第一話
少年が目を覚ますとそこはどこかの森の中だった。全身が痛み、体に力を入れようとすると激痛が走る。
すると、少年が身じろぎしたのに気付いたのかそばにいた少女が驚いたような心配するような眼差しで少年に声をかける。
「ユリウス様! 大丈夫ですか!? 目を覚ましたと思ったらいきなり倒れて私心配して……!」
少年はその少女の顔を見て混乱した。
「……サヤ? ……え? ……あれ? ……俺はいったい? ……いったいどうなっている?」
「(どういうことだ? 俺の中に見覚えのあるようでないような記憶がいくつもある)」
俯いてユリウスはしばらく考え込む。頭の中でここまで歩んできた人生の記憶のほかに何か変な記憶がちらつく。唯一分かる椿勇という名前は確かに自分の名前だということは認識できる。
やはり、川で流されていくうちに頭のどこか打ってはいけないところを打ってしまったのだろうか。
自問自答しながらうんうん唸るその様子をサヤは不思議そうに見ている。
「……ユリウス様? どうかなさいました?」
少年は何か考え事をしているようだったが急に顔を上げたかと思うとサヤをまっすぐ見つめた。
「サヤ」
「ひゃい!?」
急に声をかけられて驚いたようだ。
「君に確認したいことがある。―――俺は……ユリウスか?」
「はい?どういうことです? ユリウス様はユリウス様ですけど……それに俺って……ユリウス様何で一人称変わっているんですか? ……やはり流されているうちに頭をどこかに!?」
少年もといユリウスはその答えに満足そうに微笑むとサヤに答えた。
「その心配はいらないよ。俺は俺だから。まぁでも頭を打ったのは間違いないかな? ……ははは」
「なんで笑ってるんですかっ……ふふっ」
二人の間に笑いがこみ上げてくる。どうやら、ユリウスは吹っ切れたらしいが、自己の存在定義を簡単に割り切ってしまうなど正気の沙汰ではない。
その辺も含め、性格的に大きく変わってしまったらしい。
このとき、先ほど川で流され生死の境をさまよった際にどうやら別の世界で死んだ魂がユリウスの生死の曖昧になっていた魂と混じり合ってしまった。どうやらそれも齢100年を生きた伝説の武人であったらしい。伝説の武人『椿勇』の魂と混じり合うことがどういうことか、ユリウスは恐らく理解はしていない。
二人はひとしきり笑い終え、その後すぐに現状の確認を始める。
「ユリウス様。まずはお礼を言わせてください。私を助けてくださりありがとうございます。それと、本当に大丈夫なのですか? オークに殴られ、さらには私を流されている最中ずっと庇っていたのに……」
サヤはまだユリウスのことが心配らしい。それだけ彼が重傷だったということだ。
「お礼は必要ないよ。あれは俺が自分でやったことだし、なぜか体はピンピンしているし。それよりもよく川から脱出できたな」
なぜかユリウスの体には目立った傷が存在しなかった。オークに殴られたところも跡がほとんど見られない。
「いえ、私もすぐに気絶してしまって……気が付いたら川辺に打ち上げ荒れていて、となりにユリウス様が倒れていて……」
「俺たちは幸運だったみたいだな。サヤに何もなくてよかったよ」
「いえそんな……ありがとうございます」
サヤは少しだけ頬を赤く染めた。ユリウスの決死の甲斐あってサヤには多少の擦り傷などを除けばこれと言って大きな傷はない。
「それよりもここはどこだ? 俺は一回意識が戻ったときは川辺だったからそこからのことを教えてくれ。若干川の流れる音がするからそこまで遠いわけではないのだろうけど、サヤが運んでくれたのか?」
「はい。川辺でユリウス様が目を覚ましてすぐにまた意識がなくなってしまって……どうしようかと思ったのですが、とりあえず目立つ川辺よりかは森の中の方がいいと判断して移動しました」
「そうか、今の時刻はわかるか?」
空を見上げると夕暮れ時だった。
「いえ、時計や荷物は失くしてしまいました。申し訳ございません」
しかし、彼らにそれを確認する術はない。彼女は本当に申し訳なさそうだ。
「いや、謝る必要性はないよ。しょうがないさ。オーク達は荷物には手を付けていないだろうから、今から取りに戻ればいい」
「! あそこに戻るのですか!? 危険です! まだオーク達がいるかもしれないのに!」
だが、ユリウスは自信ありげに言い放つ。
「問題ないさ。今の俺ならできる気がする。それにセントラルへ行くならあの橋を渡るのが一番の近道だし、それに橋を渡ってしまえばすぐだ」
そう気楽に言い放つユリウスの姿はなぜか一際大きくサヤには見えた。いつも身にまとっているどこか不憫そうなオーラもすっかり消え去っている。
「(本当にユリウス様なのでしょうか? 雰囲気もだいぶ変わったし、口調も。やはり頭の打ちどころが悪かったのではないでしょうか……)」
完全に日が落ちてしまえば森はとても危険な場所となる。そうなってしまえば下手に身動きが取れなくなるため、そうなる前にセントラルへ行こうということなのだ。
問題はそこで今も通りかかった人を襲撃しようというオーク達がいるであろうということなのだが。ユリウスは先ほどとは違いオークに危機感を全くと言っていいほど感じない。
「信じられないかもしれないけど、今の俺は過去のユリウスとは違う。……たぶん
性格もだいぶ変わっちまってると思うがそれでも俺は俺だ。信じてついてきてくれるか? サヤ」
ユリウスは真剣な表情で言う。サヤはそれを見て覚悟を決めたのかユリウスに言う。
「分かりました。ただ、無茶はしないでくださいね? 絶対ですよ! 絶対ですからね!」
それはフリかな? とユリウスが答えようかと思っているとそれを察知したのかサヤの目が細くジトっとしてくる。なかなかの迫力で、少なくとも先ほどおぼれかけたとは思えない。
「……お、おう……分かった」
二人は川を上って橋を目指す。その途中、休憩がてらにユリウスは自分の体の点検をする。筋肉の付き方、関節の可動域、柔軟性など、この先で間違いなく起こるであろう戦闘に備え、どの程度体を動かすことが出来るのか稔密に体中余すところなくチェックをしていく。
その中でユリウスは考えた。
(俺は今、どうしてこんなことをしているのだろうか。冒険者でもないのにこれから闘うことを考えると嬉しくてしょうがない。普通ならもっと緊張したり、怖がっていいはずなのに……)
ユリウスは今伝説の武人と魂が融合したためにその長年の技術が体中にしみわたっているのと似たような状態となっている。湧きあがる闘志も武人故のものだ。
三十分ほど歩いたころだろうか、襲撃に遭った橋が見えてくる。二人は慎重に近づいていく。
「……っ。やっぱりまだいやがったか」
ユリウスはそう呟き橋の接岸部分を睨む。サヤはその視線を追うと一瞬にしてその顔が青ざめる。なぜならそこには先ほどのオーク達がいたからである。
サヤの脳裏に数時間前の映像がフラッシュバックする。馬車が倒され川岸に追いやられ川に転落する。恐怖で体が震えてくる。
しかし、隣にいるユリウスは違った。恐怖など微塵も感じさせず、体から闘志を湧きあがらせていた。
「大丈夫だ、サヤ、すぐに終わらせるから見つかる前に隠れてて」
そう言ってサヤの肩に手を置くと彼女は少し安心したのか頷いて茂みの方に下がって身を潜める。ユリウスはゆっくりと歩を進める。
その距離が20メートルのところでオーク達もユリウスに気づき、獲物が来たと言わんばかりに咆哮する。
ユリウスはそれに全く怖気づいた様子はなく、むしろその表情からは笑みがこぼれている。オークの内一体がそんなユリウスの態度が気に入らなかったのか怒って突進してくる。
「ユリウス様!!!!」
見つかることを気にせずサヤは叫ぶ。だがユリウスは動揺のひとつもしていない。足を肩幅に開き、両手はだらりと下げ、その双眸には闘志をみなぎらせている。
オークが距離を詰め、5メートルを切ったところで右拳を振り上げる。ユリウスには変化がない。オークはその醜悪な顔に嗜虐的な笑みを浮かべ、2メートルはあろうかというその体から拳を振り下ろす。思わずサヤは目を瞑ってしまう。
「(ユリウス様!!!!!)」
ドゴッ!!!! という音が周囲に響きわたる。一瞬サヤの脳裏にユリウスの凄惨な姿になった光景がよぎる。恐る恐る目を開けると土煙が立っていてよく見えない。その土煙が収まるとそこには……
地面に拳を突き立てるオークとその脇に立つユリウスがいた。
(よかった……)
サヤは思わず安堵し両手で祈るようにその先行きを見守る。
オークは不思議そうな顔をして横に立つユリウスを見る。もう一発と拳を振り上げ違和感に気づく。その右の手首が外されていた。
痛みでオークは苦悶の悲鳴を上げる。ユリウスはその隙を逃さない。
ユリウスは右手に拳を作り、オークの顎に向けてアッパーを放つ。コッ! という音と共にオークはズンッ! と鈍い音を立てて地面に沈んだ。
顎に的確に衝撃が加わったことによる脳震盪である。いくら頑丈なオークといえど脳までは頑丈ではなかったらしい。
先ほどユリウスが手首を外したのに使ったのは「合気」である。相手の力を利用して相手の力プラス自分の力を上乗せして相手に返すという技術である。
今回はそれを用いてオークの手首をよけながら外して見せた。それだけでも並外れた技術であるということがわかる。
さらに、的確にオークの顎を打ち抜いて見せた。よくボクシングの試合中きれいにアッパーが決まり脳震盪を起こし一発KOという話がよくあるが、あれはただ単に顎に決まればいいというものではない。
頸部をよく鍛えている人なんかは顎に入ったところで太い首で衝撃が吸収されてしまうのだ。それがオークという人外の生物であればなおさら顎をかすらせるように打つ必要があるのだ。
「さあ、かかってこいよ」
手をクイッと曲げて挑発する。急に倒れた仲間に呆然としていたオーク二体が我に返り、怒りをあらわにする。今度は二体同時に向かってくる。
ユリウスは自分自身に驚いていた。自分が自分でないみたいに体が動く。オークの体を見るその一瞬で奴らの体の構造が分かる。
次にどんな動作をするのか体のわずかな筋肉の動き、視線、呼吸、表情などから相手の情報が流れ込んでくる。次々に繰り出される攻撃はユリウスに全くかすりもしない。ユリウスの中を高揚感が満たす。
(……これはすごい!……どうしてできるのかはさっぱりわからない……が、今は思う存分使わせてもらおう)
一体が足を振り上げ振り下ろす。ユリウスはそれを必要最小限の動きでひらりと躱し、地面に振り下ろされる瞬間にその足を払い昏倒させる。もう一体が殴りかかってくるがその手を逆に利用し絡めとってオークを頭から叩き付ける。
その双方が起き上がる前にサッカーボールを蹴るかのごとくに顎を足で強打する。脳震盪を落とした二体はそのまま意識を手放した。先ほどの一体を含めても五分と経たずの顛末だった。ユリウスはふぅと息をつく。
「……すごい」
遠くでその光景を見ていた。サヤは驚嘆の声を漏らす。それはそうだろう先程まで為す術が無かったのにユリウス一人でオーク三体を圧倒して見せたのだから。
「……ハッ! ユ、ユリウス様!大丈夫ですか!?」
サヤがそう言いながら駆け寄ると、ユリウスは笑顔でガッツポーズをした。
「な?言った通り大丈夫だったろ?」
サヤはようやく本当の意味で安堵する。しかし、今度は疑念がこみ上げてくる。
「ユリウス様。今のはいったい?どうしてユリウス様はこのようなことが出来るのです?まるで研鑽を積んだベテランの冒険者のようでしたよ?」
その言葉にユリウスはどう言ったものかと考える。
「うーん、どういったらいいかわからないけど、いつの間にか体を動かそうとしたらできたんだよね」
「なんですかそれ」
苦笑交じりにサヤが言う。
「とりあえず日が暮れそうだ。セントラルへ急ごう」
「はい、そうですね」
夕暮れの中二人は荷物を馬車から回収し、急いでセントラルへ向かっていく。そんな中サヤがふと疑問に思った。
「そういえば馬車の御者さんはどこに行ったのでしょうか?もしかしてオーク達に殺されてしまったのでしょうか?いろいろあって確認できなかったのですが……」
「そうだな……なんにせよ生き残ってくれていることを祈るしかないな……」
御者はどこに行ってしまったのだろうか。考えていてもしょうがないので、彼らは歩いた。その中でユリウスは思案する。
(まずはセントラルに向かってアルトガルで冒険者になり身を立てなくては。俺は今どういう状態にあるのか気になる。この技術もなぜ使えるのかわからないが、使えるものはすべて使おう。まずは資金の確保だな。俺は家を追い出された身であるからして、これからは武人として生計立てるのも悪くはないのかな)
この世界に、武人ユリウス・カミーリアが誕生した。