朝倉晃
財団の会場は、音が吸われる。
拍手も笑い声も、床に落ちていくみたいに軽い。軽いのに、残る。
結城修吾は入口の前で、いちばん嫌そうな顔をした。
「財団主催の再開発記念式典。被害者が倒れた。毒物混入の疑い。上は“穏便に”だとよ」
「穏便ねぇ……穏便って言葉便利だよね!」
俺が言うと、結城が睨む。
「黙れ」
誠司くんが言った。
「被害者」
「水野俊介。控えめで温厚。怒ると冷たい」
結城が続ける。
「容疑者は滝沢礼司。自信満々。負けを認めない。被害者と揉めてた」
「参考人は上原蒼太。口が軽いが憎めない」
直斗が緊張して背筋を伸ばす。転ぶ場所がない床だ。逆に転びそう。
その時、結城のスマホが短く震えた。結城は画面を見て、すぐポケットに戻す。顔が一段硬くなる。
「……今のは?」
直斗が小声で聞いた。
「上だ。勝手に騒ぐな、だとよ」
誠司くんが短く言う。
「聞かなかったことにするな。記録する」
結城が苦い顔をしたが、頷いた。
会場は関係者だらけだった。
名札。スーツ。笑顔。手土産。
全員が“丁寧”を着ている。
水野俊介は控室で横になっていた。顔色が悪い。だが、目は冷たいほど冴えている。
「……こんなことで騒がせてすみません」
控えめで温厚な謝り方。だが、その声の奥に怒りがある。
誠司くんが言う。
「飲食は」
「式典の乾杯の飲み物を。水だけです」
結城が言った。
「その水に混入の疑いだ」
俺はテーブルを見る。グラスが並んでいる。並び方が綺麗すぎる。
席も、動線も、丁寧に固定されている。
「誠司くん、これ、不自然だよね」
誠司くんが俺を見る。
「どこ」
「飲み物の配置。誰がどれを取るか決まってる感じ」
結城が言う。
「式典だ。決まってるだろ」
「決まり方が、丁寧すぎる」
誠司くんが短く言った。
「動線を図にしろ」
「はいはい」
入口、受付、来賓席、乾杯の位置。
水野の席の近くにだけ、スタッフが密に入っている。
“守ってる”みたいに見える。守るふりで、囲ってる。
誠司くんが言った。
「搬入記録とスタッフ表」
「俺が取る」
結城が言う。財団案件で動くと、結城の背中が一段重くなる。
滝沢礼司は、怒っていた。怒っているのに笑顔を貼るのが上手い。自信満々で、負けを認めないタイプの目。
「僕が毒? 失礼ですね。水野さんが勝手に倒れただけでしょう」
水野が静かに言った。
「あなたは、嘘をつく時、語尾が上がる」
滝沢が一瞬固まる。
俺は笑いそうになって、やめた。水野さん、冷たい。
誠司くんが言う。
「滝沢。乾杯の場で、あなたはどこにいた」
「壇上近くです。僕、挨拶もありましたから」
「水野のグラスに触れた者は」
「知りませんよ。スタッフでしょう」
誠司くんは淡々と続ける。
「スタッフ表では、あなたの近くにいたのは二名。だが、搬入記録では三名分の動線がある」
滝沢が笑う。
「動線? 探偵さんは面白い」
結城が睨む。
「面白がるな」
上原蒼太は、口が軽かった。軽いのに、情報が混じる。
「いやあ、財団の式典ってすごいっすよね。飲み物も全部、番号で管理してるんすよ。委託会社がやってて」
結城の顔が歪む。
「委託会社?」
上原が言う。
「はい。ほら、スタッフの名札の裏に番号あるじゃないですか。あれ、委託番号っす」
直斗が思わず見た。
「あ、本当だ」
「篠宮、触るな」
誠司くんが言う。
「はいっ」
俺は上原に聞く。
「上原くん、その番号、誰が決めてるの?」
「財団……というか、担当の人?」
「担当って、名前あるよね」
上原は笑った。
「いやあ、理事の朝倉さんが全部見てるって噂っすよ。怖いっすよね。丁寧で」
結城が低く言う。
「その名前、出すな」
上原が口を押さえる。遅い。
誠司くんが搬入記録を広げた。
乾杯用の水は同じ箱に入っていた。だが、水野の分だけ、箱の封が二重だった。
「封が二重」
誠司くんが言う。
「交換された」
結城が言う。
誠司くんはさらに一枚、写真を出した。封に使われている透明テープの拡大。
「二重目のテープが違う。幅が一ミリ広い。会場標準の備品ではない」
滝沢の眉がぴくりと動く。
俺は滝沢を見る。
「滝沢さん、今、目が動いたよね」
「は? 何言って——」
「負けそうになると、目が動く感じ?」
滝沢の顔が赤くなる。
「黙れよ! 俺がやったって言いたいのか!」
「言ってないよね。聞いただけ」
滝沢は声が大きい。プライドが露出する。
誠司くんが言った。
「あなたは封を二重にできる位置にいた。壇上近く。スタッフの動線を指示できる位置だ」
「証拠は?」
滝沢が噛みつく。
誠司くんは淡々と出した。
搬入担当のチェック欄。そこにある簡単なチェックマーク。滝沢の癖と一致する入り方。
滝沢の顔から笑顔が落ちた。
「……俺は、式典を成功させたかっただけだ」
水野が冷たく言う。
「成功のために、誰かを倒すのか」
滝沢が叫ぶ。
「水野さんが邪魔だった! 反対ばかりで!」
結城が息を吐く。
「終わったな」
事件が収束したころ、俺たちは会場の裏手に呼ばれた。
控室。小さなテーブル。綺麗な水。
そこに、朝倉晃がいた。
四十代。礼儀正しい。理性的。怒らない。
命令しないのに、空気が動く。
「お忙しいところ恐れ入ります」
声が棘がない。なのに、逃げ道がない。
俺は笑って言った。
「丁寧だね」
朝倉は微笑んだ。
「丁寧は、相手を尊重するためのものです」
「尊重って、使い勝手いい言葉だよね」
結城が俺を睨む。
誠司くんが俺の袖を軽く引く。硬い手。止める手。
朝倉が言った。
「久世さん。君は早い」
俺は瞬きをした。
「何が」
「答えに届くのが」
誠司くんが硬い声で言う。
「あなたは何者だ」
朝倉は笑う。
「ただの理事です。街のために働く者です」
水が、綺麗に揺れた。
式典パンフレットには
再開発計画の次の区画名が、静かに印字されていた。




