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第二話 春川理容店 いつも空いてる指定席 ⑩

◇◇


 りゅっしーとしての一日を終えた私は、春川宅の居間を出た。

 

 ちなみにりゅっしーの着ぐるみは、健一おじさんと商店会の人たちが倉庫へ持っていってくれた。

 そして今日の私のお給料は、春川理容店からではなく商店会から支払われるため、この日に受け取る訳ではなく、月末になってフリーマーケットの日の分とまとめて支払われることになっている。

 

 そのため、今日はもう帰宅するだけだ。

 

 着替えとして持ってきた十枚以上のシャツは、全て汗でびっしょり。

 私はそれらをしまったリュックを背に、最後にあいさつをしようと、理容室へ顔を出したのだった。

 

 

「今日は一日ご苦労様、若葉ちゃん!」



 と、美佐子おばさんが笑顔で話しかけてくれると、私の好きな『キャラメルアイスジャンボ』という市販のアイスを差し出してきた。

 

 

「これ? 私に?」


「ええ、そうよ。昔から若葉ちゃんはこれが好きだったでしょう?」


「あ、はい。でも、いいんですか?」


「もちろんよ! アイス食べてから帰ったらいいじゃない」



 私はおばさんの厚意に甘えて、ジャンボの名の通りに大きなアイスクリームを一口がぶりと頬張る。

 疲れた体にキャラメルでコーティングされたバニラアイスの甘さがしみると、思わずとろけるような笑顔になってしまった。

 

 

「おいちい!」


「ふふ、若葉ちゃんは昔から変わらないねぇ」


「ふえ?」



 美佐子おばさんがしみじみと言うものだから、思わずアイスを食べる手を止めて目を丸くしてしまった私。

 そんな私に対して、奥から出てきたタマエおばあちゃんが目を細めて言った。

 

 

「そうだねぇ。若葉ちゃんは、いつもここに来た時は大泣きしてねぇ。そりゃあ大変だったんだよ。『お外で遊びたいの!』ってねぇ」


「ちょ、ちょっと! おばあちゃん! そんな昔のことを覚えてるの!?」



 

 まだ幼い頃、とにかく活発だった私はパパに美容室へ連れてこられるたびに大泣きして、嫌がっていた。

 それでも『キャラメルアイスジャンボ』を美佐子おばちゃんから渡されると、ぴたりと泣き止んで、大人しくしていたらしい。

 

 幼い私にしてみればこのアイスは大きくて、髪を切り始めるまでに食べきれない。

 そこで「髪を切り終わったら、続きを食べていいからね。だから髪を切るのを頑張ろうね」とおばちゃんたちに励まされて、外で遊びたい気持ちを抑えていたのだった。

 

 でもそれも小学校に上がるまでのことであり、以降はアイスの力を借りなくても、大人しく髪を切られている。

 だから、私自身もうっすらとした記憶しかなく、まさか他人のおばあちゃんたちが覚えているなんて、にわかに信じられなかった。

 

 目を白黒とさせている私に対して、タマエおばちゃんは優しい口調で答えた。

 

 

「そりゃあ、お客のことは覚えているものさ。理容店というのは、人と人との縁が何よりも大切だからねぇ」


「人と人との縁が何よりも大切かぁ……」



 仮にそうだとしても、数多くいるお客の好物まで覚えているものなのか、と感心していると、吉太郎おじさんの声が聞こえてきた。

 

 ただし、彼の口調は、なごやかな雰囲気には似合わない重々しいもので、しかも意外な内容だった。

 

 

「……でも、切らなきゃいけない縁だってあるはずなんだ」



 みなの視線が一斉におじさんに集まる。

 だが、誰も何も言い出せないでいたのは、おじさんが本当は何を言いたいのか分かっているからに違いない。

 もちろん私だけは彼の真意が分かるはずもなく、目を丸くして問いかけた。

 

 

「切らなきゃいけない縁ってどういうこと?」


「若葉ちゃんは知らなくていい話だよ。ささ、アイスを食べて早くお帰りよ。お母さんが心配するからねぇ」



 間髪入れずに口を挟んだのはタマエおばあちゃんだった。

 その口調がいつものゆったりとしたものではなく、ことのほか早口だったことに驚かされた。

 

 すると吉太郎おじさんは「はぁ」と大きなため息をつくと、首を横に振った。

 

 

「母さん……。親父がハサミを置く日はもうすぐなんだ。それなのに、このままでいいと本気で思っているのかい?」


「えっ!? 吉介おじいちゃん、理容師さんを引退しちゃうの?」


「若葉ちゃんに黙ってるつもりはなかったんだけどねぇ。おじいちゃんはもう七〇だから。今度の金曜で店を吉太郎に譲ることにしたのさ」



 これでようやく合点がいったのは、今日のイベントのことだ。

 何事も『普段通り』を心掛けていた吉介おじいちゃんがイベントの開催を許したのも、きっと跡を譲る吉太郎おじさんに対する配慮だったのだろう。

 

 きっとパパもそのことを知っていたけど、私に余計な心配とプレッシャーをかけたくなくて言わなかったに違いない。

 

 確かにこれまでお世話になった吉介おじいちゃんが引退しちゃうのは寂しいけど、それよりも今は吉太郎おじさんの言葉が気になって仕方なかった。

 

 

「ねえ、吉太郎おじさん! 『このままでいい』ってどういう意味なの?」


「だからそれは若葉ちゃんが気にする必要は……」



 タマエおばあちゃんが必死になにかを隠そうと言いかけたその時だった。

 自宅とつながっている店の奥の方から大きな声が聞こえてきたのである。

 

 

「もうそこらでいいだろう! 若葉ちゃんを早く帰してあげなさい!」



 みなの視線が声の持ち主に集まると、その先に立っていたのは、酒が入って真っ赤な顔をした吉介おじいちゃんだった――



◇◇


 その日の夜――

 

 商店街から少し離れた住宅街。

 とある二階建ての一軒家のリビングには、ひと組の夫婦がテーブルを挟んで座っていた。

 

 二人の名は、秋山あきやま 亮二りょうじとその妻、美香という。

 そして二人の一人息子である翔一という小学校二年生の男の子は、二階の自室でぐっすりと夢の中にいた。

 

 ひと組の夫婦がリビングで向かい合っているだけであれば、どこにでもありふれた光景であろうが、夫の方が何やら深刻な顔つきで妻を睨みつけているのだから、ただごとではないのは一目見れば明らかであった。

 

 そしてテーブルには一枚のチラシ。

 そこに書かれていたのは……。

 

――五月×日(日)りゅっしーが春川理容店にあらわる!


 という理容店のイベントを告知したものだった。

 そのチラシをくしゃっと握りしめながら、亮二が忌々しい口調で美香に問いかけた。

 

 

「フリーマーケットでりゅっしーのことを気に行った翔一が、このチラシを見ればここへ行きたがるのを、お前はよく分かっていたはずだ。なのにどうして、このチラシを捨てずにいた?」



 この日、彼らの息子である翔一は「外で遊んでくる!」と告げて出ていったものの、なかなか帰ってこなかった。

 心配した亮二があちこちと探し回っているうちに、春川理容店の前でりゅっしーを見つめていたのを見つけ、すぐに連れて帰ってきたのだ。

 

 顔を赤くして口を尖らせている亮二に対して、美香はどこかとぼけたように夫の質問をはぐらかす。

 


「さあ、どうしてかしら?」



 すると夫はますます火に油を注いだように怒りをあらわにした。

 

 

「お前はなにも分かってないんだ!! どうして俺が翔一をあそこへ近づけさせたくないか!」


「大きな声を出さないで。あの子が起きちゃうでしょ」


「うるさいっ! とにかく金輪際、二度と翔一をあそこへ近付けるな!」



 大きな音を立てながらソファに腰をおろした亮二は、テーブルの上のグラスを手にとり、中のウィスキーをぐいっと飲み干す。

 その様子はまるで囚われている何かを懸命に振り払うようで、美香は見ていて痛々しかった。

 そして彼女は「ふぅ」とため息をつくと、ぼそりと独り言のように言ったのだった。

 

 

「春川のおじいちゃん……。今度の金曜で理容師をやめちゃうんだってね」



 亮二はその言葉にぴくりと肩を震わせたが、視線はグラスに落としたまま答えた。

 

 

「そんなの、俺には関係ない」


「関係ない? そんなはずないでしょ」



 彼女の思いの外強い口調に、彼は静かに顔を上げた。

 そして目に飛び込んできた彼女の顔を見て、はっと目を見開いたのだった。

 

 なんと彼女は、はらはらと涙をこぼしながら、彼のことを見つめていたのだ。

 その表情はまるで、わがままな幼子をしかりつけるような厳しい母の顔であった。

 

 

「あの時からあなたの時は止まったまま。ずっと心に重いものを背負ったままなんでしょ?」



 彼は言葉を失ったまま、じっと彼女を見つめ続けていた。

 肯定も否定もしない彼に対して、彼女は震える声で続けた。

 

 

「もう許してあげて……」


「許すだと? 春川のじじいを? そんなことできるはずないだろ!」



 声を荒げた亮二に対して、美香は負けじと強い口調で言い放った。

 


「違うの! 許して欲しいのは、あなた自身の心よ!」


「俺の心だと!?」


「ええ、あなたの心! 本当はあなただって分かっているはず! このままじゃいけないって。春川のおじいちゃんが引退してしまったら、もう二度と許すチャンスはないんだって!」



 美香の甲高い声がリビングの空気を震わせると、亮二はがくりとうなだれて、再び視線をグラスへ傾けた。

 

 そしてしばらく沈黙が二人の間をただよった後、消え入りそうな小さな声で彼はつぶやいたのだった。

 

 

「許せるかよ……。兄貴はあいつのせいで死んだんだ……。いつも俺を守ってくれた兄貴だったんだ……。だから俺は一生かけて、幼くして死んでいった兄貴の無念を守らなきゃなんないんだよ……」



 と――

 

 この日はこれっきり二人の間に会話はなかった。

 美香のすすり泣く声と、亮二がグラスを口にあてるたびに、中にある大きな氷がたてるカラリという音だけが、リビングの重い空気にただよい続けていたのだった――

 

 

◇◇


 翌々日の火曜日――

 

 専業主婦の秋山美香は、翔一が家に帰ってきた頃合いを見計らって、近くのスーパーへ買い物に出かけるのが日課だ。

 もちろんまだ小学校二年生の息子を一人で長時間放っておく訳にはいかない。

 そこで、予めスーパーのチラシを見て買うものは決めておき、手早く買い物をすませて家路を急ぐのだ。


 この日もわずか一〇分ほどで買い物をすませた彼女は、片道五分ほどの自宅へ向かって自転車を走らせていた。

 

 しかしこの日はいつもと違うことが一つだけあった。

 それは、もうすぐ自宅に到着するという時のこと……。

 

 

「翔一くんのお母さんですよね!? お話しがあるのですが、少しお時間をいただけませんでしょうか?」


 

 と、少し離れた場所にいる、まだ初々しさの抜けない制服姿の女子高生に声をかけられたのだ。

 美香は彼女の目の前で自転車を止めると、目を丸くして問いかけた。

 

 

「そうですが、あなたは?」



 美香の問いかけに対して、その女子高生は真剣な顔つきで答えたのだった。

 

 

「私は神崎若葉と申します。りゅっしーの中の人をしている者です!」



 と――

 



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