第1章
1
文夏に急き立てられるように、凛子と和十は池に向かった。
けげんな顔の二人だったが、倒れている女の人を目にした途端、険しい表情になった。
「熱疲労かな……とりあえず、うちで休んでもらうで」
元看護師の凛子が、女の人の様子を伺うなりそう言った。和十が、ぐったりしている女の人をそっと抱き上げる。
「文夏、手伝いなさい。和ちゃん、近藤先生に往診の電話入れてきて」
二階の文夏のベッドに女の人を寝かせるや否やそう言った。
ほやんとした雰囲気のカフェ・メリーテイルのおかみさんから、有能な看護師の顔つきになった凛子に戸惑いつつも、文夏と和十は凛子の指示通りに動いた。
「……だいぶ、落ち着いたかな」
ベッドで眠る女の人の顔をのぞき込んで、凛子は言った。凛子の声に、文夏は大きな安堵のため息をついて、
「よ、よかったぁ……」と呟いた。
一階から和十が上がってきた。文夏のかたわらに来て、肩を抱くようにぽんぽんと叩いて言った。
「フミちゃん、お手柄やったな。先生、すぐ来てくれるって」
「偶然、倒れるところ見てたから……手当てしたんは、お母さんやし……」文夏はうつむいて、ぼそぼそと呟いた。
一体何歳くらいの人だろう。
(はたちぐらいかなぁ……)文夏はベッドの上の女の人を見ながら、考えた。
倒れていた時は蒼白だった顔色も今は戻ってきている。すうすうと、静かな寝息を立てて眠っていた。
しかし、どことなく不安げな表情の寝顔だった。
2
女の人が目を覚ましたのは、夏の太陽がようやく沈もうかとするときだった。
「……ここは?」
文夏がベッドのかたわらで本を読んでいると、聞きなれない声がした。顔を上げるとベッドに横たわった女の人が不安げな表情で文夏を見ている。
「あ、気付きはったんや」文夏は微笑んで、言葉を続けた。
「ここはうちん家です。昼間に図書館の前の池で倒れはったんや。偶然うち、見とって……」
女の人はばつの悪そうな顔をして、
「すみません、ご迷惑をかけてしまったようで……」と言った。そのまま、起き上がろうとする。
「あぁ、ええねん、ええねん。まだ、寝といた方がええですよ。気ぃ使わんといてください」慌てて、文夏は女の人を押しとどめた。いくら気がついたからといって、油断してはいけない。
階下からオルゴールのようなメロディが流れてきた。ふと目をやると、時計は午後七時を指している。
「ほら、もうこんな時間やし、今日はうちに泊まっていってください……あ、そうや!」
文夏はぱんと手を打ち合わせるなり、立ちあがった。
「気付かはったら、母さんに言うっていってたんや。すみません、ちょっと待っててください!」
言うなり文夏は、部屋を飛び出して一階へ降りていく。
キッチンでは、凛子と和十が夕飯の準備をしていた。
「もうちょっと、静かに降りてこれないんか、あの子は……」けたたましい足音に凛子は、顔をしかめて呟いた。
「母さん!」
「はいはい、そんな大声出さんでも……」
凛子の小言を遮って、文夏は言った。
「女の人、目ぇ覚まさはった!」