7 鷺下の店〈バー・ヘロン〉の事情
見合い相手だった岩井好美が玄関の前に立っていた。
あの――おずおずと好美が話しだす。
「マウンテンファームのイベントのときは慌ただしくて話せなかったけど、今月から東京で一人暮らしを始めたの。それで航平くんにあいさつをしようと思って」
マウンテンファームのイベント――。航平はハッとした。
ステージで倒れた舞に、航平は近づいた。このときステージの下から好美に呼びかけられ、なにか言おうとしていたのを、航平は振りきった。来月の上京が決まったと、それを航平に伝えたかったのだろう。
〈バー・ヘロン〉の所在は、バンドのホームページにのっている。それを見て店をおとずれた好美が、鷺下から航平の住所をきき、こうして自宅マンションにあらわれたんだ。好美の用件は、上京のあいさつだけではないはずだ。
「好美との見合いのあと、だまって家を出てしまい、本当にごめん。東京で自分の音楽を試したかったんだ。あの縁談は親が勝手に決めたもので……」
「いいの。わたしは航平くんが成功するのをずっと待ちつづけているから」
好美がじっと見すえてくる。その瞳には、マウンテンファームのイベント会場で見せた挑戦的な色があるように、航平には感じられた。
「なんだ。航平のファンでもあらわれたか」
ビール缶を手にしたパジャマの華が玄関に顔をのぞかせた。
好美の表情がかたくなる。
「ごめんなさい。やっぱりこんな時間に迷惑でしたよね」
好美が早口で言い、ドアが閉められた。
航平はスニーカーをつっかけると、廊下に飛びだした。
「待って。話したいことがあるんだ」
好美がエレベーターホールに足を速める。必要もなく急ぐ姿に、彼女をまた傷つけてしまったと航平はあせった。きちんと自分の気持ちを伝えないといけない。航平は急ごうとするが、かかとを踏んだままで走りづらい。
ちょうどエレベーターのドアが開き、住人が降りてきた。
「好美」航平は呼びかけた。
ふりかえった好美がすぐに顔をそむけ、階段をおりだした。2階からマンションを出るには階段を使ったほうが早い。航平はスニーカーを履きなおした。
エントランスを出て、道路の左右に視線をくばる。
十字路に向かって歩く好美のうしろ姿があった。しずみかけた太陽が、千切れ雲を赤く染めあげ、好美の影を長く引きのばしている。
「ぼくの話を聞いてくれないか」
好美に追いついた航平は、彼女の肩に手をかけた。
「奥村華さんよね」好美がふりむいた。「さっき玄関に顔をのぞかせたのは?」
航平はその質問には答えず、
「見合いの返事もしないで上京したのは、本当に申し訳なかったと思っている。もともと結婚して実家の牧場を継ぐつもりはなかった。好美が好きだとか嫌いだとかという理由で、見合いをすっぽかしたわけじゃない」
「MTVで歌っている奥村華さんを見たわ。ホルスタインのいまのボーカルより、はるかに歌唱力がある。そんな華さんとくらべたら、わたしの『ドレミの歌』なんて歌と言えるものじゃないから」
――あっ。と航平は思いあたった。
好美の声域が極端にせまいのを口実に、見合いをことわるよう両親に頼んでいた。航平が故郷を去ったあと、その話が好美の耳にとどいたのだろう。
「華さんみたいに歌の上手な人が、航平くんは好きなのよ」
好美が反発して続けた。
「そうじゃない」航平は反射的に否定していた。
「違わないわ。実際に華さんと付き合っているんでしょう」
「それは……」そのとおりだ。好美が音痴だから見合いから逃げ出したんじゃないと説明したところで、華と同棲している事実に変わりはない。
言葉をとぎらせたのが、航平の答えになっていた。
「わたしの上京を家族が許してくれたのは、航平くんが東京にいて安心だからなのよ。いまさら実家には帰れない。これからわたし、どうしたらいいの」
好美が感情をあらわにした。
「そんなこと言われたって困るよ。故郷では、音楽で成功したら好美を迎えるって、ぼくが約束したことになっているそうだね。小野寺さんから聞いたよ。そんな嘘をついたのは好美じゃないか」
航平はそう言いかえした。
「わたしは航平くんが迎えに来てくれると信じたのよ。そう信じるしかないじゃない。だから、ホルスタインのミュージックビデオを見つけると、おじに相談して、高山山麓乳業に話をもちかけてもらった。それがきっかけでCMタイアップがつき、アルバムが売れ、テレビ出演してブレイクしたんじゃない。いまの航平くんがあるのは、わたしのおかげなのよ」
「勝手なことを言うな」航平は声をあげていた。「ぼくがメジャーデビューするまでに東京でなにがあったか、好美は知りもしないじゃないか」
上京してからの様ざまな出来事が、航平の頭によみがえる。
「確かに」と航平は続ける。「好美はCMタイアップのきっかけをつくった。けれど、そこにいたるまでには、バンドメンバーや、音楽関係者や、ぼくらの楽曲を気に入ってくれたファンなど、多くの協力者や支持者がいてくれた。そうして成長したバンドに実力があったから、目を止めたスポンサーがタイアップを決めたんじゃないか。好美がなんでもかんでもやったみたいに言うな。好美の助けなんて、ぼくには必要なかったんだ」
好美が瞳をふせて唇をかんだ。
航平は言い過ぎたと後悔した。好美の口利きがなくても独力でブレイクできたと信じたい。それでも、好美には感謝すべきだろう。そうする考えでいたのに、気づくと、真反対のことを口走っていた。
「わたしのおかげだなんて、言うつもりじゃなかった」
好美の頬を涙がつたう。航平は顔をそむけた。
好美が小野寺に話をもちかけたのは、航平の力になりたい好意からだろう。口利きの話は口止めされていたと小野寺が言っていた。恩を売るねらいはなかったはずだ。
「さようなら」好美が歩きだした。
こんどは、航平は呼びかけなかった。好美を引き止めて自分の失言を謝罪しても、こわれた関係は変わらない。見合いの席で、はっきりことわらなかった航平の責任だ。これ以上、彼女を傷つけるわけにはいかない。
航平の足もとに長くののびてきた好美の影が、十字路をおれて消えた。
ポケットで携帯電話が鳴った。
華からだ。ずいぶんタイミングがいいな、とマンションをふりあおいだ。2階のベランダに、携帯を耳にあてた華の姿があった。くわしい話は部屋に戻ってからと通話を終えた。
そのとき、メールの受信に気づいた。開くと小野寺からだ。
『今月から好美が東京で暮らしはじめる。姪をよろしく頼む。航平くんに挨拶をしにおとずれるかもしれないから、そのときはびっくりしないでくれ』
おどろくどころじゃないよ。航平は携帯をしまった。
部屋に戻った航平は、好美が上京した事情を伝えた。
「航平の見合い相手と顔を合わせちゃったんだ。なんか、気の毒なことをしたな」
華は柄にもなく悪びれていた。
「しかたないよ。もともと好美と見合いのあと交際を続けるつもりはなかったから」
「飲むか?」飲みかけの缶ビールを華が差し出した。
「新しいのを取ってくる」航平はひさしぶりに酔いたい気分だった。
「めずらしいな」華の声を背に、航平は冷蔵庫に缶ビールを取りにいく。華の隣に戻ると、一息にぐいっとあおった。
「好美さん、よさそうな娘じゃないか。なんで、見合いから逃げだしたんだ? 好美さんだったら、牧場のいい奥さんになりそうだよ」
「家業を継ぐ意志はないし、ぼくには女性のことはよくわからないから」
「よりによって、あたしみたいなじゃじゃ馬をどうして選んだ?」
航平はビール缶に目をやり、ちびりちびりと飲む。
「ぼくはO型なんだ。どの血液型の人とも相性がいいって言うから、きっと、どんな女性でも受け入れられるんじゃないかな」
「血液型の性格判断なんか、信用しているのかよ」
「少しはね」ビール缶に口をつける。
「実はあたしもO型なんだ」
「えっ。それじゃあ、血液型はあてにならないね」
「なんだよ、それ」と華と言いあいになった。航平は自然に笑みがこぼれのを感じた。華の屈託のなさは、気持ちをほっとさせてくれる。だから、きっと華といたいと望んだんだろう。
今年は空梅雨で、気象庁は7月中旬に迷わず梅雨明けを宣言した。それから、連日、真夏を思わせる陽射しがふりそそいだ。
10月10日には、ホルスタインの単独コンサートが決まっていた。9月にフルアルバムを発売する予定で、そのなかの曲をメインに演奏する。先行シングルの売り上げやダウンロードも好調だった。
その日、航平たちバンドのメンバーは、SKIミュージックの会議室で、コンサートの準備の進捗状況を坂井から聞いた。2000人規模のK市民ホールがすでに押さえられ、各種メディアを通じたプロモーションが進行している。チケットの予約は順調に増えつづけ、いまにもソールドアウトするいきおいだという。
「宣伝に費用をかけられるのも、高山山麓さんの協賛金のおかげです」
坂井が浅黒い顔の目もとをほころばせた。
高山山麓乳業の協賛がついたのは、もとはといえば好美の紹介による。華との同棲を彼女に見られ、協賛の話まで立ち消えになるのでは、と気にならないではなかった。だから坂井の話に、航平はほっとした。
好美がそんな嫌がらせをするとは思えないし、たとえ小野寺に働きかけても、すでにビジネス関係が成立しているんだ。
「このコンサートが成功すればホルスタインの人気は決定的となるでしょう」
坂井が声に力をこめて続けている。
いまはコンサートに向けて集中しよう。好美とのいざこざは忘れ、いったん気持ちを切りかかよう。そう航平は自分に言いきかせた。
会議のあと、バンドメンバーはそのままスタジオに向かい、アルバムのレコーディングを行なった。航平は演奏に集中した。メンバーのプレイはよく走り、舞の歌声ものっていた。大きなイベントをひかえて気持ちが高揚しているのだろう。いきおい航平の調子もあがった。いっきに録りおえようと演奏を続け、オーケーが出たときには午後4時を過ぎていた。
今日は5時から仕事だ。航平はスタジオを飛び出し、〈バー・ヘロン〉に急ぐ。最寄り駅を降りると、5時7分だった。完全に遅刻だ。
鷺下に会ったら、コンサートの先行きがいいと報告しよう。その決定を知らせたときには、「よかったな」と気のない返事だった。疲れた表情をしていて、忙しかったのだろう。ライブの成功を一番喜んでもらいたいのは鷺下だ。
航平は小走りで店に向かった。
〈バー・ヘロン〉に下りる階段に面した路上に、人だかりがしていた。ひとかたまりになった従業員が、困惑した表情で話しあっている。そのなかに黒いスーツの見慣れない男がまじっていた。興味をおぼえた通行人が、足を止めている。
航平は嫌な予感におそわれた。
店の看板のそばにフロア主任の顔をみつけた。人混みをかきわけて主任に歩みよろうとした航平は、黒いスーツの男に止められた。
「だめです。関係者以外は立ち入らないでください」
「ぼくはこの店の従業員です。あなたは誰で、いったいなにがあったんですか」
「わたしは債権の回収を依頼された者です」
債権回収人――。航平はおどろきのあまり言葉をうしなった。
フロア主任によると、鷺下が店の債務をのこして失踪したらしい。
「鷺下さんに電話はつながらない。自宅マンションはすでに売却されていたよ」
主任にとっても不意打ちだったらしい。店の経営がうまくいっていなかったのは承知していた。その立てなおしに多額の借金をし、せっぱ詰まった状態になっていたとは思いもよらなかったという。
『うちを辞めて音楽だけでやってみないか。航平の実力だったら、バンドだけで充分に食っていける』以前、鷺下がそう勧めていた。
そのときから鷺下はこの事態を予測していたのだと航平は思いあたった。
さかのぼればメジャーデビューが決まった記念パーティで、今後はバンドから離れて店の経営に専念すると鷺下が話していた。あのころから経営はかたむき、立てなおしをはかっていた。航平たち看板バンドがいなくなり、店は立ち行かなくなり、ついに〈バー・ヘロン〉は破たんしたのだ。
「金になりそうなものは少ないな。店舗はこのビルのテナントだしなあ」
階段を上がってきた債権回収業者がぼやいた。
「閉店だろうな」主任が告げる。「くわしい事情がわかったら連絡するから、今日のところは帰れ。それまでは来なくていい」
店から回収できる財産を、業者が見積もるのをながめていてもしかたない。航平はフロア主任にあいさつして、その場をあとにした。
経営破たんのおどろきからさめると、鷺下の行動が水くさく感じられた。経営が思わしくないなら、相談して欲しかった。メジャーデビューしてこれからの航平たちに、心配をかけたくなかったのかもしれない。
バンドのプロモーションが始まり、急激に忙しくなったのは確かだ。それでも、ずっと音楽活動を続けてきた仲間じゃないか。なにも言わず逃げ出すなんてあんまりだ。鷺下にそう言いたい。その相手の居場所はわからないのだ。航平たちに合わせる顔がなかったのかもしれない。
「じゃあ鷺下さん、夜逃げしたんだ」
仕事から早く帰宅した理由を話すと、華はわりとあっさりこたえた。すでにふろに入り、缶ビールを片手にテレビの前でくつろいでいた。
「あんまりおどろいてないね。〈バー・ヘロン〉の閉店を予想していたみたいだ」
航平は身をなげだすようにベッドに腰かけた。
「そんなの予想できっこないって。逃げ出すところが鷺下さんらしいなと思ってさ。鷺下さんが音楽教師を辞めた理由は、まだ話してなかったよな」
「華が中学生のころの話なんでしょ」
「くわしい事情はあたしも知らなかった。あとで人づてに聞いたんだ。音楽の教科書に採用する曲について、出版社と作曲家との橋渡しをしたらしい」
「らしい?」航平は問いかえした。
「内部告発があったそうなんだけど、出版社の担当者もその作曲家も否定している。鷺下さんの口座から、出どころ不明の金が見つかった」
「それは自分の楽曲を教科書にのせる見返りに、その作曲家が用意した金で、鷺下さんを介して出版社の担当者に渡すつもりだったのかな」
航平は自分の想像を話してみた。
「結局、わからなかった。橋渡しをしたらしい鷺さんが、その不明金をもって逃げちゃったんだ。だから辞めたんじゃなく、そのまま解雇されたんだけどね。つぎに会ったときは〈バー・ヘロン〉の経営者になっていた。せっぱ詰まると逃げ出すところが鷺下さんらしいなって。それでさっきあんな言い方をしたんだ」
出版社の担当者と作曲家は否認を続け、不正の証拠は見つからなかった。鷺下が手に入れた金が、自分のものだと名乗り出る人物もいなかった。その作曲家の曲は教科書に採用されず、証拠不十分で不起訴になったという。
航平はため息をつき、缶ビールを取りに立った。
「あれ、どうしたんだ。最近、飲むようになったじゃないか」
そりゃあ、飲みたくもなるよ。航平はぼやきたい気分だ。
数日後、航平と華は、鷺下の店のあったビルをおとずれた。
〈バー・ヘロン〉の看板は外され、店に下りる階段の底が薄闇にしずんでいた。雑居ビルの外壁にテナント募集の張り紙がしてある。もとフロア主任から、閉店を知らせる電話を受けた翌日の訪問だ。
鷺下は、上京した航平をひろいあげ、バンドのサポートに使ってくれた。メジャーデビューしてからも、なにかと世話になった。そんな恩人がついに航平の前から完全に姿を消してしまった。
華も感慨ぶかそうに、店の看板のあとを見あげていた。航平は、華の肩に手をまわしてうながすと、2人の思い出の場所をあとにした。
ホルスタインの宣伝活動は精力的に続けられている。
ライブで演奏し、テレビやラジオに出演し、雑誌から取材をうけ、レコード店のイベントに参加した。SKIミュージックの宣伝部も、各種メディアを通じて大々的にプロモーションを行なっている。
チケットは公演日の2か月前に完売した。この調子なら来年は全国ツアーができそうだと、坂井は期待しているようだ。
コンサートの準備も順調に進んでいると坂井は話していた。
ライブハウスの出演交渉はSKIミュージックが行なっていたが、2000人規模のライブとなると、コンサートプロデュース会社の制作支援が必要だ。
坂井はホルスタインのDVDを手に、業務を委託する会社を探して足しげく交渉を続けていたらしい。そのうちの一社、ミューズクリエートがホルスタインに興味をもち、コンサートの開催を引き受けてくれた。
ミューズクリエートの担当者が注目したのは、航平のキーボード演奏だったという。坂井が持参したDVDには、スリーマンライブをしたときの映像が収録されていた。そのとりをつとめたホルスタインはアンコールにこたえ、航平がソロ演奏をし、それが評判を呼んでいた。
ボーカルに胸の大きい舞を起用し、男性ファンの獲得をねらった坂井だが、ライブ会場をおとずれる客の大半は20代の女性だった。ミューズクリエートは、女性層をねらったビジネスチャンスを見込んだようだ。
坂井が持ち込んだ企画をもとに予算を決め、ミューズクリエート主導でコンサートの具体的な準備が進められた。
高山山麓乳業はヨーグルトの新商品を発売したばかりで、その宣伝をコンサート会場で行なう。コンサートの開演前にステージスクリーンに新商品のCMが映され、会場のロビーでヨーグルトの販売をする。そのCMでも、ホルスタインの新曲は高山山麓のタイアップを得ていた。
コンサート運営で、航平やバンドメンバーがかかわれる余地はあまりなかった。リハーサルをしっかり行ない、当日、最高のパフォーマンスをするだけだ。
8月に入った。鷺下の行方はようとして知れなかった。
フルアルバムの録音が終わり、できあがった音源のマスターリングが始まっていた。最終調整を終え、航平がスタジオを出たのは午後6時過ぎだった。
音楽プロダクションから、まだ明るい戸外に踏みだしたとたん、むんとした熱気に包まれた。バンドの仲間と坂を下って駅に向かう。眼下に広がる街並みを、しずみゆく太陽がオレンジ色ににじませていた。
マンションの部屋では、テレビの前に陣取った華が飲みはじめていた。週末はクラブで歌い、それ以外の日は就活をしていると本人は言うが、航平はうたがっていた。いまやどちらが居候だか、わからなくなっていた。
「お帰り。アルバムの制作は進んでいるか」
華が手にしたビール缶を上げてきいた。
「マスターリングはひとまず終わった。いいアルバムになりそうだよ」
冷蔵庫から缶ビールを取り出し、航平は一口飲んだ。のどを伝わる刺激が心地いい。アルコールを飲むようになった自分がおどろきだった。華の影響だろう。華の飲酒量が増えているようで、それが少し気にかかった。
「ホルスタインの人気が高まっているみたいだな。コンサートの成功もほぼ間違いなしってところだ。大ブレイクじゃないか」
「これからだよ。バンドをビッグネームにする、そう華と約束したからね」
航平は華の隣に座った。テレビではお笑い番組が放送されていた。
「女の子のファンがいっぱいついただろ。地元では牝牛のファンしかいなかったのにな。ライブのファンのなかに、岩井好美さんはいたか」
「好美のことはもういい」航平は、一息にビールをあおった。
「ネットの評判も高まっているかもな。なにが話題になっているか。『ホルスタイン』『航平』で検索してみるか」
華がスマートフォンの画面を操作しだした。
前に検索したときには航平の羽目をはずした演奏のツイートが拡散していたっけ――そう思いかえしながらテレビのお笑い番組に目をやった。
「ツイッターが大変なことになっている。これを見てみろよ」
華が差しだしたスマートフォンの画面に、航平は目を見開いた。
『もとバンドボーカリストと同棲発覚!』『ホルスタインの桜木航平は、地元の婚約者を捨てて夜逃げしたんだって』『ビッグアーティストになったら迎えにいく約束をやぶったらしい』
検索リストには、そんな話題があふれかえっていた。
航平は、さっと血の気が引くのを感じた。大もとの発信者は岩井好美だろうか? それを突き止めたところで、広がった情報はどうしょうもない。果てしなくネットに拡散していくだろう。
その噂は事実ばかりではないが、ネットで評判になっているのが問題だ。坂井プロデューサーは激怒するだろう。CMスポンサーの高山山麓乳業は、この噂をどう受け止めるだろうか。航平の胸に不安がわきあがった。
続




