第一話 神崎若葉 キグジョ誕生! ④
◇◇
――ダメだよ! 若葉ちゃん! りゅしーは日本語は知らないし、しゃべれないって設定なんだから。
健一おじさんの言葉が頭をよぎる。
だがその時はもう遅かった……。
「ねえ! 今はしゃべったよね!? りゅっしー!?」
私の声を聞いた男の子が覗き込むようにして問い詰めてくると、焦った私はさらなる失態を重ねてしまうのだった……。
――気のせい、気のせい! きみは何も聞いてないですよぉ!
と、ごまかそうとして、右手をぶんぶんと男の子に向かって振ってしまったのである。
もちろんそれはかえって逆効果だったようで、太陽のような笑顔となった彼は、さらに大声で叫んだ。
「やっぱり、日本語通じてるー! みんなぁ! りゅっしーはしゃべれるぞ!」
――な、なんて鋭い子なの!? 君は将来きっと名探偵になれるわ! うん!
でも、変なところに感心している場合ではなかった。
私はたちまち純真無垢な幼児たちに囲まれてしまったのだから……。
「うっそー! りゅっしーって日本語しゃべれるの!?」
「ねえ、りゅっしー! 何かしゃべってよぉ! りゅっしー!」
幼児たちが私の胴体を、ぐわんぐわんと揺らし始めたところで周囲を見渡したが、健一おじさんが見当たらない。
どうやら彼は少し離れた場所でりゅっしーを宣伝しているようだ。
つまり私は完全にピンチに立たされた。
――ちょっと! 汗をかきすぎてフラフラなのに、そんなに揺らされたら私……!
体が揺れるとともに足の踏ん張りがきかなり、汗が目に入ったせいで滲んだ視界が歪み始める。
そして、ついにこらえきれなくなってしまうと、もはや行きつく先はただ一つだった――
ズッデーン!!
なんと私は着ぐるみのまま、仰向けに転倒してしまったのである!
手足をばたつかせるが、短すぎる足のせいで、一人で立ち上がれない。
――まずいっ! 『頭』だけは取れたらまずーい!!
必死に短い手を大きな頭に伸ばしたが、いかんせん頭が大きすぎるため、軽く支えるのが精一杯だ。
すると、りゅっしーが懸命にもがいている様子が面白かったのか、幼児たちが容赦なく、りゅっしーの頭をべたべたと触ったり、引っ張ったりしてくるではないか。
――取れる! 取れちゃう! ダメ! これが取れたら、私はお嫁にいけなくなっちゃう!!
こうなってしまったら、もう体裁を気にしている場合ではないと判断した私は、禁断の行為に出ることにした。
――ゴメン! パパ、しげさん! りゅっしーの設定を変えちゃって!
一つ大きく息を吸い込んで、腹にぐっと力をこめる。
物心ついた時から続けてきた剣道の稽古が、こんなところで役立つ時がくるなんて思いもよらなかった。
そして私は意を決して、大きく口を開いた。
「誰かぁぁ!! 助けてぇぇぇ!!」
雲一つない真っ青な空に、私の突き抜けるような叫び声は、どこまでも響き渡っていったのだった――
◇◇
フリーマーケット会場だけではなく遠く離れた駅まで届くのではないかと思われるほどの大きな声が轟くと、パパたちがすぐに駆けつけてくれた。
「こらぁぁぁ! ガキども! りゅっしーが困ってるじゃねえか! 困ってる人をいじめていいなんてルールを誰が教えた!」
頭上でパパの怒鳴り声が聞こえると、子どもたちがすぐに私の頭から離れたのが分かる。
――ほっ……。よかったぁ。さっすがパパ! でも、りゅっしーは『人』じゃないわよ!
と、ここまでは頼りになるパパのことを尊敬してやまなかった。
しかし……。
「ふぇぇ……。おじちゃんに怒られたぁ」
と、子どものすすり泣きが聞こえ始めると事態は一変した。
「びえぇぇぇん!! 怖いよう!!」
「人の子になんてことをしてくれるのよ!!」
まるで小石から始まった雪崩のように、たちまち大勢の子どもたちの大泣きと、彼らの母親の罵声へと変わっていったのだ。
――ちょっと! パパ! なにをやってるのよ!
依然として仰向けのままの私の視界は、雲一つない青空しか見えない。
しかし、私の周囲が地獄絵図のようになっていたのは、聞こえてくる泣き声と金切り声から明らかだった。
――パパ! 早くみんなに謝らないと!
しかし、私の声なき願いなど、地元では『鬼の大吾』として畏れられているパパに通じるはずもない。
泣き声大合唱と罵声の嵐にひるむどころか、むしろ火に油を注いだかのように、怒鳴り散らしたのだった。
「おい、おまえら! 泣いてる場合じゃねえぞ! 悪い子じゃなければ、ちょっと手伝えや! もちろんガキどもの親ごさんたちもな!」
その言葉の直後だった……。
私、いやりゅっしーの体が、『ありえない状態』に陥ったのは――
なんと、仰向けのままふわりと空中に浮き始めたのである。
――えっ!? なに!?
視界が遮られているため、自分にいったい何が起こったのか分からない。
だが直後のパパのかけ声で、私は全てを理解したのだった。
「わっしょい!!」
――なにぃぃぃ!? 『わっしょい』だってぇぇ!?
そしてすぐさま多くの小さな手が私の背中を支える感触に包まれると、そこから子どもたちの元気な声が響いてきたのだ。
「わっしょい! わっしょい!」
かけ声とともに上下に揺れる私の体……。
これは間違いない。
――私、御神輿にされてる!!
「そぉれ! わっしょい! いいぞ! いいぞ! やれば出来るじゃねえか! ははは!」
パパの陽気な笑い声が聞こえると、さっきまであれほど大泣きしていた子どもたちの高い笑い声が青空に吸い込まれていく。
「わっしょい! わっしょい!」
気付けば母親たちも子どもたちとともにかけ声を出していた。
こうしてフリーマーケット会場は一体となって、笑顔と声援に包まれていったのだった。
しかし私にしてみれば、そんな和気あいあいとした雰囲気など、どうでもいい。
だって、恥ずかしさで顔から火を吹きそうだったのだから……。
そして、「カシャッ!」というシャッター音が、時々耳に入ってきた。
――ちょっと! 勝手に写真撮らないでよ!
そんな心の叫びなど聞こえるはずもなく、私は御神輿となって運ばれていった。
だが、私の悲劇はこれだけにとどまらなかったのである。
ようやく顔を横向きにすることに成功した私は、とある人物の姿を目にした瞬間に、凍りついてしまった。
すらりと伸びた長身。男子でありながら、女子も憧れてしまうほどの透き通った色白の肌。そして、そよ風になびく柔らかな髪……。
間違いない! 中学の頃からの憧れの、垣岡 悠輝先輩だ!
なんとこっちをニコニコしながら見つめているではないか!
決して馬鹿にしているよのではなく、むしろ微笑ましいものを見つめるような優しい瞳だ。
しかし、彼にこんな姿を見られてしまうなんて……。
――きゃああああ! もうやめてぇぇ!!
恥ずかしさのあまりに叫び出しそうになる。
しかし、文字どおりに手も足もでないまま、私は運営本部の中へと担ぎこまれていったのだった――