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ふつうの人  作者: 佐久間ユウ
第1部 上京
8/30

8 レコ発ライブでの義男の大乱調

 ウォークインジグザグのつぎのライブは、11月後半のレコ発と決まった。バンド2枚目となるシングルの発売を記念して、〈バー・ヘロン〉で単独ライブを行なう。CDは4曲入りを500円で販売する。


 当初は3曲の予定だったが、『男と女のラブゲーム』のカバーが受けたので、ボーナストラックとして追加された。その楽曲のレコーディングにだけ、航平はキーボードで参加した。初めてのスタジオ録音には胸がおどった。


 500枚のCDが出来上がったのは11月の頭だった。


 インディーズを扱う販売店にも置いてもらうが、基本はライブ会場での手売りだ。1枚あたりの原価は150円で、それにバーコードを印字する費用がかかる。1枚を500円で売った場合の利益は300円ほどだろう。完売すれば、15万円のもうけになる。


 航平はずいぶん利益率がいいように感じた。裏を返すと、それだけの利益がないと音楽業界は立ち行かない。そのへんの事情は鷺下がくわしかった。


 CDの売り上げは年々減少の傾向にあるという。レンタル店や中古販売店との競合、各種端末によるダウンロード、パソコンで簡単にできるコピー、などが売り上げ不振の主な原因だ。


 もっとも航平に、もうけを求めるつもりはない。自分の音楽が広く世間に知れ渡り、たくさんの人に認めてもらえれば、それで満足だ。


 レコーディングが始まると、義男とも顔を合わせた。新宿で見かけたと話しかけると、「人違いだ」と取りつくしまもない。暴力団との関わりについては訊けずにいた。尋ねたところで、正直に答えてくれる内容ではなかった。


 11月20日、レコ発ライブの当日となった。


 ネットで前売りを受け付けたところ、かなりの申し込みがあった。以前にバーヘロンで演奏したときの反響なのだろう。


 予約者のなかに葉山信吾の名前を見つけ、航平はうれしくなった。初めての人間のファンだ。


 しかし、今回のライブで航平の出番は、アンコールで披露する『男と女のラブゲーム』だけだ。本当ならずっとステージに出ていたい。航平はサポートなので、そこはしかたなかった。


 リハーサルの始まる時間が過ぎても、義男はあらわれなかった。鷺下が携帯電話で義男と連絡をとっている。なかなかつながらないようだ。


 オープンステージには、すでにドラムセット、ウッドベース、音響機材などがセットされていた。キーボードが置かれる場所だけが空いている。


 ウッディとドラ猫が、それぞれの楽器の前に所在なげに腰かけている。華がホールを歩きまわり、そのヒールの音が苛立たしげに響く。


「ただ待っていたって、なんにもならねえや」華が航平を振り返る。「義男のパートをやってくれないか。リハを始めちまおう」


 航平は自分のキーボードを取りに楽屋に向かった。


 このまま義男が姿を見せなければ、前みたいにステージで演奏できる――。航平の胸に期待感が広がった。


「義男からメールがきた。遅れるってよ」


 鷺下の知らせに、なんだ――と航平の期待はしぼんだ。


 義男が姿を見せたのは、リハーサルを終えたあとだった。かついだ楽器ケースに押しつぶされたように背中をかがめ、顔をうつむけたままホールに入って来た。


「遅いって。いままでなにをやっていたんだ」


 華の非難はとちゅうで止まった。


 義男の頬はこけ、目の下にくまができている。疲れ切った表情をしていた。


「リハーサルは必要ないよ。何年、このバンドで演奏していると思っているんだ。オリジナル曲は全て暗譜しているから心配するなよ」


 義男が、自信をにじませた笑みを浮かべる。


 楽器ケースを下ろすと、リハーサルで使った航平のキーボードがステージに置かれたままなのに気づいたようだ。低く舌打ちして、


「邪魔だから片付けてくれないか」と指示した。


「すみません。さっきリハが終わったばかりなんです」


 航平はすぐに楽器の撤収に入った。


「そんな言い方はないだろ」華が義男にくってかかる。「あんたがいないあいだ、航平がリハで代わりを務めてくれてたんじゃないか」


「おおかた、おれが来ないのを願っていたんだろ。残念だったな」


「そんなことは……」航平は口ごもる。


「ああ、そうさ」華が割り込む。「あんたが来なかったら、航平に代役を頼んでいたよ」


「そのぼうやの出番はないから。さっさと楽器を片付けてくれ」


 航平は口惜しさをかみしめながら、撤去作業を続けた。


 ――自分はサポートなんだ。義男がいるかぎり、レギュラーメンバーにはなれない。


 午後6時になり、〈バー・ヘロン〉がオープンした。


 来店客はまだ少なく、ホールは閑散としていた。何人かいる客はバーの関係者であったり、バンドの知り合いだったりした。


 華が常連らしき中年男性と立ち話をしている。他のメンバーは店内を歩きまわっている。狭い楽屋に閉じこもっていたくないのだろう。義男は店を出て行き、いまだに戻っていなかった。


 航平は店の手伝いをしていた。最初のステージは7時からだが、航平の出番はアンコールまでない。そのあいだはいつも通り厨房の仕事をする手はずだった。


 開演時間の7時近くになると、テーブルはうまりだした。


 〈バー・ヘロン〉では、わりと開演ぎりぎりになって来店する客が多い。ライブ演奏の最中にホールに入って来る客もいる。


 航平は調理助手の仕事で忙しくなった。


 ホールのなかに、以前、見かけた人相の悪い男がいた。壁ぎわの1人がけの椅子から、鋭い視線をステージに向けている。きょうはニット帽をかぶっているが、あのスキンヘッドの男と同一人物なのは間違いなかった。


「遅れてすみません。もう始まりますか」


 葉山信吾に声をかけられた。スーツ姿で、仕事帰りに駆けつけたのだろう。


「そろそろです」と航平は答えた。


 そのとき拍手が上がり、バンドのメンバーがホールに登場した。ステージに入り、それぞれの楽器の調整を始める。


 どら猫がドラムを軽く叩き、ウッディがベースのチューニングを確かめる。華がスタンドマイクの高さを合わせている。


「航平さんは、今回は弾かないんですか」葉山が訊いた。


「ぼくは第二ステージのあと、アンコールで一曲演奏するだけです」


「それは残念だな。航平さんの演奏を楽しみにしていたのに。いまキーボードの前に座っている男は、どんな演奏者なんですか」


「義男さんといって、正確無比なタッチで機械のような演奏をします。テクニックは抜群ですが、打ち込みで鳴らしたような音です」


 航平は、レコーディングで聴いたときの義男の印象を話した。


「プライベートではどんな人です?」


 葉山は、なんだかまだ義男について聞きたそうだ。


「ぼくはこのバンドのサポートに加わったばかりで、くわしくは知りません」


 ライブが始まり、その音で会話の声はかき消された。葉山が、またあとで、と手つきで示し、航平は厨房に下がった。


 食器の準備をしながら、航平はライブ演奏に聞き耳をたてた。


 それはウォークインジクザグがオープニングでよくやる曲だ。疾走感のあるピアノサウンドに、華の勢いのあるボーカルが乗る。ウッドベースが小気味よく響き、ドラムが細かなリズムを刻む。航平は指がうずきだした。


 そのときキーボードが音を外した。


 あれ、と航平は意外に感じた。義男にしてはめずらしい。


「14番さんにビーフシチュー」


 シェフに指示を出され、航平は料理を取りに行った。


 シチューのプレートを持ってホールに出ると、いっきに音量が増す。手拍子があがり、いつにない熱狂ぶりだ。前回のライブのリピーターが、場を盛り上げているのだろう。


 テーブル客の影の向こうで、ピンスポットが華を照らしている。


 間奏でキーボードのソロに入り、また義男がミスをした。さらにミスタッチが続く。マイクスタンドに手をかけたまま、華がいらついた視線を義男に向ける。その態度が客席に伝わったのだろう、キーボードの演奏に、おや、と思う客が出はじめたようだ。


 演奏はリフレインに入った。


 華がサビメロを歌うとちゅうで、義男の指がもつれる。


「なにやってんだ。いいかげんにしろよな」


 華がマイクスタンドを倒した。


 音楽が止まり、ホールが静まり返った。いままで大音響が鳴り渡っていたぶん、いっそう静けさが際立つ。場内にゆっくりと囁き声が広がっていく。


「脅かさないでくれよ。ちょっと指が滑っただけじゃないか」


 義男が悪びれずに言った。


「リハーサルにも出てこないで、うちらの曲はぜんぶ暗譜してるだと。大きな口を叩くなよな。練習不足もいいところじゃないか」


 華が激しく反抗した。


「たいしたミスじゃない。マイクスタンドを倒して演奏を止めなければ、客の誰も気づかなかったよ。こいつらは素人なんだからさ」


「自分の失敗をたなに上げて、ふざけたこと言うなよな」


「おい、へたくそ」客席から声があがった。


「前に弾いていたぼうやはどうした? あいつのほうがよっぽどうまいぞ」


 義男に対する非難がホールに広がっていく。


「桜木航平さんなら、そこにいますよ」


 バーカウンターの前から葉山が教えた。


 航平はその場の視線が集中するのを感じた。ビーフシチューの乗ったプレートを持ったまま、テーブルに給仕するのも忘れていた。


「男と女のラブゲームのぼうやじゃないか」と声がかかる。きっと前回のライブを聴いた客だろう。


 航平に気づいた客が増える。「待ってました」「また華ちゃんとからんでよ」とあちこちから声と拍手があがる。


 義男には「ひっこめ」「へたくそ」と野次がとんだ。


 義男が鍵盤に両手を叩きつけ、不協和音がした。さらにはキーボードを力まかせに倒した。


 義男は真青な顔で、目を血走らせ、大量の汗をふきださせている。


「こんなやつらに、おれの音楽のなにがわかるんだ」


 義男が声を荒げ、客席のあいだを突っ切って来る。


 航平はわきによけた。


 すれ違いざま、義男が憎悪の目を向ける。背中を丸め、ポケットに手を突っ込んで、義男はホールを足早に出て行った。



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