神秘の泉 ― ジョーの語り部
深い洞窟の奥、蒼く輝く泉が静かに脈打つ。
そこに眠る者が、過去を語り始める。
それは、痛みでもなく、怒りでもなく―― 祈りのように、静かに紡がれる記憶。
そして、ひとつの絆が結ばれる。
血ではなく、祈りで繋がれた兄弟たちの物語が、 静寂の中で、確かな温もりを灯していく。
蒼く輝く泉が、まるで妖精たちの輪舞を誘うように幻想的な光を放つ。
深い洞窟の奥、静寂に包まれた空間で、ジョーが静かに語り始めた。
「……俺は、いや、厳密に言えば“俺たち”二人は――
オルド・アークの研究施設で、ある計画の研究課程で偶然生まれた副産物だった。」
その声は、泉の水面に波紋のように広がっていく。
「その頃の俺たちは、意思もなく、考えることもない。
与えられたプロットをただ消化するだけの、傀儡でしかなかった。」
ふらつく電球の明かりが、ジョーの顔に陰影を落とす。
彼は続ける。
「計画の内容は、俺たちにも分からない。
ただ、日々繰り返される耐久実験、戦闘試験、耐性の検証……そして、戦地への投入。」
言葉の端々に、痛みと怒りが滲む。
「そして――あの事故が起こった。」
「事故のあと、誰かが……彼女が……」
ジョーの胸の光が、淡く脈打つ。
蒼く輝く泉のほとりで、ジョーは静かに語り続ける。
その声は、洞窟の壁に反響しながら、過去の痛みをゆっくりと紡いでいく。
「俺たち二人は、同じ生体パーツを共有して作られた合成人工人間――零号。
その後も強化と性能向上を繰り返し、合成人工人間は量産されていったが……俺たちが初代だった。」
セシルとルクジムは、言葉を挟まず耳を傾ける。
「……あの日。
その日は、何かの放射線耐久実験の最中だった。
負荷に耐えられなくなった照射装置の動力源が融解し、爆発が起きた。」
電球の光が一瞬、揺らぐ。
ジョーの表情に、深い影が落ちる。
「俺たちは爆発に巻き込まれた。
名前もない、もう一人の“俺”は――頭と足を吹き飛ばされ、おそらく即死だったろう。
俺も爆風で飛ばされた破片が心臓を貫いていた。」
その言葉には、痛みだけでなく、喪失の重みが宿っていた。
「遠ざかる意識の中……『彼らを運んで! 早く!』――女性の声が聞こえた。」
ジョーの胸の光が、再び淡く脈打つ。
それは、彼の命を繋ぎ止めた“何か”の記憶。
そして、その声の主――エリシアの存在が、彼の中に深く刻まれていることを示していた。
「実験場のある同じ敷地内の地下施設に、俺たち二人は運ばれた。」
ジョーの声は、泉の蒼い光に包まれながら、過去の記憶を静かに紡いでいく。
――…こっちは無理だ! 頭も足も無い!…
複数の研究員が騒然とする中、彼女――エリシアが口を開いた。
「あちらの彼から、こちらの彼に心臓を入れ替えます!」
「しかし、損傷が激しく、これ以上できることも器具もありません!」
研究員の一人が叫ぶ。
だが、エリシアは迷わなかった。
「大丈夫。二人を並べて。私がやります。」
その声には、一切の迷いがなく、絶望的な状況を打ち破る、強い意志が宿っていた。
メスを手に取り、祈るように目を閉じる。
「そして――俺の胸に、もう一人の“俺”から心臓が移植された。
エリシアが祈りを込めて、自分の髪を糸にして縫い合わせたんだ。」
その瞬間、命が繋がれた。
ただの人工体だったジョーに、**“心”**が宿った。
「気づいたとき、俺は地下に一人だった。
そして、その時から――俺に“心”が、自我が宿っていた。」
それは、初めて感じる喜びであり、悲しみであり、そして――自分という存在を認識する、確かな熱だった。
スーマがポツリと
「……そんなことが……」
蒼白く光る泉が、まるでその記憶を祝福するかのように、静かに輝いていた。
ジョーの胸の光は、今も淡く脈打っている。
それは、エリシアの祈りが今も彼の中で生きている証だった。
「目が覚めた時、エリシアの手紙があった。」
ジョーは、胸の奥にしまっていた記憶をそっと取り出すように語る。
――あなたが目覚めたとき、まだ施設は事故処理と鎮圧、報道操作で人手が足りていない状態でしょう。
隙を突いて、第14通路から地上に出なさい。セキュリティーは、私が書き換えておきます。
あなた方は“蘇生失敗により廃棄された”という扱いになっています。
ゆえに、誰も監視していないはずです。
この研究に身を捧げてくれた一兵士の認識証に――
あなたの、ジョー・ファクシマスとあった記載を覚えています。
ジョー、その命に祝福があることを願います。
エリシア・ヴェイル
「そして俺は、リバースとなり、身を潜め、隠れ、逃げ続けた。」
ジョーは揺れる電球を見つめながら、再び口を開く。
「だが俺は――人にも、リバースにも忌み嫌われ、受け入れられなかった。
人間でもなく、裏の住人でもない、作られた存在……」
「それまで感じたことのなかった感覚――孤独、絶望、そして痛み。
なぜ俺は生きているんだ?
俺の中にいる“もう一人の俺”は、本当にこれを望んでいたのか?
……あの事故で、俺も死ぬべきだったんじゃないのか?」
その声には、深い苦悩と問いが滲んでいた。
だが――
ジョーの目が、悲しみからやさしさへと変わる。
「それでも……俺は、エリシアを恨むことなどなかった。」
その言葉は、静かに、しかし確かに洞窟の空気を震わせた。
彼の中に宿る“命”が、誰かの祈りによって繋がれたものであることを、彼自身が理解していたからだ。
「その後、さまよいながら辿り着いた……いや、引き寄せられていたのかもしれない。
気がつけば俺は、この渓谷、この洞窟に来ていた。」
ジョーは泉を見つめながら、静かに続ける。
「そして、この泉を見つけた。」
彼はルクジムに視線を向けた。
「……この泉を見た瞬間、すべてを悟ったんだ。」
それは、言葉では到底表現できない現象だった。
絵を見るわけでもなく、音を聞くわけでもない。
ただ、心の奥底に一瞬浮かんだ感情の“断片”が、すべてを悟らせた。
「この泉には、俺の心臓を繋ぎとめているものと同じ――エリシアの髪が眠っている。
彼女の髪が融けることで、泉は聖水になる。」
「エリシアは、この泉にある封印の防人になってほしいとは一言も言わなかった。
だが、その感情が教えてくれた。」
「俺はそれから、泉の防人になることを誓った。
『聖者の刻』が実際に表れたのは、数か月前のことだ。」
セシルは嘆くように呟く。
「エリシアは……その時からすでに、この事態も、封印の出現も予知していたのか……。」
ジョーは静かに頷き、言葉を紡ぐ。
「俺を“誕生”させてくれたのは彼女だ。俺には……母だ。
母の願いを拾わない子など、いない。」
ルクジムは静かに目を伏せ、母の存在を確かめるように沈黙する。
ジョーがルクジムに向き直る。
「お前も、エリシアの所縁の者なのだろ。
その体毛の毛先が、俺の心臓に呼応している。」
ルクジムの白い体毛は、まるでジョーの心臓から伝わる温かさに応えるかのように、微かに淡い光を纏っていた。
それは、彼の内なる神の血が、呼応している証のようだった。
「血のつながりはないが、同じ母を持つ。
……あんたは、俺の兄貴だ。」
その言葉に、ジョーの全身が小刻みに震えた。
「この俺を……兄弟と呼んでくれるのか……。」
「ああ。俺には母の記憶がほとんどないが、兄貴は母と話したことがあるんだな。
うらやましいよ。」
照れくさそうに話すルクジムの言葉に、ジョーの顔が一気に歪む。
「……オオッ……うおおお……っ……!」
ジョーの目から、涙がとめどなく溢れ出す。
その涙は、止まらなかった。
いや――止めようという気すら起こらなかった。
胸の奥から溢れ出す、暖かな感情が、彼を包んでいた。
セシルは、その兄弟の絆を静かに見守っていた。
かつて自らが守るべきだった命と、これから守るべき命が、交差するように――
泉の水面に輝く讃美歌が、まるで遠くの鐘の音のように、あるいは祈りの歌のように、濡れた洞窟の壁に吸い込まれていく。
その旋律は、ただ暖かさを伴った静けさとして耳に残った。
セシルが泉を見つめながら静かに言う。
「聖者の刻は泉に現れた。つまり、もう消滅することはない。」
ジョーが頷きながら答える。
「ああ、そうだな。エリシアの髪で聖水に変わった泉の中だ。」
少し間を置いて、ジョーは微笑むように言った。
「俺は……少しばかり疲れた。しばらく横にならせてくれ。」
泣き疲れた子供のように、ジョーの顔には安らかな表情が浮かび、その全身から力が抜けていくのが見て取れた。
ジョーは静かに眠りについた。
それは、彼にとって“生きている”ことを実感できた、初めての瞬間だった。
幸福と安堵に包まれて眠れること――それは、彼にとって初めての体験だった。
「ピコンッ」
スーマがセシルにそっと問いかける。
「おい、オッサン……これも、愛か?」
「ゴッゴホンッ!」
セシルは咳払いをしながら、赤面気味に答える。
「スーマ、紳士はそんな無粋なことは口にしないものだ。」
「プッハハッ!」
ルクジムが吹き出す。
その笑いは、洞窟の静けさに溶け込みながら、どこか優しく響いた。
ジョーは、深い眠りについていた。
その胸の光は、静かに、穏やかに脈打っていた。
「イエローナイフ洞窟 ― ネイビー再来」へ続く




