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探偵・久世朔  作者: 九重有
東京委託事件簿

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16/17

選択肢の封筒



 白い封筒が、事務所のポストに入っていた。


 無地。差出人なし。宛名は俺。

 紙が妙に厚い。指先に“腰”が返ってくる。安い封筒の軽さじゃない。


 封を切る前に、ドアがノックなしで開いた。


「お前さ」


 結城修吾。警察官。俺の同級生。

 不機嫌そうな顔で、いつも通りの口調。


「鍵かけろ。最近この辺、窓口の名刺がばら撒かれてる」


「名刺が増えるほど、人が減る。嫌な増え方だな」


「詩人になるな。黙れ」


 結城の後ろから、慎重に靴を脱ぐ影。


「おはようございます……!」


 篠宮直斗。今日は両手が空だ。転ばないために何も持たない、って発想が素直すぎる。


「直斗くん、準備が健全だ」


「健全にいきます!」


「声がでかい」


 結城が即ツッコミを入れた。直斗が反射で背筋を伸ばして、つま先が滑りかける。危ない。


 奥からコーヒーの香り。背筋の正しい空気が来る。


「久世」


 橘誠司が無言で手袋を差し出してきた。俺じゃない。封筒へ。


「開けるな」


「分かった。君の番」


「君の番は触らないことだ」


 誠司は封筒を受け取り、宛名を見て、角、糊の位置、紙の繊維、筆圧のムラを順に追った。

 見ているというより、測っている。


「筆記具は万年筆。線が一定。書き慣れている」


 結城が鼻で笑った。


「字が綺麗な犯人なんて山ほどいる」


「犯人はまだ決めない。作り手の癖を見る」


 誠司が封を切る。中身は紙が一枚。二行だけ。


『残すか、捨てるか。君が決めろ』


 結城が短く吐き捨てる。


「気持ち悪い。選ばせてる顔して責任投げるやつだ」


 直斗が紙を覗き込んで、声を落とす。


「……脅迫、ですか」


「脅迫に近い」


 誠司の声は硬いが、棘がない。

 直斗は安心しきる前に、結城の顔色を見て口を結んだ。賢い。


 誠司が封筒のフラップを指で押さえた。


「糊が二層だ」


「二層?」


 俺が覗き込むと、フラップの縁に薄い段差が見えた。乾いた糊の上に、別の糊が重なっている。


「一度開けて、封をし直している」


 結城の眉が動く。


「誰かが中身を読んでから、また入れた?」


「可能性が高い。糊の種類も違う」


 直斗が小さく言った。


「……加工、ですか」


「加工だ」


 誠司は紙を戻し、封筒をファイルに挟んだ。


「行くぞ。これと同じ匂いが、現場にある」


 結城がスマホを机に置く。


「で、現場はどこだ」


 画面に表示された名前。


【松田 圭吾】


 通話を取る前に、誠司が言った。


「久世。先に聞け。何が起きた」


 俺は頷いて、電話を取った。


「松田さん」


『久世さん、すみません。朝から……』


 松田圭吾の声は早い。焦っているのに、言葉だけは丁寧だ。

 世話焼きで噂好き、そして義理堅い。声の端に“背負った”重さが乗っている。


『三浦さんが……階段から落ちました。足、折ってます。事故ってことになってるけど、見たら分かります。あれ、事故の落ち方じゃない』


「三浦恒一。湾岸の端の家?」


『そうです。再開発の区画外ですけど、委託の巡回が入ってて……』


 結城が舌打ちした。


「委託巡回。そこ、最近初動遅い区域だ」


 松田は息を吸って、続けた。


『それで……相談員が来てたんです。徳永拓也って名乗ってる。夕方にまた来るって』


 誠司が即答した。


「今行く。松田さん、三浦さんの家にいるか」


『います。奥さんが怯えてて……三浦さんも、家族を外に出せなくなってる』


「分かった。玄関は開けるな。鍵は二重のまま。届き物は触らない。——俺たちが着くまで、家の中で」


『はい……はい。すみません。僕が、僕が——』


「今は謝るな。落ち着け。話はあとで聞く」


 電話を切ると、直斗がペンを落とした。床に転がる音。

 転ばない日は、物が転ぶ。


「すみません!」


「拾うな。足元見ろ」


 誠司の声は硬い。責める硬さじゃない。事故を減らす硬さだ。


「直斗、現場で見る。触るな。走るな」


「はい」


「返事は一回でいい」


「はい」


 結城が鍵束を鳴らした。


「行くぞ。久世、軽口は現場に落としていけ」


「落とさない。持っていく。現場で使う」


「そういうこと言うな」



 三浦恒一の家は、湾岸の端にあった。


 新しい街灯と古い塀が混ざった、落ち着かない通り。

 玄関前に立っただけで、空気が固い。家の中の呼吸が外に漏れてる。


 鍵が二つ外れる音のあと、男が出てきた。

 温厚そうな顔。でも目の奥が落ち着いていない。足にギプス。


「……警察の方ですか」


 結城が名刺を出す。


「結城。で、こいつらは協力者。探偵の久世と橘」


 三浦の視線が俺に移り、警戒が一段上がる。

 探偵という単語は、どうしても怪しい。


 俺は声を落として言った。


「怪しいのは認める。だから先に、怪しくないことをする。階段、見せて」


 三浦は迷って、頷いた。


 家の中。階段の前。


 踏み板の角だけ、木が白く削れていた。

 欠けたのではない。刃物で一定幅を“さらった”痕。しかも、その上から軽く研磨してある。


 結城が低く言う。


「……事故に見せる工作だな」


 直斗がしゃがみ込む。指を伸ばしかけて止める。

 今日は止まれる。


「……見るだけにします」


「それでいい」


 誠司が頷く。


 直斗は目線で隅を示した。


「削りカス、あります。細かい。……乾ききってません」


「どこが湿っている」


 誠司がすぐ聞く。


「ここです。隅だけ、色が濃い。触ってないです」


 誠司は膝をつき、ライトだけを当てた。

 粉の粒が細かい。木粉というより、紙やすりで出る粉の形に近い。


「粉が新しい。……事故の前に削ったとは限らない」


 三浦が顔を上げる。


「え……昨日、落ちたんです」


「だからだ」


 誠司は淡々と言った。


「昨日なら乾いていていい。ここだけ湿っているのは、後から追加された可能性がある」


 結城が眉を上げる。


「事故の後に、証拠を作った?」


「事故を“事故”にしたい者は、それをする」


 俺は三浦に聞いた。


「落ちた時、足裏の感触は覚えてる?」


 三浦は目を閉じて思い出す。


「……つるっとしました。木が、妙に。ワックスみたいな」


 誠司が直斗を見る。


「篠宮。三浦の靴下を見られるか」


「はい。……三浦さん、失礼します」


 三浦がぎこちなく靴下を少し上げる。

 足首のあたりに、透明っぽい微粒子が薄く付着していた。木粉の色じゃない。


 直斗が言う。


「……透明っぽい粉です。木の粉と違います」


 誠司が頷く。


「滑りを作る処理だ。削るだけではなく、粉を撒いている。二工程」


 三浦の喉が鳴った。


「……そんな、誰が」


 そこへ、奥から小さな足音。

 家族の気配が、見えないところで固まっている。


 俺は声を抑えて言った。


「三浦さん。最近、“撤回”の話をした人が来た?」


 三浦は小さく頷いた。


「……来ました。撤回は自由だって。条件が動く可能性があるって」


「撤回って何の撤回」


「説明会で押した同意です。委託の説明、って言われました」


 誠司が言う。


「来たのはいつ」


「一昨日の夕方」


「階段を上り下りしたか」


「しました。二階で話したので」


 結城が短く言った。


「名刺は」


 三浦が名刺入れを出した。名刺の揃い方が綺麗だ。几帳面な人の揃え方。

 一枚を抜いて差し出す。


 徳永拓也。


 直斗が名刺を受け取ろうとして、誠司に目で止められる。

 誠司が手袋で受け取った。


「紙質が良い」


 結城が言う。


「個人の名刺じゃねえ」


 玄関の方で気配が動いた。

 松田圭吾が入ってくる。顔が青い。焦っているのに、礼儀だけは崩さない。


「久世さん……すみません。本当に……」


 結城が先に言った。


「松田。謝るのは後。今は話せ。徳永は、お前が紹介したのか」


 松田がすぐ頷いた。


「はい。僕が……僕が三浦さんに——」


 その頷きが、早すぎた。


 誠司が松田を見て、静かに言う。


「松田さん。紹介の形を具体的に言え。いつ、どこで、何をした」


 松田の口が止まる。

 言えないというより、言葉の順番が崩れている。


「え……その、僕は……名刺を。渡しました。徳永さんの名刺を、三浦さんに。“相談できる人がいる”って」


 結城が眉を寄せる。


「それが紹介だろ」


 誠司が首を横に振る。


「紹介は“繋ぐ”ことだ。名刺を渡すのは、紙を渡すだけだ」


 松田が苦しそうに目を伏せた。


「……僕が繋いだと思われたくて。僕のせいだと思って。三浦さんが怪我して、奥さんが怯えてて……」


 俺は松田の声に乗せて言った。


「背負ったんだな。勝手に」


 松田が小さく頷く。


「すみません……」


 結城が苛立ちを噛み殺すように言う。


「善意で首突っ込むな」


 誠司が結城を止める。


「結城。今責めても、情報が減る」


 硬い声。棘はない。結城が一度だけ息を吐いて黙った。


 誠司が松田に言った。


「名刺を渡しただけなら、徳永はどこから三浦の住所を得た」


 松田が震える声で言う。


「……説明会の名簿、だと思います。委託の……」


 誠司が頷いた。


「名簿がある。流れがある。だから窓口が来られる」


 三浦が言った。


「今日の夕方、また来るって言ってました」


 誠司が即答した。


「来させる。こちらが同席する」


 結城が短く言う。


「俺は署に戻る。上を動かす材料を作る。三浦、家族を外に出すな」


 三浦が何度も頷く。頬が少し赤い。怒りより後悔の赤だ。


 誠司が言った。


「玄関に出ない。届き物は触らない。階段は使わない。二階へ行くなら、こちらがいる時だけ」


 三浦の目が揺れる。


「……分かりました」


 俺は松田を見る。


「松田さん。徳永の名刺、どこで手に入れた」


「駅前です。貸しオフィスで。説明会の案内板のところに……名刺が束で置かれてて」


 結城が吐き捨てる。


「束で置くな。感染るだろ」


「感染って言い方、ひどい」


 俺が言うと、結城が睨む。


「お前は黙れ」


「黙らない。減らす」


「減らせ」


 誠司が結城を見ずに言った。


「二人とも、行く」



 駅前の貸しオフィスは、看板が小さかった。案内板にだけ社名。

 丁寧に目立たない作り。


 ドアを開けると、男が立っていた。


 徳永拓也。三十八。

 笑顔が上手い。上手すぎて距離ができるタイプの笑顔。


「おや。警察と探偵。珍しいですね」


 結城が前に出る。


「徳永。三浦恒一に接触したな」


「相談を受けただけです。撤回は本人の自由でしょう」


 誠司が一歩前に出る。


「自由と言った。なら、撤回後に“何か起きるかもしれない”と示唆した理由は」


 徳永の笑顔がわずかに薄くなる。


「示唆? 不安になる方が多いので。想定してもらった方が——」


「先回りだ」


 誠司が言った。


「手紙を偶然の嫌がらせに見せるための」


 徳永が肩をすくめる。


「推理ですね」


 俺は封筒を出さずに、先に言った。


「封筒、糊が二層だった。誰かが開けて封をし直してる」


 徳永の目が一瞬動く。戻しが遅い。

 反射じゃない。計算の遅れだ。


「そんなもの、誰でも——」


 誠司が遮る。


「糊の匂いが違う。封をし直した糊は事務用。あなたの机にある糊と同じ匂いがする」


 直斗が一瞬だけ徳永の机を見る。

 小さな糊の容器が、ペン立ての影に置かれている。新品に近い。


 直斗は口を挟まない。

 代わりに、足元を見る。靴を見る。


 徳永の靴底は綺麗だ。削り粉は付いていない。


 俺は言い切らない。範囲を絞る。


「少なくとも、昨日あの階段を削った人じゃない。靴が綺麗すぎる」


 徳永が鼻で笑う。


「それで? 私は犯罪者ではない」


「実行役じゃない」


 俺は淡々と言う。


「窓口だ。依頼と回収の係。——だから名簿と封筒に触る」


 徳永の笑顔の奥から、苛立ちが少し覗いた。

 丁寧に貼り付けた表情が、一瞬だけ浮く。


「証拠は?」


 誠司が答える。


「これから取る。接触記録、説明会の主催、名簿の出入り、あなたの端末ログ。委託は記録で動く。記録は残る」


 “残る”の瞬間、徳永の目がわずかに細くなった。

 この人は、責任より記録を嫌う。


 徳永は笑顔を貼り直す。


「私は相談員です。困っている方を助けているだけ」


 俺は徳永に、柔らかく返した。


「助けるなら、階段は削らない。あなたが削ってないなら、なおさら」


 徳永の笑顔が、ほんの少し揺れた。

 揺れた瞬間だけ、人間が見える。


 誠司が締める。


「三浦への再接触はやめろ。やめないなら、正式に動く」


「検討します」


 徳永は丁寧に言い、目を逸らした。



 外へ出ると、湾岸の風が冷たかった。


 直斗が小さく言った。


「……事故の後に粉を足すって、どうして」


「事故を“自己責任”にしたいから」


 誠司の声は硬い。


「選ばせて、決めさせて、負わせる。——委託のやり方だ」


 結城が吐き捨てる。


「胸糞悪い」


 俺はポケットの中の紙の感触を確かめた。二行の紙は軽いのに、やけに重い。


「夕方だ。徳永がまた来る。三浦の家で、次の一手が出る」


 誠司が頷く。


「久世。手順を守れ」


「分かってる。今日は暴れない」


「“今日は”を付けるな」


「付けない。守る」


 直斗が小さく息を吐いた。

 転ばない日は、息の仕方が少し安定するらしい。


 そして俺たちは、封筒の二層の糊が示した“手”を追って、湾岸へ戻った。

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