教会地下 ― 忘れられた屋敷
母の記憶に導かれ、ルクジムは教会の奥に眠る“忘れられた屋敷”へと足を踏み入れる。 そこに待っていたのは、時を止めた空間と、歪んだ時計たち。
そして、現れたのは――吸血鬼と悪魔の融合体、バレン・アドニスモ伯爵。
封印の地にて、神の血を巡る戦いが始まる。 ルクジムは、守るべき者を背に、圧倒的な力に立ち向かう。
その白き体毛が、闇に微かな光を灯すとき―― 忘れられた屋敷は、再び“記憶”を語り始める。
教会の奥、懺悔室。
古びた木製の扉の裏に、わずかな隙間があった。
ルクジムは、母の記憶に導かれるようにその隙間に手を伸ばす。
「……ここか」
壁を押すと、ギィ……と重い音を立てて、隠し扉が開いた。
その隙間から、まるで夜の闇そのものが凝縮されたかのような、漆黒の虚無が顔を覗かせた。
その奥には、石造りの階段が続いていた。
冷たい空気が吹き上がり、地下へと誘っている。
物音を立てず、ルクジムは慎重に階段を降りていく。
足音を吸い込むような静寂。
やがて、階段の先に広がる巨大な空間が現れた。
地下とは思えないほどの広さが、目の前に広がっていた。
天井は高く、壁は岩肌に覆われている。
その中心に――不気味な屋敷が建っていた。
それは、生者の気配を拒むかのような、生気を拒むような冷え切った威圧感を放っていた。
屋敷は、旧世代の貴族の邸宅を模したような造り。
黒い瓦屋根、尖った塔、重厚な扉。
まるで、時間が止まったかのような静けさ。
ルクジムは、ゆっくりと扉に手をかける。
軋む音とともに、扉が開いた。
中は、異様なほど綺麗に整えられていた。
家具はアンティーク調で、壁には肖像画。
だが、どれも顔が塗りつぶされている。
そして――部屋のあちこちに、不気味な時計が飾られていた。
古い懐中時計、振り子時計、歪んだ文字盤の置時計。
「……何だ、これ」
ルクジムは、時計の一つにそっと手を伸ばした。
その瞬間、時計の針が“カチリ”と音を立てて動いた。
同時に、屋敷全体が呼吸を始めたかのように――微かに震えた。
屋敷の奥から、かすかな音が聞こえる。
それは、誰かの足音か――それとも、何かが目覚めた音か。
ルクジムは、身を低くして屋敷の奥へと進む。
地下屋敷 ― 恐怖の邂逅
屋敷の奥、時計の針が正確に「3時33分」を刻む中、ルクジムは不気味な静寂を進んでいた。
空間は異様なほど整っているのに、空気は腐敗したような重さを持っていた。
その時――悲鳴。
「お助けください……し、神父様……」
声の主は、シスター・アリアだった。
彼女は、屋敷の中央ホールで、宙に持ち上げられていた。
首を掴んでいるのは、黒い礼服を纏った男。
その顔は人間の形をしていたが、瞳は深紅に染まり、口元には異常に長い犬歯が覗いていた。
ルクジムは、咄嗟に跳びかかり、爪で斬りつける。
だが、男は軽く身を翻し、攻撃をかわす。
アリアは落下するが、ルクジムがすぐに抱き止める。
「大丈夫か!」
彼女は震えながら、ルクジムの胸元にしがみついた。
男は、ゆっくりと振り返る。
その声は、恐怖そのものを具現化したような低音だった。
「混ざり者……貴様が本部を騒がせている者か。我も運がいいな」
ルクジムは、本能的に危険を感じていた。
その存在は、ただの契約者ではない。
空気が、重力が、空間そのものが歪んでいる。
「……本部とは、オルド・アークのことか? お前、契約者なのか」
男は、背筋が凍るような笑顔を浮かべた。
「我はバレン・アドニスモ伯爵。貴様と一緒にいるバンパイアとは格が違うぞ。
まあ、古い知人ではあるがな」
その声に、ルクジムは息を呑む。
伯爵は続ける。
「我は、自ら触媒となりデビルズ(悪魔)となった。
吸血鬼の私の魂は分離できなかったがな。
そうして我は、バンパイアの体にデビルズの力を得た」
その言葉の意味を、ルクジムはすぐに理解した。
通常、契約者は人間と悪魔の融合体。
だが、彼は吸血鬼のまま、悪魔と融合した。
そして意識を保っている。
「まずい……圧倒的だぞ……」
彼の獣としての本能が、警鐘をけたたましく鳴らしていた。
全身の毛が逆立ち、呼吸が浅くなる。
目の前の存在は、これまで戦ったどんな相手とも、次元が違っていた。
伯爵の周囲に、黒い瘴気が立ち上る。
それは、魔界の瘴気――現世に存在してはならない力。
ルクジムは、アリアを庇いながら、後退する。
だが、伯爵は一歩ずつ、確実に距離を詰めてくる。
「さあ、“神の血”よ。その力、我に見せてみろ。」
屋敷の空間が、伯爵の気まぐれな一撃で歪み始めていた。
ルクジムは、シスター・アリアを背に庇いながら、必死に応戦していた。
爪を振るい、牙を剥き、月光の記憶を呼び起こす。
しかし、ルクジムの渾身の一撃は、伯爵の皮膚にすら届かず、虚しく宙を斬るだけだった。
――伯爵は、遊んでいた。
「その色……忌々しい」
屋敷の明かりが、ルクジムの白い体毛を照らす。
それは、彼の存在そのものが放つ、魔を退けるかのような微かな輝きだった。
銀色の光が、瞬きながら揺れる。
それは、かつて神が流した涙の記憶――ヴェイルの血の輝き。
伯爵の顔が、わずかに歪む。
その瞳に、憎悪とも恐怖ともつかぬ感情が宿る。
「混ざり者……貴様の存在は、我らの秩序を乱す」
次の瞬間、伯爵が空間ごと引き裂くような一撃を放った。
空気が悲鳴を上げ、屋敷の壁が軋む。
ルクジムは、アリアを庇うために避けられなかった。
「・ぐっ・はっ…!」
衝撃が、体を貫いた。
骨が軋み、肺が潰れそうになる。
全身の血が逆流するような激痛に、彼の意識が遠のきそうになる。
彼の体は、部屋の隅へと叩きつけられた。
「地下屋敷―時計仕掛けの伯爵」へ続く