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探偵・久世朔  作者: 九重有
外伝1

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14/17

名刺の裏



 名簿ってやつは、紙のくせに人を動かす。

 人を動かすくせに、責任だけは机の下に落ちる。


 橘誠司と別れた翌週、俺のスマホが鳴った。

 登録されてない番号。こういうのは大抵、面倒だ。


「久世さん、ですよね」


 昨日泣いてた受付の女性だった。声が早い。焦ってる。


「そう。どうしたの」


「また…来たんです。今度は“名簿”で」


「名簿?」


「相談窓口の名簿が、外に出たみたいで。脅迫が来てます。社員が…倒れかけてて」


 倒れかける、って言い方は丁寧だ。

 倒れかけるのは、ほぼ倒れてる。


「分かった。場所どこ」


 電話を切った瞬間、もう一つ通知が入った。

 橘誠司から、短いメッセージ。


〈行くな。待て〉


 待てって言葉、硬い。

 俺は返した。


〈もう向かってるよね〉



 場所は、小さなコンサル会社だった。

 ビルは新しい。受付も綺麗。掲示物もまっすぐ。

 “相談窓口”って、こういう空気が好きだ。


 被害者は、若い社員だった。顔色が白い。温厚そうなのに、目だけが怯えてる。


「すみません…僕のせいで…」


「君のせいじゃないよね」


 俺が言うと、社員は泣きそうに頷いた。


 机の上には封筒。無地。丁寧な字。

 中身は、短い文章。


『あなたのためを思ってお伝えします。正しい判断をしてください。拒否されるなら、あなたの責任です』


 責任。

 押し付け方が丁寧だ。


 そこへ橘が来た。

 ノックは一回。入室は静か。視線は机に落ちる。


「久世」


 硬い声。棘はない。


「来たじゃん」


「来た。……だから勝手に動くな」


「動くよ。止まらないじゃん」


 橘が俺を見る。少しだけ息を吐く。諦めの息。


「名簿は」


「これ」


 俺が封筒を差し出すと、橘は手袋をつけて受け取った。

 折り目を見る。紙質を見る。インクを見る。癖を見る。


「文章が謝り方として完璧すぎる」


 俺が言うと、橘が頷いた。


「同意する。——だが、文体だけでは足りない」


「足りないなら、足すよね」


 俺が言うと、橘は言い返さない。

 代わりに、机にノートPCを置いた。


「印刷ログ」


 会社の総務担当が震える声で言う。


「印刷は…制限してます。名簿は触れないように…」


「触れない、ではない。触れるようになっている」


 橘の声は平らだ。平らなのに圧がある。



 容疑者は二人。


 一人は内部。矢部光平。弱みがあり崩れやすい。

 もう一人は外部。相談員の園田悠人。丁寧で棘がない。笑顔が固定される人間だ。


 矢部は最初から汗をかいていた。


「僕じゃないです。僕、怖いこと嫌いで…」


「怖いこと嫌いなのに、名簿は触れた?」


 俺が聞くと、矢部の喉が鳴った。


「触れてないです」


「否定、早いね」


 矢部の目が泳いだ。泳ぎ方が、素直すぎる。

 崩れやすいのは、こういうタイプだ。


 園田悠人は、入ってきた瞬間に場を柔らかくした。

 柔らかくしたのに、空気が逃げない。


「皆さん、落ち着いてください。こういう時ほど、丁寧に」


「丁寧、好きだね」


 俺が言うと、園田は笑う。


「必要ですから」


 橘が言った。


「園田。あなたの所属は」


「自治体と連携している相談員です。企業の窓口も支援しています」


 言い方が滑らか。

 滑らかすぎると、どこにも引っかからない。引っかからないのが怖い。



 橘はログを積んだ。

 印刷履歴。アクセス権。USBの接続記録。

 名簿は「持ち出せない」仕組みだった。

 でも、仕組みって穴がある。穴は“作れる”。


「印刷はしていない」


 総務が言った。


 橘が言う。


「印刷していないのに、紙がある。なら撮影だ。持ち出しではなく“写し”」


 俺は封筒の折り目を触らないように見た。

 折り目が綺麗すぎる。綺麗に折る癖。丁寧を武器にする癖。


「この折り、手が慣れてる」


 俺が言うと、園田が笑う。


「折り方で人を決めるんですか。探偵さんって面白い」


「面白くないよね」


 俺が言うと、橘が俺を見る。


「久世」


「はいはい」


 園田は笑顔のまま、ほんの少しだけ息が浅い。

 焦りじゃない。警戒。


 橘が言った。


「園田。あなたは犯人ではない。少なくとも“書いた手”ではない」


 園田の笑顔が一瞬だけ止まって、戻った。


「そうでしょうね」


「だが、関わっている」


 橘の声が硬くなる。


 園田は丁寧に答える。


「私は、困っている人を助けているだけです」


 助ける。

 守る。

 尊重。

 正しい言葉は、使い勝手がいい。


 俺は園田に近づいて、声を落とした。


「園田さん、名簿ってさ、便利だよね。人を助ける顔して、人を縛れる」


 園田の目が少しだけ細くなった。



 矢部光平が崩れたのは、ほんの一言だった。


 橘が机の上に、出力したログを置いた。

 矢部が使ったPCの画面キャプチャ。

 “名簿”のページを開いた時間。

 たった二分。


「二分で、何をした」


 橘が言う。


「……見ただけです」


 矢部が言う。


 俺は笑って言った。


「二分って、見る時間じゃないよね。撮る時間だよね」


 矢部の肩が落ちる。


「……園田さんに言われたんです。“共有すれば守れる”って」


 園田の笑顔が、固定になった。


「誤解です」


 橘が言った。


「誤解なら、名刺を出せ」


「名刺?」


 園田は一瞬遅れた。


 橘が言う。


「あなたがこの会社に入った記録はある。だが所属の裏付けが薄い。名刺の会社名と、委託の番号を見せろ」


 園田はゆっくりと名刺を出した。

 丁寧に。角を揃えて。


 俺は名刺を見て、裏に指を当てた。


 薄い。

 紙が、二枚貼り合わせみたいに薄い。


 裏返した瞬間、俺は言った。


「……これ、裏だけ新しいよね」


 園田の目が動いた。


 橘が言う。


「委託番号が後貼りだ。番号を“持っている”だけで、所属を偽装できる」


「所属を偽装して、何がしたいの」


 俺が言うと、園田は丁寧に言った。


「助けたいだけです」


「助けたいって言い方、通りがいいよね」


 俺が言うと、橘が俺を見る。


「久世。評価するな」


「はいはい」


 橘は園田から名刺を受け取った。

 手袋越しに、裏の紙の段差をなぞる。


「この番号は、どこから」


 園田は黙る。

 黙り方が丁寧。逃げ道を探す黙り方だ。


 橘が言った。


「答えないなら、記録で答えさせる。矢部の端末には、あなたの連絡先が残っている。あなたは“書いた手”ではない。だが“使わせた”」


 園田の笑顔が、ようやく崩れた。


「……正しいことを、したかっただけです」


 俺は言った。


「正しいって言葉、強いよね」


「久世」


 橘が止める。止め方が優しい。棘がない。


「黙れ、じゃないんだ」


「仕事だ」


 橘が短く言った。



 外に出ると、風が冷たかった。

 綺麗なビルの風は、余計に冷たい。


 橘が名刺を封筒に入れて言う。


「久世。これで“道具”の形が分かった」


「道具?」


「委託番号。番号を持っていれば、人を動かせる。——これは、個人の犯罪ではない」


 俺は名刺の封筒を見て言った。


「番号ってさ、名前より怖いよね」


 橘は頷いた。


「名前は逃げる。番号は残る」


「残すの、好きだね」


「好きではない。必要だ」


 橘が言った。


 俺は笑った。


「じゃあさ。次も必要になりそうだよね」


 橘は答えない。

 答えないまま、名刺の角だけが綺麗に揃っていた。

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