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探偵・久世朔  作者: 九重有
東京開発事件簿

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12/17

東京は綺麗だ



 東京は綺麗だ。

 綺麗だから、汚れが目立つ。

 目立つ汚れは、丁寧に隠される。


 結城修吾は、現場の前で無言だった。無言が長い。長い時ほど、腹の底で怒っている。


「事故が続いてる」


 結城が言う。


「被害者」


 誠司くんが短い。


「松岡誠一。現場責任者。堅実で責任感が強い。自分を追い込みやすい。……もう一人、岡野達也。豪胆で雑。だが優しさが裏目に出る」


「死人は」


 結城が聞く。


「まだだ。だが、寸前だ」


 直斗が小さく息を吸う。


「工事現場で、事故って…」


「事故って言えば済むからね」


 俺が言うと、結城が睨む。


「黙れ」


 誠司くんが言った。


「現場へ」





 再開発工事現場は、囲いの中にもう一つの街を作っていた。

 クレーン。照明。安全標語。ヘルメット。

 全部が正しく見える。正しく見えることが、怖い。


 松岡誠一は、ヘルメットを握り潰しそうな手で持っていた。責任感で自分を削る人間の手だ。


「すみません。俺が悪いんです」


 第一声がそれ。

 追い込みやすい人の謝り方。


 岡野達也は、その横で腕を組んでいる。豪胆で雑。だが目が優しい。優しいのが裏目に出る顔だ。


「松岡さんのせいじゃないっすよ。現場は現場で——」


「黙ってろ、岡野」


 松岡が遮る。自分のせいにしたい人間の遮り方。


 誠司くんが言う。


「事故の内容」


 松岡は硬い声で説明した。


「足場のボルトが二度外れた。安全帯の金具が一度破損した。重機の誘導灯が一度消えた。全部、偶然ってことにされてる」


「偶然が揃いすぎてるね」


 俺が言うと、誠司くんが俺を見る。


「久世」


「はいはい」


 結城が吐き捨てる。


「上は“事故処理”で終わらせたい。ここも財団案件だ」


 誠司くんが言った。


「終わらせない」




 容疑者は二人。


 小田切亮。攻撃的で口が強い。追い詰められると黙る。

 柏木修一。冷静で丁寧。罪悪感を理屈で消す。


 参考人は桐谷和真。目端が利く。現場の勘。恩に弱い。


 小田切は、最初から喧嘩腰だった。


「事故だろ? 工事なんて危ねえに決まってんだよ。何が悪いんだよ」


「声、でかいね」


 俺が言うと、小田切が睨む。


「うるせえ」


 柏木は穏やかに言った。


「安全基準は満たしています。書類もあります。記録もあります。事故は、確率的に起きうる」


 丁寧。理屈。逃げ道。


 俺は柏木を見る。


「柏木さん、説明が綺麗だね」


「当然です。現場は数字で語るべきですから」


 誠司くんが言った。


「数字は嘘をつく。選ぶ数字は、人が決める」


 柏木の眉がわずかに動く。



 桐谷和真は、最初は口が重かった。

 でも“恩”の話になると、目が揺れる。


「俺、松岡に世話になってる。だから——」


「だから、守りたい?」


 俺が言うと、桐谷は黙る。


 結城が言った。


「桐谷。見たことを言え」


 桐谷は吐き出すみたいに言った。


「……ボルト、外されてた。最初から誰かが、締めたふりしてた」


 松岡が顔色を失う。


「そんな…」


 岡野が言った。


「俺、見回りしてたのに…」


 優しさが裏目に出る人間の声。

 見回りしてた自分を責める声。


 誠司くんが言う。


「誰が締めたふりをした」


 桐谷が首を振る。


「分からねえ。でも……雑なやつじゃない。“丁寧な手”だ」


 丁寧な手。

 この街でいちばん嫌な言葉だ。





 誠司くんは契約書と工程表を開いた。

 変更履歴。委託範囲。責任分界点。

 合法の壁を積む。逃げ道を潰すために。


 結城が言う。


「令状、通すのに時間がかかる。上が渋ってる」


「渋ってるなら、渋った記録を残せ」


 誠司くんの声は硬い。


 直斗が言った。


「僕、書類運びます。絶対、落としません」


「落とすな」


 結城が言う。


「落としません!」


 言い切りが早い。危ない。





 俺は小田切と柏木を並べて見た。

 声が強いのは小田切。

 言葉が丁寧なのは柏木。

 でも現場を“動かしてる”のは、どっちだ。


 俺は柏木に言った。


「柏木さん、現場って怖いよね。誰かが死ぬ寸前でも、書類が綺麗だと“安全”に見える」


 柏木は微笑んだ。


「必要な手続きです。感情で動けば、もっと危険になる」


「感情じゃないよね。計算だよね」


 柏木の微笑みが少し薄くなる。


 俺は続けた。


「事故が“起きうる”なら、事故が“起きる”ようにした人がいるよね。確率を、選んだ人」


 柏木の目が動く。すぐ戻す。戻しが速い。


 誠司くんが言った。


「柏木。あなたは現場の変更履歴を管理している。ボルトの締結確認の記録が、二度だけ不自然に空白だ」


「空白は、記入漏れです」


「漏れが、都合のいいところだけ起きる」


 誠司くんの声が硬い。


 小田切が噛みつく。


「柏木がやったって言いてえのか!」


 誠司くんが小田切を見る。


「小田切。あなたは声が大きい。だが手が雑だ。ボルトを“締めたふり”はできない」


 小田切は一瞬黙る。追い詰められると黙るタイプだ。

 黙ったまま、目だけが怒る。


 俺は小田切に言った。


「小田切さん、今、黙ったね」


 結城が睨む。


「余計なこと言うな」


「はいはい」





 その時、直斗が走ってきた。

 両手に書類の束。封筒。ファイル。

 走るなって言われたのに走ってる。


「結城さん! 令状、通りました!」


 言った瞬間、直斗の足が段差に引っかかった。


「うわっ」


 転ぶ。

 でも、転び方が違う。


 直斗は自分の体を投げるみたいに、書類を抱えたまま倒れた。

 肘と膝が擦れる音。紙が散らばりそうで散らばらない。


「……守った」


 直斗が息を吐く。


 結城が舌打ちしながら、直斗を起こした。


「バカ。偉い」


 誠司くんは直斗の膝を見る。視線だけで、叱ってる。


「手当てしろ」


「はい…」


 直斗は痛そうに笑った。憧れの人の前で、弱音を言えない笑い。





 令状が通ると、現場は急に静かになった。

 静かになるのは、逃げ道が消える時だ。


 誠司くんが契約書を叩いた。


「柏木。あなたは工程を“安全”に見せた。だが、その結果、事故が続いた。目的は何だ」


 柏木は丁寧に言った。


「街のためです。工期が遅れれば、損失が出る。損失は、市民の負担になる」


 丁寧な言葉。逃げ道。

 そして、選ばせる形。


 俺は柏木に言った。


「“街のため”って言い方、通りがいいと思ってるよね」


 柏木の口が止まる。


 誠司くんが言った。


「あなたが消した記録は二度。どちらも“重大事故になりかけた日”だ。あなたは確率を、都合のいい方に寄せた」


 柏木の微笑みが落ちた。


「……私は、ただ」


 結城が低く言う。


「誰の指示だ」


 柏木は目を伏せた。


「指示じゃない。選んだんです」


 その言葉が、嫌なほど綺麗だった。





 最後に、俺は松岡に言った。


「松岡さん、ひとつ聞いていい? “自分のせい”って言うと、少し楽になる?」


 松岡が震える。


「……楽になる。責任を背負ってる感じがするから」


「背負わせる仕組みがあるよね」


 俺が言うと、誠司くんが短く頷いた。


「仕組みは壊せる」


 結城が言う。


「壊す」


 直斗が膝を押さえながら言った。


「僕も…」


「無茶するな」


 誠司くんが言う。硬い。でも、棘がない。



 

 新しい再開発計画書。

 綺麗な紙。綺麗な署名。


 朝倉晃。


 次の街区名が、静かに映った。

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