気付いたら
アリスは、「宮下アリス」という。アリスという名前は、両親がつけた本名だ。別に外国の血筋が入っているわけではない。読書家の母曰く、不思議の国のアリスに出てくるアリスのように、どんな環境の中でも勇気と知恵と好奇心を持って自分の思うように進んでいってほしいという願いが込められているらしい。まあ、キラキラネームではあるのだが。
「宮下、この資料集、野崎に渡しといて。選択授業同じなんだろ?」
同じクラスの男子の田口くんは、よくアリスに頼みごとをしてくる。例えば、ノート見せてとか、消しゴム貸してとか、誰々に伝えといてとか。少々めんどくさいなと思っても、貸したものを盗られるわけでもないしまぁいいかと応じていたが、野崎くん関連は初めてだった。
これは、願ってもないチャンスだった。思わず
「ありがとう!田口くん」
と言ってしまった。田口くんは怪訝そうな顔をした。
「は?何でお前が礼言うわけ?」
しまった。アリスの顔がみるみる赤くなる。
「あ、いや、ちが、違うんよ。その、えっと・・・」
何かごまかさなきゃと慌てふためくアリス。ここは視聴覚室。今は掃除の時間だった。視聴覚室の掃除は田口とアリスの二人だけだった。
そんな様子を観察していた田口洋平は、バカではない。気付いてしまった。
「・・・お前、まさか野崎のこと好き「「違うっ!」
言い終わる前に否定した。顔は真っ赤になり、息も荒く、目は潤んでいる。両手は資料集をこれでもかというほど握りしめており、興奮状態・・・ね。・・・素直じゃないなぁ。
「・・・悪い。別にお前が誰を好きでも誰にも言わんわ。そんなに怒んなって」
アリスが怒っているわけではないことはわかっていたが、田口は本当にすまなそうな顔をした。てっきり好きなんだろうと当てられてからかわれると思っていたアリスは、田口の意外な大人の対応に拍子抜けする。
「別に怒ってたわけじゃ・・・ないんやけど。なんか、ごめんね」
「ええよ。野崎、かっこええし賢いもんなぁ」
「うん。優しいし」
「俺が女やったら惚れるかもしれんなぁ」
「やろ?!」
まんまと好きな人を知られてしまったアリス。
「と、いうことは、やっぱり宮下は野崎のこと好きなんやな」
「うっ・・・」
「宮下はあれやな、もっと素直になったほうがええと思うよ。まぁもう中3やし、俺ら。付き合いよるやつらも割とおるやん?」
普段の田口くんからは想像できない。こんな大人な物言い。落ち着いた雰囲気。プロレスの真似事のような遊びや下ネタばっかり話しているのに。
「・・・わかっとるよ。でも恥ずかしいし」
「・・・人のことやし俺は別にええけど、野崎のこと狙っとるやつようけおるけん、まあ、がんばれや」
そんなことわかってるよ。俯いたアリスを横目で見ながら田口は言った。
「あ、こんなこと言よる間にもうチャイムなるぞ。次、選択授業やし、宮下は移動やろ?」
「そうやった。じゃあ、田口くん、本当に誰にも言わんといてね」
「おう」
パタパタと小走りでかけていくアリスを見送りながら、
「・・・あんま走るとこけるぞ・・・」
と田口は小さくつぶやいた。