白い魔獣 ― VSヌエ
氷原を切り裂く嵐が、世界の境界に深い影を落としていた。
その奥で蠢く気配は、静寂を飲み込みながら確実に形を成し、
やがて訪れる戦いの幕開けを、誰にも告げずに待ち構えていた。
雷に巻き込まれ、吸い上げられた氷の破片が砕け散り、雪となって舞い落ちる。
その中で、身体を震撼させるほどの咆哮が氷原を揺るがした。
魔界印で使役された北極熊――その眼は真紅に染まり、怒りに荒れ狂っている。
白い毛並みは血と氷に濡れ、獣の吐息が白い蒸気となって空気を裂いた。
「ドギャガガッ!」
ヌエが一撃を加え、瞬時に距離を取る。
その動きは、風のように軽く、氷原に影を残さない。
「付いてこい!場所を変える。」
ヌエが低く言い放つ。
「セシル、ルクジム!お主たちは自分で因縁に決着を付けよ!」
叫びと共に、ヌエは獣を引き連れ、嵐の中心から遠ざかっていく。
背後に残されたトロルが、苦しげな呼吸で事態を見守る。
ヌエは走る背中で嵐の轟きを聞きながら、二人の無事を祈っていた。
――岩場。
大陸プレートが擦れ合って生まれた巨大な岩石が転がる荒野で、ヌエは踵を返す。
「!!」
北極熊は、すでに真後ろまで迫っていた。
次の瞬間、爪が閃き、岩を切り裂く。
「ガガンッ!」
ヌエは一撃を紙一重で避け、背後の岩が粉砕される。
「なるほど……ただの獣ではないというわけか。」
白い息を籠らせ、ヌエが呟く。
(この獣もまた、奪われた存在か……)
だが、拳を止める理由にはならなかった。
血走った赤い眼の獣も、荒い息で白い蒸気を吐き出す。
大きく体を広げた熊が、大斧のような一撃を振り下ろす。
「残空――琉千!」
流れる水の如く、ヌエはその攻撃を右下へ受け流す。
氷原に響く衝撃音。
勢いのまま倒れ込む北極熊は、起き上がりざま再び襲い掛かる。
しかし、その爪も牙も、空気のように流される。
――だが、ヌエの攻撃も決定打にはならない。
獣の肉体は、魔界印による強化で常軌を逸していた。
戦いは、消耗戦の様相を帯びていく。
凍てつく風が、悪戯に舞い踊る。
氷原の遠方――カリースと相対するセシルとルクジムの背後数キロ。
そこでは、カーロスとセイウチの肉弾戦が続いていた。
セイウチが体をしならせ、牙を振り回すたびに、カーロスの身体に小さな傷が増えていく。
「ドガッ!バキッ!」
カーロスの大きな拳がセイウチを何度も捉えるが、分厚い皮膚と脂肪が衝撃を吸収し、威力は半減される。
機械仕掛けの義足が悲鳴を上げる。
「バンバンバンバンッ!」
「無理すんな、カーロス!」
エドがカスタムベレッタで援護する。
カーロスの義足の駆動音が、明らかに遅れ始めていた。
刻印付き銀製メタルジャケット貫通弾――僅かずつではあるが、効果が出始め、セイウチの動きが鈍り始めた。
「しかし、これで何発目だ……化け物め。スーマ、こいつ助けられないのか?」
エドが通信で問いかける。
「……現状じゃ、魔界印の使役獣を元に戻す方法がねえ……悪りぃが、エド……。」
スーマの声は歯切れが悪い。
ベレッタの弾倉を交換したエドが、カーロスとセイウチの前に立つ。
ギャオの谷間を吹き抜ける風が、氷原を鳴かせながら駆け抜けていった。
その風は、戦場のすべてを飲み込む前触れのようだった。
「対魔獣 ― 希望を乗せる白刃」へ続く。




