第一話 神崎若葉 キグジョ誕生! ③
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ちなみに『変なの』こと『りゅっしー』は、さびれつつある商店街をどうにか盛り上げようと、居酒屋『だいご』の主人であるパパと、魚屋『うなばら』の主人、しげさんが五年前に考えだしたドラゴンのキャラクターだ。
ニコニコと笑顔を浮かべた愛くるしい顔と、ぽっこりと突き出した大きなお腹が特徴のりゅっしー。
広いひたいには『坂』、ぽっこり突き出たお腹には『戸』の文字がでかでかと刻まれたそのキャラクターは、パパたちの思惑とは裏腹に、地元に根付くことはまったくなかった。
地元の人、百人に「りゅっしーって知ってる?」と聞けば、
――なにそれ? 知らなーい。
と、九十九人は答えるに違いない。
残り一人はパパのように商店街で働く人か、それとも生粋の「ゆるキャラマニア」のどちらかだろう。
言わば「超」がつくほどのマイナーキャラなのだ。
高校一年の女子の私に、そんなキャラの着ぐるみをかぶせるなんて、酷いと思わない!?
「りゅっしーは日本語が分からないし、しゃべれないからね! みんな、あんまり意地悪しちゃダメだぞぉ! さあさあ! みんな! りゅっしーと握手してごらん! さあ!」
健一おじさんが必死に呼びかけている。
――健一おじさんも、一生懸命に商店街を盛り上げようとしているのね……。
だけど、強面の健一おじさんが、さながら脅すように促すもんだから、子どもたちというよりは、彼らの両親たちがビビってしまったようだ。
しぶしぶ健一おじさんの言う通りに我が子をりゅっしーの側へ近寄らせてきた。
――これじゃあ、まるで生贄だよ……。
そんなことなど口に出せるはずもなく、気まずい空気の中、りゅっしーと子どもたちのふれあいは始まった。
ところが、『変なの』を前にした子どもたちはみんな顔を青くし、いっこうに近寄ってこようとしない。
しかも、私が一歩近付こうものなら、子どもたちは二歩下がってしまうのだ。
――このままじゃ、せっかくの健一おじさんの頑張りがムダになっちゃう。どうにかしなきゃ!
焦りのあまり、大きく足を踏み出すと、子どもたちは「きゃあ!」と言って逃げ出してしまったのだから、もうどうしようもない。
――そもそも子どもとどうやって接したらいいのか分からないのに……。
なすすべなく、ただおろおろしているうちに、一人また一人と子どもたちは両親のもとへと戻っていく。
そうして気付いた頃には、集まって来ていた子どものうち半分くらいはどこかへ消えていってしまったのだった。
――ううっ……。どうしよう? 誰か教えてよぉ。
着ぐるみの中は真っ暗闇で、孤独。
しかも声を出すことすら禁じられているのだ。
人で溢れかえっているフリーマーケット会場の中で、私一人だけ無人島にいるような気分だった。
――やっぱり私では子ども相手にどうにもならないよぉ。
自分の無力さに気持ちが沈んでいくと、自然と視線が地面の方へと移っていった。
……と、その時だった。
「向こうにいるりゅっしーと握手しておくれ! さあ!」
と、遠く離れたところから健一おじさんの大きくて太い声が聞こえてきたのだ。
――えっ!?
ふと声のした方へ視線を移せば、ずっと向こう側で彼が一人一人丁寧に声をかけているのが目に入ってきた。
そして頑張っているのは健一おじさんだけじゃなかったのである。
「りゅっしーって可愛いのがいるんだ。ちょっとだけ挨拶してくれよ!」
「あそこに見える龍はね。妖精なんだ。握手すると幸せになれるんだよ」
耳を澄ませば、あちこちから子どもたちに声をかける声が聞こえてくるではないか。
しかも全部聞きおぼえのある声……。
――商店街の人たちだわ!
それまで自分のことばかりに心が傾けられていたため、まったく気付かなかったが、冷静になって周囲を見渡すと、パパたちが手分けをして、子どもたちをりゅっしーの周りに集めようと奮闘しているのが目に入ってくる。
――みんな心を一つにして、商店街を盛り上げようとしているのね……。
隣の駅に大きなショッピングセンターができてからは、めっきり来客が減った商店街。
休日だというのに寂寥感を漂わす様子を、最近は見て見ぬ振りをしてきた。
中学生になって自分の足で大きな街へショッピングに行けるようになり、家族と一緒に近所で買い物をする機会がなくなると、商店街を利用する理由がなくなってしまったからだ
でも、これだけは胸を張って言える。
私はただの一度だって忘れたことはない。
七五三の時に、泣き続ける私に飴を差し出してくれた金田写真館のおじさんの大きな手を。
たまちゃんたちと毎日のように通った駄菓子屋『ところや』のおばあちゃんの笑顔を。
家族みんなで参加したクリスマスセールの時の、人々の幸せそうな温もりを――
でも今はそれらすべてが消えてしまった。
まるで夢であったかのように……。
金田写真館と『ところや』、それに多くの店が店じまいをし、毎年恒例だったクリスマスセールも開催されなくなってから久しい。
色鮮やかな思い出が、一つまた一つと消えていく。
それでも「仕方ない」と勝手に諦めていたのだった。
――俺だってよお……。どうにかしてえんだよ。でも、どうにもなんねえんだよ……。
数年前、とある店の主人が商店街を去っていく時に、彼の背中にかけたパパの言葉が、ふと思い出される。
あの時はパパの気持ちが理解できなかったが、今こうして無力感に打ちひしがれていると、その無念さがよく分かるのだから不思議なものだ。
――パパも一緒だったんだ……。
でも、パパは今の私のように、簡単に諦めてなかったんだ。
パパだけじゃない。
商店街のみんな同じ。
みんなどうにかしたいんだ。
商店街にもう一度、活気を戻したいんだ。
みんなの大切な思い出を守りたいんだ。
それなのに……。
私は自分の無力さをただ嘆くだけだなんて……。
その次の瞬間だった――
ブワッ!
と一陣の強い風がイベント広場を疾走していったのだ。
その風は私の背中をグイッと押す。
同時に小さな火種を私の心の奥底に届けると、灰色だった瞳に真っ赤な炎が宿った。
――そんなのぜったいに嫌!! 私は諦めない!!
この瞬間、瞳の炎はくすぶっていた闘志に飛び火した――
りゅっしーの中の、サウナのような蒸し暑さはまったく変わらない。
しかし心の中で燃え上がった不屈の闘志が、その暑さを凌駕すると、それまで朦朧としていた意識はすっかり元通りに戻り、体はまるで羽が生えたかのように軽くなった。
――たとえ馬鹿にされようとも、私は全力で挑む!!
幼い頃から男の子相手の喧嘩だって一度も自分から引いたことがない私。
一度覚悟を決めると、たちまちお腹と両足に力が込められていく。
思い返せば、本当にやりたいアルバイトは、こんなに暑くて、辛くて、孤独で、真っ暗闇の中でするようなものじゃない。
もっと快適な場所で、明るく、楽しく、みんなで和気あいあいとした中で働きたかった。
でも……。
今ここで逃げ出したら、絶対に後悔する。
初めてのアルバイトなんだもん!
失うものなんてなにもない!
自分に何ができるかなんて分からない!
だから、自分が今できる全てをぶつけるんだ!!
そしてついに私は行動に出た――
バッ! ババッ!
懸命に手足を上下に動かしておどけ始めると、休むことなく、頭が外れそうになるくらいに、飛び跳ねたり、ダンスをしたりし始めた。
目の前の『変なの』が本当におかしくなってしまったことに、子どもたちだけでなく、周りの大人もぽかんと口を開けているのが目に映るが、私はめげなかった。
――たった一人でもいい! りゅっしーを見て笑ってくれる人がいたなら!
バランスを取りながら、大きな頭を上下に振ったり、尻尾をブンブンと振り回したり……。
これでもか! というくらいにコミカルな動きを繰り返した。
汗が尋常じゃないくらいに吹き出してくるし、ちょっとでも気を抜けば、意識が遠のきそうなくらい暑い。
でも……。
――こんなことで、神崎若葉は負けない!
はたから見れば、着ぐるみが意味不明な動きを繰り返しているというシュールな光景かもしれないけど、私にとっては一世一代の戦いに挑み続けていたのだ。
いや、私だけじゃないはず。
健一おじさんやパパ、商店街の人たちみんなが同じ気持ちで戦っているに違いない。
南坂戸駅北口商店街に活気を取り戻す、その一心で――
――届け! 私の想い! 届け! みんなの願い! 届いてぇぇぇ!!
すると……。
奇跡は起こった――
「ぷぷっ……」
静寂を破るように、一人の少女の笑い声が漏れてきたではないか。
その直後には、大きな笑い声に変わっていった。
「あははっ!! 面白い!! りゅっしー、面白い!」
一人が笑い出したことで、堰を切ったようにあちこちから笑い声が聞こえだす。
「はははっ!!」
「りゅっしー、すごぉぉい! あはは!!」
「りゅっしー! もっと踊って! ははは!」
そしてついに、私の周囲は子どもたちの笑顔で埋め尽くされた。
全方位からこだましてくる無邪気な笑い声に、何が起こったのか理解できず、その場で立ち尽くしてしまった。
そんな私を囲むように、子どもが駆け寄ってきた。
「りゅっしー! ねえ、りゅっしー!」
「りゅっしー! だっこして! りゅっしー!」
それは私たちの願いがかなった瞬間だった――
ただでさえ蒸し暑いりゅっしーの中は、動きまくったせいで火の中にいるようだ。
それでも一つのことをやり遂げた達成感は、まるで爽やかな春の風のように、心と体に清涼感をもたらしていたのだった。
しかし、緊張が緩む時ほど、失態を犯しやすいもの。
特におっちょこちょいな性格の私は、余計に気を払うべきだった……。
「や、やった……! 私やったわ!!」
着ぐるみの中で汗だくになりながら、嬉しさのあまり小声でつぶやいてしまったのだ。
そして私は知らなかったのである。
幼児の聴力とは恐ろしいものだということを……。
「あっ! りゅっしーが何かしゃべったぁ!」
と、すぐ側にいた少年のうらおもてのない大きな声に、私は凍りついてしまったのだった――