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第七回 目覚めたる白猴

 参拝を済ませた宗靖は、上気した顔を道行く人に悟らせまいと、なるべく平静を保って石段を下りていた。

 だが、心は舞い上がっており、無意識に視線は隣を歩く玲の方を向いていた。

 それに気づいて慌てて目を逸らしたが、何度見ても玲は可憐な少女だった。

 足が細い、腕が細い。首が細い、腰が細い。風に煽られる髪の毛さえ、細やかだった。


 だが宗靖の浮ついた顔は、道を塞ぐように現れた三人の子供の姿を見て、たちまち強張った。

 三人は近所に住む商人の子供である。

 宗靖は自身の家を武功で成り上がったという誇りをもっており、一方で商家を流通に寄生して利殖を貪っている、と考え内心見下していた。

 一方で商家の子らも、成り上がりのくせに武家を気取る宗靖の態度が鼻についていた。

 そんなわけで子供たちは元々折り合いが悪かったが、ここにきて美しく育ちつつある欧陽玲の存在が宗靖への憎悪を増大させていた。

 そしてついに、見下しつつ妬心を抱くという、矛盾する考えが、商家の少年たちを今日の行為へと走らせた。


「なんだお前らは。天下の往来を塞ぐな。そこをどけ」

「けっ。天下の往来だと。気取りやがって」

「玲の前だと威勢がいいな、宗靖」

「ビビってるのか。足が震えてるぞ」

 実際、宗靖は恐ろしかった。三人と喧嘩して勝てるわけがない。

 玲の腕を掴み、目を伏せて「行くぞ」と三人の横を横切ろうとする。

 だが、宗靖と欧陽玲を待ち構えていた三人が、みすみす見逃すはずがなかった。

 むしろ、宗靖がこちらに恐れをなして戦意をしぼませたと見るや、一挙に行動に移した。

 一旦弱者と見た相手を恐れる理由などない。


「玲、たまには俺に付き合えよ」

 三人の中で一番体格の良い少年が、馴れ馴れしく玲の肩に手を置いた。

「おい、玲に触──」

 その言葉を言い終える前に、宗靖の顔面に拳が飛んだ。

 さらに残り二人が宗靖の体を掴み、強引に玲から引き離す。

「やめろ! くそ、やめろ!」

 宗靖はもがいた。

 子分らしい二人を振り払い、リーダー格の少年へと向かっていったが、体格のいいその少年は腕を振り回して、今度は宗靖の腹に拳を見舞った。

 宗靖は息が詰まり、たまらずその場にうずくまる。

「雑魚が。カッコつけるんじゃねえ」

 呻く宗靖を蔑視の目で見下してガキ大将の少年はそう言い放った。


 大人の目で見れば、これは子供の喧嘩に過ぎない。

 だが、目の前で愛する人との仲を引き裂かれた宗靖と欧陽玲にとっては、暴漢に襲われたことに等しかった。

「靖ちゃん!」

 玲はうずくまる宗靖に駆け寄ろうとしたが、ガキ大将に腕を掴まれた。

「あんな奴なんてほっとけよ」

 ガキ大将は玲に顔を近づけて言った。臭い息が玲の顔にかかる。

 ガキ大将の顔に浮かんだ醜悪な表情に、玲は震え上がり顔をそむけた。

 

 ──こんなのは嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!


 そのとき、抑え切れないほどの負の感情は玲の心を支配し、ついに玲の精神の限界を超えた。

 一線を超えた恐怖が鍵となり、玲の精神の中で厳重に封印されていたものが解き放たれる。


「私に触るな、クズ」

 冷たい声を放ち、玲が顔を上げるとその表情は一変していた。

 少女は恐怖で震える代わりに、怒りで震えていた。

 だがそれ以前に顔の作りと(かたち)が違う。

 釣りあがった(まなじり)に、灼熱の炎のような赤い目。髪は透き通るような白髪へと代わっていた。

「おっ……」

 玲の豹変に、ガキ大将はゾクりとして後ずさる。

 相手が怯んだ瞬間を見逃さず、玲は逆に飛び掛かった。

 そのたった一動作すら、全く人間離れしていた。

 全身のばねを用いた、しなやかな跳躍は、木と木の間を飛び交う猿のようである。

 玲はガキ大将の顔に覆いかぶさるように飛び込み、実際覆いかぶさって、そのまま相手を押し倒した。

 この時点で、相手は後頭部を強かに打っていたが、白毛火眼となった玲は止まらない。

 そのまま馬乗りになると、握った拳を何度もガキ大将の顔面に振り下ろした。

「れ、玲……?」

 宗靖も玲の変化に呆気に取られていたが、すぐに事態の深刻さに気付いた。

 豹変した玲は加減というものを知らなかった。玲を抑えるべきガキ大将の子分は既に遁走(にげ)だしている。

「玲、もういい、やめろ! そいつは気絶している!」

 肩を掴まれた玲は、振り返って怒りに燃える火眼を向けたが、相手が宗靖だと知ると、逆らわず立ち上がって表情を緩めた。

「こいつはどうでもいいが、靖ちゃんは大丈夫か?」

「あ、ああ。大事ない」

「良かった。今日は楽しい日だったのに、こいつらのせいで台無しだったな。もう行こう」

「おい、待て、玲。こいつはどうする?」

「私の知ったことじゃない。ほら、あいつらが助けるだろ」

 と、玲は遠巻きに様子を窺うガキ大将の子分のほうに顎をしゃくった。

 玲はそれきりで血を流して倒れる少年を一瞥もせず、スタスタを歩き出した。

 しょうがなく宗靖もその後ろを付いていく。


 歩いているうち玲の髪が黒に戻り、目の中で燃える炎は燃え殻となり、やがて完全に消えた。

 体が元に戻ると同時に、玲はガクガクと震えだした。

 ペタンとその場にへたり込んで、目からは涙が溢れる。

「そ、靖ちゃん。私どうしたの? いま私、変だった」

「……」

「なんなの……なんだったの一体!?」

「分からない……けど玲は俺を助けてくれたんだ。何も悪くない」

 宗靖は震える玲の肩に手を置いて、なんとか宥めようとした。

 いまの宗靖には、泣き出してしまった玲にそう言うのが精一杯だった。



 主家から独立し、新たに家を興した新興の者を開戸と呼ぶ。

 自力で家を興したという自負から、開戸には剛直な者が多いが、宗靖の父、宗仁もその例に漏れない。

 息子から欧陽玲が豹変したという報告を聞いても宗仁は動じず、瞑目して「そうか」と頷いた。

「玲は既に身内だ。将来、お前の妻に迎えるという考えに変わりはない」

「はい。しかし、父上……」

 宗靖が何か言おうとすると、宗仁は鋭く制した。

「不服か」

「いえ、そういうことではなく……私にも本格的に剣を教えてくれませんか」

 玲が結婚相手であることに不満などない。

 そうでなく、宗靖は自分の不覚を恥じていた。

「玲にあのような変化が起きたそもそもの原因は、自分が玲を守れなかったことにあります。また婦女に守られたことも男として情けない。二度とこのようなことがないよう、剣の道、武の道に励みたいと思います」

「お前も中々言うようになったな。しかし、いかにも浅慮だ。天下は既に太平。立身出世の道は武ではなく文にある。剣を握るだけでは、家を護るには足りないと思わないか」

「しかし……」

 宗靖がなおも食い下がろうとするのを、宗仁は一喝した。

「楽をしようとするな! お前が家や玲を守りたいと願うなら、文武両道を歩め! 剣の方は明日から私と私の友人が教えてやる。ただし、勉強もしろ。いずれ遊学に出すからそのつもりでいるように」

 父の厳しさと優しさに打たれた宗靖は、頭で地を叩くように「はい、はい」と何度も頷いた。


 宗靖が勉学と武道に打ち込むようになったので、欧陽玲はそれを邪魔しないよう、以前ほど宗靖の後ろに付いて歩くことは少なくなった。

 それだけでなく、どこから知られたのか、玲は白猿の娘であるという出自もすぐに広まったため、玲が外出すること自体がめっきり減った。

 また事件が起きたことで、月に一度の供養の仕方も変わった。

 山まで詣でるのではなく、家の裏に小さな祠を築き、そこで玲は手を合わせるようにした。


 玲は家の中で針仕事や家事を行い、宗靖はあの日の屈辱を繰り返さないよう、必死になって武に文に励んだ。

 二人はあまり言葉を交わさないでいたが、胸中では互いに思い合い、しっかりとした絆で結ばれていた。

 しかし、いくら欧陽玲が自分の恥ずべき半身を隠そうとしても、それは無駄であった。

 後に皇帝が雪瑜と名付ける玲の半身、このときはまだ白猴と呼ばれていたモノは、欧陽玲の気持ちなど無視して現れ、好き勝手に外出していたからだ。


 二度目に白猴が出現したのは、最初の出現からおよそ半年後の、元宵(げんしょう)祭の夜だった。

 元宵祭とは新年を祝う祭りである。

 三日三晩行われる元宵祭では、どの家でも門の前に華やかな提灯を飾り、巧緻や数を競った。

 皇帝の座す神都・宝洛ともなれば、道という道は提灯の明かりで照らされ、その様は『提樹、億万林立し、花焰の輝き、月を呑む』と謳われる。

 通りは出店と観灯の人で溢れ、祭りに浮かれる人の流れは絶えることはない。

 神都ほどでないとしても、宗靖や玲の住む町でも、元宵祭は盛大に行われた。

 白猴の現れた事件以来、宗靖と玲は二人で連れ歩くことは一度もなかったが、この夜は久しぶりに連れ立って、観灯の祭りを見物に行った。


「寒くないか、玲」

 宗靖が傍らの婚約相手を気づかうと、頬を桃色に染めた玲は首を振った。

「いえ全く。むしろ、この熱気の中では暑いくらいです」

「確かにな。この町にこんなに人が住んでいるとは思わなかった」

「本当に。それに不思議な感じです。夜なのにこんなに明るくて、人がたくさん外に出ているなんて。もし天国があるならこんな場所なのかも」

「ははは、そうかも知れんな。元宵祭は三夜ばかりの天国だ」

 二人は談笑しつつ、提灯の明かりに照らされた市場を歩いた。

 色とりどりの無数の灯火に照らされていると、見知ったはずの道がいつもと違って見える。

「玲、何か欲しいものはあるか?」

「いえ、別に」

「奢り甲斐のない奴め。こういう時はなにか頼んでみるものだぞ」

「うーん」

 玲はきょろきょろと周囲を見て、出店の一つに目を留めた。

 櫛や扇子や(かんざし)などを小物を扱っている店である。

「じゃあ、これがいいかな」

 前かがみになって玲が指差したのは、小さな白塗りの歩揺だった。

 歩揺とは髪に挿す簪の一種で、金板や玉を垂らし、歩くたびに優雅に揺れる装飾具である。

「おう、どれどれ」

 宗靖は玲が指差した先に視線を下ろし、その歩揺を取ろうとした瞬間。

「あ、やっぱりそれはなし。こっちにする」

 と、玲は朱塗りの歩揺を指差した。

「そうか」

 宗靖が朱塗りの歩揺を手に取り、顔を上げた時、傍らの玲は白猴に変化していた。

 宗靖は思わずぎょっとして目を見開く。

「あ、あ……」

 驚いて言葉が上手く出ない宗靖を尻目に、白猴は何でもないかのように言った。

「私の白い髪に白い歩揺付けても、見えにくいだけだからな。こっちの方が似合うでしょ」

「あ、うん、そ、そうか」

 一度変身すると、その晩は家に帰るまで、ずっと玲は白猴に変わったままであった。


 翌日、目が覚めて起き出した玲は、自分の机の上に、朱色の歩揺が置かれているのを見て、愕然とした。

 玲にとって白猴は人生への侵略者であった。

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