表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探偵・久世朔  作者: 九重有
外伝1

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/17

最初の鍵



 失踪って言葉は、軽い。

 軽いから、置き去りにされる。

 置き去りにされたまま、鍵だけが増えていく。


 その日、俺が呼ばれたのは「失踪」の現場だった。

 場所は、再開発の話が出る前の、古い雑居ビル。古いのに、嫌に“綺麗”なビルだ。床のワックスが光っていて、壁の掲示物が全部まっすぐ。人が住む場所って、だいたい少しは曲がるのに。


「久世さんですか」


 受付の女性が小声で言った。世話焼きで噂好き。だけど、目が落ち着いてる。義理堅いタイプの目。


「そう。呼んだよね」


「はい。……ごめんなさい、警察じゃなくて」


「大丈夫だよね。警察だと遅いでしょ」


 言った瞬間、受付の顔がほんの少しだけ楽になった。


「いなくなったのは、管理会社の人です。鍵を扱う人で……真面目で、黙々と仕事して。佐藤輝明っていいます」


「佐藤さんね」


 写真を見た。静かな顔。誠実な目。こういう人は、急に消える時ほど、雑にならない。


「最後に見たのは?」


「昨夜。閉館の点検を終えて、裏口から出たのを見ました。帰る時もいつも通りで」


「いつも通りって、怖いよね」


 受付が小さく頷いた。


「部屋、見せてもらえる?」


「はい。……あの、上の方が来てます。代理人の方」


 上、ね。

 “代理人”って言葉が出た時点で、だいたい嫌な匂いがする。



 管理会社の小部屋は、ビルの裏側にあった。

 机は整っているけど、整いすぎてない。必要な書類だけが残ってる。佐藤輝明の性格が机に出てる。


 そして、もう一人。部屋の中に、空気の硬い男がいた。


 スーツ。襟の角度が正しい。髪も正しい。立ち方も正しい。

 正しすぎて逆に目立つ。


「あなたが探偵ですか」


 声が硬い。礼儀はある。距離もある。


「探偵だよ。久世朔。よろしくね」


 俺が笑うと、男は笑わない。


「橘誠司です。……この件、あなたに任せるつもりはありません」


 きた。硬い。

 でも、嫌いな硬さじゃない。余計な飾りがない。


「え、じゃあ誰に任せるの」


「私が見る」


「警察の人?」


「違います」


 橘は短く言ってから、少しだけ言い直した。


「元は、法律事務所の企業法務です。危機対応と内部調査——証拠保全と記録の仕事をしていました。今は外部の案件で動いている」


 なるほど。

 硬いわけだ。手続きの人だ。


 奥に、代理人がいた。ビルオーナーの代理人。丁寧で落ち着いてる。口角がいつも同じ高さで、声が滑らか。


「お忙しいところ恐れ入ります。皆さん、落ち着いてください。佐藤さんは大人ですから。少し休みたいだけでしょう」


 丁寧で、棘がない。

 棘がないからこそ、怖い。


 橘が言った。


「佐藤のスマホはここにある。財布もある。靴も揃っている。休みたいなら、なぜ全部置く」


「衝動的に出たのでは?」


 代理人はにこやかに答える。


 俺は床を見る。机の下のゴミ箱。中は空。

 衝動的に出た人は、ゴミ箱が空にならない。焦った時ほど、紙くずが増える。


「衝動って、散らかるじゃん」


 俺が言うと、橘が俺を見る。


「説明するな」


 硬い。

 でも止め方に棘がない。


「はいはい」


 橘は机の書類をひとつずつ確認した。

 触り方が丁寧だ。手袋。角を揃える。折り目を見る。

 まるで鍵穴を覗くみたいに。


「契約書が一枚だけ新しい」


 橘が言った。


 代理人が微笑む。


「更新時期ですから」


「更新時期は来月だ」


 橘の声が一段低くなる。


 俺は契約書を覗いた。

 確かに一枚だけ、紙が新しい。厚みも違う。インクの匂いも違う。


「代理人さん、これ、いつ差し替えたの」


「差し替えていません」


 即答。速い。


 俺は言った。


「否定、早いよね」


 代理人の眉が、ほんの少しだけ動いた。すぐ戻る。戻しが速い。


 橘が淡々と言う。


「“鍵”の管理表がない。佐藤は鍵を扱う人間だ。管理表がなくなるのは不自然だ」


 受付の女性が青くなる。


「いつも、ここに……」


「誰かが持ち出した」


 橘が言う。


 代理人は微笑みを崩さない。


「佐藤さんが持ち出したのでは?」


 俺は机の端を見る。ペン立ての位置がずれている。たった数ミリ。

 佐藤の性格なら、ずれたままにしない。


「佐藤さんが自分で持ち出すなら、ペン立て戻すよね」


 受付が目を丸くした。


「え……?」


 橘が俺を見る。


「君は、そういうのを拾うのか」


「拾うよね。机って喋るじゃん」


「喋らない」


「喋るって」


 橘の口元が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

 気のせいかもしれない。でも、硬い人の“少し”は大きい。



 裏口の監視カメラは古い。画質が荒い。だが、時間は残る。


 橘がログを見て言った。


「二十三時四十七分。佐藤が裏口に出ている。……だが、その前に“誰か”が先に出ている」


「誰かって、職員?」


 受付が言う。


「職員は帰宅済みだ。残っていたのは佐藤と、警備員が一人」


「警備員どこ」


 俺が聞くと、受付が震える声で言った。


「今日、休みって……急に」


 急に、ね。

 急に休むのは、だいたい“選ばされた”時だ。


 橘が言った。


「警備会社のシフト表を出せ」


 代理人が口を挟む。


「それは個人情報です。ここで扱うのは——」


「必要だ」


 橘の声は硬い。硬いのに、言葉が丁寧で棘がない。

 怒鳴らないのに、逃げ道が消える。


 代理人の笑顔が少し固定になる。


「……手続きが必要です」


 橘が頷いた。


「踏む。今ここで、手続きを止めた者の記録も残す」


 代理人が黙った。

 こういう相手には、これが効く。綺麗な言葉で逃げ道をなくす。


 俺は受付に聞いた。


「佐藤さん、最後に誰と話してた?」


「……代理人さんと」


 受付が言った瞬間、代理人がすぐに言う。


「業務の確認だけです。鍵の返却と、点検の——」


 また早い。


 俺は言った。


「説明、綺麗だね」


「職業柄です」


 代理人は微笑む。


「じゃあさ、職業柄、こういう一文も差し込めるよね」


 俺は契約書の一行を指でなぞった。


『当社は一切の責任を負いません』


 代理人の笑顔が、ほんの少しだけ薄くなった。


 橘がその一行を見て言う。


「免責条項が増えている。更新前に差し込む理由がない」


「佐藤さんが勝手に——」


「佐藤は勝手に鍵を持ち出すタイプではない」


 橘が言い切った。

 その断言には、佐藤への信頼が混じっている。


 俺は橘を見て、つい言いたくなる。


「橘さん、佐藤さんのこと大事なんだね」


「好き嫌いで判断しない」


「でも信じてるよね」


 橘は一瞬だけ黙ってから言った。


「……事実がそう言っている」


 硬い。

 でも、ちょっとだけ優しい。



 裏口の鍵は、二重だった。

 ビルの鍵と、管理会社の鍵。

 佐藤は、その両方を扱える。


 橘が鍵箱を見て言った。


「ここだけ、空白がある」


 鍵箱の一番下。

 ラベルは残っているのに、鍵がない。


 受付が言う。


「それ、地下の設備室です。普段は使わなくて……」


 俺は言った。


「普段使わない鍵って、使う時はだいたい嫌な時じゃん」


「久世」


 橘が短く止める。


「はいはい」


 地下の設備室。

 扉は閉まっている。鍵穴が新しい。

 しかも、鍵が差し込まれた跡が綺麗すぎる。雑に回してない。


 橘が鍵を差し込んで言った。


「開く」


「開くんだ」


 俺が言うと、橘は一度だけ俺を見た。


「君は軽い」


「軽くしないと怖いよね」


「怖いなら、手続きを踏め」


「手続き、嫌いじゃないよ。遅いのが嫌いなだけ」


 橘が扉を開けた。


 設備室の奥に、佐藤輝明がいた。

 椅子に座らされている。縛られてはいない。だが、自由じゃない。

 その横に、例の代理人が立っていた。


「……ご足労いただき恐れ入ります」


 代理人は、まだ丁寧だった。


 佐藤が言う。


「久世さん……?」


 俺は笑って言った。


「いるじゃん。失踪、向いてないよね」


 佐藤が乾いた笑いを出した。

 その笑いは、助かった人の笑いじゃない。

 “選ばされた”人の笑いだ。


 橘が代理人に言った。


「なぜここにいる」


「佐藤さんが、契約の“同意書”に署名しないからです」


 代理人は淡々と言った。


「同意しないとどうなる」


 橘が聞く。


「困る人が出ます。ビルの安全が——」


「安全を盾にするな」


 橘の声が硬くなる。


 代理人は微笑んだまま続ける。


「今夜中に署名が必要です。保険の更新と、銀行の条件が今日で切れる。明日の朝、工事が止まる。止まれば損害が出る。損害は——」


「誰かに押し付けられる」


 橘が言った。


 代理人が頷く。


「私どもは望んでおりません。ですが——」


 その言い回し。

 丁寧な圧。

 俺は息を吐いた。


「その言い方、癖だよね」


 代理人の微笑みが止まった。


「……何の話ですか」


「“私どもは望んでおりません”。責任を薄める言い方。窓口で叩かれ慣れてる人の言葉だよね」


 橘が一歩前に出る。


「佐藤をここに留めた時点で、あなたに責任は発生している」


「手続きを踏んでください」


 代理人が言う。


 橘は頷いた。


「踏む。だから記録する。あなたの発言も、鍵の使用履歴も、監視カメラのログも、契約書の差し替えも」


 代理人が口を開きかけて、閉じた。


 俺は佐藤に言った。


「佐藤さん、鍵を返して。そしたら出れるよね」


「……はい」


 佐藤が鍵束を差し出した。手が震えている。

 震え方が、恐怖じゃない。悔しさだ。


 俺は代理人に言った。


「鍵ってさ、持ってると強いじゃん。でも、鍵って記録も残るよね」


 代理人の目が動いた。戻しが遅い。崩れた。


 橘が言う。


「終わりだ。あなたは“合法に見せる”ために、鍵と契約を使った。だが鍵は履歴になる。契約は差し替えが履歴になる。逃げ道は消える」


 代理人は、まだ丁寧に言った。


「……私は、街のために」


 橘が言い切る。


「街のためという言葉で、個人を閉じ込めるな」


 その言葉は硬い。

 でも棘がない。守るための硬さだ。



 佐藤は無事に外へ出た。

 受付の女性が涙をこぼして謝り続けて、佐藤は黙って頭を下げた。静かで誠実な人の、静かな礼だ。


 ビルの外。冷たい風。


 橘が言った。


「君は速い。だが、速いだけでは残らない」


「残すの、得意そうだよね」


 俺が言うと、橘は少しだけ目を細めた。


「得意ではない。必要だからやる」


「じゃあさ」


 俺は笑って言った。


「必要な時、また一緒にやろうよね」


 橘は少しだけ考えてから、硬い声で言った。


「……条件がある」


「なに」


「勝手に触るな。勝手に走るな。勝手に燃やすな」


「最後だけ曖昧じゃん」


「君が曖昧だからだ」


 俺は笑った。


「厳しいね」


「厳しいのは、君のほうだ」


 橘はそう言って、名刺を一枚だけ置いた。

 白い紙。丁寧な字。


 橘誠司。


 俺はその名刺を拾って、指で弾いた。


「……鍵、ひとつ増えた感じだね」


 橘は答えない。

 答えないまま、風だけが先に進んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ