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ふつうの人  作者: 佐久間ユウ
第1部 上京
7/30

7 義男と人相の悪い連れ

「――誰か、警察を呼んでください」


 航平は助けを求めようとした。


 すると、すぐに若頭が一歩前に出た。その左右から組員が迫り、航平は3人に囲まれた。そうして通行人の視線をさえぎっている。


「利用料を払っていただけますね」


 若頭が、細長い指を3本立てた。


「3万円でしたら」航平は財布をさぐった。


「バカ野郎。30万だ」太った組員が声を荒げた。


 航平は喉がからからに乾き、言葉が出てこない。


 上京するさいの貯金が60万円ほどある。しかし、それはこれからの暮らしに必要な資金だ。彼らに利用料を払えば解放してくれる保証だってない。若頭の表情から、その考えが読みとれないだけに、いっそう不気味だった。


「払うのか払わないのか、どうなんだ」


 背の高いほうが、楽器スタンドを蹴飛ばした。


「やめろ」航平はとっさにキーボードにおおいかぶさる。


 相手をにらみつけ、


「このキーボードは、ぼくの命より大切なものなんだ。乱暴なまねは許さない」


 反射的に口走っていた。


 若い組員が航平を見下ろして、にやにや笑う。彼らに動じた様子はなかった。


「本当に命より大切なんですね」


 若頭が、眼鏡の奥の目を細める。身体の陰には、ジャックナイフが握られていた。その刃を、慣れた動作ではねあげる。航平は、つばをのみこんだ。


「ナイフなんて振りまわさないで……」太った組員の手に、口をふさがれた。航平の目はナイフに釘付けになる。


 刃物を見せられ、すぐに連想したのは指つめだった。小指が1本でもなくなれば、いままでのような演奏はできなくなる。恐怖のあまり、航平の心臓はいまにも破裂しそうだ。


「おまえたち、そこでなにをやっている」


 厳しい声がかかり、航平の囲みがとかれた。2人の制服巡査が駆けてくる。


 航平は全身の力が抜けた。鍵盤に両手をのせたまま、その場にへたりこんだ。あれほど避けたかった警官が、いまでは大きな望みとなった。


「ショバ代を脅しとろうとしていたんだ」


 華がうったえる。いつのまにか近くに来ていた。


「とんでもありません。誤解ですよ」


 若頭が2人の巡査に向き直った。巡査の1人は年配で、もう1人はまだ若い。


「どう誤解なんだ?」年かさのほうが訊いた。


「わたしは彼らの路上ライブに感心して、心づもりを渡そうとしていただけです」


 いつのまにかジャックナイフが消え、若頭の手には札入れがあった。


「30万円だって、すごんでいただろ」華が指摘した。


「ずいぶん高額な心づもりだな」


 年かさの巡査が皮肉っぽく言った。


「おやじギャグですよ」若頭が落ち着いて応じる。「縁日の屋台なんかでおつりの三百円を三百万円だって返す店主がいるでしょう。あれと同じですよ」


 そう言って、札入れから千円札を3枚抜き出す。


「がんばってくださいね」そのお札を鍵盤の上に放ると、「お騒がせしました。お勤めご苦労さまです」


 組員をうながして、なにごともなかったように立ち去った。


 巡査が彼らを追いかけたり、追及したりする気配はない。ことを荒立てずに手打ちが成立したのだろう。


 航平は安堵したが、動悸はまだおさまらなかった。


「やった。うちらの報酬だ。よかったな、航平」


 華がそばにしゃがんだ。もらった3千円を素直に喜んでいる。


 航平は立ち上がって巡査に礼を言った。


「本来は路上ライブだって禁止だ」と年かさの巡査。「――まあ、怖い思いをしたことだし、これで楽器を片付けて帰るなら、きょうのところは大目にみよう」


「それは残念だなあ。素晴らしいライブだったのに」


 警官の背後に、30才くらいのひ弱そうな男がいた。


 年かさの巡査によると、「暴力団らしき男たちに脅されている」と彼に呼び止められたらしい。


 その男がぺこりと会釈した。


「こんご路上ではライブをしないように」と注意し、2人の巡査は巡回に戻った。


 警官を呼んだ男は、葉山信吾と名のった。黒い縁の眼鏡に濃紺のスーツ姿だ。漂白したように白い肌で、左右に分けた髪の生えぎわが薄くなっている。


「おふたりのライブには本当に感動したなあ。ぼくは勤務中だったんですけど、思わず足を止めて、仕事も忘れて聴きいってしまいました」


「ジャズバーのほうもよろしく」


 華が、さっとフライヤーを差し出した。


 それはバンドのライブスケジュールやホームページのURL、ツイッターのメンバーアカウントなどが印刷された手配りチラシだ。


 葉山が受け取ったチラシに目を通し、


「バーヘロンなら知っていますよ。おふたりのかけあいを始めて聴かせていただいたのが、まさにそのジャズバーだったんです。アドリブ演奏で悪質な客を撃退したとき、ぼくもその場にいたんです。あのときは痛快だったなあ」


 と葉山が握手を求めてきた。


 あのステージを見てくれていたんだ、と航平は感激した。


 葉山の手を両手で握る。すると華も出しゃばり、航平たちの手を握ってきた。「これからもよろしく」と威勢よく上下に振る。


 葉山は薬科大学を卒業して、いまは薬剤関係の企業に勤めているという。仕事中に足を止めたと言っていたから、営業の途中だったのだろう。大学では軽音楽部に所属していて、ミュージシャンを目指した時期もあったそうだ。


「ではバーヘロンでまたお会いしましょう。応援しています」


 葉山は口早に言い、いそいそと立ち去った。


 赤く染まった空を渡って、寒風が吹き抜ける。故郷の岐阜高山では紅葉が見ごろになっているだろう。


 航平は楽器を背負い、台車を引いて新宿駅に向かっていた。


 その横を、ドレスの上に灰色のファーコートをはおった華が歩く。受け取った3千円でラーメンをつまみに乾杯しよう、と提案してきた。


「それにしてもさ、ちょっとは航平を見直したよ」


「ぼくを?」


 やくざに脅されて腰抜けのようだったのに、と不思議に思った。


「このキーボードは、ぼくの命より大切なものなんだ。乱暴なまねは許さない、ってね」


 華が、航平の口調をまねた。


「つい、言葉が飛び出していたんだ。そばで見ていたんだね」


「当たり前だろ。航平を1人残して、あたしだけ逃げるわけないじゃん」


 そういう華に悪びれた様子はない。


 よく言うよ、と航平は白けてしまった。


 やくざ、といえば、路上ライブ中に目に止まった義男の連れが気にかかった。柄の悪そうな男で、暴力団関係者だったように思われてきた。


「演奏をしていたとき、義男さんらしき男を見かけた」


 航平は、そう水を向けてみた。


「めずらしいな。あいつはもう何年もストリートはやっていないはずなんだ」


「楽器は持っていなかったから、路上ライブじゃないよ」


 航平は、義男の連れの人相を話した。


「あいつ、そのすじの連中とつきあいがあるみたいなんだよね。人相が悪いと言えば、バーヘロンにたまに来る、スキンヘッドのおっさんもそうだな。音楽関係者かと思っていたけど、あんがい暴力団関係者だったりして」


 華が脅すように言う。


 航平が見たのは、若い男で頭髪も豊富にあった。同じ人物ではないだろう。義男は複数の暴力団員と交流があるのだろうか。航平は胸騒ぎを覚えた。


「心配するなって。あいつがどうにかなったって、うちらのバンドには航平がいる。あたしは義男より航平のほうが好きなんだ」


 華が片目をつぶってみせた。


 華の信頼はうれしい。しかし、航平の心配は別種のものだ。それは若頭に心理的な圧力をかけられて感じたような、得体の知れない恐怖だった。義男と暴力団との関係がはっきりしないぶん、想像はふくらみ、不安はつのる一方だ。


 駅の近くのラーメン屋で、2人は夕食をとった。


「ウォークインジグザグの前身は、高校の軽音楽部で結成したバンドなんだ」

 華がラーメンを食べながら語りだした。


 ベースのウッディやドラムのドラ猫は、華の先輩だと以前に聞いていた。いまでも華に振りまわされる2人を見ると、高校時代の彼らが想像できた。


 軽音楽部では、華がピアノを弾いていたと知り、航平は驚いた。


 3人でバンドを組んでしばらくは、華が歌いながら演奏していたという。そのうち華がボーカルに専念したいと言いだし、ネットでキーボード奏者を募集した。それに応募してきたのが義男だったらしい。


 以来、4年間、そのバンド編成で活動してきたそうだ。


 鷺下は、華の小学校の音楽教師だったという。教師を辞めてバー経営を始めた経緯は語りたがらない。華がバンド活動をしていると知り、鷺下のほうから、バーヘロンでプレイしないかと声をかけてきたという。


 夕食のあと、華とは新宿駅でそれぞれの路線に別れた。


 航平はホームに降りながら、ウォークインジグザグに参加したいという望みが、ますます高まるのを感じた。



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