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第八回 闘蟋

 それから白猴は気まぐれに現れるようになった。

 白猴は玲よりも体が大きい。そのため、彼女は顕現すると窮屈な玲の着物を脱いで、代わりに宗靖の服を着て外に出ていた。


「おっ、あれは」

 最初の出現からおよそ一年後。

 何か面白いことがないかと、いつものように男装して町を徘徊していた白猴は、以前自分が殴り倒した少年たちを見つけて声をかけた。

「よう。生きてたか。この間はちょっとやりすぎたと思ったけど、元気そうだな」

 ひっ、と声を上げて少年たちは逃げようとしたが、白猴は素早く先回りして少年たちの退路を断った。

「なんで逃げるんだよ。前は俺と遊ぼうって言ってただろうが」

「いやそれは……」

「まあいいや。お前のせいで最近靖ちゃんが遊んでくれないんだよ。お前でいいからちょっと付き合え」

「ええ……」

 白猴はガキ大将の首根っこを掴み、引きずるようにして町を歩いた。その後ろを子分たちが心配そうに付いて行く。

「そういえばお前、名前なんて言ったっけ?」

周 泰(しゅうたい)……」

「おう。そうだったか。よろしくな、周泰」

 わははは、と笑いながら白猴は虫かごをいくつも買い、それを自分だけでなく周泰や子分たちに渡して、町を出ると墓地に向かった。

「な、なんで墓……?」

 周泰たちは不安げに顔を見合わせた。


 薄気味悪い墓地に連れて来られて、不安がる周泰たちに白猴は言った。

「さあ、気合入れていくぞ」

 ここまで何をやるかは聞かされていない周泰たちは、なにやらやる気を出してる白猴に不思議がって尋ねた。

「あの、は、白猴、さん?」

「次、私を(さる)と呼んだら今度こそぶっ殺すぞ」

 凄みの効いた目で睨まれた周泰は即座に訂正した。

「あ……れ、玲さん、いったい、何をするんですか?」

(コオロギ)を捕まえるんだよ」

「コオロギ?」

「お前、商家の子なのに知らないのか。良いコオロギなら虫市で売れるぞ。張り切って捕まえろ」

 売れるのは食用にするのではなく、闘蟋(とうしつ)といって、コオロギ同士を戦わせて勝敗を競う遊びに使うからである。

 この戦いは賭博も絡んで、コオロギの持ち主だけでなく、周囲の人間をも熱くのめり込むのだ。

 そのコオロギはいわゆる陰虫であり、冷たくじめじめした場所を好む。

 つまり、薄暗い墓地は、コオロギを捕まえる格好の場所なのだ。

 四人は墓地に入り、耳をすませたり、石をひっくり返したりして、蚊に刺されながら夕暮れまでコオロギを捕まえ、町の一角に立つ虫市へ行ってそれらを売った。

 一匹一匹は二束三文に満たないが、とにかくたくさん捕まえたので、中には駄賃程度にはなるコオロギもいた。。

 闘蟋で戦うのは雄のコオロギだが、交尾によって雄の闘争心が高まるので、本格的に闘蟋を行う際は雄と同数以上の雌が必要である。だから雌も売れる。


 痒みを堪えて、白猴はにんまりと笑った。

「どうだ。ただ遊ぶより銭を稼げた方がいいだろう」

「玲さんは俺より商売人だな」

 と、周泰は苦笑した。

 受け取った銭は白猴が受け取って配ったが、単純に四等分ではない。

 一度全員に売上金を見せてから四等分した後で、白猴は釣り目で小柄の少年の肩を叩き、

宋傑(そうけつ)、お前が一番多く捕まえたからな。特別報酬だ」

 といって、自分の取り分から半分をその宋傑という少年に渡してやった。

「えっ、でも……」

「気にするな。お前ら、明日も頼むぞ!」

 完全にガキ大将の座に収まった白猴は機嫌よく笑った。


 ただし、夜になって体を返された玲は、痒みに苦しんで、一人白猴を呪っていた。

 手、足、首、耳の裏……体が火照り、痒くてたまらない。とても眠れない。

「本当に勘弁して……」

 爪を立てて何度もひっ掻いたせいで、蚊に刺された場所から血が滲み出る。だが掻くたび痒みは治まるどころか増していくだけである。

 しかも、玲の嘆きを無視して次の日も、その次の日も、白猴は三人を引き連れコオロギ取りに出かけた。


「試合を見学させて欲しい」

 毎日のように虫市にコオロギを売り込んで、何人かの闘蟋競技者と顔馴染みになった白猴は、そう切り出した。

「賭けるのか? せっかく汗かいて稼いだのに一発でスッちまうぜ」

「いや、賭けない。ただ見たいだけ」

「賢いな。それがいい」

 その男に付いて、白猴は実際に闘蟋が行われているのを見学した。

 周泰たちはコオロギを売って稼いだ駄賃を張って博打に参加していたが、白猴は決して賭けなかった。

 その代わり、白猴は相手がうんざりするほど、たくさんの質問をした。

 勝敗の付け方や強いコオロギの見分け方から始まり、闘蟋で使う様々な見慣れない道具の使い方、当選金の定め方など白猴は熱心に尋ねる。

 このとき彼女の興味は、コオロギの戦いなどではなく、闘蟋というゲームの仕組みそのものに向いていた。


 闘蟋は夏の終わりから晩秋にかけて行われる遊びである。

 コオロギ集めをした翌年の夏、白猴は周泰らに告げた。

「今年は本格的に闘蟋をやって稼ぐ」

「おっハマりましたか、玲さん」

「じゃあ強いコオロギたくさん捕まえねえとな!」

「目指せ最強っス!」

「……お前ら何か勘違いしてないか」

 やれやれ、と白猴は首を振った。

「え、一秋かけて強いコオロギを育てるんじゃないんですか? 上手くいきゃあ、すげー儲かるって大人は皆言ってますぜ」

「周泰、お前なあ……前も言ったけど、本当に賈人の子か」

 白猴は大げさに溜息をついて見せた。

「私は周家の未来が心配だぞ」

「え、どういうことです?」

「虫を育てて試合に出るにせよ、博打を打つだけにせよ、私が見たところ闘蟋ってのは道楽だ。本っ当に上手くやるなら別だが、私たちが中途半端にやったって、銭なんて出て行くばかりで儲からねえよ」

「でもさっき、闘蟋で稼ぐって……」

「だからな、胴元をやるんだよ」

 笑いながら、白猴は周泰の太った腹をポンと叩いた。

「お前は欲が浅すぎる。商人ならもっと欲深くならんとダメだぞ、周泰」


 男装した白猴は三人の手下を連れ、その日から闘蟋の大会を開催するため動き出した。

 大人の関わらない、子供たちだけの闘蟋大会である。

 こう言いだした時点で、白猴は前年、コオロギの売買で知り合った男たちから、古くなって使わなくなった虫カゴや計量秤、戦いの場である闘盆などの道具を譲り受けており、大会を開く準備は既に始めていた。

 だが、記念すべき第一回の参加者は周泰らも合わせて、ほんの五、六人だった。

 参加費も取らず、いつものように子供が集まって遊ぶのと変わらない。

 第二回、第三回は少し増えて十人ほど。ここまであまり数は集まらなかったが、この三回の大会で白猴たちは町の子供たちに闘蟋という遊びを周知することに成功した。

 第四回、第五回は一挙に参加者は倍に増え、第五回からはごく少額ながら参加費を取るようになった。

 白猴たちにとって、初年度は大会の運営方法を学び、大会の定型を確立する試行錯誤の年であった。

 結局この年は十二回の大会が開かれた。最初は参加者が増えるたびにやや混乱が起きたが、終盤は二十人を超える参加者を上手く捌けるようになっていた。


 二年目は子供たちの間で本格的に闘蟋が流行し、参加者が激増したため、白猴も手足となる運営スタッフをさらに増やした。

 大会は予選から決勝まで一日では終わらず、二日に渡って開催されるようになった。立派な大規模大会である。

 九月には大会が四度行われたが、いずれも単発の大会で、いわば練習試合である。

 この時点では、コオロギもまだ未熟な新米で、戦い方もおぼつかない。

 中秋に入ると、白猴は大人たちの闘蟋を真似て、その秋一番のコオロギを決める、一か月にも渡るキャンペーンを行った。

 これが当たった。大盛況である。


 大会運営の傍ら、人が集まるのを見て、白猴は抜け目なくコオロギの飼育に使う養盆や水盆、茜草(撫でてコオロギの闘争心を掻き立てる、筆に似た道具)の他、菓子の販売も行った。

 道具は知り合った虫市の商人を呼んで場所代を取り、菓子は最初に誘った仲間である周泰や宋傑に伝手があったのである。

 さらに一風変わった取り決めとして、白猴は今日のカジノのチップ制に近い仕組みを導入した。金銭のやり取りを極力少なくして、大人たちに見咎められないようにするための工夫だった。

 試合に出たい者、賭博に参加したい者は全て、大会受付窓口で銭を払い、白猴が印を付けた木牌を購入する。以降大会中の経済活動は全て木牌を通して行われた。

 賭けの際のやり取りは勿論、競技者は一試合ごとに一枚の木牌を払うというルールが課され、払えない者は不戦敗となった。前述した菓子や雑貨の販売も、木牌を通したやり取りである。

 いわば木牌は、白猴の開く大会だけで使用できる通貨だった。

 もちろん望めば木牌を現金化することもできるが、その際は木牌の価値は購入時の半値となる。

 つまり仮に十銭で木牌十枚を購入した場合、何もせず換金すれば払い戻されるのは五銭である。つまり賭けで儲けるには、少なくとも木牌を倍にする必要があるということだ。

 随分運営に都合のいいシステムだが、これが成り立っていたのは、白猴たちの大会が子供たちの間で、既に一種の権威になっていたからである。


 実際白猴たちの開く大会は、子供が適当なコオロギを捕まえて行う野試合とは全く異なっていた。

 試合に参加するには受付をして金銭を払い、コオロギを登録する。

 登録させたコオロギは秤で体重を測られ、重量級、中量級、軽量級の三部門いずれかに振り分けられる。

 この体重による階級制により、ただ大きければ勝つという単純な勝負ではなくなっていた。

 さらに試合には審判が立ち合い、きちんと勝負を見届ける。ズルは決して許されない。

 このようにきちんとルールが定められた試合は、やはり熱の入りようが違う。

 そうして行われた、その年の王を決める壮大なシリーズ戦。

 勝てば周囲の少年たちから嫉妬の入り混じった賞賛が得られ、自尊心をくすぐった。そして負ければとてつもなく悔しい。

 緊張の中で行われる数々の試合に、子供たちは熱狂した。


 また、熱くなるのはコオロギの持ち主や木牌を賭けている者だけではない。

 これだけの大会は、運営員である白猴たちも遊び半分などという気分ではいられなかった。

 大会全体のスケジュールを定め、告知し、雑貨など販売する商品搬入の段取りを行い、当日は道具を準備し、受付を行い、コオロギの重量を測り、組み合わせを決め、審判として勝負を見……。

 もはや遊びではない。本格的な賭博であった。結果、白猴たちの手元に寺銭が積みあがっていった。

 白猴や周泰はよく働いたといえる。


 そして寺銭を仲間に配分するのは、やはり白猴の役目であった。

 彼女は決して儲けを独り占めにはせず、名実ともに舎弟となった周泰たちに気前よく金を配った。

 初めコオロギ売りをしていた時と同じく、白猴は舎弟の働きぶりを見て、度々その働きを褒めて自分の取り分を割いて与えたため、白猴の取り分が一番少ないことも多かった。

 そのことを不審がった周泰は、あるときこっそりと聞いた。

「玲さん、気前が良すぎねえか?」

「何だ急に。気持ち悪いな」

「いや、この大会は玲さんの発案だし、実際仕切ってるのも玲さんだ。もっと取り分を増やしても、誰も文句を言わねえと思うんだが……」

「……」

 白猴はいつになく真剣な表情でじっと考え込んだ。

 男装した背の高い麗人に、鋭く赤い眼差しを向けられると、周泰は一瞬たじろいだが、白猴は考えを纏めていただけで、別に怒っているわけではなかった。

 やがて、白猴は口を開く。

「周泰、兵卒は武器を取って戦うのが役目だ。将軍はその兵を纏め指揮し、戦いに勝つのが役目だ。そうだと思わないか?」

「はあ、まあ」

「じゃあ将軍より上の王様の役目ってなんだと思う? ただ見てるだけか?」

「えっと、いや、違う。勝った将軍に褒美をやったり、負けた将軍を降格させたり……」

「分かってるじゃないか」

「えっとつまり……」

 周泰は何か掴んだようだったが、上手く言葉に出来ない。それを助ける様に白猴が言った。

「私は王様の仕事ってのは、正しく分けることだと思ってる。それができる奴が王様ってわけだ」

「はあ、なるほど。じゃあ欲深い奴はダメってことか」

「バカ! まだよく分かってないな!」

「えっ」

「王様が一番欲深いに決まってるだろ! 報酬より報酬を分ける権利にこそ価値があるんだ。だから王様ってのは、その権利だけは絶対死守する。例え見かけ上の自分の取り分を減らしてでもな」

「うーん。玲さんは面白い考えをするな」

「面白がってる場合じゃないぞ。もし私がいない時に、お前が勝手に大会を開いたらぶっ殺すからな」

「へへっ。玲さんがいなけりゃ話になりませんよ。俺たちだけじゃとても無理だ」

「……まっ、そうだろうけどな」

 周泰の見え見えの世辞を、白猴はあえて当然だとして受け取った。

 その瞬間の白猴の自信に溢れた顔は気高く、そしてたまらなく美しい。


 宗靖の服を着ている白猴は、普段はまるで中性的な男子の様に見える。

 しかし、ふとした瞬間に浮かび上がる美しさは、このとき既に人を超えた妖しさを含んでいた。

 ロクに家の仕事も手伝わない周泰たちが、身を粉にして働いているのは、金ややり甲斐だけが理由ではない。

 白猴という気の強い女が、一瞬見せる美しさに魅了されていたのである。

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