剣山 ― 異形の契約者
魔界印の猪が散り、森に静寂が戻る。
だが、その奥から現れたのは――契約者バイパーとファントム。
山間を不穏な気配が反響し、木霊と絡み合う。
魔界印で使役された猪の群れも、残存はわずかとなっていた。
その後方――
異常な質量を想像させる、歪んだ影がゆっくりと姿を現す。
周囲の空気が、まるでねじれるような錯覚に襲われる。
「ズシンッ」
半歩踏み出された足音が、異質な重みを持って地を揺らす。
「フンッ!」
アカが躊躇なく棍棒を振り上げ、影に向かって突撃する。
「ガゴン!」
次の瞬間――棍棒がねじ曲がり、アカは手を痺れさせて膝をついた。
その奥で、影の姿が浮かび上がる。
鈍く赤黒く光沢を放つ肌。
無数のひび割れが走り、瞳は精気ではなく、炎のように揺れている。
その体躯は、合成人工人間並みか、それ以上。
だが、硬度と質量は桁外れ――肉眼でも伝わる異常な質感。
「大丈夫か、アカ!」
ヌエとルクジムが駆け寄る。
その瞬間――
反対側にも、異常な気配が立ち上がる。
三人は同時に気づいた。
空気が震える。
闇が、もう一つの“異形”を孕んでいた。
その存在は、視認できる。
だが――肯定できない。
時計の羅針盤のような仮面をかぶり、裾が霧状に霞むマントで全身を覆っている。
身体の半身は空間に融け、透けていた。
気がつけば、アカを中心に、ルクジムとヌエは前後に囲まれていた。
「俺はパクトユニット契約者、コードネーム:バイパー。そいつは――ファントムだ」
アカの棍棒をひん曲げた巨大な人型が、低く告げる。
前後から、巨大な重圧が迫ってくる。
アカはまだ痺れが残り、うまく動けない。
ヌエが、バイパーの視線が外れた瞬間を狙って攻撃を仕掛けた。
「ゴンッ」
鈍い衝撃音。
「ザザッ」
ヌエが左足を抑えて着地する。
「まるで鉛の塊を蹴ったような感覚……」
ヌエが苦悶の表情を浮かべる。
「ヌエ、無事か!」
ルクジムが声を掛ける。
「こんなもんか?あの狸以外は問題なさそうだな」
バイパーがファントムに呟く。
だが、ファントムは不気味に揺らめくだけで、何も答えない。
「必要なのは、龍の心臓。それ以外は、さっさと潰して奥へ進むぞ」
バイパーの目が殺意に満ち、攻撃態勢に入る。
アカはまだ動けない。
ヌエも、足が言うことをきかない。
無情な一撃が振り下ろされる――!
「バキキッ!」
ルクジムが、二人をかばって攻撃を受け止めた!
「ルクジム!!」
アカとヌエが叫ぶ。
「二人とも、少し休んでろ!」
ルクジムはそのまま、バイパーに向かって攻撃を仕掛ける。
だが――
明らかに、右腕が折れていた。
新月の暗い闇の中、攻防は続いていた。
だが、ルクジムの攻撃はバイパーに傷一つ与えられない。
月の力も使えず、左腕のみの攻防は不利を極め、ジリジリと体力が削られていく。
地面に紅が滲み始める。
動けるようになったヌエとアカも応戦に加わるが、バイパーの圧倒的な攻撃力に弾き返される。
気がつけば、残っていた魔界印猪たちが再び集まり始めていた。
そのころ、寺院では――
金長とセシルが、魔界印猪の撃退に勝機を見出し始めていた。
「かなりの数でしたが、残数が見え始めましたね」
高速で拳打を繰り出しながら、セシルが呟く。
「わしの理操作も、対多数では使えんで苦労かけるのう」
金長も攻撃を捌きながら答える。
「長、猪どもを一か所に集められますか!」
セシルが問いかける。
その言葉に、金長の周囲の景色が歪み始める。
「お前たちは――一本杉の前に行く」
金長が言霊を放つと、バラバラだった魔界印猪たちが、まるで導かれるように杉の前へと走り出した。
「長、感謝します。スーマ、出力は最低にしてください」
「ナイトコード《Còig》」
セシルの声に、星の瞬きが吸収され、魔法陣のトンネルを抜けて高熱を帯びた光の束へと変化する。
「オッサン気をつけろ!低出力とはいえ、狙いを誤ったら森が無くなるぞ!」
スーマが画面を黄色に染めて叫ぶ。
「ヴォン!!」
眩い閃光が、山岳の木々の隙間を抜けて空へと昇っていく。
寺院を取り囲んでいた魔界印猪の姿は、すべて消えていた。
山は、一瞬の静寂を取り戻す。
その時――
後方で、水が弾けるような大きな音が響いた。
「バシャーン!!」
セシルと金長が振り返ると、慌てた表情のアオトが立っていた。
「三人が危ない!」
その声には、緊急を告げる切迫した気配が宿っていた。
彼は――水を固め、その上に乗って移動する。
水の塊を盾にし、光を透過させて姿を消すこともできる。
アオトは金長の名により、ヌエ・アカ・ルクジムの戦いを見守っていた。
静かな森の奥――
ルクジムたちの戦いは続いていた。
枯れ葉が粉々に砕け、粉塵となって舞う。
ルクジムの呼吸が荒くなっていく。
無情な破壊力が、周囲の空間を飲み込んでいく。
「大した耐久力だ。俺はパクトユニットの中でも、カリース様を除けばパワーでは一番。それをよく凌ぐ!」
「俺の質量は、通常の契約者の三倍あるのだぞ」
バイパーが楽しげに、ルクジムへ言い放つ。
「……」
ルクジムは、もう一人の存在――ファントムに、しばしば視線を向けていた。
「おい、集中しろ。ファントムは良くも悪くも“特別”だ。この戦闘には入ってこない」
バイパーが告げる。
「……どういうことだ?」
ルクジムが眉を歪める。
「その懸戦を称えて、特別に答えてやる。奴は契約者の中でも、異能中の異能」
「契約執行儀式の中で事故が起こり、実態を保ちきれなくなった。消えれば、魔界でも現世でも消滅する」
「戦闘力はゼロだ。だから、誰かと同行するしかない。だが――ファントムには特殊な能力がある」
空気が、氷結して割れるような感覚が全身を巡る。
「言わば奴は――対金長狸用だ。老いぼれの『理の操作』は、奴の前ではただの幻想にすぎん」
その言葉と同時に、バイパーは大きく拳を振り下ろした。
「残空・琉千!」
ヌエがその拳に逆らわず、両掌を添えて軌道を変える。
「ズドーンッ!」
左足の踏ん張りが効かないヌエは、拳を流しきれず、地面へと誘導する形となった。
「小細工しかできなくなってきたか……面白くもない」
バイパーの笑みが、静かに消えた。
「防衛線 ― コーザルイート」へ続く。




