策士策に溺れるが悪役令嬢はプロである
リハビリ中
それはプロムの夜。卒業を間近にした貴族学校の生徒たちが王城のエントランスホールを貸し切って、めでたい日を踊って祝う特別な夜だ。
ドレスに燕尾服、奇をてらった民族衣装、これからよく着ることになる詰襟の礼服などなど、貴族の子女たちが各々趣向を凝らし、ホールで手と手を取り合ってワルツを踊ろうとしていたそのとき、エントランスの最奥にある扇状階段の踊り場に、泣き腫らした顔の少女を連れて現れた青年が仁王立ちしていた。
そして、叫ぶ。
「プロジア侯爵令嬢アマリア、今日という今日はお前を許さんからな!」
そうわめいている華美なジャケットの青年——ここヴィノール王国第一王子であり王太子のルネは、自身に縋りついている小柄な紫髪の少女の腰にちゃっかり手を回し、まるで庇護しているのだと周囲に印象付けたいかのようだ。
確かに金髪の容姿端麗な王子様のそばに、庇護欲をかき立てる幼さの残る令嬢が恐々とくっついていれば、そこには何らかの事情があり、騎士のごとく守っているのだと人々は無意識に思い込んでしまうだろう。
一方、名指しされたアマリアは、粛々と扇状階段の下へやってくる。
アマリアの艶やかで豊かな黒髪は優雅にウェーブがかかっており、一輪の大きなオレンジの百合が髪飾りとして右耳の上にあるのが目立つ。夕焼けのように見事なグラデーションの染めがなされたマーメイドラインのシルクドレスは、彼女の抜群のスタイルのよさをさらに際立たせ、首元には腰まで届く純白の毛皮が金の鎖で止められている。
何一つ瑕疵のないアマリアの美貌も加わり、見慣れているはずの貴族の子女たちは彼女へ目が釘付けとなっていた。
それが、ルネ王子は気に入らず、口元を歪める。階下にやってきたアマリアを睨みつけ、自ら断罪劇を開始した。
「アマリア、お前はこのラスティア子爵令嬢エルザを散々いじめた挙句、貴族学校から追放しようとしたな! テストの日程を知らせないだの、課題の協力を拒むだの、あまつさえ学内外の茶会の出入り禁止を取り巻きたちへ指示していただの……それだけならまだしも、エルザの父ラスティア子爵を罠に嵌め、横領と贈収賄の罪を着せて国王陛下へ厳罰処分を進言した! お前が俺と親しくするエルザを気に入らないからと……俺の婚約者であるにもかかわらず、あまりにも下衆で卑劣な行いだ!」
徐々に興奮が増し、顔を真っ赤にして怒り狂うルネは、勝ち筋が見えているかのようにアマリアへ最後通牒を突きつけた。
「そのような女と結婚するなど断じてありえん! このヴィノール王国王太子ルネは、プロジア侯爵家アマリアとの婚約を破棄する!」
おお、とホールにどよめきが生まれる。
互いの正式な名を連ねての婚約の破棄とあれば、ルネの本気度が窺える。これでは、もしアマリアが婚約破棄の撤回を訴えても相手にされないことだろう。
とはいえ、そんなことはアマリアは考えていない。
アマリアはドレスの裾をわずかに掴んで、膝を折って一礼する。お手本のようなコーツィのあと、ルネと紫髪のエルザへこう言った。
「では、そのように。以上で、おっしゃりたいことはすべてでしょうか?」
抑揚のほぼない、冷徹な確認だ。
アマリアの、まるで他人事のような態度に、肩透かしを食らったルネはまたしても叫ぶ。
「言いたいことなど、いくらでもあるに決まっているだろうが! だが、ここでいくらお前を叱りつけようとも」
「でしたら、話さなくてよかったのではないでしょうか。ここはプロムの会場であり、あなたの演説会場ではありませんわ。ましてや、四流脚本家の出番はありませんことよ。エルザ、あなたのことよ」
「やめろ、お前はまだエルザに執着しているのか!」
「わ、私は、あなたにどれほどつらい目に遭わされたか」
「そのような筋書きならば、そのようにご理解いただいてけっこうですわ。ただし、これ以上、プロムを汚す真似をなさるなら、たとえ王太子殿下であろうとも無粋は許されませんわ。どうぞ、今夜はお引き取りあそばせ」
取り付く島がないとはこのことである。アマリアはピシャリと、ルネとエルザの描いた断罪劇の中止を要請する。まだ続く予定はあったらしく、階段の上で右往左往する人影があった。ルネたちの用意した証人か何かだろう。完全に出鼻をくじかれ、どうすべきか迷っている。
ルネはアマリアへまだ何か言おうとして、エルザは想定外だったのか黙り込んでいる。まるで台本のセリフをド忘れしてしまった出来の悪いコントのようだ。
しかし、ここは王城のエントランスホールであり、貴族学校では伝統行事であり皆が楽しみにしていたプロムの場である。断罪のシナリオが華麗に、劇的に躍動するならばまだしも、アマリアにすっかりしてやられた大根役者と駄文作家はお呼びではない。すでに参加者の一部からは、野次が飛んでいた。
「それで終わりか王子様! 素敵なお芝居だったよ、あんたがみじめすぎてな!」
「さっさと終わらせてくださる? あなたたちのせいで音楽が始まらなくてよ!」
「もういいから帰れ帰れ!」
「面白い出し物かしらと少しでも期待した私が馬鹿だったわ!」
続くブーイングはすべて、踊り場から皆を見下ろすルネとエルザへ向けられたものだった。つまらない劇がまだ始まったばかりならば、もう終わらせて次の演目へ進めるべきだ。観客はすでに飽きている。
アマリアはルネたちへ背を向け、パン、パンと小気味よく手を叩き、宣言する。
「大変失礼いたしました。では皆様、プロムの続きをどうぞ、楽しんでくださいまし。この件は私が片付けておきますので、ご心配には及びませんわ」
もう一度コーツィを見せたアマリアへの大きな拍手が起きる。そして、アマリアはルネとエルザへ、階段の上へ戻れ、と指で合図した。
扇状階段の先は、王城の広間へと続く。そこで話し合おう、というわけだ。
ここでエルザが己の受けた仕打ちとやらを真摯に訴えれば、まだ誰かが聞く耳を持ったかもしれない。
しかし、エルザはそれをしなかった。なぜならば、その仕打ちが実際にあった証拠を用意できていないのだろう。物的証拠ならば一目見て判断できるだろうが、証人ならばその証言の真偽をも証明しなくてはならない。アマリアのせいで茶会に呼ばれなかっただのという下らない難癖を、である。父ラスティア子爵の件もだ、今の場の流れで逐一長ったらしく説明しても誰一人関心を持たないだろう。たかが下級貴族の横領や贈収賄など日常茶飯事だからだ。
そこまでエルザは考えが及んだからこそ、黙っているのだ。
ルネはというと、一段一段と階段を昇って近づいてくるアマリアの視線に怖気付き、ヘビに睨まれたカエルのごとく固まっていた。何せ、アマリアの金色の双眸は、しっかりとルネを捉えている。
ルネはただ単に、アマリアへの意趣返しをしたかっただけだ。何かと優秀な婚約者と比べられつづけたため、ルネはアマリアに対し憎悪さえ抱いていた。お前さえいなければこんなみっともない劣等感を覚えずに済んだのに、と。エルザがアマリアからの仕打ちを涙ながらに訴えてきたときには、真偽よりもこれ幸いとアマリアへの復讐計画を練って、大勢が集まるプロムで恥をかかせてやると意気込んで準備をしたものだ。
しかし、状況はルネの予想だにしなかった方向へ転がっていく。
やがて扇状階段の踊り場に辿り着いたアマリアは、ルネとエルザへこう言った。
「あなたたち、三文芝居か小説の見過ぎではありませんこと? こんなことをして婚約破棄の断罪劇をして、本当に成功するとお思い? まだクーデターのほうが成功率が高いでしょうに」
ルネは、背中に怖気が走った。エルザは気付いていない、アマリアの言葉の真の意味は——。
「ア、アマリア、お前……何を企んでいる!? エルザをどうするつもりだ!?」
「え、ルネ様? な、何のことをおっしゃっているのですか?」
エルザはとぼけているのではない、本気で困惑しているのだ。ルネの左腕にしがみつき、自らの未熟な謀が粉々になって砕けた今、これからどうなるのか想像だにできていないに違いない。
そんなエルザへ、アマリアは憐れみをかけるように微笑んでやる。
「エルザ、馬鹿な男を籠絡したつもりでしょうけれど、子爵令嬢ごときがやっていいことではなかったのよ。お粗末な断罪劇はおしまい、これからは私の舞台をご覧あそばせ」
アマリアが右手を高々とかざす。
合図を受け、扇状階段の上方から雪崩打ってきたのは、王室親衛隊の面々だ。熊の毛皮のコートと鷲羽の帽子は、ルネも見慣れているだろうが、まさか自分とエルザを捕らえにきたとは思わなかったのだろう。うろうろしていた証人たちは蹴散らされ、エルザはルネと引き離される。ろくに抵抗できずに三人がかりでしっかり両手と脇を固められて、やっとルネはアマリアの命令に従う彼ら——王室親衛隊に裏切られたのだ、と理解して叫んだ。
「アマリア、お前!」
「人目を引いていただいて大変助かりましたわ、王子。おかげで国王と周辺の注意が我がプロジア侯爵家と私に集まって、それ以外のことにはとんと警戒を怠ってくれましたもの」
ルネの真っ赤な顔が真っ青に変わり、微笑む侯爵家令嬢の深慮遠謀が、貴族学校どころかヴィノール王国のどこまで浸透しているのかさえ分からない恐怖が彼を支配する。
そもそもルネとアマリアの婚約は、国内有数の大貴族であるプロジア侯爵家を王家が取り込むためのものだった。これでプロジア侯爵家を従わせ、今後の政治的主導権を握ろうと画策していた国王は、表向きは友好を装い、裏ではプロジア侯爵家の勢力を削ぐためにあの手この手を図っていたのだが、もちろんプロジア侯爵家はそれさえも利用した。
ヴィノール王国における『国内有数の大貴族』は、プロジア侯爵家だけではない。カンタナリア公爵家、サンレノ公爵家、クレゴル侯爵家、ホルン辺境伯家といった他の大貴族たちと水面下で協力交渉を続け、王家の包囲網を築き、ヴィノール王国の将来そのものを奪取する計画は、ルネとアマリアの婚約よりも前から始まっていた。
「エルザ、一つ教えてあげましょう。このエントランスホールには、プロム参加希望者の全員が集まっているわけではないのよ。ここにいるのは、私の味方だけ。あとは……貴族学校の宿舎に監禁されているわ」
エントランスホールには、無数のスポットライトがダンスに興じる若き男女を照らしている。
そこには王家に連なるような、高位の王位継承権を持った貴族は一人もいない。百人以上がいるにもかかわらずほぼ全員がプロジア侯爵家をはじめとする大貴族の子弟やその縁戚であり、自身の従兄弟たちや母方の甥姪の顔が見当たらないことに気付いたルネは、絶句する。
アマリアの言葉が事実であれば、そんなことをする理由に目を向けなくてはならない。ルネはすでに察しているが、ようやくエルザもその結論に達したようだ。
「まさか、反乱……!?」
——いいや、違う。これはそう、王位簒奪の政変だ。
ルネは、自らの行いが、その最後の引き金を引いてしまった現実に向き合わなくてはならない。
貴族学校の伝統行事プロムのために王城は開放され、警備は緩み、不特定多数が王城に出入りできる状況が作られた挙句、王家に近い学生は選別されて貴族学校に監禁。すでに王室親衛隊までもがアマリア側に味方し、王太子ルネの身柄も確保された。国王もまもなく捕まるだろう。
——それから、どうなる?
ルネの足が震えはじめた。己の未来を想像してしまったのだ。
——婚約破棄をしなければ、アマリアの婚約者として温情ある計らいがあったかもしれないが、自ら破棄した今は……。
ルネのひどく葛藤する視線が向けられても、容赦無くアマリアは微笑み返す。
「王位継承者がいなくなった王朝は、滅びるだけよ。新たな王朝には、我がプロジア家の名が冠せられることでしょう。そこにあなたたちの居場所はないわ」
本物の策士は、相手の策すらも利用してしまうものだ。
ヴィノール王国は一夜にしてその名をプロジア朝ヴィノール連合王国へ変え、そのうちヴィノールの名も消え去るまで、そう時間はかからなかった。
『プロジアの女帝』アマリアはこう語る。
「ルネのこと? 別に嫌いではなかったわ、だって私に張り合おうとしては失敗して、それでも立ち向かおうとしてくる気概はあったのだから。でも、他の女に色目を使ったのなら……許してはおけないでしょう? お仕置きしないと。名前を変えさせて、私の領地に連れていって、しっかりとお灸を据えたわ。ああでも、時折抜け出して再起を図ろうとするの。かわいいでしょう? いつまでも付き合ってあげるわ、私はね」
それもまた、愛の形よ、と『プロジアの女帝』アマリアは優美に微笑んだ。
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