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ふつうの人  作者: 佐久間ユウ
第1部 上京
9/30

9 正キーボーディストになれるかも

 義男がホールを去ったあとも、客席のざわめきは収まらなかった。


 オープンステージから、華が出入口をにらみつけている。どら猫とウッディが驚いた顔で、身体を固くしている。


 航平は給仕の手を止めて突っ立っていた。


「仕事の連絡が入ったので、今日はこれで失礼します」


 葉山が携帯電話をしまいながら、航平に声をかけてきた。すまなそうに頭を下げ、立ち去った。


 葉山と入れ違いに、鷺下がホールに入って来た。


「これは大変、お騒がせしました。彼は今日が初めてのステージでしてね。あとでよく言い聞かせておきますから」


 と客に謝罪し、


「義男の代わりにおまえが演奏してくれ。なっ、頼むよ」


 そう囁いて、ビーフシチューの載ったプレートを引き取った。


 航平に異存はない。


 どこからか拍手があがり、客席に広がっていく。「待ってました」と声がかかる。航平は、客の視線が自分に集まっているのを感じた。


「航平、来いよ。前みたいにいっしょにやろう」


 華がマイクスタンドを立て、片目をつぶって見せる。


 リハーサルもメンバーと済ましている。今日のプログラムを演奏しきる自信はあった。よし、と航平はステージに向かった。


 航平は、義男のキーボードをスタンドに載せなおし、その前に座った。ペダルの状態を確認し、鍵盤に軽く指を走らせる。自分の楽器をセッティングする時間はないので拝借を決めこんだ。


 航平はメンバーと目配せを交した。ピンスポットを浴びながら、オープニングナンバーから、流れるようなフレーズを弾く。すぐにドラムとベースがからみ、疾走感のあるイントロが始まった。


 航平は伴奏にまわり、華のボーカルが乗っかってくる。義男の騒動がなかったような、いつもと変わらない歌いっぷりで、前回のステージより、気分が良さそうだ。


 間奏に入ると、華がロングドレスのすそを両手でたくしあげ、それを左右にひらめかせてリズムをとる。歌のとちゅうであまり踊らない彼女にしてはめずらしかった。


 大半のお客さんが飲食の手を止めて聴き入っている。バンド演奏をBGMとして聞き流すのではなく、音楽そのものを楽しんでくれている。


 航平は、楽曲を通じてホールの全員とひとつになるのを感じた。


 1曲目が終わると、大きな拍手があがった。それは待ちかまえていた賞賛であり、おざなりなものではなかった。


 第2ステージが始まる。立ち見客をまじえてホールは満員になっていた。ライブハウスさながらの熱狂だ。


 アンコールは『男と女のラブゲーム』のカバーを演奏し、ライブは大盛り上がりのまま終演した。拍手のなか、航平たちは客席のあいだを退場する。


「あんたこそバンドのキーボーディストだ」と声がかかる。頭や背中を叩かれ、握手を求められる。


 本当にレギュラーメンバーになれるのでは、と航平の期待は高まった。


 閉店後、バンドの仲間とスタッフがホールに集まった。いつもとは違い、すぐに打ち上げとはならなかった。義男の起こした事態が問題になっている。ライブが成功したわりに、多くの人の表情は複雑だった。


「ライブをぶち壊しにするやつはクビだ」


 まっさきに華が決めつけた。


「おれが聞いた話では」と鷺下が口を挟む。「演奏を中断させて最初に義男を非難したのは、華、あんただそうだ。それが客をあおる原因になった」


「義男は練習不足なんだよ。リハーサルにも出てこないで偉そうな口を叩き、ミスったって素人にはわからないなんて言うから、頭にきたんだ」


「穏便に切り抜ける方法だってあったはずだ。こういう場合、演奏者の『ミスった』という表情や態度から、客はその失敗に気づく。素知らぬふりで演奏を続けるぶんには、たいしてミスは目立たない。それをこっちからミスだと暴露すれば、本当に失敗だと客に認識されてしまうだろ」


「義男の肩をもつのかよ。鷺さんはどっちの味方なんだ」


「おれはバンドのマネージャーとして公平な立場で判断しているつもりだ。義男は4年間いっしょにやってきた仲間だろ。一方的にクビにはしたくない」


「航平はどう思うんだ」華が訊いてきた。


「ぼくだったら、なにがあっても最後まで演奏をし続けるよ。キーボードを倒して、ライブのとちゅうで出て行くなんて、ぜったいにできない」


「うちのバンドでキーボード専属になる気はあるのか」


 鷺下が訊くので、航平は力強くうなずいた。


「わかった。義男と2人で話し合ってみよう。やつの言い分も聞く必要があるからな。この件に関しては、おれにまかせてくれ」


「そうと決まったら、さっそく打ち上げようぜ」


 華が気を取り直して提案した。鷺下との言い争いがなかったかのような、変わり身の速さだ。華の陽気さはすぐにホールに伝わった。みんなでライブの成功を祝いあい、酒がまわされ、グラスにつがれていく。


「航平はミルクだろ。あたしが酌をしてやるよ」


 なにを混ぜられるか、わかったもんじゃない。航平は丁寧に断った。


「それじゃあ、新メンバーの加入を祝して」


 華が音頭をとり、グラスを掲げる。


 航平もまんざらではなく、ミルクを飲みほした。誰からともなく拍手があがり、それが全員に広がる。正式なバンドメンバーになれるのでは、という航平の期待はいやがうえにも高まった。


 翌週、航平が店に出勤すると、鷺下がホールで声をかけてきた。


「うちでのつぎのライブが決まったよ」


 そう言う、鷺下の表情はにやついていた。


 12月25日に、バーヘロンでウォーキングジグザグのライブを行なう。店のホームページに、バンドへの賞賛が殺到しているのは航平も知っていた。その好評を受けての開催だ。今日じゅうにネット告知をするという。


「タイトルは決まっているんだ。キーボード対決――勝者を選ぶのはあなただ」


「えっ」と航平は驚いた。


「いいタイトルだろ。チケットの申し込みが殺到するぞ」


「対決ってどういうことですか。誰と誰が戦うんですか。勝者ってなんですか」


 航平は不可解な顔で矢つぎ早に質問した。


「悪い。話が前後したな。実は昨日の夜、おれは義男と会ってきた。やつがキーボード担当をかけて、あんたと勝負がしたいと言いだした。そこでおれは、つぎのライブで2人の対決を企画したというわけだ」


 第1、第2ステージでそれぞれ航平と義男がキーボードを担当し、同じ6曲を演奏する。そのあとで客の投票を行ない、ウォーキングジグザグの正式なキーボーディストを決定するのだと説明した。


「航平はうちの客に人気がある。おれはあんたが勝つとふんでいるんだ。腕くらべをして負ければ、義男も納得してバンドを脱退するだろう」


 航平は承諾した。サポートが負ければ、専属になるチャンスをうしなう。


「ひとつ義男が条件を出した。もしやつが勝ったら、航平はバーヘロンを辞めるというものだ。その条件をのむなら、このキーボード対決は成立し、おれはネットにその企画を打ち出す。それでもやるか」


 航平は、自分の表情が引き締まるのを感じた。


 バンドの正式メンバーの座を賭けて義男と勝負する。望むところだ。自分の力でそのポジションを勝ち取ってみせる。


「わかりました」航平は受けて立った。


「これは面白い見ものになるなあ」


 鷺下がにやにや笑いを浮かべる。


 なんだか利用されている気がして、航平は不快な気分になった。しかし、このチャンスを逃す手はない。


「そうそう葉山信吾って客が、航平によろしくと言っていた」


「葉山さんが?」


「そうだ。義男のアパートから戻るときに声をかけられたんだ。おれの顔を知っていた。先週のライブでは途中で仕事が入ったのが残念だと言い、つぎは最後まで聴かせてもらいたい、と言付かった。まずは航平に一票だな」


 葉山は製薬会社で働いていると言っていた。昼夜をとわず働いている感じだ。よほど忙しいのだろう。その合間をぬって、自分の演奏を聴きに来てくれる。そう思うと、航平は感謝の気持ちでいっぱいになった。


「……義男、やばいやつとつきあっているかもな」


「えっ」とうとつに言われ、航平は驚いた。


「おれが義男のアパートを訪ねると、入れ違いに出ていった男がいたんだ。青白い顔でやせ細り、目だけぎらついていた。ヤクでもやっていそうだったな」


 航平は、新宿で義男が柄の悪い男と歩いていたのを思い出した。華も、義男がそのすじの連中とつきあいがあるようなことを言っていた。


「気にするな。航平はキーボード対決にだけ集中すればいい」


 鷺下に強く背中を叩かれた。


 ――そう言われたって、気になるよ。


 ネットでライブの告知をすると、反響はすぐに表われたらしい。チケットの予約は数日のうちにソールドアウトしたという。


 バーヘロンのキャパでは、販売したチケットの枚数もたかが知れている。それでも鷺下は、終日、にやけていた。


 航平は、かならずやウォークインジグザグのキーボード担当の座を勝ち取ろう、と決意をあらたにした。


 その日、航平は午前0時過ぎに仕事を終えてバーヘロンを出た。


「よう、お疲れ。駅までいっしょに帰ろう」


 看板の前で待っていた華が、にっと笑ってみせた。



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