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探偵・久世朔  作者: 九重有
東京委託事件簿

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17/17

丁寧な救済



 誠司くんが机に置いた封筒は、触る前から嫌な感じがした。

 紙が厚い。角が立ってる。丁寧すぎる。


「……救済延長の書類、ね」


 俺が言うと、結城修吾が鼻で笑った。


「救済って言葉、便利だよな。切るためにも使える」


 誠司くんは反応しない。資料を三点、無言で並べた。

1.「救済延長」申請書一式(ホチキス留め)

2.控えのコピー束(クリップ跡あり)

3.受領印が押された提出控え(端に書式番号)


 誠司くんが言った。


「被害者は桂直哉、三十四。真面目で抱え込み体質。支援の延長申請を出した翌日に“虚偽申請”で排除された」


「排除って言い方、もう救済じゃないよね」


 結城が睨む。


「余計なこと言うな」


「余計じゃないって。言葉が先に刺してくる」


 誠司くんが短く続ける。


「容疑者は二人。設計側の宮原達也、四十六。現場係の瀬名亮、二十九。参考人は橋本圭吾、五十七。受付を名乗っている」


「受付が参考人って、もう怪しい」


「先に決めるな」


 結城が言う。

 誠司くんは俺を見る。


「久世。今日は口ではなく目を使え」


「はいはい」


 そう言いながら、俺は目を使う。得意だ。



 桂直哉は事務所に来るなり、深く頭を下げた。

 謝る癖が身体に染みてるタイプだ。


「すみません、突然……僕、どうしたらいいか分からなくて」


「謝らなくていいよ。話して」


 桂は鞄から書類の束を出した。丁寧に揃えて、丁寧に差し出す。

 この人は、救済の言葉に弱い。きっと“丁寧”にも弱い。


「延長申請、出したんです。受付の人に『大丈夫です』って言われて……でも翌日、通知が来て。『虚偽申請』だって」


 結城が言う。


「虚偽って何だ」


「提出後に内容が違うって……僕、そんなことしてないのに」


 誠司くんが言った。


「提出日は」


「一昨日です。夕方。締切ギリギリで」


 俺は桂の手元を見る。指先が荒れてる。爪の縁がささくれてる。

 書類を何度も触ってる人の手だ。自分を守るために、紙にしがみつく。



 現場は「救済窓口」だった。

 看板は優しい。受付の言葉も優しい。照明も優しい。


 優しい場所ほど、怖いことがある。


 受付カウンターの向こうから、橋本圭吾が出てきた。

 礼儀が正しい。だが、目が忙しい。丁寧に逃げる人の目。


「恐れ入ります。お越しいただきありがとうございます。ご用件は」


 結城が手帳を出す。


「桂直哉の件。提出書類が“虚偽”扱いになってる。受付は誰だ」


「私です。ですが、私は受け取っただけで」


 誠司くんが机上の書類を指す。


「受け取っただけの人間の机に、なぜテープの切り屑がある」


 橋本の視線が一瞬だけ机の端へ落ちた。

 透明テープ。カッター。小さな切り屑。事務作業の匂い。


「備品です。皆が使います」


「皆、が誰だ」


 結城が詰める。


 橋本は笑顔を崩さない。


「窓口の者です。瀬名もいますし、宮原も——」


 名前が出た。設計側の宮原。現場係の瀬名。

 橋本は“受付だけ”の人間じゃない。口がそれを言っている。


 俺は軽く言った。


「橋本さん、受付って、触らない仕事じゃないよね」


「失礼ですが、必要な処理はします。規定の範囲で」


 規定。出た。便利な盾。



 宮原達也は、会議室で待っていた。

 冷静な損得勘定の匂いがする。声が平らで、目が乾いている。


「桂さんの申請は規定に反していました。虚偽は虚偽です」


「どこが虚偽だ」


 結城が言う。


「添付資料の一部が差し替えられていました。提出後に改変があった。だから却下です」


 誠司くんが言った。


「提出後に改変があったという根拠」


 宮原は迷わない。


「束の並び。ホチキス。印影。整合が取れていません」


 誠司くんは、机に三つの束を並べ直した。

 そして、指先でホチキスの針をなぞる。


「針の形が違う」


 俺も覗き込む。

 同じホチキス留めなのに、針の曲がり方が違う。留め具の背が違う。癖が違う。


「へえ。見た目は同じなのに」


 結城が言う。


「だから虚偽だろ」


 宮原が言った瞬間、誠司くんが遮った。


「虚偽だとしても、“提出後の改変”は窓口側の責任だ」


 宮原の眉が、ほんのわずかに動く。


「提出後に改変されたなら、改変できるのは誰だ」


 結城が言う。


「提出物は保管庫へ。鍵は二人管理です」


「二人って誰だ」


「私と、橋本です」


 結城の目が細くなる。


「受付だけの人間が、鍵を持つんだな」


 橋本が丁寧に言う。


「効率のためです。恐れ入りますが」


 効率。規定。丁寧。

 言葉が全部、正しい顔をしている。



 瀬名亮は現場係らしく、距離が近かった。愛想がいい。すぐ笑う。

 でも、焦ると早口になる。詰めが甘いタイプの“現場”だ。


「桂さん、可哀想ですよね。真面目だし。僕も、できるなら助けたいんですけど」


「助けたいなら、何をした」


 誠司くんが言う。


「何も。受付が受け取って、保管して、宮原さんが判断して」


 瀬名の言葉が滑る。


「その日、橋本さん、遅くまで残ってましたよね。締切ギリギリで、控えの束作り直して——」


 橋本が笑顔のまま固まった。

 宮原は、目を伏せた。


 結城が言った。


「作り直した?」


 瀬名が一瞬だけ顔色を変える。


「いや、えっと……控えの整理、というか」


 誠司くんが淡々と切る。


「言い換えは要らない。作り直したのか」


「……しました。控えを。提出後に、綺麗に揃えたくて」


 綺麗に揃える。

 それは善意にも見える。だが、証拠の順番を殺す。


 桂の顔が青くなる。


「僕のせいじゃない……」


「違う」


 誠司くんが言った。短い。硬い。けど、内容が柔らかい。


「あなたのせいではない。提出後に触った者の責任だ」


 結城が言う。


「で、誰が触った」


 橋本が丁寧に返す。


「私は受け取っただけです。保管庫に入れただけです」


 その瞬間、俺は橋本の机の端にある“跡”を見た。

 紙の角が擦れた跡。クリップの二点痕。ホチキスの針を外した時にできる、微細な裂け。


 そして、透明テープの切り屑。


 俺は言った。


「橋本さん。受け取っただけの人って、テープそんなに使わないよね」


 橋本が笑う。


「皆が使いますので」


「皆って言い方、便利だね」


 結城が言いかけたのを、誠司くんが止めた。


「結城。証拠からいく」



 誠司くんは、三つの束を順に指した。


「物理証拠は三つある」


 一本目。

 誠司くんがホチキス針を示す。


「提出書類のホチキス針と、控えの針が違う。提出後に束が作り直されている」


 二本目。

 誠司くんが紙の端を見せる。


「クリップ跡が“控え”に二回分残っている。控えは一度外され、別の束と組み直された」


 三本目。

 誠司くんが印影の濃淡を示す。


「受領印のインクが、控えだけ薄い。押された順番が逆だ。提出控えが先に作られている」


 結城が言った。


「提出控えが先? そんなのあり得ねえだろ」


「あり得ない。それが犯行だ」


 誠司くんは宮原を見る。


「宮原。あなたは『提出後に改変があった』と言った。なら、改変できるのは保管庫の鍵を持つ人間だけだ」


 宮原は表情を変えない。


「橋本がやったと言いたいのですか」


「橋本が“手を動かした”可能性は高い。だが、設計はあなたの匂いがする」


 瀬名が早口で言う。


「え、でも橋本さんが勝手に——」


 誠司くんが遮る。


「瀬名。喋るな」


 瀬名が口を閉じる。焦ってる。焦ると崩れる。



 橋本が、丁寧に言った。


「恐れ入りますが、私は“受付”です。虚偽申請を作る理由がありません」


 その言葉が、今日の嘘だった。


 誠司くんが言う。


「あなたは受付だけではない」


「……」


「机にテープ、カッター、書式の控え、そして保管庫の鍵。受付は“触れない”仕事ではない。あなたは触る」


 橋本の笑顔が少しだけ崩れる。

 丁寧に逃げていたのに、丁寧が割れる瞬間。


 俺は、ずっと気になっていた封筒を指した。桂が持ってきた通知の封筒だ。


「誠司くん。これ、見ていい?」


「見ろ」


 俺は封筒の口を覗いた。

 糊の匂い。紙の縁。光にかざすと、糊の層が二段に見えた。


「これ、二層だね」


 結城が眉を寄せる。


「二層?」


「一回開けて、もう一回貼ってる感じ」


 これが反転の鍵だった。

 “通知”はただの通知じゃない。途中で触られている。

 つまり、この件は桂を切るために、外から“整え直されている”。


 誠司くんが宮原に向けて言った。


「桂を排除するのが目的だ。虚偽申請にして、規定で切る。救済を武器にする」


 宮原は、初めて苛立ちを滲ませた。


「彼は規定を守れなかった。それだけです」


「規定は守らせるものだ。踏ませないために置くものではない」


 誠司くんの声が硬い。だけど、怒っている。


 結城が机を叩く。


「で、WHOは誰だ。橋本か、宮原か」


 誠司くんが答える。


「HOWから確定する。束の作り直しは橋本の手。だが、作り直す理由を作ったのは宮原だ」


 橋本が小さく言った。


「……指示されたんです。『控えを整えておけ』と」


 瀬名が耐えきれず言った。


「宮原さん……それ、やりすぎですよ。桂さん、真面目なのに」


 宮原が冷たく言う。


「真面目かどうかは関係ない。枠は枠だ」


「枠、ね」


 俺は小さく呟いた。枠は便利だ。人を切るのに。



 最後の決定打は、瀬名だった。

 愛想が良くて距離が近い人間は、焦ると口が滑る。


「だって、桂さん、面談の時に“名簿”の話しちゃって……」


 結城が目を剥く。


「名簿?」


 瀬名が青くなる。


「……すみません。言っちゃいけないやつ」


 誠司くんが言う。


「誰の名簿だ」


 瀬名は、宮原を見る。

 宮原は、何も言わない。


 沈黙が、答えだった。


 結城が息を吐く。


「上が嫌がる匂いがするわけだ」


 誠司くんは桂に向き直った。


「桂。あなたは悪くない。提出後に作り直された。それを“虚偽”にした」


 桂の目に、涙が浮かぶ。謝る癖がまた出そうになる。


「……すみませ——」


「謝るな」


 誠司くんが言った。短い。でも、棘がない。



 帰り道、結城が苛立ちを噛み殺して言った。


「結局、窓口と委託元が近すぎる。名簿、番号、書式。全部が繋がってやがる」


 誠司くんが提出控えの端を指した。


「書式番号が残っている。委託元を辿れる」


 俺は笑った。


「丁寧に逃げる人って、丁寧に痕も残すんだね」


 結城が睨む。


「お前、茶化すな」


「茶化してないよ。褒めてもない」


 最後に、誠司くんが封筒を手袋で持ち上げた。

 二層の糊の匂いが、鼻の奥に残る。


 救済は、丁寧だった。

 丁寧だからこそ、よく切れる。


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