1 牧場でミュージックビデオを撮る
2014年の春から、バンド〈ウォークインジグザグ〉のメジャーデビューに向けたプロモーションが始まった。
音楽情報チャンネルに流すミュージックビデオの企画立案をする。そのビデオ撮影と同時進行で、デビューミニアルバムを準備する。レコーディングにはおよそ2か月があてられた。その間、各メディアに宣伝活動を展開し、無償の報道や、あわよくばテレビCM等のタイアップを期待したい。
桜木航平たちバンドのメンバーはとたんに忙しくなった。新曲を用意する時間はないので、以前にかいたウォークインジグザクの曲を活用する。それは奥村華が作詞し、鷺下純一が曲をつけ、バンドメンバーでアレンジしたものだ。航平も楽曲の作り込みに協力をおしまなかった。
2月に入り、プロデューサーの坂井啓司から連絡があった。ミュージックビデオの企画が決まり、その説明をするので、明日の午前10時にSKIミュージックの事務所まで来てくれという。
航平は、うす青い寒空の事務所ビルをおとずれた。事務所の駐車場には、すでに鷺下、どら猫、ウッディが待っていた。
鷺下が片手を上げた。鷺下はヤギひげを生やし、銀色の髪をオールバックにしている。どら猫はぱっちりした目で、ジャンパーの小太りの体をまるめている。ウッディは、がっちりとした体格のコート姿で、細い目がいつでも眠そうだ。
「よっ」うしろから声をかけられた。
華は茶のマフラーにあごをうずめ、首すじまでの髪があい変わらずぼさぼさだ。ベージュのトレンチコートのポケットに両手を突っこみ、赤茶のブーツでリズムをきざんでいる。
バンドのメンバーはあいさつを交わしあい、事務所ビルの自動ドアをくぐった。受付の女性にたずねると、坂井は4階の宣伝部のオフィスにいるという。指定された会議室に入ったとたん、
「未来からビッグスターのお出ましだ」
満面の笑みを浮かべた坂井が、航平たちを出むかえた。坂井はスキンヘッドに、室内でも白いニット帽をかぶり、浅黒い肌に笑いじわをきざんでいる。白い健康的な歯が印象的だ。
「ビッグスターだなんて、とんでもありません。お眼鏡にかなって光栄しだいです」
鷺下がすぐさま追従した。
「将来性のあるミュージシャンを見抜く力がなければ、プロデューサーなんてやってられませんよ。売れると見込めないバンドには声をかけません」
坂井は自信たっぷりだ。プロデューサーの坂井自身は作詞作曲をしない。新人の発掘からアルバムの制作、その宣伝までを総指揮している。
どうぞ、と坂井がメンバーに席をすすめた。
会議室の中央に長いテーブルが6台、ロの字型にくっつけられ、坂井をはじめ5名のスタッフが片側の席についている。テーブルの上には、ノートパソコン、音楽資料、雑誌、ポスターなどが雑然と散らばっている。端にプロジェクターが置かれ、正面の壁ぎわにはホワイトボードが立てられている。
航平は、スタッフの向かい側に座った。華がものめずらし気に室内を見まわしている。鷺下が愛想笑いをつくり、どら猫とウッディが緊張して椅子に縮こまる。航平は体がこわばり、胸の高まりが抑えられなかった。
「きみたちのデビューを早めます。デビューアルバムは4月に発売する予定ですが、その前にファーストシングルを、1か月前だおしでリリースします」
坂井の言葉に、航平はメンバーと顔を見合わせた。
前メンバーの義男の薬物事件は都合がよかったと坂井が続ける。
「あの事件がテレビ報道され、渦中のバンドについてもふれられた。きみたちがどんな音楽をやるのかとネットで話題になっている。予想どおりの大きなパブリシティがえられた。その効果がうすれないうちにデビューさせたい」
航平は少し落胆した。自分の音楽性が認められたからというより、やはり、宣伝効果を期待されていたんだ。これが現実というものかもしれない。
「もちろん、きみたちの音楽にも興味をもった。そうじゃなければ、〈バー・ヘロン〉でのライブに足しげくは通いませんよ」
航平の気持ちを察したのか、坂井がそうフォローしたうえで、
「プロデビューするからには、実力はあって当たり前ですよ。プロのなかでも、音楽性や技術の優劣はあるでしょう。一般のリスナーはそこまで判断しませんよ。ブレイクするかどうかは、きみたちの音楽をどれだけたくさんの人に伝えられるか、それが大事なんです。わたしはその点を最も重視しています」
うんうん、と鷺下がしたり顔でうなずいている。バンドのキーボーディストの座を賭けたライブ対決を企画し、〈バー・ヘロン〉開店以来の売り上げを達成したのを思い出しているのだろう。
「それで本題ですが、ミュージックビデオは牧場でロケを行ないます」
航平は、はっとした。
坂井と初めて面談したとき、航平は自分の生いたちや音楽歴をきかれた。実家の牛舎で牝牛を相手にオリジナル曲を演奏していた経歴も話した。
「航平くんの話を聞いて、面白い、これはいける、と直感した。きみは中性的な顔立ちで、いまどきの女性に受けそうだ。若い女性層の人気はバカにはできませんからね。こんどは牝牛ではなく、人間の女性をターゲットにしましょう」
坂井がMV台本を差し出した。
牛舎に楽器が並べられ、航平たちのバンドはそこで演奏する。最初はいぶかしげな態度の牝牛たちだが、しだいに音楽にのり、興奮していく。その映像を中心に、バンドのメンバーがそれぞれ農作業をするシーンが差し込まれる。
つぎに、ロケーションのサンプル映像がプロジェクターで流された。撮影は牧場で実際に行ない、牛舎はセットを組むそうだ。航平たちが演奏するシーンに、それを聴いて興奮する牝牛のカットを挿入するという。さらに撮影の日時などの細かい打ち合わせをして、その日の会議は終わった。
「そうだ。きみのオリジナル曲のデモテープを送ってくれないか」
立ち上がりかけた航平は、坂井のふいの要求におどろいた。
坂井が〈バー・ヘロン〉に通っていたのは、ウォークインジクザグの演奏を聴くためだと話していた。その楽曲のアレンジに航平も参加したが、曲そのものを書いたのは鷺下だった。
「ぼくの曲をですか」航平はけげんに思い、聞き返した。
「わたしはきみのオリジナル曲に興味がある。インストルメンタルではなく、歌入りのが欲しい。できが良ければシングルに起用するかもしれない」
航平は思わず、「はい」と快諾していた。
SKIミュージックのビルを出て、航平はメンバーと最寄り駅に向かった。ソングライティングに関する坂井の提案について考えていた。いまあるオリジナル曲をアレンジし、華に歌詞を書いてもらえばデモテープの作成は可能だが――。
おし黙って歩く鷺下の背中に、航平は目をやった。
「鷺さん」と華が気がるな調子で、「あのプロデューサー、航平の曲が聞きたいんだってさ。鷺さんのお株をうばわれたな」
義男からキーボーディストの座をうばい、こんどは鷺下の作曲者の地位をおびやかそうとしている。鷺下がそう考えているのではないかと思うと、航平は素直にはよろこべなくなった。
最寄り駅で、メンバーはそれぞれの路線に分かれた。航平は鷺下と同じホームに向かう。2人きりになると会話が途切れ、なんだか気まずくなった。
電車を待つあいだに鷺下が口を開く。
「おれのことだったら気にするな。航平は自分の目標に向かって進めばいい。おれはもともと音楽の表舞台に出る気はない。自分の才能は見限っている。おれの書く曲は穴だらけで、そこをみんながうめてくれるから成立しているんだ」
「いえ、お世話になりっぱなしで申しわけないです」
航平は頭を下げた。
「だから気にするなって。若い才能が大きく羽ばたいていくのを見るのが好きなんだ。いま思うと、音楽プロデューサーなんてのもやってみたかったな」
「いつまでもお世話になるのもなんですから、そろそろアパートを探そうかと考えています。それでも、〈バー・ヘロン〉での仕事は続けさせてください」
「航平が出て行くとさみしくなるなあ。おれとしてはどっちでもいいんだ。転居で先立つものが必要なら、少しぐらい給料の前貸しをしてやってもいいぞ」
「ありがとうございます」
ホームに電車が入ってきて、風圧が航平を押しやった。多くの乗客が降りてくる。航平は鷺下とともに電車に乗りこんだ。
ミュージックビデオの撮影は千葉県の農場で行なわれる。撮影当日は朝から晴れわたり、すきとおった空に千切れ雲が浮いていた。
午前9時に、航平はひとりマンションを出た。鷺下は店の仕込みがあるからと同行しなかった。「おれは演奏者としてステージに立つわけじゃないからな、がんばってこいよ」と笑顔で送りだしてくれた。
楽器は持参しなくていいと言われていた。今日は音楽ではなく、牧場の仕事をするという話だ。鷺下が来ない理由は、そこにあるのかもしれない。
音楽プロダクションの駐車場で、バンドのメンバーや撮影スタッフ、それにディレクターと合流した。プロデューサーの坂井は、プロモーションの根回しに出かけているそうだ。一行はロケバスで現場に向かい、車内で撮影の説明を受けた。
航平たちが、牧場の実際の作業を手伝い、その姿をカメラに収めるという。リアリティのある映像にしたいとディレクターは強調した。どら猫とウッディはうんざりした表情をしていた。
「航平は得意そうだな」隣の席から、華が話しかけてきた。
「実はそれほどでもないんだ」
実家の航平はあまり仕事を手伝わず、パソコンで作曲や、宅録ばかりしていた。たまに牧場に出てくれば、牛舎で演奏会を開いた。音源などの機材を買うため、こづかいが必要なときだけ働いていたのだ。
千葉の牧場についたのは正午過ぎで、酪農作業は一段落していた。放牧場では、ホルスタインの群れが寝そべり、のんびりくつろいでいる。ぷんと糞尿の匂いがして、航平は岐阜高山の実家を思い出した。
これから作業員の昼食が始まる。一行はいっしょの食卓についた。撮影は、農場の午後の作業から始めるという。航平は、しぼりたての牛乳をひさしぶりに味わった。東京で買うパック牛乳は高温で殺菌されていて、航平には匂いがきつい。
「わりとさっぱりしているんだな。しぼりたてはもっと濃いかと思った」
華が一口飲んで、意外そうな様子だ。
「これが牛乳本来の味だよ。市販の牛乳は130度の高温で数秒間、殺菌されている。一瞬、沸騰するから匂いや味がつくんだ。ホットミルクがそうだろ。牛乳そのものが濃厚なのは、ホルスタインじゃなくジャージー牛だよ」
航平は解説した。
「へえ。さすがは牧場のせがれだ」と華は感心したらしい。
ミュージックビデオの撮影は午後3時から始まった。バンドのメンバーは、そろいのつなぎの作業着に長靴で、搾乳場の前に集まった。すでにディレクターや撮影スタッフ、それに牧場の作業員もそろっていた。
まずは搾乳のシーンを撮るという。陽の高いうちに撮影を終わらせたいディレクターの要望で、いつもの手順より早い時間の作業となった。
放牧場から、飼育員にみちびかれた牝牛の列がやって来た。鳴き声があたりに充満する。搾乳場に4頭ずつ2列に並んだ牝牛の乳房はぱんぱんに張っていた。通常は、4つの乳房にミルカーがつけられ、自動的に搾乳される。ここは手搾りのカットを撮るとディレクターが指示を出した。
カメラが回りだした。まずは、手を消毒した華が牛に近づいた。振りまわされる尻尾をかいくぐり、牛の胸にかがみこむ。黒ずんだ乳頭を片手でつかんだ。
「あれ? こんなに張ってるのに、ぜんぜん出てこないな」
華がぼやきながら力まかせにしぼる。
「乳頭だけをしぼってもだめだよ」見かねた航平は、華と場所を代わった。「乳房との付け根を親指と人差し指ではさみ、他の指を軽くそえる。上から下に引っ張るようにするんだ。ほら、こんなふうに」
やって見せると、白い液体がバケツの中に放出された。慣れない華のときとは違い、面白いように牛乳が出てくる。
「へえ。うまいもんだな」と華が手をたたいた。
華が場所を代わると、こんどはうまく搾乳できた。作業員が拍手をし、「いいよ。続けて華ちゃん」とディレクターの声がかかった。
バンドのメンバーはそれぞれ一頭の牛にとりつき、乳搾りをした。航平はその作業をしながら、酪農より音楽がしたくて上京したのにと不思議な気持ちになった。
「カット」ディレクターの声に、航平は手を止めた。
いい絵が撮れたらしい。ここからはミルカーによる通常の搾乳となった。航平たちは、牛舎に移動するよう指示された。
牛たちは搾乳場に出ていて、牛舎のなかは空っぽだった。その真ん中の通路に立ち、航平は周囲を見まわした。牝牛に演奏を聴かせた思い出がよみがえった。
牛にバンド演奏を聴かせるシーンがMVのメインだ。それに酪農作業のカットが挿入される。しかし、牛のいる宿舎に楽器や機材を持ち込み、実際のライブを撮るわけではない。それは衛生上の問題でNGらしい。後日、牛舎のセットを組み、レコーディングされた音楽に合わせて当てぶりをするという。
だったら、どうして牛舎に集まったんだ、と航平は疑問に思った。
「これから清掃シーンを撮影する」とディレクターが説明した。
牛舎の清掃、寝床のたい肥の交換、糞の除去はもっとも苦手な仕事だった。航平は気落ちした。実家の牧場でも、よっぽど欲しい機材がなければ手伝わなかった。今では、それらの作業の機械化が進んでいる。ここでも手作業のカットが欲しいと、ディレクターのお達しだ。
牧場の清掃作業員から説明を受け、バンドのメンバー4人で清掃を開始した。牛舎の窓から、清掃員がのぞいている。そろいのつなぎを着たメンバー以外の作業員を、映すわけにはいかない。撮影が終われば、仕事を代わってくれるはずだ。航平は「カット」の声が待ちどおしかった。
清掃のあとは餌やりだ。干し草などを粉砕して混ぜた餌を、本来は機械でばら撒いていく。ここでも手作業の指示が出た。航平はスコップを手渡された。これで飼料を撒いていくのだ。航平は大きなため息をついた。
全ての作業を終えると、もう日は暮れはじめていた。
疲れきったメンバーは、牛舎の近くに広がる芝草の上に寝転がった。暮れなずむ空に、星がまたたきはじめている。牛舎の出入口では、撮影機材の撤収が行なわれている。ようやく牧場での撮影は完了した。
「きつい仕事だな。航平が牧場を逃げ出した理由がわかったよ」
航平の横に並んだ華が、酪農作業の感想をこぼした。
「それだけが理由じゃないけど」
夕空を見上げながら、航平はこたえた。
牛の鳴き交わす声が近づいてきた。搾乳のあと、放牧場でくつろいでいた奥様がたのご帰還だ。その間に、彼女たちの部屋の清掃をし、ベッドメイクをし、ごちそうを準備した。
航平が牧場を継げば、こうした毎日が続く。それはそれで生きがいのある仕事だ。けれど、航平には音楽しかなかった。
夕飯は牧場の施設で済ませた。ロケバスで東京に戻り、鷺下のマンションに帰ってきたころには、午後9時をまわっていた。
鷺下は当然ながらバーの仕事に出ていた。航平はすぐベッドに寝転がる。くたくただった。シャワーを浴びたいところだが、それさえも面倒くさい。自分は酪農に向かないと、あらためて感じた。
翌日から、航平は坂井に送るデモテープの作成を開始した。オリジナル曲のなかから、坂井の興味をひきそうなものを選ぶ。華に歌詞を頼むと、引き受けてくれたので、メロディと伴奏の入った音源を渡した。翌週には、華の歌唱で宅録して坂井に送った。あとは結果待ちだ。
2月下旬から、MTVにウォークインジクザグのミュージックビデオが放映された。MVに起用されたのは、バンドで一番人気のあった曲だ。メジャーデビューシングルが発売されたのは3月の半ばだった。カップリングには『銀座の恋の物語』のカバーを入れた。
航平が坂井に送ったデモテープに関しては、プロデューサーからなんの返事もなかった。
4月にリリースするミニアルバムのレコーディングをしていると、スタジオのガラス窓が叩かれた。鷺下の、にんまりしたヤギ顔がのぞいている。
「坂井から連絡があった。CMのタイアップが決まったそうだ」
スタジオのドアが開いて、携帯電話を手にした鷺下が報告した。
「えっ」と航平はキーボードの前から立ち上がった。ヘッドホンを外した華が、なにがあった? と目つきで問いかけてくる。
鷺下がスタジオに入ってきた。
「牧場でロケをしたミュージックビデオが、牛乳メーカーの宣伝担当者の目に止まったらしい。自社のCMのタイアップを申し出てきたんだ」
「やったあ」華が両手をたたいて歓声をあげた。
どら猫がドラムロールを始めた。ウッディがそれにベースを合わせると、航平も鍵盤に指を走らせる。華が手拍子を入れて歌い、セッションにのってきた。
「おかしな喜びかたはするなよ」
鷺下がアドリブ演奏を止めさせ、
「坂井さんの電話では、バンドの売り込みについて変更がある、その説明をしたいから、レコーディングが終わったらプロダクションに来てくれという」
「へえ。なんだろ。鷺さんの曲は没になったか」と華がちゃかした。
「ありえる冗談は言うなよ」鷺下は苦り顔だ。
デビューシングルの売り上げは伸び悩んでいた。ネットでの試聴こそ増えているが、ダウンロードやCDの販売にはつながっていなかった。
鷺下の運転するライトバンに乗り込み、航平たちは坂井のもとに急いだ。
「高山山麓乳業って知っているか?」
助手席に座る航平に、鷺下がたずねた。
航平はうなずいた。岐阜では知られた牛乳メーカーで、関東にも商品を卸している。その会社がタイアップを打診してきたらしい。
見合い相手だった岩井好美の顔がうかんだ。彼女の実家の岩井農園からも、高山山麓乳業は原乳を仕入れているはずだ。航平は、牧場と縁をきったつもりだったが、不思議な糸のつながりを感じた。
SKIミュージックの駐車場にライトバンを乗りつけたのは、午後6時近くだった。ほの暗い空に、5階建ての会社ビルが灰色にうかびあがっている。
「近未来からビックスターのお出ましだ」
坂井が満面の笑顔で、会議室からメンバーを出むかえた。室内のテーブルにはたくさんの資料が散らばり、ついさっきまで話し合いがされていたらしい。坂井の他に、プロモーションチームの5人が集まっていた。
「少し前まで高山山麓さんの担当者が来ていたんですよ」
航平たちが座ると、坂井が説明をはじめた。
「CMタイアップの詳細の前に、さみしい報告ですが、シングルの売り上げが予想を下まわっています。販売を開始して2週間がたち、ほぼ頭打ちの状態です。そんな状況でタイアップが決まったのは、まさに逆転のチャンスなんですよ。そこで販売計画を変更します」
航平は黙って聞いていた。他のメンバーも口を挟まない。売り上げ不振を打開するために、ここは販売のプロにまかせるのが一番だろうと一任した。
「高山山麓さんのCMには航平くんのオリジナル曲を使います」
坂井の決定に、航平は、あっと思った。
先月送ったデモテープについて、なんの返事もないので、航平は半ば採用をあきらめていた。鷺下がうつむいたまま、うんうんとうなずいている。
「もうひとつ。高山山麓さんは、CMだけではなく、これからもバンドのプロモーションに協力したい意向を示してくれました。ただし条件があります」
坂井が言葉を切った。メンバーの様子をうかがったあと、
「バンド名をウォークインジグザグから、ホルスタインに変えてもらいます」
「冗談じゃない」と華が立ち上がった。「坂井さんは簡単にバンド名を変えるというけどさ、うちらはその名前でバンドを結成し、4年間、音楽活動をしてきたんだ。それをわかってるのかよ」
「宣伝費用は高山山麓さんが負担するんですよ。これは広告主の希望なんです」
坂井の顔つきが険しくなった。
「金でバンド名を売れってのかよ」
華がテーブルに平手をたたきつけ、椅子にふんぞりかえった。
航平は複雑な心境だ。自分はこのバンドで半年ほどしかプレイしていない。広告主の出した条件に、それほど抵抗感はない。しかし、ウォークインジグザグとして4年間のライブ活動をし、ファンに認知されてきた彼らにとっては大問題だろう。
その条件をのまなければ、タイアップの話は立ち消えるかもしれないのだ。
続




