3 坂井プロデューサーの最終決定
「胸がぺっちゃんこじゃん。これじゃあ、ホルスタインじゃなくスペアリブだ」
ひやかした長髪の男の顔に、華がペットボトルの水をぶっかけた。インストアライブの会場に、おどろきの声と悲鳴があがった。
「こっちだって好きでホルスタインを名乗ってんじゃない」
華が、空のペットボトルをフロアに叩きつけた。
「これは詐欺じゃないか」長髪の男が顔をまっ赤にしてどなった。「おれがあんたらのアルバムを買ったのは、CMに出ていたお姉ちゃんが、売り場のポスターに映っていたからなんだぞ」
「そんなの知るかよ。CMの苦情ならスポンサーに言えよな」
相手に向かって行こうとする華を、航平は背後から止めた。
「だめだよ、華。落ち着くんだ」
「放せよ。航平はどっちの味方なんだ? あの生意気な客の長髪を根こそぎ引っこ抜いてやる。放せって言ってんだろ」
暴れ馬のように華が荒れた。航平はおさえつづける。駆けよった店員が加勢にはいる。わめきちらす華をバックヤードに引きずっていった。
閉めたスイングドアの外が騒がしく、それをなだめる司会者の声が聞こえる。航平は、ふきだした汗をぬぐった。華は息もあらく、怒りがおさまらないようだ。ドアの内側にいたマネージャーの細田が、青い顔でうろたえている。
航平は華をなだめにかかる。
「このままじゃインストアライブは台無しになるよ。今からステージに戻ってあやまれば、まだライブを続けられるかもしれない」
「やなこった。あの長髪のお目当てはうちらの曲じゃなく、巨乳なんだ。おおかたCMのお姉ちゃんと握手できるとでも思ってきたんだろ」
「それでも客は客だよ。うまくあしらえばよかったんだ」
「知るもんか。そんなの司会者の役目だ」
「司会者が客をあしらうより早く、華は水をぶっかけたじゃないか」
「なにをやっているんだ」
血相を変えた坂井が、バックヤードの奥の階段を駆けあがってきた。控え室にいた坂井に店員が事態を知らせたのだろう。
売り場側からスイングドアが開き、フロア主任が飛びこんできた。プロデューサーの坂井がいるのに気づいて、
「お客さんがレジにつめかけていますよ。サイン会の参加券はどうなるんだって、それを目的にCDを購入したお客さんが返品を求めているんです」
「ライブもサイン会も行ないます。そのむねをお客さんに伝えてください」
坂井の態度はていねいだが、その口調にはいらだちがあった。
「あたしは歌わない。サインもしない。返品を望む客には金を返せばいいんだ」
華が両腕を組んで、完全にへそを曲げている。
「勝手なことを言うなよ」航平は華につめよった。「このインストアライブを実現するのに、多くのスタッフが関わっている。去年の駅前のクリスマスツリーの前で、華はぼくに同じことを言っただろ。自分の力だけでコンサートが開催されるんじゃない。それを肝にめいじておけって」
「航平にそう言ったかもしれないけど、あたしはあたしだ」
「お客さんにあやまって、頭を下げるんだよ」
「冗談じゃないね。やなこった」華がむくれてそっぽを向いた。
スイングドアの手前で、フロア主任が困りはてている。マネージャーの細田はどうしたらいいかわからないようで、坂井の決断を待っている。
坂井が、いらだちをおさえた視線をフロア主任に向ける。
「店内放送でライブの中止を伝えてください。アルバムの返品は受けつけてもらってかまいません。その分の損失はうちが肩代わりします」
坂井は、もう謝罪だけでは収集つかないと判断したようだ。
フロア主任が売り場に出ていくと、坂井が、航平と華に向きなおった。
「ひとつ、はっきりさせておきたい。おれは新人の発掘から、アルバム制作、宣伝、販売、コンサートの企画までの全てを指揮する。だが、実際に曲を作り、歌い、演奏するのは、きみたちなんだよ。おれがどんなに努力したって、最後の最後でミュージシャンがその役目を果たさなかったら、なにもかもおしまいだ。おれはそんな人材と仕事はできない」
「だから、なんだってんだ?」
華がふてくされた態度でバックヤードの壁によりかかった。
「きみをホルスタインのボーカルから外させてもらう。これは最終決定だ」
坂井がつめたく言いはなち、控え室側の階段へ歩きだした。
「坂井さん。待ってください」
航平は追いかけようとして、自分がいくら説得しても無駄だと気づいた。
「華、坂井さんにあやまるんだ。バンドを続けられるようにお願いしよう。ぼくもいっしょに頭を下げる。そんなに意地をはるなよ」
華は答えず、ぷいっと顔をそむける。
「鷺下さんが抜けて、こんどは華が脱退したら、バンドはどうなるんだよ。ウォークインジグザグからホルスタインに名前が変わっても中身はいっしょだって、鷺下さん、そう言ってただろ。バンドから2人もいなくなったら……」
「ウォークインジグザグは消滅したんだ。あたしらがバンドを結成し、4年間、ライブ活動をしてきたバンドは、もうこの世に存在しないんだよ!」
華が声をあげ、両手で航平を突きはなした。
「あたしらのバンドは消滅したんだ」
こんどは力なくくりかえし、華が背中を向けた。
「ぼくは華とバンドを続けたい。華といっしょに音楽がしたいんだ」
航平はくいさがって引き止めた。
「だったら」華がふりむいた。「航平もホルスタインを脱退するか。坂井のプロデュースをことわり、あたしと新しいバンドを結成するかよ」
「それは……」航平は言葉につまった。
「音楽で成功するために東京に出てきたんだろ。あたしは、航平がビッグアーティストになるのを邪魔するつもりはないよ。じゃあな」
華がヒールの音を響かせて階段を降りていった。
航平はその場にとどまった。せっかくつかんだメジャーデビューのチャンスをふいにしてまで、華を追う覚悟ができなかった。
坂井は、航平のいるバンドのアルバムを制作販売してくれた。航平の楽曲を気に入り、CMに起用してくれた。バンドの宣伝をし、ライブツアーを敢行しようとしている。自分の才能だけでは音楽業界でやっていけない。プロデューサーとしての坂井の権限と人脈はどうしても必要だ。
その坂井とぶつかった華が、航平のもとを去ろうとしている。華とはずっと音楽を続けられると信じていた。華とのセッションは当たり前だと思っていた。そんな彼女との音楽活動を捨ててまで、坂井をとるべきだろうか。
航平はバックヤードの壁によりかかり、天井をあおいだ。
翌朝、バンドの今後について話しあおうと鷺下から電話が入った。航平はイベントでの騒動を鷺下に報告しなかったが、華から聞いたらしい。同じ日の午後5時、開店前の〈バー・ヘロン〉の楽屋にメンバーは集まった。
なかに入ると、鷺下が1人で待っていた。疲れた表情を見せ、「どうする?」と重い口調で航平に問いかけてきた。
「華が苛立っているのはわかっていました。ぼくがもっと注意すべきだったんです」
「自分にせいにするな。華とは中学校からのつきあいだ。あいつの性格はよくわかっている。いずれ誰かと衝突するんじゃないかと心配していた。よりによって坂井とか。で、プロデューサーは本気で華をくびにする態度だったか」
「最終決定だと念をおしていました。バンドのボーカルが抜けて、今後どうするつもりかはわかりませんが、おどしで通告したようには見えませんでした」
「そうか。華は昔から立ちまわりがへたくそだった。坂井に利用されているふりで、その権限を利用する器用さがないんだ」
どら猫とウッディが不安そうな表情で楽屋に入ってきた。最後に遅れた来た華はむすっとして、航平とは目を合わせようともしなかった。
「まずは」と鷺下が口をきる。「問題の張本人の華からだ。デビューアルバムの売り上げがのびはじめ、さらなる販促をかけたいところで、メインボーカルが抜ければ坂井だって困る。華がきちんとわびをいれ、バンドを続けさせて欲しいと願えば、坂井が考えを変える可能性もあるだろう」
どうだ? と華に視線を投げかけた。
「なんでも坂井の言いなりじゃないか。あいつが何様だっていうんだ?」
「音楽プロデューサーだろ。そもそも悪いのは華のほうじゃないか。客の挑発にのって水をぶっかけ、相手の長髪をむしろうとしたそうだな」
「客のやじはきっかけだった。そうなるまでに不満をためこんでいたんだ。バンド名を変えられ、牛をイメージした白黒の衣装を決められ、牛の着ぐるみのイベントをもちかけられた。本当は坂井の髪をむしりたかったけど、あいつの頭に毛はない。そんなとき、あの長髪があたしをスペアリブだなんて言いやがったんだ」
「スペアリブってなんだ?」
その質問に華は答えない。鷺下が航平に目つきでたずねた。
それは……と航平は、椅子にふんぞりかえる華の胸もとに視線をはしらせる。
「牛や豚、羊などのあばら骨周辺のばら肉で、骨付きのものを言います」
航平はあえて真っ正直に答えた。ここで、客のやじの意味を説明すれば、華の怒りをむしかえすだけだ。
華のうすい胸を、鷺下もちらりと見て理解したようだ。
「すんだことはいい。ここに集まってもらったのは、これからどうするかを話し合うためだ。ホルスタインはボーカルなしでは続けられない。華の脱退でバンドプロデュースの話まで立ち消えになったらどうする。そうなって困るのは華だけじゃないと、前にも言ったはずだぞ」
華は天井をにらみつけ、ふくれっ面をしている。
鷺下が難しい顔つきで、華の返答を待っている。どら猫は、ぱっちりした目をまたたいて落ち着かない。ウッディは巨体をこわばらせ、ものすごい速さで足をゆする。ときおり、どら猫とウッディが見交わしあっていた。
航平は椅子に身をかがめて考えこんだ。
坂井の言いなりになるのは、航平だっていい気はしない。それでも相手は売り込みのプロだ。販売戦略に関しては、やはり坂井の指示にしたがうべきだろう。航平の役目は作曲や演奏なのだから。
では、坂井の意見と、自分の音楽性がくい違った場合はどうだろう? 坂井の考えを受け入れられるだろうか。ゆずれない部分だってあるはずだ。けれど、自分の音楽に対するこだわりと、プロデューサーの思惑とのあいだで、うまく折りあいをつけられるのがプロじゃないか。
「……おれ、こんど4人目のガキができるんだ」
どら猫がつぶやいた。めでたい話にもかかわらず、どら猫は大きな目をふせて、恥じいった様子をしている。航平は、おめでとうと声をかけるのをためらった。その場の誰もが、お祝いを言いづらい雰囲気だった。
「いろいろ金がかかるから、バンドは続けていたいよね」どら猫が続けた。
「それはおれも同じだ」ウッディが同意する。「おれの代わりのスタジオミュージシャンならいくらでもいる。坂井さんが、おれをベーシストとして使ってくれるなら、せっかくのプロデュースの話をふいにしたくない」
「ぼくもだよ」航平も賛成だ。「華をふくめた、このメンバーで音楽を続けたいのは、ぼくもいっしょだ。華だって、それはわかってるだろ」
「どうだ?」と鷺下がメンバーを代表して華にせまった。
「わかったよ。みんなして責めるなって。あたしが頭を下げればいいんだろ。坂井が決定をくつがえすかどうかはわからないからな」
ようやく華がおれた。
「まずはあやまり、それでだめならそのときはそのときだ」と鷺下がまとめた。
さっそく明日、SKIミュージックに坂井をたずねようと決まった。事態の収拾につくしている坂井が、本社ビルでつかまるかどうかはわからない。まずは、ホルスタインのマネージャーの細田に鷺下が電話をかけた。明日の午前中なら、坂井は本社の制作部にいるという。
航平は鷺下と携帯電話を代わり、
「ホルスタインの今後についておききしたいんです。坂井さんがお忙しいのはわかっていますが、とても大切な話なので、5分でも会えるように取りはからってもらえないでしょうか。すみません。よろしくお願いします」
細田によると、坂井は外出していて携帯に電話してもつながるとは限らないらしい。坂井にメールをしておくので、明日、制作部でのミーティングが終わる午前11時に、事務所に来るよう言われた。
携帯電話を鷺下に返した航平は、ふうと大きな息をはいた。
華が謝罪のため同行するとは伝えず、彼女の名前すら出さないで話を進めた。ボーカルがいなければホルスタインは立ち立ちゆかない。坂井だってバンドの行くすえを気にかけているはずだ。きっと会ってくれるだろうと考えた。
「今夜はずっとあやまる練習をするんだな」
鷺下が華に冗談めかして言った。
「ちぇっ。わかったよ。土下座でもなんでもしてやるよ」
いつものいたずらっぽい笑みが華の顔にもどっていた。航平は、なお坂井がどうでるか不安だった。
翌日、航平は最寄り駅の改札を出て華を待った。約束の時間より30分早くSKIミュージックに着くように待ち合わせたが、華は30分遅れてきた。
「一晩中、頭を下げるリハーサルをしていて寝過ごしたんだ」
悪びれる様子もなく華が言いわけをした。
「誰のために苦労していると思ってるんだよ。しっかりあやまってくれよな」
航平は先にたって歩きだした。華が、眠いとぼやきながらついてくる。
交差点の信号が点滅しだし、航平は足を速める。「ちょっと待った」と靴紐がほどけた華が紐を結びなおす。SKIミュージックに続く坂道では、「おぶってくれ」と言いだし、航平は首を振る。本社ビルの駐車場では、「のどがかわいた」と華が自販機に向かう。
航平は華につきあって缶コーヒーを買った。2人で駐車場の金網フェンスによりかかり、プルタブを開けた。華がのどを鳴らしてコーヒーを飲む。
「うめえ。眠気覚ましにぴったりだ」
「本当はあやまりたくないんじゃないの」
航平は横目で華をうかがい、コーヒーを一口飲んだ。
「そんなわけないだろ。なんのために、夜通しそのリハーサルをしたんだよ」
「ならいいけどさ。飲みおわったらすぐ制作部に行こう」
時計を確認すると午前10時55分だ。
ミーティングの終わる午前11時の30分前から、会議室の外で待っているつもりだったが、華のせいで予定がくるった。航平は華をせかして自動ドアをぬけると、エレベーターを待たずに、階段で3階に上がった。
制作部の廊下では、会議室からスタッフが出てくるところだった。そこに坂井の姿はなかった。会議室のなかにも、坂井は残っていない。航平は、廊下にいるスタッフの1人に坂井の行方をたずねた。
「会議を途中から抜けて2階のスタジオに向かったよ」
――スタジオに? 航平はけげんに思った。
坂井になんの用事があるんだろう。華と待ちあわせたときから予定どおりに進んでいかない。これからどうなるかわからない不安と、早く坂井をつかまえたいあせりとが、航平の気持ちを揺さぶった。
スタジオをおとずれると、航平が来ていると坂井に伝えてもらった。レッスン中だからあと10分待つようにと、なかのスタッフに言われた。
しばらくして坂井がスタジオから出てきた。
航平の肩ごしに、華も同行しているのを見た坂井が眉をひそめた。坂井が口を開く前に話を切り出そうと、航平は担当プロデューサーのもとに進んだ。
そのときスタジオから、20歳前後のおさない顔立ちの娘が現われた。色白の顔に頬紅とルージュが映えている。黒髪を高い位置のツインテールにリボンで結び、白いTシャツに短パンで、大きな胸がシャツ突き上げている。
以前に事務所で見かけた覚えがある。牛の着ぐるみ姿でマネージャーにしかられていたアイドルじゃなかったか――。
「ホルスタインのこれからについてたずねたいそうだね」坂井から口をきった。「いい機会だから紹介しておこう。華さんに代わってバンドのリードボーカルをつとめる立花舞さんだ」
坂井が、スタジオから出てきた女性をうながした。
「航平さんの楽曲は聴かせていただきました。とても素敵な曲だと思いました。複雑なメロディを覚えるのは大変ですが、一生懸命に歌わせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
舞が大きく何度も腰を折り、そのたびに豊かな胸が揺れた。
「うちの主催する音楽スクールでずっとアイドルを目指していたんだよ。若く見せているが今年24歳になるんだ。アイドルをやらせるには年がいっているが、バンドボーカルなら、と急きょ決めた。インストアライブでの客のやじもあるし、彼女ならホルスタインのイメージに合うはずだ」
坂井が抜擢の理由を話した。
華のうすい胸に対して、『ホルスタインじゃなくスペアリブだ』と客がやじったのを、あのあとCD店の責任者から聞いたのだろう。
「ホルスタインのボーカルとしてがんばります」
また、お辞儀する舞のツインテールがはねあがる。顔を上げると、粒立ちのいい汗がいくつも額にふきだしていた。
だだっと廊下を走る音がした。エレベーターホールに向かって、華が立ちさっていた。
「華」と追いかけようとするのを、
「航平くん」と坂井が止めた。「舞さんはアイドルグループで合唱するならまだしも、リードボーカルとしての歌唱力はいまひとつなんですよ」
廊下に華の姿はない。航平は追いかけるのをあきらめ坂井に向きなおった。いまさら謝罪したところで、華がバンドに入る余地はなかった。
「航平くんには、キーボードで舞さんをサポートして、彼女の歌声にいろどりをそえてもらいたい。さっそくスタジオで声と鍵盤を合わせてみよう」
「……はい」航平は、華が気がかりで生返事になった。
航平はスタジオに入り、ピアノの前の講師と席を代わった。舞のボーカルでホルスタインの曲を演奏してみた。彼女の歌唱はいまふたつというところだった。
華と共演を楽しんだ楽曲だけに、どうしても2人をくらべてしまう。メロディの頭でピッチが外れる。高音部のファルセットが安定しない。息つぎのタイミングが悪い。決定的な問題というほどではないが、いちいち引っかかる。なにより華の行方が気になって、演奏に身がはいらなかった。
「最初はこんなところでしょう」
坂井はいいとも悪いとも言わず、30分ほどで演奏を終了させた。午後から取引先をまわる予定らしく、その時間に合わせて早めに切り上げたようだ。
坂井がスタジオを出ていくと、
「わたしの歌がまずいんでしょうか」舞が自信なさそうにきいた。
「いや、坂井さんはなにも言ってなかったよね。じゃあ、ぼくはこれで」
スタジオをあとにしながら、航平は自分の返答がそっけなかったと感じた。キーボード演奏に集中していなかったのを、舞は敏感に感じ取っていたのだろう。ボーカルについて舞と話しあうのは面倒だ。まずは華と連絡がとりたい。
事務所の駐車場で、航平は華の携帯に電話した。
「――華、どうして逃げだしたんだ? いま、どこにいる?」
電話がつながるや問いつめた。
「音楽業界とは関係ないところ。メジャーデビューを果たしたとき、あたしらが4年間続けてきたバンドは消滅していたんだ。だからって航平が気にする必要はないから。坂井のプロデュースする新しいバンドで自分の音楽を試せばいい」
「バンドは消滅したって、どら猫さんもウッディさんも残ってるじゃないか」
「あいつらも言ってただろ。おれたちの代わりのスタジオミュージシャンなら簡単に見つけられるって。2人ともそれをよくわかっているんだよ」
「華の代わりはいないよ。ぼくには華が必要なんだ」
「あたしは航平の邪魔はしたくないって言ったろ。ばいばい」
「華……」電話が切れた。
華と話しあったところで状況は何も変わらない。坂井とともにホルスタインを続けるか、それをけって、華と新しいバンドを作るか――。
航平は携帯電話を握ったまま空をあおいだ。
真昼の太陽が目をくらませる。めまぐるしく動くちぎれ雲のふちが白くかがやいている。体にまとわりつく生あたたかい風が、肌をじっとり湿らせた。
航平は、かけがえないものをうしなった気がしてしかたなかった。
続




