1・記憶が戻ったら目の前にケモノ耳娘が居た
目を開けると目の前でケモ耳少女が寝ていた。グラグラ揺れる少々不快な馬車の中だが、それよりもケモ耳が気になって仕方がない。
本能にあらがえなかった僕は耳へと手を伸ばす。
本物である。猫耳だけあってフサフサとはいかないが、本物には違いない。犬やキツネだったらまた少し違ったのだろうが、満足の行く触り心地だった。
「んあ、あ、イシュトヴァン様、な、なにを」
少女が起きてしまった。
「ああ、悪い。マチカの耳を無性に触りたくなってな」
そういうと、少女は顔を真っ赤にして抗議してくる。
「一体何をなさっているんですか。これから代官として街に赴くというのに」
そう言ってからもブツブツ何やら言っているが、その姿も可愛いモノだ。
猫獣人なんてのが地球に居るはずもなく、ここは異世界だ。
今朝からどうも頭がすっきりしなかったが、先ほど、とうとう前世なるモノを思い出している。
そう、21世紀前半の地球に僕は生きていたらしい。日本という国で普通に平民として暮らしていた。そんな記憶が蘇ったのだ。
これまでも何か違和感を持ってはいたが、それが何かわからなかった。どうも今の生活に違和感はあったのだが、その原因が分からなかった。
なるほど、まるで違う異世界の記憶があるのでは、違和感があるのも当然だ。
現在の僕はカルパティノ王国という魔法がある世界の一国で辺境伯家の四男などやっている。
フニャディ・イシュトヴァン。
ちなみに西洋っぽい国なのにフニャディが家名で、イシュトヴァンが名だ。まったくよく分からん。
カルパティノ王国は周囲を山脈に囲まれた国で主要都市は大草原と呼ばれる地域に存在している。辺境伯領はその南方、大草原が終る南山脈の縁にある。
これから僕が向かうのは、辺境伯領の最南端の街、マーレタティという所だ。
最南端と聞くと重要な場所と思われるかもしれないが、全くそうじゃない。南山脈にはその名も魔盆地というモノが存在して、そこには魔人が住んでいるという。その出口に当たるのがマーレタティなのだが、魔人さん方は全く敵対的ではない。閉鎖的なので没交渉ではあるが。
期待されてそこに向かう訳ではない。次兄や三兄は東山脈沿いの国境の街へと配されているが、彼らが有する魔法は火や風を扱うモノ。長兄は文系の速読や完全記憶などを持って居て領都で政務に励んでいる。
で、僕の魔法は全く貴族に役立たない生産系だ。
錬金と言えば聞こえはいいかもしれない。しかし、現実には銅鉱石から銅だけでなく金や銀を産出した事から製錬魔法を錬金と呼んでいるに過ぎない。この魔法を有難がるのは鍛冶師や鉱夫であって貴族ではない。
なにせ、この魔法があっても執務が捗る訳でも、武力が上がる訳でもないのだから。
もし、同じ辺境伯であっても、西隣のヘルタイ伯であったなら、あそこは鉱山があるので歓迎されたことだろう。
だからと言って、僕がヘルタイ伯に婿入りなんて事はあり得ない。軍事権を有する辺境伯同士の婚姻など王家や中央貴族が認めやしないモノ。
そうした経緯から、家の中で僕は疎んじられる存在であり、貴族に必要な魔法も持ち合わせていないことから王都の学校に通う事も無かった。そして、代官拝命を口実に放り出されたという訳だ。
揺れる馬車の車窓に城壁らしきものが見えだした。決して高くはないそれを見ながら、不意に感じたことを口にする。
「マチカ、なんか臭い」
少女は一瞬何のことかわからなかったらしい。
「確かに、領都よりキツイですね。マーレタティは河畔の街なので汚物処理がより困難なんだと思われます」
そう、さも当然の様に語る猫獣人少女。
「川があるなら汚物を流せばいいんじゃないか?」
良いか悪いかは別として、水洗にすれば街が匂うことは無いだろうに。
「そんな事をすれば川に居るスライムが瘴気を発して辺り一帯を侵しますよ?」
まあ、川から感染症が広まるのは困るもんな。
そんな事を想いながら街を治める代官の館へと馬車が到着した。風向きだろうか、多少は匂いが薄くなった。
典型的な中世風異世界で、夜は街壁の門は閉まる。ただ、冒険者なる職業も無ければ冒険者ギルドも存在してはいない。アレはいわばゲームや小説のための職業であり現実的ではないという事だろうな。
その為、この街にも辺境伯家が抱える兵士が駐留しており、街の治安や周辺の魔物対処は彼らの仕事だ。
当然だが、冒険者は居ないが傭兵なら存在しているそうだが、彼らは街の警備をやってくれる便利屋ではないらしい。
館に入ってあれこれ文官から業務内容を聞いたが、結局のところ、大半はこれまで通り彼らがやる仕事なので僕がどうするという事もない。
そう、僕は単なる飾りとしてここに放り出されただけで、実際にやることは無い。