第一話「神様転生」
神様転生。
神のミスで死んでしまった人間が、絶大な能力を特典として貰って異世界に転生し、その力で無双する小説の事を指す。
だがしかし、ここ疑問が生じる。
なぜ神が失敗をしているのだろう。
絶大な能力を容易く与えられる神が、うっかりミスをすると到底思えない。そんな事が出来るならば、自身の失敗など、とうの昔に未来視で知っているはずだ。
「まだ人生があったんだけど、間違えて君の運命を消してしまった」本当にそうなのだろうか。
その疑問を知る前に物語はワクワクとドキドキが眠る異世界へと場面を移し、それ以降は一切、語られない。
まるで触れてはいけないもののように。
簡単にまとめよう。
神がそんな都合の良い存在なのだろうか。
◇
その神は暇で暇で仕方がなかった。
全知全能。至高の存在。ありとあらゆる万物を創造し、過去現在未来の全てを見通す眼を持つ。
そのようにもてはやされているが、それ程までの力を持てばどうなるかは明白だ。
「……暇ね」
もう何回吐いたか分からないほどの溜息を、頬杖をしながら神は再び吐いた。
長く艶やかな黄金の髪を靡かせ、世界を見通す透き通った碧眼を持ち、光輝なる黄金の翼を生やす絶世の美女。
それが至高の神の姿形だ。
「主よ。あなた様に我らが出来る事はございますか?」
側仕えの熾天使が恭しい態度で伺ってくるが、神は鬱陶しい虫を追い払うように手を振るう。
天使とは、神の意思を人間に形で伝えるためだけの道具であり、暇潰しのために作られてはいない。
故に今回の件では不必要と判断した神は、邪魔だと一睨みする。
熾天使は「申し訳ございません」と深く謝辞を述べ、その場を去る。そして後光が差す玉座に腰掛ける神しか存在しなくなり静寂が訪れた。
「今回の転生者も駄目ね」
失望、呆れ、諦観。様々な感情が含まれた声色で神は嘆く。
神の視線の先に映るのは、大勢の人々から「勇者様」と讃えられ、沢山の少女を侍らせ満足げな笑みを浮かべる王冠を被る青年の姿。彼は神に力を与えられ、異世界へと送り出された所謂、転生者と呼ばれる人間だ。
異世界へと送り出された彼は、それはもう波乱万丈な物語だった。迫り来る敵を倒し、囚われの少女を解放し、最後は国を救って大団円。正しく彼の生き方は英雄だ。
だが神にとって彼の人生など、どうでも良かった。それどころか見ているだけでも倦厭だった。
何故なら特典を持つ彼の偉業は成し遂げて当たり前だったからである。
まるで三流の脚本家が作った冒険活劇を、神は見ている気分だった。
「お疲れ様」
青年の行いを神は嘆息しながら労うと、手を銃の形にして映し出していた彼に照準する。
「バンッ!」
瞬間、映っている青年は血の塊を吐き出した。そして突如、吐血をした彼に周りは悲鳴を上げ、その阿鼻叫喚を神は陰惨に笑う。
熱を帯びた目と紅潮した頬。雌の顔を向けていた彼の女達が、絶望に彩られた表情で青年を必死に呼びかける様は、神にとって愉快痛快だった。
三流の冒険活劇が二流の悲劇にランクアップしたと思いながら愉悦に浸る。
神がやったことは単純である。青年に与えていた絶大な力を持つ特典。それを使用して起きた代償を、そっくりそのまま返してあげたのだ。
力とは使えば疲労や痛みなどの反動もまた起きる。
しかし彼は、何の代償もなしに無制限に使用していた。一度でも使用すれば、一介の人間には命を削る負荷なのに。
それを知る由もなく何十、何百と使い続けて膨大に積み上がった負債。肩代わりしてやっていた神は、一気に持ち主へ返上した。
結果が、あの様だ。
己を世界最強の主人公にして唯一無二の大英雄であり、神を超越した人物と驕っていた彼は、痙攣を起こして全身から血を噴出させ、酷い濁声の絶叫を上げる無様を晒している。
持って後、数十秒の命。
『ガ、ガミ……シャ……マ…… …ダシュ……ケ……』
青年が自分に向かって救いの手を求めるが、ほとほとに興味も無くしている神は、それを鼻で笑った後、新しい映像に切り替える。
映ったのは、立ち並ぶビル群に道を走り回る自動車の光景。その星の名は地球、別名下界。神自身が管轄する世界である。
神は鼻歌をしながら、己の権能を持って人間を選り好みしていく。
「さて次に転生させる人間は、誰にしようかな」
自分を楽しませてくれる転生者を作るために。
◇
佐藤春樹は、運動神経も勉学も駄目でクラスから虐めを受けながらも内心で、文武両道の完璧超人を妄想するプライドが人一倍強い高校生である。
彼の趣味は大嫌いな高校に登校する通学路の最中で、大好きなネット小説を読み漁る事。
特に神様転生での異世界で最強となり、強敵相手に無双し、ハーレムを築き上げる小説が最も好みだった。
自分も彼らの様に転生し、異世界で無敵の存在として君臨したい。愚かな異世界人達から崇め称えられたい。沢山の従順な美少女に囲われたい。
肥大化する彼の欲望が、熟読していた読書を加速させ、小説の主人公に投影し妄想を膨らませる。
だが楽しい時間が過ぎるのは早い。気付けば学校の校舎前に彼は着いていた。
忌々しそうに顔を顰め、上履きに履き替える為に下駄箱の蓋を開ける。途端、どっさりとこぼれ落ちるゴミの塊。
周囲からくつくつと惨めな彼を嘲う笑い声が聞こえてくる。
妄想の世界で昂ぶった熱が、非情な現実世界の冷風で、一気に彼は冷めていった。
変わりにドロリとした負の感情が胸中に沸き出してくる。視界が赤くなり周りで馬鹿にしてくる人々を、張り倒したくなる。が、小心者で弱虫な彼には、そんな勇気はない。
むしろ返り討ちに遭い、虐めが苛烈に増すだけとわかっている。
ままならない物だと、燃え上がる激情を必死に抑え込み、爪を立てて痛くなっている握り拳を開く。
そして色々な感情を飲み下し、息をこぼした。
佐藤春樹は、こんな醜悪な世界から自分を楽しく癒してくれる冒険が待っている異世界へと思い馳せた。
放課後の帰り道。茜色の夕焼けが道路を照らす。
覚束ない足取りで歩く春樹。彼の衣服は煤けており何があったかは語る必要もないだろう。
「ちくしょう…… ちくしょう……!」
小説を読むことすら忘れる程の怒りを纏う彼にとって、学校の授業は早く終わって欲しい苦痛の時間だった。
誰もが自分の助けも味方もしてくれない。主犯たちは、何がそんなに面白いのか自身を楽しそうに笑いながら虐め、先生や他の生徒は、それを傍観し腫れ物扱いするように無視を決め込む。
もう限界であった。
「どうして神様は、俺を異世界に連れてってくれないんだ」
益体もない独り言を言い続ける彼。それだけに彼にとって異世界というのは、自分の願望を全て叶えてくれる楽園だと思っているのだろう。
いや、現実逃避できるのがそれしかないからなのであろう。
理想の自分がいる妄想の世界にそのまま熱中し始める彼。だからこそ気付かなかった。上から飛来する鉄骨の束に。
奇跡など起こるはずもなく、彼は鉄骨に押し潰される。幸いなのは痛みがない即死であったことぐらい。
そうして佐藤春樹の人生は呆気なく幕を閉じた。
◇
「ここは何だ」
春樹は目が覚めると大理石で造られた床の上にいた。天井はなく満点の星々が上空を覆いながらも地上付近は青空という不可思議な光景の場所。
周囲には誰もおらず、正面に佇む厳かな大きな玉座も空席である。
理解不能な現象に困惑を極めていると突然、玉座を中心に空から爛々とした光が溢れる。その余りの輝きに春樹は、視界を手で覆う。
「よく来たわ。人間よ」
今までに聞いたことのない美声が春樹の脳を震わせる。その声だけで、さっきまで困惑していたのが馬鹿らしくなり、全身がリラックスした状態になる。
やがて光が収まり玉座の方を見た瞬間、春樹は息を飲んだ。
長い金髪と透き通った碧眼、狂いのない整った顔立ち、女性らしい丸みを帯び豊かながらも黄金比を兼ね備えた肉体、そして黄金に輝く翼。
彼が見てきた美女たちが霞む絶世と呼べる女がそこにいた。
「あなたの人生は終了したわ。私の間違いによってね。故に……」
女から発せられる言葉は佐藤春樹が常々、夢見て追い求めた展開。彼女の続く言葉が佐藤春樹には手に取るようにわかった。
「……ファンタジーの異世界か?」
「ええ、その通りよ」
話を遮った彼に対して女は眉一つ動かさず、その回答に微笑みながら肯定した。
春樹は彼女が言った内容を咀嚼し、衝撃に拳を握る。
——神様転生
待ち焦がれた自分の物語がついに到来した。心の内で彼は狂喜乱舞する。耐えるに耐えた忍耐の人生。それが今、報われた気分だった。
目の前に鎮座する神に春樹は問う。
「転生させるっていうなら何かしらの力が欲しいな」
この場に限って言えば、熱心に神を信仰する者でも無神論者だとしても上位存在に対し、何と命知らずで傲岸不遜な物言いだと春樹に驚愕する所だろう。事実、神からすれば人間程度、指先一つで消滅できる。
上から目線で愚かにも要求する彼に含み笑いをしつつも神は首肯する。
「構わないわよ。私に叶えられる範疇ならば、あなたに我が権能の一端を与えましょう」
「なら複数でもいいか?」
その物言いに神は目を丸くする。
余りの春樹の強欲さに一瞬とはいえ呆気にとられてしまう。しかし言ってしまった手前だ、彼の質問に神は頷く。
「できるわよ。ただし、権能の大きさに比例して飛ばす異世界も危険性が増すわ」
「何故だ?」
「どんな権能であれ、使えば周囲に大なり小なり影響を及ぼすわ。例えるなら、あなたに時や空間を自由自在に操れる力を与え、この世界と同じ強度の異世界に飛ばせば、世界の存在を保つ土台が徐々に不安定化し崩壊する。一つでも世界が崩壊すれば、その衝撃が他の世界にも歪みとして響くの。だからその権能に容易く耐えられる土台を持つ異世界に飛ばす。でも――」
「……その世界では、それと同程度の能力を持つ奴がいるってことか」
またしても神の言葉を遮る春樹であったが、神はにっこりと笑む。
「ご明察よ」
まあそんな上手い話があるわけないと春樹は納得していた。よくある神様転生の小説では、敵は全てハーレムヒロインの好感度を上げるためのかませ犬でしかないが、ここは現実。甘くなんてない。
ありきたりな特典を貰い、小説の様に無双してぬるま湯の世界に浸かりたい。だが理想である最強無敵の自分を叶えたいという野望がある。
煮え切らない思いに悶々とするが、決めるしかない。
なので彼は自分の中で最も強いと思われる幾つかの特典をひねり出し、正面で意味深な笑みを浮かべる神に対して言い放った。
◇
佐藤春樹は特典を貰って転生を果たし、無事に異世界へと舞い降りた。
夢を叶えた彼の心境は、唾棄するほど嫌いな現実世界から、毎日が驚きと発見の心踊る冒険世界がある異世界に来れて有頂天の筈であった。
「何なんだよ…… これは!」
だが今、彼がいる場所はありがちな鬱蒼と生い茂る深い森の中ではなく、青い空に立ち上る黒煙、地面を覆い尽くす瓦礫群と死体の山。
眼前に広がる地獄と呼べる光景の中心で、彼は呆然と立ち竦んでいた。
「……何だ?」
春樹の上を大きな影が覆う。不思議に思って見上げ、そして絶句した。
巨大な黒く未来的なフォルムをした飛行船の艦隊が空中に浮遊している。それも唯の船ではない。
「空中……戦……艦」
ファンタジー世界では、かなり文明が進んでいる国で且つ戦争物でないと、まず出番がない兵器。
それが隊列を組んで上空を悠々と遊泳している。神が言っていた危険性が増すというのは、虚言ではなかったと春樹は実感した。
「まあ序盤の敵には、申し分ないか」
なぜか空飛ぶ戦艦に対して獰猛な笑みを浮かべる春樹。
この世界では自分が主人公であり、何をしても許されると思い込んでいる彼は、あの戦艦が自身の特典の力を試すサンドバッグだと認識していた。
無力な頃ならいざ知らず、今は絶対無比な特典の力がある。負ける可能性は皆無だ。
暗い笑みをしつつ戦艦に向けて手を伸ばす。彼が持つ最強の能力の一つが発動する初動だ。
これを使用した後、標的の凄惨な末路を想像すると春樹は笑いが止まらなくなる。
「終わりだ!!」
嬉々とした顔で、決め台詞を叫ぶ。
だがしかし、何も起こらない。
「…………あれ?」
予想したのと違い唖然とする春樹。
気を取り直して、もう一度、同じ動作を繰り返すが、やはり何も起きない。
「~~っ! ふざけんじゃねえぞ!! あのくそババア!!」
騙された。春樹の心中が憤怒で埋め尽くされる。
転生によって最強能力を手に入れたと確信していたら、まさかのなかったという皮肉。
此処が戦場であることも忘れ、唾を飛ばす剣幕で春樹は喚きながら、罵詈雑言を天上にいる神に対して撒き散らす。
だからこそ鉄骨の時と同じように気付かなかったのだろう。戦艦の船底から投下された物体に。
超速で落下してきたそれは、春樹のすぐ側で着弾する。
突然の出来事に加え、その凄まじい衝撃波に彼は、情けない悲鳴を上げて後方に転げ回る。
「痛ぅ…… 本当にもう何だってんだよ」
異世界に来て数分足らずで、春樹はもうこの世界が嫌いになっていた。
特典がなく、全て自分の思い通りにいかない。彼が夢見た楽園が音を立てて崩壊している。
「てか、無敵チートの特典もねえじゃんか…………よ……」
苦痛で顔を歪めながら春樹は、最強能力だけでなく他の特典もないことを察する。途端、彼の顔は真っ青になった。
すなわち今の自分は、特典持ちの最強主人公ではなく、元の世界での非力で弱虫な佐藤春樹。
そして今現在、この場所は空中戦艦の艦隊が空に漂う危険地帯。
脂汗が春樹の全身から噴き出し、死への恐怖が彼の内に渦巻く。
「■■■■■■?」
先ほどの何かが飛来してきた場所から理解不能の言葉が聞こえてくる。
錆び付いたブリキ人形の様に、ゆっくりと首を声のした方向へと合わせ、言葉を失った。
白い肌、それも原色の白そのものの色をした肌を持ち、血のように真っ赤に輝く赤い眼をし、翼を生やす天使の輪がある少女。
真っ白な貫頭衣を着た少女が、じっと此方を見詰めていた。しかし、春樹は投げかけられた知らない言葉を、当然、返答できる筈もなく互いに沈黙した時間が過ぎていく。
やがて、棒立ちの少女が低姿勢に移行。纏う雰囲気も冷たさを感じさせ、春樹はごくりと固唾を呑んだ。
「対象、暗号を認証せず。対象を敵性分子と認識。これより標的を排除します」
今度は、理解できる言語を無感情で淡々と述べる少女に機械のような印象を持つ春樹。加えて彼女の発言に彼は驚愕し背筋を凍らせた。
慌てて春樹は、混乱しつつも少女に説得しようとする。
「いや、俺は、ちょっ、待っ……!」
ちょうど瓦礫に足を躓き、転ぶ春樹。理想の格好良い自分より遙かに格好悪い無様を晒すが、逆にそれが彼を救った。
春樹の頭の上を尋常ではない速度で何かが通過し、直後に耳を劈く轟音が響く。
「標的、回避。追撃、続行」
再度、少女の声が聞こえたと同時に、濃密な死の気配を感じ取った春樹の行動は早かった。
涙で顔をぐちゃぐちゃにし、絶叫を上げながら無我夢中で全力疾走。少しでもあの少女から離れる為に逃走する。
何処に行けば逃げ切れるかもわからないまま。
◇
「あははははっ!!」
映像で滑稽な姿を見せる春樹に、神は腹を抱えて爆笑する。
一頻り笑った後、笑ってでた滴を指で拭き取り人間を愛おしそうに神は眺める。
「ふふふ、馬鹿ね。この私が、神が嘘を吐く訳なんてないでしょ。あなたの求めた権能の全てが巨大すぎて、極限にまで広げてあげた器のあなたであっても必要量が足らず、行使は不可能なのよ。欲深過ぎたわね人間--いえ、佐藤春樹」
そう。神は春樹にきちんと特典を与えていた。
しかし、神が佐藤春樹という人間の存在を保てるギリギリまで器を拡張したが、それでも春樹の求めた数々の特典を行使するために必要な一%にも満たなかった。
故にどう足掻いたとしても春樹は、特典を使用することは不可能なのである。
だが彼の不運はそれだけではない。
先述したとおり権能の大きさで飛ばす世界が変わる。つまり今の春樹がいる世界は、それを使う事が出来る場所なのだ。
すなわち危険度が最高値の世界で、春樹は特典を使用できずに過ごさなければならない。
しかも飛ばす異世界の設定は神でも出来ない。つまり、その世界での規定は神でもわからないのだ。春樹の世界の神は、あくまでその世界での神でしかなく、全知全能も其処でしか機能しない。
ましてや春樹を飛ばした世界は、自身にも届きうるどころか超える存在がいる可能性がある世界だ。
春樹に救いの手を伸ばす為に干渉する事なんて出来る訳がないし、そんなことのために干渉する気もない。
それに神は今とても嬉しかった。
佐藤春樹。思わぬ掘り出し物が手に入った。
暇だと嘆き、ずっとつまらなかった生活を満たしてくれる存在が今、自分の手の中にいる。
画面で必死な形相をしながら逃げる春樹に神は熱を帯びた目で凝視する。
「佐藤春樹。私を、もっともっと楽しませて頂戴。だから、すぐに死んではいけませんよ?」
神様転生。
神の失敗で死んでしまった人間を、絶大な能力を与えて異世界へと転生させ、最強の力を持った転生者がその世界で無双する小説のことを言う。
しかし実際は、神の失敗などではなく、神の暇を潰す為に殺されているのかもしれない。
初投稿です
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