第四話
カベラの宿は二階建ての木造建築で、一階が食堂や湯あみ場、トイレになっていて、基本的に二階がそれぞれの部屋となっている。ちなみに、カベラ私室は一階だ。
そんな宿で世話になることになったユリウスとサヤは、これから毎日寝泊まりすることになる部屋へ案内された。
二人とも、今日はいろんなことがあったため、疲労感が尋常ではなく、ユリウスに関して言えば緊張を解いたことにより再び筋肉痛が猛威を振るってきていてもうすぐにでもぶっ倒れてしまいたかった。
しかし、ここで問題となったのは案内された部屋だ。
「ユリウスとサヤちゃんには今日からここを使ってもらうよ。もう夜遅いから湯浴みは明日にした方がいいかもねえ。今日はゆっくりお休み」
具体的には十時過ぎである。カベラは二階の部屋にユリウスとサヤを案内した。
「はい、ありがとうございます。今日からよろしくお願いします」
サヤは丁寧にカベラにお辞儀をする。ユリウスはそこでカベラの言葉に引っかかりを覚え尋ねる。
「……いや、待て、カベラさん、もしかしてこの部屋を二人で使えってことか?」
何食わぬ顔で案内していたカベラは聞こえないように舌打ちするとあっけらかんとした表情で答える。
「何かおかしかったかい?」
おいおいとユリウスは苦笑いをし、やはりこの女性に油断はできないと再認識する。
「……カベラさん、さすがに、部屋は分けてくれないか?」
ユリウスは敬語はいいと言われたが、呼び捨ては憚れるため敬称を付けている。ユリウスは案内された部屋の前で頭を抱えた。
「格安で泊まっていいと言ったのはあたしだし、金銭的に余裕があるならそうしてあげたいところなんだけどねえ、うちは大通りに面してるだけあって自分でもなんだが結構繁盛しててさあ、空き部屋がここしかないんだよねえ」
「って言われてもなあ……」
「私はユリウス様が狭いと感じなければ構いませんよ」
「いや……そういう問題じゃなくて倫理的にだな……」
「まあボウヤ、二人で使って狭いということはない位には広めになってるから、これで我慢しておくれよ」
とカベラは扉を開いて二人を中に招く。
通された部屋は大通りに面していて、それなりにしっかりとした木造の部屋だ。が、敢えて一言で表すなら質素という言葉があてはまるだろう。通りに面した窓が二つと、机と椅子が一つずつあり、カベラの言う通りそれなりの広さがある。
そして、大きめのベッドが一つだけある。そう、ここで問題なのはそこなのだ。
「……カベラさん、相部屋については目を瞑るとして、多少狭くなっても構わない。せめて、このベッドの他にもう一つ寝床がほしいんだが、何かないか?」
「さすがに予備のベッドはないねえ、一応布団なら用意はあるけどねえ。でも、いいじゃないか。こんな別嬪さんと同じベッドで寝れるなんて、願ったり叶ったりだろう?」
カベラはニヤニヤとユリウスを見ている。ハッとサヤはようやくユリウスが何を問題としているのかに気づき顔を真っ赤にさせている。
「……私が……ユリウス様と……同じベッドで………………キャー」
ユリウスとベッドを交互に見ながら何やらひとりで悶えている。彼女は侍女まがいのことをしているがそれは長年にわたる癖のようなものであり、流れ的に自然と侍女を解雇された今となっては今まで抑制してきたものがいろいろ吹っ切れてきているようだ。
ユリウスはなんだか背筋が寒くなってきた。
「……カベラさん、布団を持ってきてくれ……後生だから」
「あいよ」
そう言ってカベラは床に敷く用の寝具を一式持ってきてくれる。なぜかサヤは残念そうにしている。
「カベラさん、今日から世話になる」
「こちらこそよろしくねえ。あたしに何か用があるときは下の私室まで来て頂戴ねえ」
「ああ、わかった」
カベラと別れ、部屋にはユリウスとサヤだけになった。
「さあ、カベラさんにも言われたけど、もう夜遅いから寝ようか。俺は床に布団敷いて寝るから、サヤはベッド使ってくれ」
「そうですね。ユリウス様はベッドでお休みになってください。私は非常に残念ですがお布団を使わせていただきます」
「………………………………………」
ユリウスはサヤを軽く睨むが、サヤはぷいっと顔を背けてしまう。二人の間に長い、それは長い沈黙が訪れる。
「……サヤ、ベッドをつかってく「嫌です」」
「……サ「嫌です」……まだ何も言ってないじゃないか」
サヤは頑なに否定する。全く譲る気はない様だ。サヤはいつの間にか使用人モードになっていたらしい。
「ユリウス様を床で寝させるわけにはいきません」
「寝させるわけにはいきませんと言われてもなあ。確かに俺はまだ貴族としての身分があるけど、それだって一時的なものであって、サヤと全く変わらないじゃないか。俺はただ女性を床に寝かせて男である自分がベッドで寝るということが嫌だからお願いしてるんだよ」
気を遣われていることに女性としての嬉しさ半分、約十年間の使用人としての精神が半分、サヤの中でせめぎ合っていた。
「そうだ。それに、身分が同じになるのだから俺のことを様付けで呼んだり、敬語で話す必要もないんだよ」
「……それは絶対にできません。長年の癖のようなものなのです」
「ではこうしよう。俺に敬語を使わないか、ベッドで寝るか。二つに一つだ」
ユリウスは悪戯っぽく笑う。
「なんですか、その二択は……分かりました私の負けです」
ユリウスはほっと息を吐く。が、ここでサヤの目が悪戯な光を帯びる。
「……ですが、私だけベッドを使うのはやはり忍びありません」
「?」
「私はユリウス様に床で寝てほしくない。しかし、ユリウス様は私にベッドを使えと言う。そこで、私たちが双方納得出来る状況とはつまり……」
「つまり?」
ベッドに腰掛けながら彼女は言う。
「二人一緒にベッドで寝ればいいのです」
「はあ!?」
仮にもサヤは超と付けても遜色無い程の美少女なのである。そんな彼女から出た強烈な言葉は大抵のことには動揺しなくなったユリウスに今日一番の動揺を与える。
「……ふふふっ、冗談です。ありがたくベッドを使わせていただきます。それに……」
「それに?」
「……いえ、何でもありません。ユリウス様、明日から忙しくなりますね」
「?ああ、そうだな。もう寝よう。お休み」
「はい、お休みなさい」
そう言って二人は寝る体勢に入る。ユリウスが自分で布団を敷こうとすると、サヤが慌てて自分がと言い張るが、これくらい自分でするからと半ば呆れてユリウスはサヤをベッドへ押しやると電気を消して自分も眠りに入った。暗闇の中、サヤがユリウスに言う。
「ユリウス様」
「ん、なんだ?」
「……ため息、吐かなくなりましたね」
「!……そうかもな」
再び眠りにつく。
ユリウスが横で寝ているのを感じながらサヤは思う。
(それに、以前のユリウス様もまだ残っているのだと見させてもらえましたから)
朝7時くらいだろうか(一日24時間)、ベッドで目覚めたサヤはそのベッドの横、床に布団を敷いて寝ているはずのユリウスがいないことに気付いた。
「ユリウス様?」
サヤは寝ぼけ眼で、そういえば昨夜は着替えずに寝てしまったなと思いながら、とりあえず水を一杯もらいに行こうと一階の食堂へと向かった。
食堂には他の宿泊客もいた。すると、オープンな厨房から見知った声が聞こえてきた。
「おはようサヤちゃん。昨日はよく眠れたかい?」
カベラが笑顔で挨拶してきた。ここの朝食は彼女が作っているらしい。
「おはようございますカベラさん。はい、ぐっすり寝ることが出来ました。そういえばカベラさん、ユリウス様を見かけませんでしたか?」
ユリウスが先に朝食を食べている可能性もあったのだが、食堂に彼の姿は見当たらない。
「あぁ、ボウヤならあたしが早朝に仕込みをしてる段階で起きてきて、少しトレーニングをしてくるって言ってたよ」
「え!? そうなんですか?」
まさか昨日の今日でトレーニングとはと、サヤは愕然とした。
「熱心なことだよねえ。サヤちゃんに先に朝食食べててくれって言われてるけどどうするかい?」
「えっと、先に食べてしまうのはなんだか悪い気がしますので、昨日行きそびれてしまった湯浴みに行ってきます。もし、それでもまだユリウス様が返ってこなければ先にいただきたいと思います」
「そうかい?なら、湯あみ場は食堂出て、廊下の一番奥だよ」
「ありがとうございます」
そう言ってサヤは湯あみ場へと向かった。その背を見ながら、カベラはひとり呟く。
「サヤちゃんはやっぱ良い子だねえ。ユリウスのボウヤにはもったいないねえ」
少し遡って午前四時。目を覚ましたユリウスはサヤが起きないように布団から出て、折り畳み、そのままそっと部屋を出る。
その手には、昨日カベラから譲り受けた『身体強化についての本』があった。
ユリウスがこんな朝早くから起きたのは大体それが理由である。ほかにもあるがそれはまた後で。
一階に降りると食堂に明かりがついている。ユリウスが顔を覗かせるとカベラが何かの作業をしている最中だった。
「おはようカベラさん」
「ん? なんだボウヤか。おはよう。こんな朝早くから。何か用かい?」
こんな早朝から誰か来るとは思っていなかったようだ。
「いや、カベラさんに用ってわけじゃないんだ。ちょっとこれからトレーニングにね。それよりも、それは朝食の仕込みかい?」
見ればカベラは厨房で野菜や肉を切っているところだった。その横では何かのタレに肉が浸してあったり、魚が干されていたりする。
「朝食というよりかは今日の一日分の仕込みだね。野菜なんかは生で出すやつは朝食分しか作ってないけど。基本ここで出す食事は大体があたしが作ってるんだよ」
市場での買い出しがあるから、早朝にしか仕込む時間がないとカベラは続けた。
「へぇ、それはすごいな。じゃあ、毎日ロクに寝てないんじゃないか?」
カベラはユリウスと話しながらも仕込みの手は止めない。
「まぁ、そうだねえ。それでも、楽しくやらせてもらってるから苦じゃないよ。それよりも、今からトレーニングだって?このまま何も食わずってわけにもいかないだろう?おにぎりすぐに出してやるからちょっと待ってな」
と言ってカベラはいったん手を止め、塩で簡単に味付けしたおにぎりを渡してくれる。
「ありがとう。助かる」
そういえば、昨日から何も口にしてなかったことを思い出ながら、おにぎりをほおばる。ほど良い塩加減でユリウスは瞬く間に食べ終えてしまう。
「ご馳走様。美味しかったよ」
「はっはっは! いい食べっぷりだねえ。一個じゃ足りなかったんじゃないかい? 米自体はたくさんあるから好きなだけ作ってやるよ」
早朝だというのに元気なカベラ。その言葉に揺らぐユリウス。確かに、ユリウスの胃はまだまだ満たされてはいない。
「いや、これから体を動かすから、あまり目いっぱいには食べられないから遠慮しとくよ。それに、朝食も食べる気でいるからそれまでのお楽しみってことで」
「そうかい?」
「あぁ、それと、サヤがもし俺が戻ってくるよりも早く起きてきたら、先に食べ
ていてくれと伝えてもらえるかい?」
「あいよ……その本、有効活用して頂戴ねえ」
カベラはユリウスが持っている本を見る。
「あぁ、これにはそれなりに世話にはなると思う。それじゃ、また後で」
そう言ってユリウスは宿を出る。
カベラがユリウスを呼ぶときの呼称を統一しました。