絶望の始まり
いつも通りの日常。
普段と何一つ変わらなく、チャイムが鳴り、教師が教科書を閉じ、教室にざわめきが戻る。授業が終わり、下校の時間になるだけの、何の意味もないはずの一日だった。
「みやもん〜、帰ろうぜ〜」
背後から聞き慣れた声が飛んでくる。振り返ると、部活仲間がいつものように軽く手を挙げていた。
「おう!」
短く返事をして、机の横にかけていた鞄を肩にかける。
俺の名前は宮代雅門。何となく入った高校で、何となく部活をやって、何となく毎日を消費している高校二年生だ。特別な才能も、明確な夢もない。ただ流されるように日々を過ごしている。
教室を出て、友達と他愛もない話をしながら駐輪場へ向かう。俺は自転車を取り出し、歩いて帰る友達に合わせて押し歩きにした。
「今日もあの『だー』面白かったよな」
「あー、山田先生のやつだろ」
「黒板に向かって急に叫ぶやつな」
そんなくだらない会話を交わしながら、校門を出て、夕方の風に吹かれる。オレンジ色に染まりかけた空。住宅街へと続く道。すべてが、いつも通りだった。
その時だ。
「チリン」
鈴のような、澄んだ音が、確かに聞こえた。
足を止め、無意識に周囲を見渡す。だが、風鈴があるわけでも、自転車のベルが鳴ったわけでもない。
「……?」
「だよなー、他の先生がやっても全然だし。……ん?どうしたんだ、みやもん」
「いや、今鈴みたいな音しなかったか?」
そう言うと、友達はきょとんとした顔で首をかしげた。
「は?聞こえてねーけど」
どうやら俺にしか聞こえていなかったらしい。気のせいか、疲れているのか。そう自分に言い聞かせる。
「何だよそれ、ラノベの読みすぎで頭おかしくなったんじゃねーの?」
「かもなー」
軽く笑って、また歩き出そうとした、その瞬間だった。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
足に力が入らない。地面が遠ざかる感覚。自分の体が自分のものじゃなくなったような違和感。
「……っ」
声を出そうとしたが、喉が震えるだけで言葉にならない。膝から崩れ落ち、アスファルトの冷たさが伝わる前に、視界は白と黒に塗り潰された。
「おい!!どうしたんだ!!」
友達の叫び声が、ひどく遠くで響いている。まるで水の中に沈んでいくように、意識が薄れていく。
――そして、俺は気を失った。
次に目を覚ました時、そこは現実とは思えない場所だった。
上下左右、どこを見渡しても白一色の空間。床も壁も天井もなく、距離感さえ曖昧だ。その中に、無数の球体が浮かんでいた。
俺は不思議に思い、体を動かそうとした。だが、動けない。
いや、正確には――動かす「体」がなかった。
俺自身も、球体になっていたのだ。
混乱が一気に押し寄せる。声を出そうとしても、口がない。手足もない。ただ、思考だけがはっきりと存在していた。
その時、どこからともなく声が響いた。
聞いたことのない言語。だが、その意味だけが、直接頭の中に流れ込んでくる。
『よし、全部集まったな』
ぞわりと、恐怖が走る。
『えー、今からお前らには二十回、殺し合いをしてもらう。楽しませてくれよ』
……は?
意味が理解できた瞬間、思考が追いつかなくなる。殺し合い? 二十回? 何を言っているんだ。
叫びたかった。否定したかった。だが、声を上げる術はない。
『今から異世界に送るから、頑張って殺されないように鍛えてくれー』
ふざけたような口調が、かえって現実感を奪っていく。
その言葉が終わると同時に、白い空間が強烈な光に包まれた。考える暇も、覚悟する時間も与えられない。
――次の瞬間。
俺は森の中に立っていた。
湿った土の匂い。ざわめく木々。現実的すぎる感覚に、逆に混乱する。
周囲を見ると、自分と同じくらいの年齢の男女が、何人も倒れている。まだ意識が戻っていないらしい。
理解したくなくても、理解してしまう。
俺たちは、ここに「送られた」のだ。
これからどうするべきか。逃げる? 助けを探す? そもそも、誰が敵なのか。
森を見渡した、その瞬間。
胸の奥に、言いようのない寒気が走った。
ここには、救いなどない。
これは、ただの始まりに過ぎない。
――救いなき絶望の、始まりだった。




