冒険者たちから見たキャロル嬢
ある日の夕闇が空一面を覆い隠す頃、ツェザールの町の酒場の一つが貸し切られ、飲めや歌えやの大賑わいだった。
ここには創世竜の護衛を行った者だけが集まり、町一番の商人であるオーナーが、会話の内容に気を使わず、気楽に飲んで騒げるようにと手配したのだ。
ちなみにオーナーの老人、クリストフと同行した受付嬢も二階の個室を使用しており、外には複数のガードマンが何者の侵入も許さぬように、周囲を完全に取り囲んで警戒にあたっていた。
そんな酒場のホールで、年季を感じさせる木材のテーブルを囲むように、何組もの冒険者たちが古臭い木の椅子に座り、いつもよりも高額なエールとツマミを飲み食いしながら、酒に酔って顔を赤くしながら、ほぼ全員が装備を外して着崩した普段着で、降って湧いたどんちゃん騒ぎを楽しんでいた。
「あれが神話の聖騎士…いや、創世竜の巫女姫と呼ぶべきか。何とも美しい女性だった」
「ええ、たとえパルテノ王国の白薔薇姫だとしても、キャロル嬢の前では霞むでしょうね」
「また会いたいな。俺、今日からキャロル嬢のファンになる!
それと神竜も全身がキラキラしてて格好よかったぜ!」
降って湧いた重要人物の護衛の依頼と、山のように積み上げられた狩りたての魔物の死体。この二つで冒険者たちは大喜びだ。しかも創世竜と、その友である巫女姫の姿を間近で見られた。
彼ら、彼女らはまるで、神話の目撃者にでもなったかのような感動に打ち震えており、酒場に集まった全員の気分が高揚していた。
「当然だ。相手は貴族や王族とは格が違う。創世竜に仕える巫女姫だからな」
「そう言えばキャロル嬢は、創世竜をこう手でペチンってやってたし、何か仕えてる感じじゃなくて、仲のいいお友達に見えたわ。モルガン様をモルちゃんって呼び捨ててたしね」
「目の前でキャロル嬢の言葉は創世竜の言葉だって堂々と宣言したしな。あっ…これ敵に回すと、勢い余って国まで一緒に滅ぶやつだわ」
男二人、女一人の冒険者パーティーは、三人仲良く雇い主のクリストフのおごりである高いエールを一気に飲み干し、冗談交じりに会話を続ける。
別の冒険者パーティーは、男二人でツマミを口に放り込みながら、創世竜について話していた。
「勇者や英雄はよくドラゴンを退治してるし、実は大したことないんじゃね?」
「お前それ創世竜の前で言ってみろよ。即消し炭だぞ。相手はこの世界を創造したって伝えられる生ける伝説だからな」
それに勇者や英雄と呼ばれる人間がとんでもないだけで、知能が殆どなく本能で襲いかかるワイバーンを一匹相手にするにも、町中の騎士団が集まって対処しなければいけない。
竜種とは下級でもそれ程の強さを持っている存在だ。
「えっ? でも世界の創造は人間の主神だろ? 創世竜はそれを盗もうとした邪竜だって教えられたぜ?」
「お前それ本気で信じてるわけ? 確かに宗教の中では主流だし、それを祀る国もでかいけどさ」
創世竜が目撃されたのは遥か昔のことだ。人の世界で忘れ去られていてもおかしくはない。それでも伝説として残っているのは、今では少数派になった創世竜を崇める人たちと、極稀だが世界中で牙と鱗が発見されるからだ。なお、創世竜の本体は未だに見つかっていない。
「って、その話は不味い。聖公国の連中が何処で聞き耳立ててるかもわからねえし、外では絶対話題に出すなよ。
それよりも、次は俺がキャロル嬢の直属の護衛に立候補したいな」
この話題は貸し切りの今だから平気だが、普通なら確かに不味かった。何しろ人族の神こそが唯一であり世界創造の主であり、創世竜は主神と敵対する汚らわしい邪竜であると、声高に広めている宗教国家を敵に回しかねない。
深く踏み込まずに話題を変えたのも頷ける話だ。
「おいお前ずりいぞ! その役目は今度こそ俺が!」
「まっ…いつ来てくれるかもわからないんだけどな。ああ、本当に次が待ち遠しい」
「いっそこっちから会いに行くのも手か?」
人気のキャロル嬢の話題に変わり、他のテーブルからもエール片手に冒険者がやって来て、途中から街道封鎖に回されたことを大いに悔しがっていた。
そして問題の彼女たちの住処だが、オーナーと受付嬢、護衛の全員が見えなくなるまで見守っていたというか、拝んでいたので方角もバッチリである。
「お前、もしかして世界の中心の霊峰に登るって言うのか? いくら何でも無謀だろ」
「違うって、キャロル嬢たちが飛んで行ったのは、霊峰とは全然別の方角だ」
「彼女たちが向かったのは大森林だ。そこなら人知れず隠れ住むのも容易だ」
もっとも大森林に近いツェザールの町だ。遠目でも霞んで見える中央にそびえる大樹、恐らくはそこに降りたのだろうと、最後まで見送った彼らは見当をつけている。
実はここ最近、他の国々でも創世竜の目撃情報が出ている。大きさや特徴から考えて、十中八九モルガンだ。その痕跡は世界中を巡った後、大森林の近くまで点々と続いており、その後一週間程は痕跡は発見できずに、そして今回タイミングで緊急依頼だ。
創世竜が何をするために動いているのかは、他国からの情報がなかなか入ってこないために不明だが、住処は間違いなく大森林の大樹だろう。
「持ち込まれた品々の中に、世界樹の葉だけでなく、雫や花…果実まで混ざってたぞ」
「これは決まりだな。町の外に広がる大森林の中心にそびえる大樹。あれこそが世界樹だったんだよ」
「マジかよ。しかし物語の中の世界樹って…もっと天にも届く程の大きさのはずだろ?
一度だけ真下まで行ったが、ありゃ小さすぎるぜ」
確かに一週間前の大樹は、他の木よりも背丈は高いものの。遠くからでも少し目立つ程度だった。葉や枝にも薬効も特別な効果もなく、ただの大樹だと判断されていた。
だが現在は、創世竜から発せられる神聖な魔素の影響を受けて、毎日驚くべき速さで成長を続けている。
巨大になる程成長速度は落ちていくが、それでもまだしばらくの間は急激な変化は続きそうである。枝葉の先端が空を流れる雲に届くのも、時間の問題だろう。
「お前、もしかして大樹を見たのは一週間以上前か」
「ああ、そうだが。それがどうしたんだ?」
「ここ最近は物凄い勢いで成長してるぞ。それこそ天気の悪い日でも遠目で見えるぐらいだ」
そして中心の大樹だけでなく、大森林にも大きな変化が起こっている。驚異となる魔物の数が奥に進むほどに減少し、代わりに野生動物や木の実や薬草等の森のめぐみが目に見えて増え、しかもそれは大森林の中心部に近づく程、顕著になっているのだ。
「各国で近々探索隊が組まれるらしいぞ。まあ大森林は広大で魔物も多い。中心部に近寄るのは一筋縄ではいかないからな。それこそ、空を飛べない限りは」
「空というと、キャロル嬢のようなドラゴンか。ワイバーンを操る竜騎士隊が探索に向かうのか?」
大森林の入り口から徒歩で世界樹に向かうためには、魔物への警戒を維持しながら、未開の森の中を何度も方角を確認しながら進むのだ。キャロル嬢の元に辿り着くまで、片道でも七日以上はかかるのは確実だ。さらに、必要な物資の量も馬鹿にならない。
「竜騎士か。確かに可能性はあるな。だが軍隊を動かすには時間がかかる。先に動くのは好奇心に駆られた冒険者か。それとも手柄を焦った領主の私兵か。この辺りだろう」
「創世竜の友であるキャロル嬢は名誉だが、気が休まる暇がないだろうな。物語の中でドラゴンと心を通わせた英雄は数多くいるが、その全てが利害や代償を支払う一方的な契約だろう?」
創世竜だけでなく、その友である姫巫女にも注目が集まるのは、もはや必然である。それが厄介事を引き寄せることになっても、避けては通れない。
こっちがいくら避けても、向こうから嬉々として近づいて来るのだから仕方ないのだ。創世竜と呼ばれる危険物に触れて、どのような結果になるにせよ。
「ああ、それにあの美貌だろう? きっと創世竜の巫女姫でなくとも、世界中の王族貴族に求婚されて、とても心穏やかには過ごせないな」
「それは…そうだな。本人がいくら安息を望もうと、周りが放っておかないか」
なお、誰も気づいていないが、創世竜の生き血を口から溢れる勢いでガブ飲みさせられた彼女は、既に人間どころか勇者や英雄を軽く超えてしまっていた。
無数の生傷や肌荒れ等の村娘や奴隷時代の負の痕跡はすっかり消えて、目鼻立ちと体格は女性らしく整えられたが、キャロルが失っていた本来の美貌を全て取り戻しただけだ。
結果、十五歳ではあるものの、男女問わず誰もが見惚れる容姿となったが、果たして幸か不幸か。
さらには表には出てないが、不老不死、物理魔法お呼び全属性耐性、肉体と魔力強化等、数え上げればきりがない。
もしこの世界に最高神が居たとしても、キャロルの基礎スペックだけで一方的にボコボコに出来る程の超絶パワーアップを遂げていた。
しかし創世竜の生き血を飲めば、全ての人間がこんな出鱈目に強くなるかというと、そうではない。
たった数滴飲むだけでも、瀕死の重傷すら瞬く間に完治させ、体にかかれば不死属性が手に入る竜の生き血で、死体に用いれば魂を永劫に縛りつけて神の尖兵へと変化させる。
そんな劇薬よりもヤベー奴に体組織の全てを犯し尽くされ、飲みきれず口外に溢れるだけの量をガブ飲みさせられたのだ。もはやパワハラ上司など生温い、酷すぎる拷問である。
だが平凡な村娘が何故、人間の心も姿も保ったままで超絶パワーアップを成し得たのか。
それは彼女の指先の爪から髪の毛一本一本に至るまで、無抵抗で受け入れるだけでなく、優しく包み込んで一つに溶け合い、キャロルの姿と魂を完全に保ったままで、神にも等しい存在に生まれ変わった。
気絶状態だったので、無意識下の力の操作が上手いのも作用し、まさに神憑り的な危機回避能力を発揮したのだ。
はっきり言って、コインを一億回連続で投げて、全て表を出すほうが余程簡単に達成できる程のとんでもない幸運である。
彼女と周囲がとんでもないパワーアップに気づかないのは、この無意識状態での力の操作が異常に上手い…というのが大きく影響している。
キャロルにとっては自分を平凡な村娘だと強く思い込んでいるため、日常生活を送る分に必要な分以外は全く力を使わないのだ。
怪我にも病気にもかからない、頑丈で力持ちで疲れ知らずの体になったかな…程度の認識は持っているのだが、今の所はそれだけである。
なのでキャロルは今日も大海の水を一滴ずつ上手に引き出しては、元気いっぱいに大森林での村娘として日常生活を送っている。
だがもしも聖公国が彼女の内に秘められた力を知れば、人族の新しい祭り上げようとするのは確実だ。勿論キャロルは全力で拒絶するのだが。
「何にせよ、キャロル嬢と創世竜がもたらした臨時収入はありがたかった」
「…だな。キャロル嬢に乾杯!」
「ああっ、創世竜に乾杯!」
そんなとんでもない存在が、実はモルガンのすぐ隣に居ることにも気づかず、ツェザールの町の酒場では、夜が明けるまでどんちゃん騒ぎが続いたのだった。