魔族襲来、彼の秘密
平和そのものの街並みは、魔族の襲来を以てひとたび戦地へと様変わりしていた。
魔族がステージへと飛来したと時を同じくして、その眷属である魔物たちが押し寄せてきたのだ。それらは人間ほどの大きさを持つ蜂型のキラービーという種で、冒険者や兵士にとってはそれほどの相手では無いにせよ何分数が多い。
「くそっ!こうも多いとキリがない!」
「だが散開してて助かった。住民の安全を第一優先で考えるぞ!」
「了解!…ま、お嬢様は隊長が居れば大丈夫っしょ!」
幸い、街に展開させていた私兵団が奮戦しており、魔物たちを何とか食い止める事には成功している。
キラービーは尾にある毒針こそ厄介だが蜂にしては動きも鈍く、逃げること自体は難しくない。
「ロザリー殿!拙者の後ろを離れませぬように!」
「う、うん…!」
相手が男性でなく蜂型の魔物という事から何とか防戦できていたロザリーだが、それでも魔法の詠唱に隙ができる。リースリットはいの一番に彼女の元へ走り盾となってそれを助けていた。
護衛という意味ではアメリアの元へ急ぐのが正解だと分かっていても、彼女の元にはレナードが居る。その信頼故の行いだった。
「…隊長!どうかお頼み致す!」
劇場の方をチラッと見てリースリットは呟いた。
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「…うそ…レナード…様…?」
【他愛もない。騎士風情が魔族である俺様に太刀打ちできるとでも思ったか?】
アメリアは信じられないものを見ていた。
突如として現れた魔族。それは最早文献でしか見たことが無く、一説では滅びたとも地上を去ったとも云われていた。
それが目の前に居て、そして、
「い、いや…!レナード様ぁ!!」
一撃であのレナードを吹っ飛ばした。
あの時、レナードは剣を抜いて誰より先に斬りかかった。魔族は槍のように鋭く長い腕をひと薙ぎしただけでレナードを後方へと吹き飛ばし土壁にめり込ませたのだ。
名前を呼べども動かないレナードを見て、アメリアはへたり込んだ。
【さて…アレはどこだ?我が主、上位魔族たるギョレ様が封印せしめた遺物…。あんな物があってはまた人間どもがつけあがる。】
逃げ惑う人々に構うことなく魔族は何かを探している。
【…ん?】
ただ一人、その場で茫然としていたアメリアに狙いを定める魔族。
しかしその時、ステージの脇からピエロが現れた。ピエロは手に羊皮紙を持ち、叫ぶ。
「おい!!お前が探しているのはコレだろ!!」
【…ヌ?】
それは地図。
「御大層に魔族自ら来てくれるとはね。やっぱりウチの読みは正しかったわけだ。」
魔族を前にして、ピエロを脱ぎ捨てる少女は余裕の笑みを浮かべている。
地図を懐に収めると少女は右手に手のひらサイズの水晶を携えた。
【人族の雌。のこのこ出てきてくれたことにはまず感謝を述べよう。手間が省けたぞ。】
魔族は少女に槍のような腕を突きつけた。
しかしそれでも少女は態度を崩さない。
「あら知らないの?ウチ、今は死なないから。」
【…言っていろ!】
腕を振りかぶる魔族。
しかしその腕は彼女に届くことは無かった。
【ヌ?!】
彼女の目の前に、レナードが立ちふさがったから。
「レナード様!?」
「…ほらね~?」
「馬鹿を言っていないで下がっていろ。」
「はいは~い!」
少女は軽やかな足取りでステージを降りるとアメリアに寄り添った。
【…貴様、何故生きている?】
確かにあの時、致死と思えるダメージを与えた筈だと。
腕に覚えがある者であれば、魔力をその身に宿して防御を固める術を持っている。それは硬氣と呼ばれ、冒険者や騎士の入門とされる技術だ。
その硬氣をレナードは纏っていなかったからあれほどまでに吹き飛んだ。
しかし魔族の誤算は彼の能力の高さだった。人の身でもこれほどまでに高いステータスを持つ者は稀だ。
レナードとしても純粋に魔力を温存したくて使わなかっただけに過ぎない。
「流石に生身は拙かったか。学習した。」
そう言って剣を構え直すレナード。
「…生身って…あの人ひょっとして馬鹿?」
「れ、レナード様は馬鹿じゃありませんっ!」
率直な意見をぶつけた少女に対してぷりぷりと怒るアメリア。
少女は二人の関係性を少し察した。
【硬氣を使えば耐えられるとでも?それは大きな間違…】
「ふっ…!!」
【グア!!?】
それは只の斬撃。
【な…なぜだ!?何故俺様の障壁を…!】
魔族は本来、独特の技術を持っており、その一つが障壁。人で言うところの硬氣と似ているが、表面にバリアのような膜を張り、魔族のそれは人であれば余程の強者で鳴ければ破るのは困難とされる。これが魔族が人類の天敵とされる要因の一つだった。
しかもレナードが放ったのは何という事もない、只の斬撃。
「…障壁か。忌々しいな。」
過去に苦渋を舐めたあの上位魔族の障壁を思い出し呟いた。
「だがお前程度ならどうということは無い。」
【何だと…?】
そう言って構えるレナード。構えた瞬間、暴力的なまでの魔力を纏う。
---破氣
身体を巡る魔力を攻撃へと転じる技術。
魔族は目の前の人間に対して、初めて恐怖を覚えた。構えだけで気圧される。そこから少しでも動けば間違いなく殺されるという威圧。絶対的な強者を前にしたときの凍る感覚をまざまざと感じた。
違う、気のせいだと思い込もうとするも身体は固まったまま。まさに蛇に睨まれた蛙だ。魔族は瞬きすら呼吸すら忘れていた。
「…一つ聞く。」
【っ…?!】
声だけで押しつぶされる。
「北方の大陸は……いや、お前たちはこの世界に何をした?」
魔族は逡巡した。
ここで質問を突っぱねれば自らの命は無いだろう。しかし、本当のことを言ってしまえば…
【…ま、待て…!】
口から出たのはそんな言葉だけだった。
レナードは一つ大きく息を吐いて上段に振りかぶった。
【っ…!】
咄嗟に翼を広げて距離を取ろうと試みる。
そこから先はスローモーション。
レナードが何か技を繰り出してくるのを背後で感じる。出来るだけ遠くへという想いが翼に伝わらないのか、羽ばたき一つが酷く遅く思えた。
魔族というのは基本的に不死の血脈。ただ斬られただけで死ぬことはない。しかし彼の斬撃は違う。
障壁を破ったこともそうだが、何より斬られた腹部の血が止まらない。
アレは間違いなく聖の理を得ている。
であれば自分のような下位の魔族では話にならない。もっと上位の…少なくとも御三家級でなくては。
(ギョレ様に伝えなくては…!!ここに聖騎士が居ることを!!)
「至伝ノ壱…」
もう数十メートルは距離を取ったというのに、その声はすぐそばで聞こえた。
【?!】
「雑破」
身体が斬られ…いや、焼け…いや凍った?俺様はどうなった?分からない。自らの左目が見える。ああ、アレは翼か。ギョレ様、今…
暗転、絶命。
一体でも出現すれば大国でも半壊は免れないと云われていた魔族は、こうして容易く屠られた。
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魔族を倒した時を同じくして、街に溢れた魔物たちは野に散っていった。
奇跡的にも住民には死者は出ておらず、兵士たちの奮戦ぶりが見て取れる。中でもロザリーの魔法はアメリアほどの正確さは無いものの、流石は元宮廷魔導士、リースリットも目が点になるほどの活躍ぶりだった。
結果として被害を最小限に止めた兵団と、それを持つカストロ侯爵の名声が高まる形となった。
「…はへ?」
とは一大事と足が悪いにもかかわらず戦準備をしていた侯爵が、セバスから「もう終わりました。」と報告を受けた時の反応である。
そもそも、魔族が出現して街一つが滅びなかったのが奇跡であり、知らぬ間に街へと散開していた兵士たちが大仕事をやってのけたなんて知る由もない彼にとっては理解が及ばなくても当然。
住民たちからの歓声を浴びながら帰還する兵士たちを出迎えたカストロ侯爵は何が何だか分からずキョトンとしていた。
「またレナード様にお命を救われましたわっ!」
目がハートなアメリアと、憮然としているロザリー。
「…ろ、ロザリー殿?あの、お手を…。」
そんなロザリーにスカートを掴まれて中が見えそうになっているリースリットは、恥ずかしさよりも胃の痛みを覚えた。
応接間で事の顛末を話し、ようやく何が起きていたのかを知ったカストロ侯爵はそれでもどこか腑に落ちないようだ。
「さ、さっぱり分からんが…なんだ、一先ず宿舎にはあとで酒を届けるから祝勝会でも開くと言い。大義だったな。」
「はっ!あ、ありがたき幸せ!」
頭を下げるリースリットだったが、ロザリーにスカートを掴まれたままだったため膝がつけない。
「ところで、そちらの御仁はどなたかな?」
そこで説明のために訪れていた少女へと目を向けるカストロ侯爵。
少女は一歩歩み出て、
「お初でっす!ウチは流離のピエロ兼占い師のピェグリット・ノース!“幻影劇団アトリエ”の支配人をしています!」
「ほう…街で大変噂になっておるアレか。」
「ですです!で……大変申し上げにくいんですけど~、今回の騒動ってウチが原因なんですよね~。」
「なに?」
目が鋭くなるカストロ侯爵とリースリット。
街への被害はそれほどでもなかったとはいえ、危険に晒したのだから仕方ないと言える。
しかしピェグリットはそんな目線もどこ吹く風で続けた。
「…ウチはコレを広めるために劇団を立ち上げたんですけど、ちょっち見てもらえます?」
そう言って机に広げたのはあの地図。
大陸が5つ存在し、レナードにとっては慣れ親しんだもの。
「これは…?」
「コレがこの大陸の真実です。だからコレを知る人間の可能性を求めて大陸中を流離ってたんですね~。」
「真実?」
ピェグリットは語る。
彼女は元は隣国であるサドンシア共和国の占い師。占いと言ってもそれは特殊なもので、残滓を読み取って可能性を視るというもの。
ある時、彼女は自国にて遺跡を調査中、偶然ある物を発見する。それは見たこともない地図で、そこから残滓を読み取った彼女は全てを知ることとなる。誰もがそれを信じない中、残滓を辿ってクトゥ・ルナ王国へとやってきた。
そして導かれるように、“勇者の悲劇”の舞台となった限りなく水平に広がる塔の跡地へと訪れたのだ。
そこで汲み取った残滓により、後に彼女が立ち上げた劇団公演の元となったある二人の物語を知った。
これまで、残滓をどれだけ手繰ろうとも先の可能性が視えなかった。つまり、解決の糸口となる未来への道が閉ざされているという事になる。
しかしその物語と知った瞬間、彼女に一本の線が視えたのだ。
物語の主人公、聖騎士レナード・アーヴィングを探す。そこで歴史は大きく動くと。
私財を叩いて彼女は劇団を立ち上げた。流れの劇団であれば公に晒しながら情報を探せると考えたから。
そして再び、残滓が色濃く感じ取れるホイエットに辿り着いた。聖騎士の残滓、それに勇者の残滓も微かに感じる。
必死に未来を探った。この先どうなるのかを。
そうして知ったのはこの日、聖騎士が公演に訪れるというもの。そして、何かを嗅ぎ付けたのか魔族が襲来することを。
「だからウチは可能性を手繰り寄せたんです。こうなる事は分かってましたし、ウチの劇団に犠牲者が出るのも分かってました。でも、かと言って誰かに喋ったり公演を中止した時の未来の方が悲惨だったんですよね~。レナードさんが魔族を倒すのはほぼ確定してましたけど、どこかでズレてたらそちらのお嬢さんや街の人は悉く死んでましたし。」
一同は言葉を無くした。
目の前の少女が嘘を言っているようには思えない。
「…論より証拠、ですよね。ほいじゃ、この地図の裏をご覧ください。」
そう言って捲った地図の裏。
そこには、
『レナード・アーヴィング』
『クロエ・ニノ・アーヴィング』
の文字。
「これ…!」
「れ、レナード様の?!」
周囲は驚く。レナードはなんとなく分かっていたのか、特に驚くこともなく地図に手を置いた。
「…ああ。これは俺の、いや、俺と姉のような人の物と言った方が良いか。」
「…姉のような人?」
「俺にアーヴィングの姓をくれた人だ。」
「せ、せ、姓をくれたって…もしかしてレナード様は既にご結婚を?!」
「いや、結婚はしていない。」
あからさまにホッとした様子のアメリアとロザリー。
「この地図…サドンネシアのトモロ遺跡にあった物だろう?」
「うん、そうですよ~。」
「やはりな。かつて俺と姉が未踏地区を制覇した時に、記念として最奥に貼ってきたものだ。」
そう言うレナードは懐かしむように地図を撫でる。
そんな中、リースリットはどうしても気になることが出来てしまう。少々越権かもしれないが、同じことを思ったカストロ侯爵に目で許しを得て問うた。
「…隊長は……何者に御座いますか?」
「リースリット?」
重い雰囲気を不思議に思ったアメリアが首を傾げる。
「この地図はざっと見ても私が生まれる前の物のように感じます。それにトモロ遺跡と言えば、踏破されたのは二百年以上は前。…それなのに何故、隊長のお名前が?」
レナードはリースリットの真剣な視線を受け、一つ息をついた。
「…本当は初めに全て話しておくべきだったな。本当の俺は、二百年以上前に死んでいる。」
「……えっ?」
そうして語られる、レナードの生について。
どう生き、どう育ち、どう終わったのか。
そして再び始まった蹶起に、自らの生の代償についても。
黙って聞いていた皆の感情は、ピェグリット以外に伺い知ることは出来ないのだった。
今回もお読みいただきありがとうございました。ご感想など頂けたら嬉しいです。
それでは、次回もお楽しみに。