それぞれの惚れかた
ロザリー・テレスティアの朝は早い。
まだ日の出前の静けさに包まれた宿舎内で、誰よりも早く身支度を整え部屋を出る。そこには普段男性の前ではビクビクとしている様子は欠片も感じさせない凛々しい顔つきがあった。
隣の部屋にはまだ寝ているであろう憎き(?)あの男がいる。
「…アイツ、中々化けの皮が剥がれないわね。」
そうブツブツと呟いて、扉の前を往復する。
この行動は、彼がここに居を構えてから毎朝行われている。
右に行き、左に行き、そしてまた右へ。日が高くなるにつれ、彼女のそれはどんどん激しさを増した。
そして7時を回る頃だろうか、そろそろ他のシスターたちも起きてくる時間に差し掛かる。
彼女にとって、勝負はここからだった。
「?」
シスターの一人が廊下を通って洗面所に行こうとすると、決まってある珍妙な光景が目に入る。
廊下の窓を開けて、下手な口笛を吹きながら慌ててたように取り繕っているロザリーだ。
時には明らかに無理だと思われるスペースに隠れ、思い切り尻尾が出てしまっていることもあった。
シスターが通り過ぎるのを見送るとホッと胸をなでおろしてまたウロウロ。彼女たちが笑いを堪えているのに気付いていないのだろう。誤魔化せていると思っているのは本人ばかり。
「…ふぅ、危ない危ない。」
そう独り言ちた時、目当ての扉が開いた。
「っ!」
慌てて体勢を整え、わざと目の前をさも「たまたま通りかかりましたよ」という風に歩く。
すると決まってレナードは、
「ロザリー、おはよう。今日も一緒になったな。」
こう言って少し距離を置くように隣へ並ぶ。
レナードもレナードで、毎日偶然一緒になっていると思っていた。
「…っ、ふ、ふんっ!だ、だからって何なのよ!」
「いや、丁度いい。これから食事場に向かうなら共に行こう。」
こうして彼女の隣へ少し間を開けて並んでくる。
特に何かあるわけでもなく、無言のまま廊下を行く二人。
そう、彼女の心根は、ただ一緒に食事場まで行きたいだけなのだ。しかし男性恐怖症の彼女は“好きな人と一緒に居る高揚感”と“嫌いな人と一緒に居る嫌悪感”、この二つの胸の高鳴りを理解できない。
(…やっぱりコイツと居ると胸がドキドキしてくるのよね。顔を見るともっと頭に血が上るし……私はそれだけコイツのこと嫌いってことなのね!皆は騙せても私は騙せないんだから!コイツが男の欲望をまき散らさないように見張っておかないと!)
こんな頓珍漢な心の中。
横目でチラッと睨みつけるようにレナードを伺うと、次第にポヤ~っとした顔つきになってくる。尻尾はもうブンブン丸だ。
(ふむ…やはり何やら睨まれているな。男が嫌いだと言うのは伝え聞いていたが、それでもいつどんな危険があるか分からない。ここは心を鬼にして彼女に耐えてもらおう。)
こっちもこっちで頓珍漢である。
食事場に着くと、シスターたちが各々用意された食事を囲って朝食をとっていた。
レナードがここに来てからもう二週間ほどが経過していたが、レナードはすっかりシスターたちに気に入られていた。これまで男性にはいい思い出の無かった彼女たちでも、やはりそこは乙女。それなりの欲求はあって然るべき。
彼は隊長としての仕事もそつなく熟す傍ら、食料調達のために狩りをし、重いものがあれば率先して運び、そして何より紳士だ。加えてイケメンとなればもう色めき立つのも仕方が無いと言える。端的に言えば、それはもうモテモテだった。
「れ、レナード様?レナード様はたくさんお食べになりますから、その…特別に作ったのでこちらも召し上がって頂けませんか?」
「いいのか?」
料理当番を買って出ているシスターのマリーは毎日のようにこうして餌付けを企む。彼女も元は小料理屋で働いていた時の店主のセクハラに耐えかね、逃げ出したその足で教会へと身を寄せた。それが今はもうこの有様だ。
「あっ!抜け駆け禁止よ!…ねえ、レナード~…お仕事で疲れてるでしょ~?あたしが食べさせてあ・げ・る♪」
「いやそれは」
彼女は元奴隷。買われた先の貴族が性的暴行を働こうとしたところを(タマを蹴り潰して)逃げ出した経緯を持つアンジェラは、しなだれかかりながらスプーンを差し出す。
「おいお前たち!仮にもシスターなのだから少しは慎みを持たぬか!……と、ところでレナード殿?今立ち上がった衝撃でブラのホックが外れてしまったのだが…な、直してくれぬだろうか?」
元冒険者のクリスティーナは同じパーティーメンバーに襲われそうになり、壊滅させてしまった懺悔からシスターへと転身した。しかし御覧の通り、実のところ教会一のむっつりスケベだ。壊滅させたにしても、理由は単純に好みじゃなかったからに他ならない。
「クリ吉それはダメでしょ!」
「な、何がだ?私はただ…」
「ていうかクリスさん、いつも下着つけてない気が…。」
「変態だーーーーーーー!」
こうして、いつもながら姦しい風景が教会の日常となっていた。
そんな様子を面白くなさそうにムスッとした表情で眺めているロザリー。
「…ふんっ、なによ女に言い寄られてデレデレしちゃってさ。これだから男は…」
少しも表情を変えることなくご飯を食べているレナードをどう見たらそう見えるのか。
「そうだ、言い忘れていた。」
何かを思いついたかのようにロザリーの方へ向く。
急に視線を送られて目を逸らすロザリー。
「今日はアメリアの護衛で街まで出る。入り用な物があれば買ってくるが何かあるか?」
「ぶっ…!」
思わず吹き出す。
「な、あ、アンタ!なんでアメリアと?!」
信じられなかった。いや、この場合、信じたくなかったが正しいだろう。
(ひょっとしたらコイツ、アメリアのこと狙ってるんじゃないでしょうね?相手はお金持ちの令嬢だし、逆玉狙い?私の友達に手を出そうったってそうはいかないんだから!)
実際のところ全くの逆で、誘ったのはアメリアの方。
それは十日ほど前にさかのぼるが、屋敷の中ではひと騒動が起こっていたのだ。彼女の父、カストロ公爵が、街で行われている大人気演劇のペアチケットを手に入れたことから始まる。
夕飯時、そのことをアメリアに伝え、彼はアメリアにチケットをプレゼントした。
演劇の題目は騎士とお姫様の恋物語とくれば誘いたい相手は一人しか居ない。無論、カストロ公爵もそれを狙ってのプレゼントだ。
その日から、アメリアの奇行は始まった。
(休日の予定を聞く!チケットを渡す!それだけ……それだけ……!)
毎朝練兵場に足を運んでは、胸を押さえて右往左往。まるでどこかのシスターのようだ。
「…ん?アメリアか?どうかしたか?」
「あ、あわ…あわわわっ…そ、その…!」
訓練終わりを狙って近づくも…
「な、なんでもございましぇんっ!!」
チケットを握り締めて走り去る。
毎日のようにそれは繰り返された。意を決して教会宿舎にまで足を運べど、入口をウロウロしたかと思えば何もできず日暮れと共に家へと戻る繰り返し。
「う~…!!う~~~~~!!」
だからいつものようにベッドに身を投げて枕に唸るのだ。
そんな様子を、困ったように見つめるのは母、テレサだった。
「…もう、この子ったら。またお誘いできなかったの?」
「だって…。」
「だってじゃありません。いつもいつも私の部屋に飛び込んできたと思えばそうして唸ってるんだから。」
実はこのアメリア、外見や言動こそ大人びているがそれは外向けの顔。本当の彼女はかなりの甘えん坊で、家の中ではこの調子だ。
「ママならどうするの?」
「それは私ならもっとスマートに渡すわよ。パパと出会ったときだって私から食事に誘ったんだし。」
「そうなの?!」
「ええ、そうよ。あの時のパパの照れた顔…可愛かったわ~。」
思い出してウットリとするテレサ。
アメリアはずっと渡せないでいるチケットを眺めて涙目だ。そんな様子を見てテレサはため息を一つ。
「いい?アメリア?」
「?」
「私も誘った時はかなり勇気を出したの。それまでに経験したことがないくらいね。」
「そ、そうなの?」
笑顔で頷く。
「だって、他の人に盗られたくない!って思ったんだもの。パパってば昔から押しに弱い人だったから特にね。」
「……。」
他の人に盗られたくない。それはずっと思っていた。
助けられたあの森の中で、彼を一目見た時からそれは始まったと思う。しかし親友であるロザリーも、本人は頑なに認めないがあの反応を見れば明らかだった。
あんな風に…まるで物語の騎士様のように助けられて心に残すなと言う方が無理だ。
ハッキリ言って、私も、ロザリーも、もう彼のことが好きなんだと思う。あの時、初恋と言える一目惚れを一緒にしてしまった。
「だからあなたも想像してみて?」
「想像?」
「彼が明日、他の誰かと二人っきりで演劇を観に行くの。手を繋いだり、美味しいモノを分けっこしたり。帰りにはキスしてるかも。そんな姿、あたなは見ていられる?」
想像した。そして全身の血がサッと凍るのを感じた。
それはシスターの誰かかもしれない。リースリットかも。想像の中ですら、見ていられなかった。…それが例え、ロザリーだったとしても。
「…イヤ。」
「そうでしょ?」
枕に突っ伏してそう答える娘の頭を撫でる。
しかしそこで、ちょっとした悪戯心が沸いてしまった。もちろんそれは親心とも取れるが。
「そういえば…明日はレナード君、非番だったわね。」
「…そうなの?」
「これはマズイわね~。ひょっとしたらもう先約が出来ちゃってるかも。」
「っ!」
バッと顔を上げて泣きそうな顔を浮かべるアメリア。
「ん~、でももう夕暮れ時だし…今更誘っても遅いかな~?」
「うぅ…」
涙をいっぱいに溜めた目で、握り締めたチケットを見る。
「ちなみに~…私が誘うとしたら夕飯時よ?別にチケットを渡そうなんて考えないで、気軽に…そうね、街に行きたいから護衛をお願いしたいとか言えば、彼の事だし引き受けてくれるんじゃないかしら?」
「え、で、でも…」
「恋は駆け引き!護衛が必要なのは嘘じゃないんだから良いのよ!」
テレサはパチンとウインク。
少し罪悪感が首をもたげるが、それでもアメリアには譲れない想いがある。
「さ、行ってきなさい。この時間なら教会の裏手で薪の準備してるはずだから。」
そう言って部屋を押し出される。
アメリアは走った。先を越されたくなくて、懸命に。
教会の裏手では、母の言う通り薪を縛っている彼の姿。
「も、もし…!」
「ん?」
こうして、彼女は誘ったのだ。
戻ってきた時の幸せそうな笑顔を見て、テレサも嬉しそうに抱きしめたのだった。
今回もお読みいただきありがとうございました。ご感想など頂けたら嬉しいです。
それでは、次回もお楽しみに。