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第三話 居酒屋『だいご』 若葉の初任給 ③

◇◇


 埼玉県川越市――

 

 大きなビルがいくつも立ち並ぶ、県内でも屈指の都会でありながら、様々な史跡や懐かしい商店街も点在する、新旧入り乱れた不思議な魅力を持つ街だ。

 

 自宅の最寄り駅である「南坂戸駅」からは、わずか一〇分ほどの「川越本町駅」が街で最も栄えた場所である。

 

 そしてその駅に直結した巨大ショッピングセンターこそ、わが埼玉が誇る『オーバー・リバー』だ。

 日本語に訳してしまえば「川越」となる、なんのひねりもないネーミングはさておき、店舗数およそ三〇〇店がずらりと並ぶその建物は、丸一日使っても時間が足りないくらいに広い。

 

 そこで私とママは、買う物とお店を決めて回ることにしたのだった。

 

………

……


 まずはお兄ちゃん。

 私たちは文具用品の専門店へ足を運んだ。

 

 お兄ちゃんは大学生だし、ノートやペンならいくらあっても困らないはずよね!

 

 さっそく店内を見渡してみると、そこには星の数ほどの文具が所せましと並んでいた。

 

 

「わあ! 選ぶの大変そうだな……」



 ペン一つとってみても、思わずため息が出てしまうほどに色々な種類があるから驚きだ。

 線の太さ、インクの種類、持つ部分の素材、重量、それに機能や見た目……。

 それらの組み合わせがまさに無数にあるのである。

 

 生まれてこのかた、一本百円のシンプルなボールペンしか買ったない私にとって、軽いカルチャーショックだ。

 

 

「うーん……お兄ちゃんはどれがいいんだろう?」



 あんまりシンプルすぎるのも芸がないわよね。

 かと言って、物珍しすぎるのも学校で使いづらいだろうし……。

 

 そこでお兄ちゃんの気持ちになって、想像を膨らませてみた。

 

 すると……。

 

 

――若葉が一度でも使ったやつがいいなぁ。汗がたっぷりしみこんだやつ! はははっ!



 と、爽やかな笑顔で気持ち悪いことを口にする姿が、はっきりと浮かんできた。

 がくりと肩がうなだれる。

 

 

「だめだ……」



 はっ! そうだ!

 こんな時はママに頼ればいいって、ともみん先生が言ってたわね!

 

 私は少し離れたところで何やら真剣な表情で文具を見ているママのもとへと駆け寄っていった。

 


「ママ! お兄ちゃんへのプレゼントのことなんだけど……」

「ねえ、若葉! こっちと、こっち。どっちが好き?」



 私の言葉を遮ったママは、右と左に異なるノートを手にしながら問いかけてきたのだ。

 

 ちなみにそれらのノートは、「歴史上の偉人の顔が全ページにプリントされているノート」と「爬虫類の写真が全ページにちりばめられているノート」だ。

 

 目を輝かせながら私の答えを待っているママには悪いけど、いまどきの女子高生が持つには、あまりにもマニアックすぎる。

 

 

「うーん……。どっちもイマイチだよぉ。もし私が使うなら……。これかなっ!」



 デザインはシンプルなノートなんだけど、ページの右上に「大事なこと!」という欄があり、特に重要なものをメモできるようになっているものだ。



「ふふふ、やっぱり若葉ちゃんはこういうの選ぶと思ったわ! じゃあ、ノートはこれにしましょ!」


「へっ?」


「若葉ちゃん! シャーペンくらいは女の子っぽく、ピンク色を基調にしたものがいいとママは思うんだぁ」



 なんとママはお兄ちゃんのものではなく、私の文具を最初から選んでいたのである。

 

 

「ちょっと、ママ! お兄ちゃんのはどうするの?」


「ふふふ、若葉が一度でも使ったペンやノートをプレゼントすれば泣いて喜ぶと思うわ」


「ははっ……」



 まさに想像とドンピシャの回答であることに、悪寒と苦笑しか出てこない。

 

 こうしておよそ一時間もの間、私が学校で使う文具ばかりを選んだママ。

 なんだか複雑な気持ちでノートやペンの会計をしようとすると、ママは首を横に振った。

 

 

「あら!? お会計はママがしてくるわ。若葉ちゃんはここで待っててちょうだい」


「えっ? でも私のお給料で払うんじゃ……」


「ふふふ、ママが勝手に選んだんだもの。ママが払うに決まっているでしょ。ちょうどママにもお給料が出たばかりだしね」



 有無を言わさずレジの方へとスキップするように軽い足取りで向かっていくママ。

 なんだか本当に初めてのデートみたいに心が浮かれているのが背中だけでも良く分かる。

 

 そんなママを、私はきょとんとした顔で見つめるより他なかったのだった。

 

 

………

……


 その後、違うお店に行ってもママは私のものを選んでいった。

 一方の私は、パパとお兄ちゃんへのプレゼントを決め切れず、両手にはママが私へ買ってくれたものばかりが増えていったのだった。

 

 

「ううっ……。これじゃあ、なんのためにママと川越まで来たのか分からなくなっちゃったよ」


 

 と、私が恨み節を漏らすと、ママはにこにこしながら返してきた。

 

 

「ふふふ、細かいことはいいじゃない。パパもお兄ちゃんも、若葉のその気持ちだけでじゅうぶんに嬉しいんだから」


「もう……。ママも先生と同じこと言うのね」


「ふふふ、じゃあ次はどこへ行きましょう?」


 

 不満げな私の様子など、さらりと受け流したママは、ずんずんと先を進んでいく。

 そして「あっ! ここにしましょ!」と、とある婦人服のお店の前で立ち止まった。

 

 高校生の私にはあきらかに敷居が高そうな、スタイリッシュなお洋服が並んでいるお店だ。

 もしマユやたまちゃんとここに来たなら、絶対にスルーするような高級感がただよっている。


 でもここならママのプレゼントを買えるに違いないわ!

 

 

「うん! 行こう、ママ!」



 気を取り直して元気な声で返事をすると、自分からママの手を引いて店の中へと入っていった。

 

 ……と、その直後だった。

 

 

「いらっしゃいませー! ……って、紅葉!? 紅葉だよね! ひっさしぶりー!!」



 底抜けに明るい声が私たちに向けられたのである。

 ちなみにママの名前は『神崎かんざき 紅葉もみじ』だ。

 私は目を丸くして、その声の持ち主である店員さんを見つめた。

 

 ママの下の名を親しみをこめて呼んだのだから、歳はママと同じくらいの四〇代半ばだろう。

 しかしとてもそんな年齢に見えないくらいに、黒くて艶やかな髪と張りのある肌の持ち主だ。

 それだけではなく、スラリとしたスタイルに、整った美しい顔立ち。

 

 いわゆる「美魔女」とは、彼女のような人のためにある言葉に違いない。

 

 私は思わずぼーっと見とれてしまった。

 するとママの甲高い声が耳元から響いてきた。



「あらあら! ヤスコ!? こんなところで会うなんて奇遇だわぁ!」


「あははっ! てっきり私がここで働いているのを知っていて来てくれたのかと思っちゃったわよー!」


「ふふふ、もし知ってたら開店と同時に来てたわ」


「あははっ! それもそうね! ねえねえ、それよりも隣の可愛らしい女の子。もしかして紅葉の娘さんの……たしか、若葉ちゃんだったけ?」



 ヤスコさんと呼ばれたその人が私の方に笑顔を向けて、ママに問いかけた。

 なぜ私のことを知っているのだろう?

 

 突然話を振られたので、びっくりしたまま固まってしまった。

 すると彼女は大きな声で笑いながら続けた。

 


「あははっ、どうやら驚かせちゃったわねー。ママとおばさんは、同じ高校の親友同士なの」


「えっ!? そうだったんですか?」


「ふふふ、同じ坂戸に住んでるんだけどねぇ。お互いに結婚してからは年賀状くらいでしかやり取りしてないの。もう十年以上ぶりかしら」


「あははっ! はじめまして、若葉ちゃん! ヤスコおばさんをよろしくね!」



 と、ヤスコさんが右手を差し出してきた。

 いまだに戸惑ったまま、その手をおそるおそる取るとヤスコさんはぎゅっと強く握り返したのだった。

 

 その手はママと同じで厚みが感じられる。

 ヤスコさんも誰かの優しい母親であることが、その手の温もりからすぐに分かった。

 

 そして私たちが握手をしている横で、ママは弾むような声で言ったのだった。

 

 

「ちょうどよかったわ、ヤスコ。若葉ちゃんに似合うお洋服を選んでちょうだい」



 と――

 

 



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