第二話
道中セントラルに向かいながらユリウスはサヤに質問攻めにあっていた。
「ユリウス様?ほんっっっとうにユリウス様ですよね? どうしたんですか? なんか性格が心なしか荒くなった気がしますし、先ほどの戦闘も……それにやはりその一人称は違和感がすごいあります。以前は『僕』と呼んでいたのは覚えているのですよね? やっぱりおかしいですよ!」
「その質問は何回目だっけ? おかしいと言われても俺は俺だし変わるつもりはないよ」
「えぇー。うーん」
安全が確保できたということもあり、精神的に落ち着いたサヤはやはり今のユリウスは何かがおかしいと思っていた。先ほど見せた驚異的な戦闘技術もそうだが、以前の臆病な性格とは比べるまでもないくらいに行動的になっていた。
(あぁ……私の優しいユリウス様が……こんなことになるなら旦那様に何とか説得しておけばよかったのに……でも今の男らしいユリウス様も意外と悪くn……ふふ)
言葉とは裏腹に意外と高評価である。
ユリウスはユリウスでその表情にはおくびにも出さないが体の中で起こる猛烈な痛みに苦しんでいた。
(……いてぇ……ものすごい痛い。これって筋肉痛だよね? こんな筋肉痛今まで経験したことないんだけど! 一歩踏み出すごとに体中に電撃が走るように痛い……かっこつけてしまった手前サヤに筋肉痛で痛いから動けませんなんて言えないし……うう)
ユリウスは先ほどの戦闘で高度の技術を使用した。肥満体系ではないとはいえ、筋肉は薄く、とても達人級の技に耐えられるような体ではないのに、戦闘中興奮していたとはいえ調子に乗って無理な動きをし過ぎた結果である。
さらには、無意識のうちに今現在もやっているその歩法である。体に芯を一本通したようにぶれることなく、重心を一定にし、何があってもいつでも対応できるように歩いているのだが、これがまた痛みに拍車をかけている。
表情は笑ってはいるが軽く引き攣っており、前髪に隠された額には汗が滲んでいる。
(……まずは体を鍛えることから始めなくちゃな)
そうユリウスは誓うのだった。
夕日が沈み、辺りが暗くなってきた頃、ようやくユリウスとサヤは目的地であるセントラルに到着する。
「ようやく着きましたね」
「そうだな。もう、日が沈んでしまったから、宿をとって早めに休もう」
「そうですね。今日はいろんなことがあって疲れました」
オークとの戦闘もあり、二人は疲労困憊であった。ちなみに、ユリウスはマグナスから、父親のせめてもの情として路銀を多めに、具体的に言うと金貨3枚をもらっている。
この国の通貨はメリク(日本円で1メリク=1円)と言い銭貨(アルミ、鉛、鈴などの混合硬貨)、銅貨、銀貨、金貨、白金貨(順に日本円換算で10、100、1万、10万、100万円となっている)が使われている。
要するに、現在で30万メリク近くの資金が手元にあることになる。
「でも、なるべく安い宿に泊まりましょう。長期滞在になりますし」
手元とは言えどもユリウスのではないが。
セントラルはその名の通りガーランドの政治や経済の中心地である。この大都市は、ほぼ中央に鎮座する王城を筆頭にこれからユリウスたちが通うことになる魔法学校や冒険者ギルド、ガーランドの国教の総本山である大聖堂などがあり、それ故に人々が方々から集まってくる場所でもある。
しかし、人が多いということは決して良いことばかりでなく犯罪のように必然的に多くなる問題も存在するというのが人の世の実情である。
「……いいところが見つかりませんね」
なるべく安い宿をと探していた2人だが、セントラルというのはどこも宿代が高い。
経済の中心地なのでしょうがないと言えばどうしようもないが、2人はまだ来たばかりで、これから当てにする資金源なども無いため、どうしても節約の必要があるのである。
「そうだね、いろいろ聞いて回っても大体は7~8000メリクだからね。せめて5000メリクぐらいのところがあるといいんだけど……」
宿泊先を探して2人は通りを歩いていた。あちらこちらの酒場や食事処から楽しそうな話し声や音楽などが聞こえ、多くの人で賑わっていた。
「あれ、なんでしょうか?」
「何かの屋台みたいだね。宿を決める前に見ていくかい?」
「いえ、資金はまだ十分にあるとはいえ無駄使いはいけません。それに、冷やかしはお店の方にも無粋というものです。でも……ふふっ、なんだか楽しいですね」
「どうした? いきなり笑ったりして」
「いえ、伯爵領にいた時はこんな風に街を見て回るなんて機会めったになかったですから」
「そうだな、それにこれからはここが活動の拠点となるんだからしっかり見ておく必要もあるかもな」
「……いや、そういう意味ではなくてですね……」
そんな会話をしながらユリウスは正面から敵意を向けられているのに気づく。距離としては大体10メートルぐらいだろうか柄の悪い20歳後半ぐらいの筋肉質の男がこちらを見ずに、けれどもこちらを意識しながら歩いてくるのが分かる。
少しだけ横にずれて歩くと男もそれに応じて歩く角度を変える。おそらく、こちらにぶつかって難癖をつけてやろうということだろう。とりあえずユリウスはそれに全く気付いてない振りをしながら、それとなくサヤをと自分の立ち位置を調整して自分が柄の悪い男と真正面になるようにする。
「……しょうがありません。ユリウス様、こうなったら多少のリスクに目を瞑って大通りから外れたところに宿を……って、聞いてますか?」
「あぁ、ごめん。何の話だっけ?」
ちょうどその時、柄の悪い男が勢いをつけて右肩と右肩がぶつかるように体を寄せてくる。ユリウスはそれを察知し、ぶつかる直前に体を時計回りにひねって男の肩を透かさせる。
当然、男はユリウスのその行動を予測できているわけもなく勢いをつけたまま前のめりにつんのめってしまい地面にこけてしまう。周りからしてみれば、いきなり男がこけたように見えるので方々からくすくすと笑いが溢れる。
「えっ、えっ?」
いきなりズッコケた男を見て、サヤは驚いて困惑している。
「……おい、ガキ」
立ち上がった男は顔を真っ赤にさせてユリウスを睨みつける。相当頭にきてるらしい。
「はい? なんですか?」
ユリウスはとぼけた顔で飄々と言う。その態度がなおさら頭にきたようで男の顔はゆでたタコのようになっている。
「てめえ、とぼけてんじゃねえぞ!」
男が大声を出す。どうやら、酒も入っているらしい。周囲の注目を浴びる中、その酒臭さにユリウスは怪訝な表情をし、サヤに行くよう促す。
「だから何のことです? サヤ、行こう」
「え……は、はい」
「っこの!!」
男は我慢の限界だったのか突然拳を振り上げ、ユリウスの顔面を殴りつける。その衝撃でユリウスは4、5メートルほど飛ばされ、地面に激突する。
「ユリウス様! いきなり何なんですかあなたは!」
とサヤが男に詰め寄るが、
「うるせえ! 黙ってろ! 俺はそっちのガキに用があるんだよ!」
「きゃあ!」
サヤは男に腕を振るわれて転倒してしまう。周りの人々は何だ? 喧嘩か? と集まってきている。
「……ちっ、なんだなんだおい! 見せもんじゃねえぞ!」
周囲の人々は男に威圧されて目を逸らしていく。だんだん頭が冷えた男は周囲を見渡しながら言う。
「そこのガキ、ちょいと面貸せや。ここじゃ場所がわ…る……?」
男は殴り倒した少年が先ほどまでに倒れていたところにいないことに気づく。きょろきょろと辺りを窺うと横から声が聞こえた。
「……サヤ、大丈夫?ケガはない?」
「はい。ありがとうございます。少しだけ手を擦り剥いてしまいました」
ユリウスは転倒したサヤを助け起こしていた。彼女の手のひらは転んだ拍子に擦り剥いてしまっていた。ユリウスはにこやかにサヤに語りかけるが、そのことに対して額に青筋が浮かぶ。
「……野郎」
「……あの、ユリウス様?」
「ちょっと待ってて、あいつぶちのめしてくる」
そう言ってユリウスは立ち上がり男に対して歩を進める。男はそれを見て口の端をニヤっと上げると次の瞬間驚愕する。ユリウスがいつの間にか懐に入っていたからだ。
「うお!」
男は今さっき殴り倒したはずの相手が至近距離に現れて動揺して数歩下がる。よく見ると殴られた拍子に口を切ったりだとか、痣もなく、それどころか殴られた後もない。
どうして男が気づけなかったというと、答えは単純で、ただユリウスが男の瞬きの瞬間に懐に入っただけである。だけとは言うがかなりの高等技術である。
ユリウスは周囲の人々に静かに言う。
「皆さん、大変申し訳ないですが皆さんにはこれから起こることの証人になってほしいのですが?」
周りの人々はユリウスのその様子になんとも言えない迫力を感じる。
「し、証人って?」
近くの男性がユリウスに問いかけた。
「いえ、ただ単に私がこれからすることがすべて正当防衛だったと言ってくれれば問題ありません。ああ、衛兵は呼ばなくても結構ですよ」
「ああ? 正当防衛だと?」
男の冷えた頭に再び血が上っていく。
「別に、あなたが今すぐ頭を下げて謝るなら許してあげなくもありません。ただ、そうでない場合は実力行使させてもらいます」
「んだと!! 頭にくるガキだな……吐いた唾は呑むんじゃねえぞ!」
そういって男は拳を固めてユリウスに殴り掛かる。周りの人々は少年の凄惨な末路を想像して目を逸らすが、ユリウスはただ冷たい目を男に向けていた。
このとき男は気付くべきであった。どうして少年の頬に殴られた跡がなかったのか。それはユリウスが拳のインパクトの瞬間に自ら後ろに飛んで衝撃を緩和していたからだ。
故に、男の拳には全くと言っていいほど手ごたえがなかったはずなのだ。しかし、頭に血が上っていたことや酒が入っていたおかげで気づくことが出来なかった。
そして最悪だったのは男がサヤに手を出してしまったことだ。実を言えばユリウスは面倒ごとを起こすのは避けたいと考えていたため、進んで殴られたいとは微塵も思わないが、敢えて殴られた振りをして男が去っていけば別にいいと考えていた。でも、サヤに手を出された時点で大切な何かかが切れてしまっていた。
「……頭にきているのはあなただけではないのですが」
そう言ってユリウスは突き出された拳を体をひねって躱し、そのまま腕をとって一本背負いの要領で投げ飛ばす。
男はそのまま背中から地面に激突し、苦悶の声を上げる。周囲からはおおー! という歓声が上がる。
男はすぐに起き上がりユリウスを睨みつけた。
「……ガキぃ、マグレだからって調子に乗んなよ」
「これでも手加減をしてあげたのですが、まだ足りませんか?」
挑発された男はさらに顔を真っ赤にさせて殴りかかる。だが、そのことごとくをユリウスは躱していく。
男はムキになって執拗に殴りかかるが、ユリウスは踊るように挑発するように躱していく。それがまた男を逆上させていて、すでに恥も外聞もない。
その様子を見ていた周囲は先程とはとは打って変わって盛り上がりを見せてきた。いいぞボウズー! という声が聞こえたり、2人を肴に酒盛りを始めるものまでいる始末である。
「おい、どっちが勝つか賭けようぜ」
「いや、明らかにあの子供の方が上手だろうが。それよりも、いつまであの子供が避け続けられるかの方がいいんじゃねえの?」
「よし乗った!」
さらには賭け事まで始まってしまった。
そんな中サヤは余裕があるとはいえユリウスが心配だった。確かに、ユリウスは以前では考えられないくらいに強くなっていた。しかし、サヤにとってユリウスとは約10年の付き合いの中でのおとなしいイメージというのがある。
自分の為に戦ってくれて嬉しいという反面、やはり、心配になるのは仕方のないことだった。
実を言えばこの時、ユリウスはこの喧嘩をなんだか楽しんでしまっていた。最初はサヤに手を出されたことに対して始めたことであったのに、今ではそのこともすっかり忘れてしまい、ただ男の攻撃を捌くという一種のゲームのような感覚に体を支配されていた。
表情に若干の笑みが浮かんでいる。とんだバトルジャンキーがいたもんである。
ただ、これ以上続けていると衛兵が駆けつけてきてしまうだろうと踏んだユリウスはここが潮時だろうと考えた。
「ぜえ、ぜえ、こ、この……クソガキが……チョロチョロと……せめて一発でも……」
男はすでに息を切らしていた。だがまだ諦めてないらしい。ここまでくるといっそ清々しいものを感じる。
ユリウスはそれを見て口の端を二ヤっと上げた。
「……いいでしょう。では、一発だけ殴らせてあげます」
「ユリウス様!?」
周囲からはどよめきが溢れる。賭け事をしていた連中は特に顕著で、表情の明暗がはっきりしている。
男はまたもや挑発を受け、怒りを爆発させた。
「ンのガキいい! どこまでもおちょくりやがってええええ!!」
男の右ストレートが左頬に直撃する瞬間、ユリウスは身をかがめ避けると、右の拳を固め男の左顎をクロスカウンター気味に正確に打ち抜いた。
瞬間、男はひざを折り、一気に地面に倒れ伏した。