントは天を衝き!!頂上だけを見つめていたのであるーー!!
「津張さん……ツッパリ過ぎッスよ……ッッ!!」
明日も同じ時間に投稿します。