遠い地の古びた駅―シスター・アリア
朝霧に包まれた駅で、紅茶の香りと献血テントが静かに揺れる。 封印に導かれた夢、血に刻まれた契約、そして“貴族人形”と呼ばれる修道女―― この町の“聖者の刻”は、無垢なる者の血を巡って静かに目覚めようとしていた。 ルクジムとセシルの歩みが、沈黙の鐘塔の深部へと誘われていく。
朝霧が立ち込める小さな駅前。
古びた駅舎の前に、場違いなほど鮮やかな赤いテントが立てられていた。
その前には「献血にご協力ください」の看板。
テントの中では、セシル・ノクターン卿が白衣姿で、優雅に紅茶を啜っている。
その横で、ルクジムが腕を組み、明らかに不機嫌な顔をしていた。
「おいセシル!勢いよく飛び出したは良いが、なんでこんなところで献血のテントなんか出してんだ!!」
セシルは、疲れた顔でカップを置き、肩をすくめる。
「致し方ないでしょう。私は現在ガス欠なんですから…。
この町、どうやら“血”に関しては特異な歴史があるようでして。
ポルフィリン症の発症率が異常に高い。つまり、血液に“何か”がある」
「……それで、献血?」
「ええ。調査と補給を兼ねております。
それに今は――あなた待ちですから」
「はあ……?」
ルクジムは眉をひそめる。意味が分からない。
夕暮れ、セシルが立てた献血テントには、地元の人々がぽつぽつと訪れていた。
♪~聖者は光の中に現れり、
その姿、真理の道を示す。
時至りて、影の中に消え去りぬ。
言葉、謎めきて、心に問いを投げかけん~♪
修道女の讃美歌のような声が流れて来た。
その中に、白い修道服を纏った若い女性――シスター・アリアがいた。
彼女は微笑みながら、腕を差し出す。
「困っているなら、神の教えに従いましょう。血を分けることなど、些細なことです」
セシルは礼儀正しく頭を下げる。
「感謝いたします、シスター。あなたのような方がいる町は、まだ救いがあります」
その様子を見ながら、ルクジムは苛立ちを隠せずにいた。
ルクジムは眉をひそめる。だがその瞬間、胸の奥に微かな痛みが走った。
昨夜見た夢――母の声、古びた教会、封印の眠る地下室。
それは、ただの夢ではなかった。予知だった。
セシルは、ルクジムの表情の変化を見逃さなかった。
「やはり、来ましたね。君の中の“記憶”が、封印に導かれた。
この町に来たのは、君の夢が導いたから。」
ルクジムは、静かに拳を握る。
霧の向こう。
教会の尖塔は、まるで空に刺さる杭のようだった。
かつてこの町を救った聖者の刻が眠るやも知れぬ場所は、今や誰も鐘を鳴らさぬ沈黙の塔だった。
「……教会へ行こう。そこに“聖者の刻”があるんだな」
「ええ。ただし、注意が必要です。
この町には、吸血鬼の痕跡が残っている。
そして、シスター・アリア――彼女は“貴族人形”です」
「……何?」
セシルは、悲しげに呟く…
かつてこの地に現れた神父(吸血鬼)が、病に苦しむ人々に血の契約を与え、
その代償として“意思を持たぬ下僕”を作った伝承があった。
「彼女は、善意で血を差し出している。だが、彼女の血には“契約”の痕がある。
吸血鬼が意思を持って血を吸えば、彼女は完全に“ドール”になる。
今はまだ、境界にいるだけです」
ルクジムは、アリアの姿を見つめる。
彼女は、町の人々に優しく声をかけ、献血を促していた。
その笑顔はあまりにも無垢で、セシルの言葉が信じられないほどだった。
アリアは、献血を終えた老人の手を取り、まるで機械のように同じ言葉を繰り返した。
「神の祝福を。あなたの血は、誰かを救います」
その微笑みに、ほんの一瞬、揺らぎがあった。
「……あいつは、何も知らないのか」
「ええ。だからこそ、守らねばなりません。
この町の封印は、彼女の存在と深く結びついているかもしれません。
“聖者の刻”は、彼女の教会で何か分かるかもしれません」
ルクジムは、静かに歩き出す。
「行こう。夢が呼んでる。母が、何かを残したんだ」
セシルは、テントを片付けながら微笑む。
「では、聖者に会いに行きましょう。
そして、彼女が“人形”にならぬよう、君の力で守ってあげてください」
霧が晴れ、二人は教会へと向かう。
ルクジムの足取りは、もはや躊躇うことなく、母親が残した手がかりへと導かれるかのように、確かなものだった。
その先に待つのは、封印の守護者か、あるいは――契約者の影か…
「グレイヒル教会前 ― 封印の地」へ続く




