大樹の根本での一週間
目的地に到着したアタシは、おっかなびっくりにモルちゃんの背中から地面に降りて、何気なく大樹を見上げる。かなりの高さがあるようで、真下に立つと首が痛くなりそうだ。
自分は村育ちで都会に行ったことがないが、お城や砦もこのぐらい高いのだろうか。
「それでキャロル、これからどうするのじゃ?」
「何はともあれ衣食住だよ。人が生きていくためには、どうしてもこれだけは必須だからね。
モルちゃんには必要ないかも知れないけど」
ドラゴンは全裸で生きている。食住だけあれば十分だろうが、アタシはそうはいかない。一先ずの蓄えは奴隷商人から奪ってきたとはいえ、それでも一週間も保てばいいほうだ。
「うむ、妾は着るものがなかろうが、何十年食わずとも何ともないからのう」
「食べなくてもいいんだ。ほへー…ドラゴンって凄い」
となると、ここからは完全にアタシだけの問題になる。幸いなことに大樹の影では他に高い木が育ちにくいのか、周囲は草地になっている。色んな技術を学んでいた時に、短い時間だが村大工の手伝いも行った。仮設住宅を建てるための基本的な知識だけならある。しかし、女手一人では道具も力も足りなかった。
「キャロルが言えば、何でも手伝うぞ」
「うーん、そう何度もモルちゃんの力を借りるわけにはね。今回は竜兵を使ってみるよ。
牙から竜兵に戻すにはどうすればいいの?」
「ただ念じればいい。直接触れなくともな。口に出せばわかりやすいか?」
アタシは麻袋から泥で汚れた白銀の牙の欠片を取り出して、右手に持って高く投げながら、竜兵に戻れ! …と、はっきりと口に出す。
すると牙から白銀の全身鎧の巨人へ一瞬で変化して、重い音を響かせながら濡れた地面に綺麗に着地する。彼の鎧は汚れてはなかったが、着地の衝撃でこっちにビチャビチャと泥はねが飛んできた。
「ペッペッ…まっ、まあいいか。どうせ一番は水場を目指すからね」
「何処にあるかわかるのか?」
「うん、さっきモルちゃんに飛んでもらったときにね。ここからかなり近かったよ」
アタシは大樹の洞に麻袋を押し込んで、奴隷商人の背負鞄に空の容器と歩きに必要な物を詰め込み、出発する。
水場までの正確な距離は不明だが、大まかな位置と方角はわかるので、呼び出した竜兵に先頭を歩くように命令して、踏み固められた地面の上をチョコチョコと歩いて付いて行く。
さらに後ろからモルちゃんがウキウキ気分で付いて来るが、傾斜が緩いとはいえ坂道を登り、周囲の警戒までしているので、背後を気にする余裕はない。だが彼女なら何が起こっても一人で何とかするだろう。
奴隷商人の持っていた真鍮製の時計が、歩き始めて十分を刻んだ頃に、念願の水場に到着した。
アタシは周囲に魔物がいないことを確認した後、竜兵に誰も近寄らせないように警戒して見張ることを命令して、服を脱がずにそのまま泉の中にザブザブと入り、まずは全身の泥を落とす。
モルちゃんも水浴びが出来て嬉しいのか、楽しそうにスイスイと泳いでいる。
そこまで大きな泉ではないが、綺麗な水が止まることなく湧き出しているらしく、水底の砂に空いた小さな穴から、コポコポと吹き出しているのがわかる。
アタシは背負籠から空の容器を取り出して、よく洗った後に、泉の水をいっぱいまで詰めて蓋をする。
「モルちゃん、そろそろ帰るよ」
「早いな。目的は果たしたのか?」
「うん、おかげさまで。今度は泉の水が流れる川を下って、その途中から大樹に向かうからね」
水を引くだけではなく、それを下流に循環させる水路も別に作らなければいけない。幸いなことに泉の川は大樹に向かって掠めるように、緩やかに流れているので、用水路と排水路を作るのはそこまで苦労はしないだろう。
地面に溝を作るのは竜兵の大剣の鞘を使わせてもらった。簡単な指示をすれば言うことを聞いてくれて、力も英雄十人分だ。
しかもアンデッドなので疲れることがなく、一日中働いてくれる。もし命令が理解出来ない場合は無反応なので、そのつど事細かに言い直すことになったが、一から十まで自分行うことに比べれば大して苦ではなかった。
そんなサバイバル生活を続けて一週間が過ぎ、大樹の窪みの一画に、分厚い木の板を材料に、簡素な掘っ立て小屋を建てられた。
廊下も部屋もモルちゃんが通れるように広々としたものだ。大工道具がないので、ただ木の板を組んだだけで耐久性は期待出来ず、隙間風も遠慮なしに入ってくるが、とにかくアタシはそこで暮らしていた。野宿よりは断然マシなのである。
昨日はようやく泉から土を力任せで掘った用水路ではなく、木材の溝の上水路を組み立て終わり、わざわざ歩いて行かなくてもその場で炊事、洗濯、飲水と綺麗な水が使え、何と水洗式のトイレまで配備されたのだ。
その時ばかりは一番の功労者であり、不眠不休で文句一つ言わずに働いてくれたアンデッドに深く感謝した。
伝説の英雄が十人がかりでも手を焼く竜兵は、もっぱら土木作業員として便利に使っているが、マイホームに近づいて来る魔物たちからも守ってくれているので、見せ場はちゃんとあったりする。
寝室は馬小屋の藁と似たような木の葉のベッドだが、奴隷だった時は敷物もない汚れた土の床で寝ていたので、これでも上等なほうだ。
それに今は一人ではなくモルちゃんもすぐ隣で寝てくれているので、何となく家族に守られているように感じて、とても安心する。
しかし気になることもある。大樹や周りの草木がおかしいのだ。初日こそ何の異常もなかったのだが、二日目、三日目と時間が過ぎるごとに、明らかに妙な物が混じってきた。
七色に光るキノコや野草、そしてマイホームの周囲には、まるで食べてくれと言わんばかりの美味しそうな果実が、腐り落ちることなく熟し続けている。
アタシの知識や技術は広く浅くで、全て付け焼き刃だ。それでもどう考えても普通ではないことぐらいは、はっきりとわかる。
試しに有り合わせの機材を使って簡単な薬の調合を行うと、一度も失敗することもなく、難なくポーションらしき謎の薬品の作成に成功した。
それからは常に謎のポーションを持ち歩くようにし、森の中で足を大怪我をして歩けない子鹿を見つけて今こそ使い時だと試してみたところ、数秒かからずに骨折を完治させ、元気よく森の奥に走り去っていったのだ。
枝葉にぶら下がっている時は何日も熟したままだが、収穫すると一気に鮮度が落ちて、すぐに腐ってしまった。正直よくわからないことだらけだ。まるでアタシたちに食べられるためだけに、実をつけているのではとさえ感じる。
なお、ピンク色の熟した果実も食べたが普通に美味だった。今まで食べたことがない奥深い甘みと酸味で、モルちゃんも美味しそうに食べていた。出会った初日にドラゴンは何十年も食べなくても平気だと言っていたが、別に食べたくないわけではないらしい。
キノコや野草は食料だけでなく、ポーションの素材として有用なので、マイホームの周囲を警戒している竜兵に、余裕があれば収穫するようにと命令してあるので、掘っ立て小屋の隣に建てられた倉庫に、今ではかなりの量が溜まってきている。
干しておけば長期間の保存にも耐えられるだろう。もっともその場合は薬効が微妙に違ってきそうだが、素人のアタシにはわからないので、体に悪影響がなければオールオッケーである。
なお、困ったことも起きた。この一週間は、調理器具は小さな鍋とナイフのみを使い、森で手に入る野草やキノコ、木の実や川魚、魔物の解体で出た肉、それらの物を料理して食べてきたのだが、ずっと一本のナイフでやり繰りして来たので、刃こぼれが目立ってきて、そろそろ限界が近い。いつ折れてもおかしくないのだ。
ポーションの瓶や機材、調味料や調理器具も調達したいし、日曜大工の道具も足りない。元々奴隷商人が積んでいた道具を流用したのだから、あれもこれも足りないものだらけなのだ。
いつかはこんな日が来るだろうと思い、色々と準備はしてきたのだが、やはり不安はある。
アタシは台所のテーブルの近くで、昨日釣ったばかりの焼き魚を骨ごと食べているモルちゃんに、堂々と告げる。
「今日は町に行くよ。モルちゃんには送り迎えを頼みたいんだけど」
「送り迎えと言わずに、ずっとキャロルを守ってやる。何の心配もいらぬぞ」
「いや…それ心配だらけだからね。主に襲いかかってくる相手の命が」
アタシは出来るだけわかりやすく、モルちゃんがどれだけ危険な存在なのか。人間の町で暴れた場合どれだけの被害が出るか。
今回は家の周りで簡単に手に入る物を売って、買い取りが終わったら生活必需品を持って、家に帰るだけなので、そんなに危険はないことを伝える。
「キャロル以外の人間はどうでもいいが。そこまで言うなら一応は気にかけて、妾は送迎のみに留めておこう」
「本当に頼むよ? アタシが戻って来るまで、ちゃんと隠れててね?」
「任せろ。他ならぬキャロルの頼みじゃ。与えられた役目は見事に果たして見せよう」
何となく不安を感じながらも、アタシは胸を張って自信満々に答えを返すモルちゃんを信用し、何処の町に何を売りに行くかを、食事を取りながら足りない頭を捻って考えるのだった。