第一章 空き家の中の住人・2
大荒れの翌日は、雲一つない晴天だった。
しかし、道には水たまりやどこからか飛んできた草が張り付いていたりと昨夜の痕跡が色濃く残っていた。特に店の裏口は日影だから大きな水たまりがあり、それを避けるようにしてドアの近くに行き、いつもように十四時過ぎにドアを開ける。
「あれ?」
何度ドアノブをまわしても開かない。鍵を開けるのを忘れているのだろうか。ドアを叩いて呼びかけるも中からの反応がなかった。
「ったく、まだ来てないのか? 昨日飲み過ぎたのかな」
ジーンズのポケットからスマートフォンを取り出し、大将へ電話をかける。コール音が鳴らずツーツーツーとすぐ話中音になった。首をかしげ、スマホをポケットにしまう。ドアにもたれかかり、大将を待つ。けれど、待てど暮らせど大将は来ない。もう一度、電話を掛けてみたが、すぐに話中音が流れた。背中に冷たいものが走る。
ずっと電話中ってことがあるか?
寡黙で無口な大将が?
考えればすぐおかしな状況だと気づくのに、しまった。昨日の黒いもやの正体は今日のことだったのか。ドアをぶち破るか? いや待てよ、取り越し苦労かもしれない。表から店の中を覗いてみるかと、伊吹は表へ回る。
引き戸を見て愕然とした。
『閉店しました』の6文字。
「へ、閉店?」
寝耳に水だった。昨日まで普通に営業してたし、大将との別れ際も「明日もよろしく頼む」と、いつもの言葉で送り出してくれた。礼儀にうるさい人が、雇っている伊吹への解雇宣告もなく勝手に閉店するとは思えない。ガラス戸にへばりついて、目を細め店の様子を見た。
「ん?」
大きな影が見えた。
「大将~! いるんっすか?」
右手で拳を握りしめ、ガラス戸を叩く。ガタガタと大きな音をしても中の反応はない。なんか嫌な予感がすると思った伊吹は、スマホを取り出して物件を管理している不動産会社に連絡を取った。店を閉める件で事前に売却の相談は無かったと言って、鍵を持ってすぐ向かうと言ってくれた。不動産会社の人が到着するまでひたすら長い時間で、不安となんともいえない心のざわめきとで落ち着かない伊吹は、店の周りをぐるぐると歩き、中を見てまた歩くを繰り返していた。
「遅くなってごめんね」
不動産会社の恰幅の良い人の良さそうなおじさんがハンカチで汗を拭きながらあらわれた。
「いいえ」
「俺からも連絡してみたんだけど、やっぱり連絡取れなくてね。売却するっていう話も聞いてないし、家賃も昨日振り込まれてたし、なんにもないといいんだけど」
話をしながら2人で裏口へと回る。
鍵を開け「はい、どうぞ」と、中へ入る許可を貰い、店に足を踏み入れる。
「大将~! 大将ってば、いないんっす……か……」
バックヤードにいないことを確認し、店内を確認しようとドアを開けた伊吹は、目の前に映った光景に絶句した。
「藤原さん、店主いました? やっぱり、逃げちゃったのかなぁ、契約はまだ残ってるのに……」
「け、警察……を」
伊吹は、左胸を押さえて、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返す。人間って驚くと絶句するっていうけど、驚きすぎると動悸が激しくなるんだ、なんて思いながら苦しい胸を押さえた。
***
大将は、あの日二人で酒を交わしたテーブルの上で息絶えていた。
走り書きの遺書と、伊吹に対しても『独り立ちを見届けることが出来ず、すまない』と一言だけ書かれていた。
なんで言ってくれなかったんだという気持ちや他に手段があったのではと、思うことはあるけれど、きっと自分じゃ役には立てなかっただろう。それに、あの客足じゃ遅かれ早かれ閉店は免れなかったはずだ。でも、予期せぬ形で職を失い、大将の死も受け止めきれぬままの伊吹は転職活動にどこか本気になれずにいた。
そして、あのもやの理由がわかれば、手を差しのばしたり、止めることが出来たのではないかという後悔が胸の奥底で燻っている。
「あぁ~。全然いい条件ねぇなぁー」
いつものように布団に寝そべりながらスマホ片手に転職先を物色していた伊吹は、深い溜め息を吐いた。筋肉質な大きな体を重そうにゴロンと寝返りをうって、テレビのリモコンに手を伸ばす。映ったテレビはお昼のワイドショー。芸能人のゴシップネタに、世界情勢。チャンネルを変えながら代わり映えのないネタの数々にうんざりしながらボーッと画面を眺める。
「くそあちぃし、つまんねぇな。よくも毎日毎日飽きもせず……。まぁ、俺も人のこと言えねぇか」
自嘲気味に薄笑いを浮かべる。
あの日から24日が経った。コンビニで貰うバイト情報誌やネット検索をしても伊吹が求めている仕事は見つからなかった。
出来れば、以前のように大将から色々なことを教わりたい。そしていつかは自分の店を持てるくらい実力をつけたいし、あわよくば開店資金を貯められるくらいの少しだけ余裕のある給料が貰えるとなお良い。
「そんな好条件ねぇよなー。弟子募集も殆ど無いし。また丁寧な仕事をする人の弟子になりてぇな」
見た目も厳つく目つきが悪い伊吹は、警察官とか自衛隊の方が合ってるんじゃないかと親から言われたが、自分が作ったうまい料理をじいさんやばあさんが生きているうちに食わせてやりたいと、言って家族の反対を押し切った。
見た目だけじゃない。思ったことをすぐ口にしてしまう性格も友好な人間関係の構築の邪魔をしてしまう。良かれと思って指摘したことで相手を不快にさせてしまうのだ。
『もう少しオブラートに包んで話をしろ! 日本人なら本音と建て前を使い分けて、笑顔で接客しねぇと、客商売上手くいかねぇって、わかってんのか?!』
これは、こないだまで働いていた大将の言葉だ。大将も無愛想だったくせに、その人に言われるなんてよっぽどだ。
「って、思っても無いこと言うのはなぁー。嘘つくってことだろ? 嘘つかれて嬉しいもんかねー?」
呆れ混じりの溜め息を吐きながら、ぼーっと天井を見上げる。
「俺の料理が好きで、求める人に飯を作りたい。俺の腕に惚れ込むような……。本音と建て前なんかくそ食らえ‼」
天井に向かって拳を掲げる。上げた腕から汗が伝い、伊吹の目に落ちる。
「つぅ、イッてぇー!」
側にあったタオルで乱暴に目を拭く。
「クソ、クソ、クソッ‼」
エアコンの効きが悪く、むわっとした湿気を含んだ重苦しい暑さにイライラが募る。しかたがなく扇風機の風量を強にするも、蝉の声が暑さに拍車をかけていく。
「チッ。まったく涼しくなんねぇし!」
ぼやいていると、テレビから『夏休み初日、大学三年生の藤原くんが宗谷岬よりロードバイクで日本縦断の旅に出発します!』と、テンション高めのリポーターの声が聞こえてきた。
「ふじわ……ら?」
自分と同じ苗字の藤原という名前につられるようにテレビ画面を凝視する。
『日本、最北端』と書かれたオブジェの前で真っ黒に日焼けしたレポーターが、緊張気味の肌が白い……むしろ真っ青になっている藤原青年にぐいぐいと迫っていく。
「白とクロのコントラストすげぇな」
2人並ぶとまるでオセロのようだった。
『このロードバイク、もともと使ってたの?』
『あっ、このために購入したんです』
『えっ?! これから日本縦断するんだよ? 日本縦断って、2,600キロ以上だよ?』
『知ってます。でも大丈夫です、自転車には乗ってました』
『自転車って、どういう?』
『カゴついてる……一般的にママチャリ? って呼ばれてるのを少々』
レポーターが口をぽかんと開けているのと同じく、伊吹も目を見開き「はぁ?」と気の抜けた声を出す。
「……絶対無理だろ」
このテレビを見ている人、全員が同じ感想を持ったに違いない。
サラサラした黒髪で、黒のセルフレームのメガネ。少し猫背のテレビに映る青年は、ずっと勉強ばかりしてきましたっていう風貌だ。下調べだけではどうにもならないことがある。しかもロードバイクの運転が初めてで、自転車にはママチャリしか乗ったことがないらしい。
「今からでも辞めた方がいいんじゃね?」
『始めてのロードバイクで、無謀な挑戦じゃない?』
伊吹の声を代弁するようにレポーターが藤原青年に質問を投げかける。なんて答えるのか興味津々にテレビを見つめる。
『無謀かもしれないですけど、やらないよりやって「やっぱ無理だった。やらなきゃ良かった」って後悔する方がいいなって。それに、達成出来るかもしれないじゃないですか』
「そうだけど、確かにそうだけど……」
平坦な道だけじゃなく峠とか坂道もある。それに晴れや曇りの日だけではなく、雨や豪雨の日だってあるだろう。大学生の夏休みは長いんだし、そのままバイトでもしてぬくぬくと過ごしていた方が断然いいはずだ。社会人になると夏休みといっても長くて1週間程で終わってしまうのだから。
社会人で学生の夏休みのごとくダラダラしていた自分を棚に上げ独りごちる。
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