3話
目を覚ました部屋に戻ったイヴはグレイをじっと見た。
グレイはイヴの視線に気づかない様子で、呑気にお茶を淹れていた。
「我が主、ユエ様を救ってくれたこと、感謝いたします」
「私は何も…」
イヴは首を横に振る。
グレイは「いいえ」とほほ笑み、イヴの手にカップを乗せる。
「自ら血を与える者などおりません。ユエ様はこの世界の王。死を迎えるなど早すぎます。ユエ様に変わり、私からお礼を申し上げます」
イヴはどうしていいか分からず、カップに口をつける。
花のような香りが口いっぱいに広がる。
そして、じっと窺うようにグレイを見た。
ユエの瞳と同じ赤色の髪
ユエの髪と同じ黒い瞳
二人の瞳と髪は逆の色だった。
それでも…二人の容姿は美しかった。
「それにしても…イヴ様の髪色は美しい銀色ですね。人間とは思えない」
「嫌いです…こんな髪」
そう言ってイヴはキッとグレイを睨んだ。
グレイはそんなことを全く気にせず、イヴの髪をじっと見つめる。
「家族に…そのような血統の持ち主がいたのでしょうか」
「グレイ、イヴ様に失礼なことをするな」
二人の間に入ったのは、グレイとよく似た女だった。
二人の容姿はどちらが見違えるくらいにそっくりだった。
彼女はイヴを見て、にっこりとほほ笑む。
「イヴ様、大変失礼しました。グレイの妹のクレイと申します。エリルと同じく、貴方の世話をさせていただきますので、以後お見知りおきを」
「クレイ、いつ戻ってきた」
「つい先ほどだ。ユエ様に話は聞いた。イヴの世話は私はやる。お前は下がれ」
クレイのきつい言い方にグレイは苦笑した。
「下がれって…まぁ、下がらしてもらいますよ。ではイヴ様、また」
グレイはにっこりと笑みを残して、部屋を去って行った。
そんなグレイの背中を見て、クレイは溜め息をつく。
「申し訳ございません、イヴ様。グレイはああいう感じなので、あまりお気になさらず」
「それは分かりましたけど…。私は此処で暮らすのですか?」
エリルもクレイもイヴの世話をすると言っていた。
あまり気にも留めてなかったが、イヴは凄く気になってしまった。
クレイは不思議そうに目を丸める。
「ユエ様から聞いておられないのですか?」
こくりとイヴは頷く。
クレイはイヴを見て、しまった!と思った。
主がまだ告げていないことを自分が先に言ってしまった。
クレイの中では後悔が生まれた。
「あの…クレイ…さん」
「さっきの話は忘れていただきたい!!」
その大きな声にイヴはびくりと身体を動かす。
クレイは頭を下げたまま、上げようとしない。
「ク、クレイさん…顔を上げてください」
「本当にすまない」
「だ、大丈夫ですから…」
「…逆に困らせてしまっているな。改めて詫びを言う」
そう言って最後に頭を下げ、クレイは顔を上げて微笑んだ。
イヴは首を横に振り、にっこりとほほ笑んだ。
「気になさらないでください。私は何も聞いておりませんから」
「そなたは…優しいな」
人間という種族がクレイは嫌いだった。
己がが正しいと傲慢し、異形な者をはじきだす。
そのくせ、己が危険な時は相手に助けを求める。
自分勝手な人間。
優しさの塊もない。
クレイはずっとそう思い続けていた。
だが…目の前にいるイヴはその人間とは違うようだ。
相手を想いやり、異形な者にも優しい手を差し伸べる。
『主が惚れるわけだ』とクレイは納得した。
この者なら…信用してもよい。
クレイの心にそういう気持ちが芽生えた。
「…ユエ様はイヴ様に此処にいてほしいと考えている。己の妃に出来れば…とな。御身は慈しみの心をお持ちの様子。他の人間とは明らかに違う。…貴方の容姿も人間とは少し違うようだ。人間を嫌う我々にも認められるのではないか…と考えたのだろう」
イヴは顔を俯かせる。
不安なのだろう、それは仕方がないとクレイは思った。
いきなり吸血鬼の城に住めと言われ、王の妃になるという話なんて…
だが、クレイは『イヴ』だったらいいと思っていた。
「イヴ様、ご無礼を承知でお聞きします。貴方は…人間、なのですよね?」
種族、性別関係なく優しさを向ける心。
女神のように美しい容姿
育ちの良さを感じさせる所作
人間とは思えなかった。
人間とは粗暴な者
吸血鬼の間ではそう有名だった。
ユエが怪我をしたと聞いた瞬間、やっぱりそうなのだと確信した。
なんて自分勝手な種族だ。と他の者も人間を憎んでいた。
だが…イヴは違う。
明らかに他の人間と違うところがある。
イヴはこくりと顔を上げ、不思議そうに首を傾げる。
「何故…そのようなことを?」
「貴方の容姿、所作…一部の人間を知っているせいか、あいつらとは違うように感じた」
「そう…ですか」
イヴは顔を曇らせる。
変なことを聞いてしまった…とクレイは後悔した。
言いたいないことを無理にいわせる必要なんてない。
クレイは首を横に振り、謝った。
「…すまない。言いたくなければ言わなくていい」
「いえ…こちらこそごめんなさい。私…まだ誰も信用できなくて…」
「信用…出来ない?」
(それはどういうことだろう?)
クレイは首を傾げる。
だが…すぐにその疑問を払った。
首を突っ込んではいけない。
彼女は彼女の理由がある。
クレイは首を横に振った。
イヴはふっと力なく微笑むと、「ごめんなさい」と小さな声で謝る。
「今のは…忘れてください」
「…ユエ様はまた夜にこちらに赴きになります。それまでの間、他に聞きたいことがあれば出来る限り、お答えしますよ」
「クレイさんは…グレイさんと良く似ていますよね?お二人は…双子なのでしょうか?」
イヴは遠慮がちに尋ねる。
クレイはふっと微笑み、頷いた。
「そうだ。だが、性格は全くと言っていいほど正反対だ」
「いつも…ああいう感じで?」
「日常茶飯事だ。あまり気にしないでくれ」
クレイはグレイがあまり好きではなかった。
『兄妹と言うのはそういうもの』と母親が良く言っていた。
だが、周りの兄妹は仲が良かった。
クレイとグレイとは違って。
そのことが余計にクレイは嫌だった。
まるで浮いているようで…。
グレイは全くそういうのを気にしない奴だった。
のんびりとしていて、本能のまま進むグレイ。
厳格なところがあり、自分の信じた道を進むクレイ。
グレイは母親似、クレイは父親似だった。
「グレイはユエ様に気に入られている。のんびりしているし、ユエ様を慕っていて、ずっと傍にいるからな」
「クレイさんは…違うのですか?」
と、イヴは不思議そうに首を傾げる。
「どうだろうな」とクレイはほほ笑んだ。
実際、ユエにどう思われているのかは知らない。
知りたくないとクレイは思っていた。
知ってしまえば…なにか変わってしまいそうだから。
「クレイさん…ユエ様はどういう方でしょうか?」
「…ユエ様か?」
どういう方…そう言われると難しいところがあった。
ユエがどういう者なのか…クレイにはまだ分からないことがあった。
「冷酷…というわけではない。かといって優しすぎるわけでもない。ただ…グレイと同じく、本能のまま進むところがあるように感じる。実際のあの方がどういう方なのか…分からない。誰にも素顔をさらさないからな。そういう主義なのだろう」
「そう…ですか…」
と、イヴは何処か悲しそうな表情を見せる。
ユエのことでそんな表情を見せる者は初めて見た。
(この人は…誰かの為に涙を流す者なのかもしれない)
と、クレイは思った。
この人が傍にいれば…ユエは安らかな時を過ごすことができるのだろうか?
永久に続く命に…『幸せ』を刻むことができるだろうか?
もし、少しでもその可能性があるのならば…
「イヴ様、お願いがある。ほんの少しの時で良い…この城に…ユエ様の傍にいてはくれないだろうか?」
クレイは勢いよく頭を下げた。
イヴの顔は見えないが、きっと戸惑っているだろう。
それでも…この気持ちをクレイは伝えたかった。
「頼むっ!本当に少しだけでいいんだ!」
「……クレイさん、顔を上げてください」
その言葉に、クレイはおずおずと顔を上げる。
そこには優しく微笑む、イヴの笑顔があった。
「私には…母も…父もおりません。必要されているのであれば、私はクレイさんの頼みに答えます」
「ありがとう」
そういってイヴはすっと真っ白い手を差し出す。
クレイはふっと微笑み、その手を握った。
イヴの優しさをこの身に感じ、この者なら傍にいてもいいだろうと思った。