善意の名簿
名簿は、机の上に置かれているだけで空気を変える。
結城修吾は、それを指で叩いた。
「支援受給者名簿。流出。脅迫、連続で来てる。封筒も文面も同じだ」
俺は名簿の端を見て息を吐いた。
「同じにすると、安心する人いるよね。受け取る側は安心しないけど」
結城が睨む。
「安心するな」
「安心させるために同じにしてるんでしょ」
誠司くんは名簿を開いた。ページをめくる音が、やけに大きい。
「被害者。藤本祐真。支援の窓口を通して生活再建中。真面目で気配り屋。頼まれると断れない」
「断れない人、名簿に載るときついよね」
誠司くんが俺を見る。
「久世」
「はいはい」
直斗が横で身を乗り出す。
「名簿って……住所も家族構成も、全部ですか」
「全部だ」
結城が吐き捨てる。
「だから効く。だから脅しになる」
藤本祐真の家は、団地の中でも一番静かな棟にあった。
ドアを開けた藤本は、先に謝った。
「すみません……警察の方ですよね。お忙しいのに」
気配り屋の謝り方だ。何もしてなくても、先に頭を下げる。
「脅迫、見せてください」
俺が言うと、藤本は封筒を差し出した。
白い紙。丁寧な文字。折り目が均一。
『あなたの生活を守るためのご連絡です。ご協力をお願い申し上げます。関係者の皆様に責任はありません』
結城が低く言う。
「同じ文面が、他にも二通。別の受給者にも届いてる。折り目まで同じだ」
「守るって言われると、逆らいにくいよね」
藤本が小さく頷く。
「正しいことを言っているようで……」
誠司くんが文面を見て言った。
「“協力すれば問題は起きない”。“拒否すれば自己責任”。構文が同じだ」
結城が眉を寄せる。
「また、か」
支援の相談会は、区の施設の一室だった。
ポスターは優しい言葉で埋まっている。笑顔。支援。安心。
その真ん中に、名簿がある。
容疑者は二人。
岸本健吾。自信家でマウント気質。言葉が強い。
中井雅人。無口で陰がある。視線だけが重い。
参考人の有馬圭吾は、入ってきた瞬間から笑顔が多かった。話術が巧い。核心を避ける笑い方。
「いやあ、名簿なんて怖いっすよね。でも支援って、善意じゃないですか」
「善意って便利だよね」
俺が言うと、有馬が笑う。
「そういう言い方すると悪者みたいじゃないですか」
誠司くんが言う。
「悪者かどうかは問わない。管理だ」
岸本が鼻で笑った。
「管理? 支援を受けてる側にも責任があるでしょ。情報は共有しないと」
「共有の範囲、決めてないよね」
俺が言う。
「決めてるでしょ。必要な人に必要な分だけ」
「誰が“必要”決めるの?」
岸本の口が止まった。
中井は黙ったまま、床を見ている。
直斗がそっと近づく。
「中井さん。名簿、見ましたか」
中井は少し遅れて頷いた。
「……見た」
「どこで」
「相談会」
有馬がすぐ入る。
「みんなで見ましたよ。共有です。善意です」
結城が低く言う。
「善意って言葉、最近よく聞くな」
名簿の流出経路は、意外と単純だった。
コピー。
写真。
持ち出し。
誠司くんが淡々と積む。
「アクセス権は三段階。だが、印刷と撮影の制限が甘い。誰でも“善意”で複製できる」
岸本が言った。
「困ってる人を助けるためですよ」
「助けてるつもりで、追い込んでる」
誠司くんの声は硬い。
中井が、ぽつりと言った。
「……俺は、守りたかった」
全員の視線が向く。
「藤本が。あいつ、断れないから。変な業者に狙われてた」
「だから名簿を?」
結城が聞く。
「相談員が言った。“皆で共有すれば守れる”って」
俺は息を吐く。
「皆で持つと、誰も責任取らないよね」
中井の肩が落ちる。
岸本が噛みつく。
「結果的に脅迫されてるだろ!」
「結果が出る前に、形を作ったんだよね」
俺が言う。
「“協力するか”“自己責任か”。その書き方、逃げ道を塞いでる」
誠司くんが頷く。
「名簿管理会社」
「財団子会社だ」
結城が言った。
⸻
有馬が慌てて言う。
「でも、脅迫文は俺じゃないですよ。あれは……」
「誰が書いたかより、誰が“使い方”を教えたかだよね」
俺が言うと、有馬は笑顔を保ったまま黙った。笑顔が固定になる。
誠司くんが言った。
「岸本。あなたは名簿を“使える”と判断した。中井は“守れる”と思った。有馬は“広めた”。役割が違う」
「犯罪者扱いか」
岸本が吐き捨てる。
「犯罪はこれから調べる。だが責任は分かれる」
誠司くんの言い方は棘がない。ただ冷たい。
藤本が震える声で言った。
「……じゃあ、誰が悪いんですか」
結城は答えない。答えを口にすると、逃げ道になるから。
俺は藤本に言った。
「悪いって言葉、ひとつにまとまらないよね。でも、この文面は悪い。責任がないって言いながら、責任を押し付けてる」
藤本の目が潤んだ。
中井が小さく言う。
「……俺、正しいことしてると思ってた」
「思わせるのが上手いんだよね」
俺が言うと、誠司くんが俺を見る。
「久世」
「はいはい。黙る」
夜。事務所。
誠司くんが名簿の管理契約書を机に並べる。
「委託先。更新時期。条件変更条項」
「更新、来月だね」
俺が言う。
誠司くんが短く頷く。
「圧をかけられる」
「街ごと、だよね」
結城が言う。
「上は動かねえ」
「動かす材料はある」
誠司くんが言った。
名簿の最後のページ。管理会社のロゴ。
小さく書かれたスローガン。
『情報は人を救う』
俺はそれを見て言った。
「冷たい言葉だね」
誠司くんは答えない。
結城が吐き捨てる。
「救うために流すなら、住所はいらねえ」
誠司くんが短く言う。
「必要以上に持つのは、武器だ」
俺は名簿を閉じた。
そして、ふと思う。
同じ温度で、同じ言葉を使う人間がいる。
“丁寧”で、棘がなくて、逃げ道を残す。
朝倉晃。
名簿は閉じられた。
だが、街はまだ開いたままだった。




