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第二話 春川理容店 いつも空いてる指定席 ⑪

◇◇


 私が美香さんの前に姿を現し、あれほど他人にばれるのが嫌で仕方なかった自分の正体を開口一番に明かしたのには、れっきとした理由がある。

 

 

 それは前日の月曜の夕方のことだ――


 吉介おじいちゃんの様子がどうしても気がかりで仕方なかった私。

 

――パパなら真相を知っているかもしれない!


 と考えて、学校帰りに居酒屋『だいご』に寄ったのだが、パパの答えは予想通りに冷めたものだった。

 

 

「人さまの事情に首をつっこむんじゃねえよ。若葉にだって、人に知られたくない秘密の一つや二つあるだろうに」



 店の仕込みをしながら有無を言わせぬ視線を向けてくるパパに対して、返す言葉がなく黙り込んでしまった。

 

 そもそも私自身が『りゅしーの中の人』であることを誰にも知られたくないというのを、何度もパパには言っているのだから、自分のことをさしおいて、他人の秘密を探ろうというのは、あまりに虫のいい話というものだ。

 

 

「むむぅ……。それはそうだけどさぁ」



 納得はいかないものの、反論する余地もない。

 そのため、ただむくれ顔をするしかない私に、パパは淡々と告げた。

 

 

「もう店が始まる頃だからよ。早く帰んな。ママを心配させると怒られるのは俺なんだからよ」



 顔をしかめているパパを見て、私は諦めて「はーい」という気のない返事をすると、大人しく退散することにした。

 だってこれ以上、パパを困らせてもしょうがないもの。

 

 

「じゃあ、パパ。お仕事がんばってね!」


「おうよ! 若葉も気をつけて帰るんだぞ!」



 と、いつもの調子に戻ってあいさつを交わし、扉の方を向いた。

 

 ……と、その時だった。

 

 ガチャと扉が開けられると同時に、店に人が入ってきたのだ。


 同時に飛び込んできた西陽が目に入り、誰なのか分からない。


 パパは最後の仕込みをしながら、入ってきた人に目をくれずに大きな声で言った。

 

 

「すまねえな! 開店までまだ少しかかるんだ! あとで出直してくれねえか!」



 するとその男の人は、穏やかな口調で意外なことを口にしたのだった。

 

 

「いや、今日は客としてきたわけじゃないんだ。実は話したいことがあってね」



 聞き覚えのある声にパパが彼に目を移すと、驚いたような声を上げた。

 

 

「きっちゃんじゃねえか!? いったい何だい? 話しってのは……」



 パパのが「きっちゃん」と呼びかける人といえば一人しかいない。

 そう……その男性とは、春川吉介の息子、吉太郎おじさんだった。

 

 そして彼はさらに驚くべきことを口にしたのだった――

 

 

「いや、俺が話したいのはだいちゃんじゃなくて、若葉ちゃんなんだ」


「へっ? 私? なんで?」



 突然のご指名に目を丸くしてしまった私に対して、どこかはにかんだような笑顔を向けた吉太郎おじさん。

 

 こうして私は知ることになるのだった。

 吉介おじいちゃんが抱え続けている過去の傷と、春川理容店でいつも空いている一つの席の謎を――

 

 

◇◇


 それは今から三十年も前のこと……。

 もちろん私が生まれるよりもずっと以前のことだ。

 

 秋の終わりの、とある金曜日だったらしい。

 春川理容店はいつも通り、その日も営業していた。

 

 理容店はその日、最後のお客を迎えていた。

 そのお客の名は秋山翔太。当時八歳。

 

 空にオレンジ色がうっすらと混じり始めた頃に、理容室に駆け込んできた彼の指定席はいつも「三番」だ。

 


――うん、翔太くんの予約は確かに入っているね。じゃあ、髪を切ろうか!



 吉介おじいちゃん……当時は『おじさん』だったわね。

 吉介おじさんは、いつも通りに「三番席」の予約帳を確認した後、翔太くんをそこに座らせた。


 この時、高校生だった吉太郎さんは、黙って店の片付けをして、二人の様子を見ていたらしい。

 

 

――おじさん! いつも通りね!


――はい、かしこまりました。では、いつも通りに短くしようね。



 と、翔太くんの元気な声に、にこやかな表情で答えた吉介おじさん。

 彼らの会話の通りに、ここまでは本当に「いつも通り」の光景だった。

 

 頭のてっぺんの辺りはハサミで丁寧に切り、その周囲はバリカンで一気に刈り上げる……。

 

 何千回と繰り返してきた吉介おじさんのカットは、まるで流れるように美しい。

 そして手を動かしながら、お客を飽きさせないように口を動かし続けるのも、春川理容店の風物詩の一つ。

 

 

――亮二が幼稚園に入ったんだよー!


――そうなのか、あの亮二くんも、もうそんな年なんだねぇ。


――うん! もう五歳なんだ!

 

――そうか、そうかぁ。大きくなったねぇ。おじさんも嬉しいよ!

 

 

 店内は吉介おじさんと翔太くん、そして吉太郎さんのたった三人。

 しかし吉介おじさんと翔太くんの会話が弾んでいたためか、さながら大勢のお客でごった返しているような熱気に包まれていた。

 

 そうして、あっという間に翔太くんの髪は、綺麗に整った。

 

 いつもなら、これで終わり。

 最後に鏡で前後左右を確認してもらって、「ありがとう!」の元気な一言をもらえば、もうお会計のはずだったのだ。

 

 だが、吉介おじさんは、この日はそうしなかった。


 

――おや? 少しだけ首もとを剃っておこうね。



 と、ほんの少しだけ伸びた産毛のような首の後ろの毛にカミソリをあてた。

 

 

 しかし、それが『悲劇』の始まりであり、吉介おじさんを生涯に渡って苦しめることになろうとは――

 

 

――いたっ!



 翔太くんの声が響くと同時に、首筋に真っ赤な血が滲んできたではないか。

 

 

――大丈夫かい!? 翔太くん!



 どうやら首のつけねに小さなできものがあったようで、それを誤ってカミソリで切ってしまったのだ。

 吉介おじさんは、急いで救急箱を持ってくると、傷口に塗る消毒液と軟膏を手に取った。

 

 そして「ちょっとしみるけど、我慢してね」と優しく声をかけながら、素早い手つきで処置をほどこす。

 傷は浅かったのか、自然に血は止まり、ほっと一安心した吉介おじさんは、申し訳なさそうに翔太くんへ話しかけた。

 

 

――おうちの人にはおじさんから連絡しておくからね。ほんと、ごめんねぇ。痛かっただろう。


――ううん! 僕平気だよ!

 

 

 翔太くんの明るい声に、この時の吉介おじさんは、すごく救われた気分だったそうだ。

 

 

――……そうだ! これを持っていきなさい。

 

 

 と、おじさんは翔太くんと弟の亮二くんの分、合わせて二箱のキャラメルを翔太くんに手渡した。

 

 

――ありがとう! おじちゃん!!



 丁寧にお辞儀した翔太くんは会計をすますと、まるで何事もなかったかのように理容店を出て行こうとする。

 その背中におじさんは、普段よるも少しだけ声を張り上げて話しかけた。

 

 

――今日はいつもより暗いから、気をつけて帰るんだよ!


――うん! ありがとう!

 

 

 秋の陽は早い。

 気付けば空はオレンジ色から紫色に変わっていた。

 

 翔太くんを見送った吉介おじさんは、すぐさま翔太くんの家に電話をかけて、首の後ろを傷つけてしまったことと、帰りが遅くなってしまったことを謝った。

 

 電話に出た翔太くんの母親は、普段から誠実なおじさんを良く知っているため、特に文句をつけずに明るい調子のまま電話を切ったらしい。

 

 ……と、その直後だった。

 ふと外を見ると、大粒の雨が降り出し始めていたのだ。

 

 つい先ほどまで雲一つなかったのに珍しいものだ。

 

 

――あらら……。翔太くんが濡れなければいいんだが……。

 

 

 そんな風におじさんは眉をしかめた。

 

 

 しかし……。

 

 

 それよりわずか三〇分もたたないうちのことだった……。

 

 けたたましいサイレンの音が理容室のすぐ近くを通り過ぎると、おじさんの胸のうちに嫌な予感がよぎる。

 

 カラン、カラン!

 

 と、大きな音を立てながらドアを開けると、傘もささずにサイレンのした方へと駆けて出していった。

 

 

――気のせいであってくれ! 気のせいであってくれよ!



 何度も心の中でそうつぶやいたという。

 だが、得てして悪い胸騒ぎとは的中してしまうものだ……。

 

 駆けていった先で目にした光景は……。

 

 フロントが大きくへこんだ乗用車と、見るも無残な姿となった小さな自転車……。

 

 その自転車は、まぎれもなく秋山翔太くんのもの。

 そしてその脇に転がっていたのは、二つの小さなキャラメルの箱だった――

 

 

………

……


「うそ……。そんな……」



 居酒屋『だいご』の奥で吉太郎おじさんの話に聞き入っていた私の両目から、涙がとめどなく流れ落ちていった。

 あの優しい笑顔の影に、そんな辛い体験が隠されていたなんて、どうして想像ができるだろうか。

 

 

「その一件以来、『三番』の席はただの一度も使われていないのだよ」



 と、しみじみと語った吉太郎おじさんの目からも涙が光っている。

 ちなみの事故で翔太くんがこの世を去った時、おじさんは今の私と同じ高校一年生だったそうだ。

 三〇年たった今でも、翔太くんのお通夜に参列した際に、憔悴しきった父親の姿が今も脳裏から離れないらしい。


 そしておじさんは私に対して、深々と頭を下げてとあるお願いをしてきたのだった。

 


「だから若葉ちゃん。お願いだ。今度の金曜日。親父が最後の日に『三番』の席を指名して、予約を取って欲しいんだよ」


「え……。私が……」


「ああ、若葉ちゃんなら親父だってきっと『三番』の席に座るのを許してくれるはずさ。そして親父も背負い続けてきたものをようやく下ろせる……」


「う、うーん……」



 ことのほか重い決断のように思えて、私は考え込んだ。

 すると、そこにパパがやってきた。


 コトリ……。

 

 大根の煮つけが入った小鉢をテーブルに置いたパパは穏やかに言った。

 

 

「若葉もきっちゃんも、余計なことはしない方がいいぜ。まあ、辛いもん背負うのも今度の金曜で終わりってことだ。引退してからはのんびりできるだろうよ」



 そう告げたパパを吉太郎おじさんは、鋭い目つきで睨んだ。

 

 

「だいちゃんは本当にそう思ってるのかい?」


「どういうことだ?」



 温厚なおじさんとは思えない厳しい雰囲気に、パパが目を丸くすると、彼は重い口調で続けた。

 

 

「このまま『三番』の席に誰も座らせずに親父が引退したなら、親父は死ぬまで重い十字架を背負ったまま生きていくことになるんじゃないのか!?」


「……まあ、そうかもしれねえな。けどよ、それをおっちゃんが望んでるんだったら、たとえ息子のお前でも口を出すようなことじゃねえと思うぜ」


「じゃあ、逆に聞くけど、息子である俺が口を出さないで、誰が口を出せるというんだ!? 親父に一生辛い思いをさせたくないんだ! 俺はただ『三番』の席を使って欲しい。それで親父の気持ちが少しでも晴れるなら、そうして欲しいだけなんだ!」


「だからぁ! それがおっちゃんにとってはお節介だって言ってんだよ! この分からず屋め!」


「なんだと! 他人のだいちゃんにとやかく言われたくないね!」


「てめえ! 人の娘巻き込んでおいて、今さら何を言いやがる!!」



 パパとおじさんは、互いに一歩も譲らず、一触即発の雰囲気となって睨み合っている。

 

 それでも二人が吉介おじいちゃんのことを真剣に考えているのがひしひしと伝わってきた。

 

 二人とも大好きでたまらないのだ。

 吉介おじいちゃんのことも、春川理容店も……。

 

 私の胸が「ドックン」と波打つ。

 

 「何かしてあげられることはないか」という甘ったるい偽善ではなく、「何かしなくちゃ」という強い使命感が、腹の内で炎となって燃えたぎっていった。

 

 

「私じゃない……。『三番』の席に座るべき人は……」



 自然と口から言葉が漏れると、目の前でいがみ合っていた二人が、私の方を見て目を大きく見開いた。

 

 それもそうだろう。

 

 それまで涙にくれていた私が、決意と覚悟に満ちた形相で仁王立ちしているのだから――

 

 

「パパは言ったよね……。許すことは強さだって」


「あ、ああ。確かにそう言ったが……」


「吉介おじいちゃんは、深い傷を負って、重いものを背負って三十年も理容店を続けてきたんだよ? 弱いわけないじゃない!」


「若葉……まさかお前……」



 そして、驚きを隠せないでいるパパと吉太郎おじさんを前にして、私は大きな声で宣言した。

 

 

「次に『三番』の席に座るのは私じゃくて、もっと相応しい人がいる!! おじいちゃんなら、ぜったいにその人がその席に座るのを許してくれるはずだもん!!」


「若葉! だから余計なことはやめとけって!」



 パパが必死になって私を止めにかかる。

 

 でも、知っているはずよね!?

 

 私はパパの子!

 

 一度こうと決めたことは、死んでもやり抜くってことを!

 

 

「どーんと、若葉におまかせあれ!!」



 こうして私は春川理容店のいつも空いている指定席を埋めるべく、会いにいったのだ。


 亡くなった翔太さんの弟の秋山亮二さんのお宅を……。


 そして次に『三番』の席に座るべき人……。

 すなわち亮二さんの息子の翔一くんに予約をしてもらうために――



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