俺とアイツの物語
ここはベルシュタイン家の屋敷前。広い庭には綺麗な噴水が一つ。
そこには手鏡を頻りにバッグから取り出して髪をチェックするアメリアの姿があった。
「髪の毛は…だ、大丈夫ですわね?」
先ほどから何度も確認しては整え、その度高鳴る胸を必死に押さえつける。
もうすぐあの人がやってくる頃…。
待ち合わせの一時間も前からこうしているわたくし。
「お口の臭いも、うん、大丈夫。服もマ…お母様から一番大人っぽい物を借りましたし、香水もバッチリですわ。ま、万が一の、その…し、し、下着も!素敵なものを選んできました!」
だから大丈夫、大丈夫…!落ち着くのよわたくし!
それに、変に舞い上がって失敗してはあの方に恥をかかせてしまうかもしれません!この街に詳しいわたくしが逆にリードして差し上げるくらいでいないと!
「ファイトですわ!わたくし!」
「…ふむ、随分気合が入っているな。」
「へっ?!」
拳を握り締めてそう呟くわたくしのすぐそばから聞こえてきた声に振り向く。
「よし、それでは出発しよう。」
そこには鎧を着込んで微笑むあの方の姿。
そして…
「アルファチーム、ブラボーチームはそれぞれブリーフィング通りに動いてくれ。あんな事があったばかりだ。警戒は怠るな。」
「い、いえっさー…。」
ずらりと並んだ私兵団の皆さま。
(え…え…えええええええっ?!)
ど、どどどど、どうして皆さまお揃いで?!
だって今日は街でデート…じゃなかった、名目上は護衛って……あ。
そうでしたわっ!?街に出かけたいから護衛をお願いって頼んでいたんでした…!
彼は真面目な人ですもの、それはこうなりますわよね……。
よく見るとリースリットを始めとする私兵団の方々はどこか察しているようで、何とも気まずい表情を浮かべている。
「……申し訳ございませんお嬢様。拙者らは御止めしたのですが。」
そう耳打ちしてくるリースリット。
いいのですわ……わたくしがちゃんとお誘いできなかったからこんなことになったのですから……とほほ。
「ですが安心してください。実は…」
再び耳打ちするリースリットの言葉は、わたくしを再び奮い立たせるに足るものだった。
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「…急ですまんが、以上が今回の作戦内容だ。」
「「「……。」」」
今朝方、非番にもかかわらず兵舎を訪れた隊長からとんでもない任務を聞かされた。
内容自体は街までお嬢様を護衛するという、何の変哲もないものだったが、兵たちは顔を見合わせて困り顔だ。
かく言う拙者もその一人。
「…隊長、あの、一つ伺ってもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「それは……えっと、我々も同行して問題ないのですか?それはどう考えても…」
逢引のお誘いだろう。
どれだけ鈍い人間でも、屋敷でのお嬢様の様子を見れば察する。そしてそれは兵士たちも見回り中や立ち番の時に見かけているから知らぬ者などこの屋敷には居ないのだ。
「問題ない。むしろ前回のようなことがあるから今度は万全に行きたい。」
「…。」
言い切る隊長に、我々は言葉を失ってしまった。
しかしお嬢様のためを思えばこのままというワケにもいかない。
「では一つ、今回の護衛に関して提案があるのですが宜しいですか?」
だから少しの後押し。
「なんだ?」
「前回は我々も不甲斐ない姿をお見せしました。ですので今回は名誉挽回の機として、我々を別動隊として動かしては頂けないでしょうか?」
「別動隊?それは遊撃で動くということか?」
「左様です。一般的な手法からは外れますが、隊長は単騎でお嬢様に付いて頂き、我々は散開して奇襲に備えます。こうすることで隊長の個の能力も活き、我々の地の利も活かせるかと。」
「…ふむ。」
後生ですから頷いて頂きたい。隊員たちも同じ気持ちだろう。中には拝んでいる者もいる。
「よし分かった。では君たちは二班に別れ…」
ほっ…
こうして、我らは最後の一線を守ることに成功したのだ。
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ホイエットの街角。
そこには建物の影から影へと移動する獣人の少女が一人。ロザリーだ。
本来なら男性恐怖症の彼女は一人で街へ出かけるなど無理な芸当だが、この日は違った。
ただレナードの背中だけを睨みつけ、周りが目に入っていない様だ。
「ところで今日の目的はなんだ?視察か?」
「えっ?!あ、えっと~…そ、そうですわっ!視察、視察です!」
前方には並んで歩く二人。もうそれだけで気が気じゃない様子のロザリー。
時折アメリアが勇気を振り絞って彼の手にそっと手を伸ばそうとするたび、尻尾を震わせて飛び出しそうになる。
「おやアメリアお嬢様じゃないか!今日はイイ男連れてるね~、デートかい?」
「や、八百屋のおば様っ?!そ、そんな、デートだなんて~、もうっ!」
こうして顔見知りに声をかけられては両手で頬を覆ってクネクネするアメリア。
レナードはそんな様子もどこ吹く風で、周囲を警戒するようにあたりを見回す。騎士としては正しい姿だが朴念仁にもほどがあると、こちらも隠れながら追従しているリースリットは思う。
むしろ彼女は特に大変かもしれない。
何故なら遠巻きについて行くだけと思っていたら建物の影にここに居る筈のない人物を目撃してしまったから。
アメリアの友人であるロザリーが男性恐怖症だというのは知っており、街になんて一人で出られるはずがないのも知っている。出かけるときは必ずアメリアと自分がついて行くのが通例だからだ。
「…あっ!アイツ、荷物持ってあげたりして…!」
にも拘わらずこうしてレナードの一挙手一投足にぷりぷりしている。
リースリットはアメリアと同時に彼女の方にも注意を向けなければならない。今は無我夢中といった様子で自分の状況に気が付いていないが、もし我に返ったら発作を起こすに違いないのだ。
「れ、レナード様?あの…わたくし、劇のチケットを持っていますの。よろしければご一緒に…。」
劇が開かれている広間に差し掛かると、もじもじしながらチケットを差し出すアメリア。
恋愛をテーマにした劇という事で、行列は当然カップルだらけ。
地面を階段状に掘って客席とし、真ん中にステージがあるこの広間は、普段は吟遊詩人や大道芸の者が利用する場所だ。
今、流れの劇団が主催しているこの劇は、街でも大変話題になっている。レナードも街の警邏ついでに噂くらいは耳にしていた。
「…ふむ。今回の目的は興行の視察だったのか。いいぞ。」
かなりズレているがその返事を聞くとアメリアは飛び跳ねて喜ぶ。
リースリットは心の中でお嬢様を祝う。…が、
「な、何よアレ…!あんなのまるで、で、でーと、みたいじゃない!」
明らかに「みたい」ではない。アメリアからすればアレはれっきとしたデートだ。一般的にもそうだろう。
祝うリースリットの傍ら物陰では今にも呪い殺しそうな表情でレナードを睨むロザリーを余所に、二人は広間の中に入っていった。
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劇が始まる。
ステージにまず上がったのはピエロの面をした女だった。
『皆さん、本日は我々“幻影劇団アトリエ”の公演にお集まりいただき恐悦至極で~す!』
どうやらアトリエという劇団の名前らしい。
ピエロの面は恭しくお辞儀をすると、一枚の大きな羊皮紙を広げた。
レナードはアレが何かを知っている。
『これはですね~……本当の地図なんです!』
観客たちはざわついた。
「アレが地図だって?大陸が5つもある地図なんて見たことねぇぞ?」
「ちょっとアナタっ、これは催し物なんだから変なツッコミ入れないのっ!」
レナードはピエロ面の言葉と周囲の反応に違和感を覚えた。
彼の記憶では大陸は5つ…つまりあのピエロ面が持っている地図が正しい。しかしこの反応はどうしたことか。
そこで彼は兵士の詰め所に貼ってあった一枚の地図を思い出した。そこには確かに西大陸、つまりここラングレー州があるクトゥ・ルナ王国とそれを挟んで隣接するチュール獣王国、サドンシア共和国の三つが主に台頭している大陸の地図があった。しかし、その他の地図は見たことが無い。
単純に必要が無いからだと思っていたが…
「…アメリア、この世界に大陸は5つ無いのか?」
聞くと、アメリアは冗談かと思いクスクス笑って「ありませんよ~!」と言う。
どういうことだ?
俺はクトゥ・ルナで生まれ育ったが、あの時は確かに5つの大陸があり、その内3つは実際に行ったことがある。
これまで目にした文献を総合すると、俺は少なくとも二百年は前の人間であることが分かっている。その間に大陸な消えたとでも言うのだろうか?
「…っ」
その時、面の上からだがピエロ面がこちらを見て微かに反応を見せたのが分かった。
…なんだ?
『さて、演目は遥か昔、悲劇に見舞われたお姫様と聖騎士の甘く切ない恋物語。どうぞお楽しみください~!』
再び頭を下げると、ピエロ面はこちらを一瞥してステージを去る。
入れ替わりで男女が姿を現すと物語が始まった。
白い鎧を着た騎士と、盲目の姫。どこかで聞いた…いや、感じたことのある物語だった。
『ジェノ!どこにいるのジェノ!』
『…ここだ、アリス。』
盲目の姫君は騎士の手を取ると、安心したように身をゆだねる。
どこに行くにもその手を放すことなく、彼女はいつだって隣にいた。
…既視感。
ああ、そうだ。これは俺とアイツの…
アリシア…彼女は目が見えなかった。
冒険者として名をあげ、陛下から洗礼を受けて聖騎士となった俺が、最初に託された任務は姫君の護衛だった。古の勇者の血をひく王家において、その血を最も顕現したのが彼女。
しかしその強すぎる魔力の代償に、彼女は産まれてすぐ視力を失ったらしい。
勇者の力というのは人のそれを凌駕しており、その身に宿すのだけでも負荷がかかる。その際に引き起こした発熱は乳児に耐えられるものではなかったのだ。
勇者の血を残すものには代々受け継がれてきた使命があった。それはかつて塔に封印したとされる魔王を外に出さないために、最も魔力が高まる17歳を以て再び封印の儀を行うというもの。
『SS等級の冒険者を我が願いの為だけに利用するのは親馬鹿だろうか。』
これは俺の洗礼のあとに陛下から言われた言葉だ。
魔王亡きあと百年以上は上位魔族の発見報告は無く、しかしそれでも不測の事態に備えて最も強い者を護衛につけたいという話だった。
これまでも候補者は何人か挙がり、実際に護衛に就いたが姫君とは折が合わず解任となる連続だったらしい。
そこで新たに白羽の矢が立ったのが俺だった。
『……。』
案内された庭園には、一人座り込んで花を撫でる少女の姿。
…どうしてだか分からない。分からないが、俺は少女を昔の自分と投影してしまった。
城内にある綺麗な庭園とスラムにある路地裏では真逆も良いところではあるが、なぜか重なったのだ。
誰もが遠巻きに訝しんだ孤児と、誰もが腫れ物扱いをする姫君。
…要するに彼女は孤独だった。
『……冒険に行こう。』
『え?』
これはかつて俺を冒険者の道に引きずり込んだとあるエルフの言葉。それを真似ただけ。
その時の俺のように、無理矢理手を引いて城内を飛び出した。王や臣下の者たちは大慌てだったが、俺は少女を抱き上げたまま駆けた。
オークが跋扈する密林、ドラゴンが居をはる渓谷、セイレーンの歌声が聞こえる海辺…。今思えば信じられない暴挙だが、俺はひと月余りはそうして引っ張りまわしたのだ。
帰ってきた時には国を挙げて討ち取られるところだったが、それを止めたのは彼女だった。
『彼を殺すなら私も殺しなさい!』
『アリス!聞き分けなさい!此奴はお前を…』
捕らえられた俺を指さす王。
しかし彼女は続けた。
『他の誰が私の言葉を聞いてくれましたか!?誰が私をちゃんと見てくれましたか!?誰が…私の心に触れてくれたんですか!?』
涙ながらにそう叫んで。
目が見えない彼女は気配だけを懸命に探って、転んでしまっても、這うように膝をつかされている俺の元へと寄ってくる。
そして手を取り、
『大丈夫ですよ。私が貴方をお守りしますから…!』
『…それじゃ、あべこべだな。』
笑った。
どっちが?いや、どっちもだ。
笑い合う俺たちの姿に、王も何かを感じ取ってくれたのだろう。
俺はその日から改めて彼女の騎士となった。
『今日はどんなお話を聞かせてくれるの?』
『…そうだな、あれは何年も前、酒が呑めないドワーフに会った時のことだ。』
『なにそれ~!ふふっ』
『ねえジェノ!さっきメイドが言っていたんだけど、私背が伸びたって!』
『ほう、いつか俺も追い抜かれるかな?』
『そ、そんなに大きくならないよぉ!』
『あ、あの…ね?その…ジェノ?ジェノって、えっと…こ、恋人とか居ないの?』
『急にどうした?』
『だっていつも私と居るし、もし恋人が居るなら悪いかなって…』
『…居ないぞ。というより居たことが無いな。俺は顔が怖いらしいから女は皆変な顔をして逃げてしまう。』
『そ、そっか!ふ~ん!そうなんだ!……やった』
二人、共に同じ時を過ごしながら月日は過行く。
そして彼女が17歳を迎え、塔へと出向く時がやってきた。
封印の間の扉の前で、彼女は立ち止まる。
『どうした?』
声をかけると彼女は一度息をつき、振り向いた。
『…今は…誰も居ないよね?』
そう呟く。
確かにこの時は、塔の一角、他の護衛隊は塔の外へ配置されているからこの場には二人きりだった。
実のところ、基本的に普段はお側付きのメイドがひっそりと付いていたから二人になるのは珍しかった。例えばトイレや着替え、食事など、俺に世話をされるのが嫌な部類のために必ず一人は居たからだ。
『い、一度しか言わないから聞いてね?』
『ああ。』
彼女は胸を押さえて深呼吸。
『私……貴方が好き。大好き。』
そう言った。
『目が見えない私にこんな事言われて気味が悪いと思うかもしれないけど、一目見た時から、私は貴方に恋をしてるの。』
劇ではあの時の光景が演じられている。
ああ、確かに彼女はそう言ってくれた。
そしてその時にはもう、俺の気持ちも同じだったんだ。
『…目に光を感じなくても、一目惚れってするんだね。』
『それじゃ、あべこべだな。』
いつかと同じように答えて、俺は彼女を抱きしめた。
「レノ。」
「なんだアリシア。」
頬に手を当て、唇に軽い感触。
「…儀式が終わったら、私と」
「結婚しよう。」
先を奪う。
そして先ほどよりも強く抱きしめた。
(ああ…やはりこれは…)
俺とアイツの物語だ。
少女はゆっくりと離れ、扉へと向かう。
(ダメだ…そっちへ行ったらダメだ…!そこには奴が…!)
俺は無意識に立ち上がっていた。
突然の行動に、隣にいたアメリアが驚いたようだ。後ろの観客たちも邪魔だと声を上げるが俺にはどうでも良かった。
…なぜなら視線の先には、奴と似た魔族の姿があったから。ソレは上空から黒い翼を羽ばたかせ、ステージに降り立った。
ステージから悲鳴が上がる。
「な、なんだコイツは…!?」
騎士役の男が驚く。
この気配間違いない。あの時のクソ野郎とは違うが間違いなく魔族だ。
騎士役の男は演目用の剣で追い払おうとするも、嘲笑うかのように躱して胸に鋭い腕を突き立てた。
巻きあがる血しぶきに観客たちは唖然となり、それはすぐにパニックへと変わった。
何故ならこれは演目ではないのだから。
【…封ぜられた筈の存在を感じてみれば…やはりか。】
地の底から響くような声。
俺は、剣を取った。
今回もお読みいただきありがとうございました。ご感想など頂けたら嬉しいです。
それでは、次回もお楽しみに。