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第六十四回 絡み合う思惑

 ──いま神都に舞い戻るのは虎穴に飛び込むようなもの。西域に留まるようにお願い申し上げる。


 石豹は神都に駐在させている長男、石基(せきき)からの手紙を読み、眉をひそめた。

 かなり情勢が悪いのだろう。

 書面からは石基の焦燥がひしひしと伝わってくる。

 石豹の手元にはもう一通、朝廷からの書状が届いていた。

 そこにはいま一度神都に戻り、現在の重すぎる将軍の負担を軽減する方法について議論しようとある。

 月巧妃からも手紙が届いていて、そこには短期間に西域と神都を移動することへの柔らかな心配りが記されていた。

 結びは『将軍には苦労をかけることになるが、前回いらしたときはお会いできなかったので、此度は会えることを楽しみにしている』とある。

 文面からは普段と違う様子は感じられない。

 だが、皇帝はわしの三州節度使兼任に乗り気だったはず。

 わざわざ呼び出されるこということは皇帝が翻意したということだ。

 今回は月巧妃が敵に回ったかもしれない。

「……このまますんなりと勝たせてはくれぬか。連中も馬鹿じゃないということだな」

 さて。

 石基の言う通り神都には行かず、時を稼いてなし崩しに名実とも三州節度使になってしまうか。

 それとも神都に行って弁明するか……。


 前回の時は即断で神都に向かった石豹だが、今回は熟考した。

喫邪(シーシェイ)、旅の塵を払う暇もないがまた出かけるぞ。兵どもに支度させろ」

「はっ。神都に再び向かうのですね?」

「否。まず青州に行って住人を慰撫する必要がある。その後、まだ神都に来いというのならば向かおう。だが焦ってはダメだ。じっくり腰を据えて対応する」

「承知しました」

 石豹は筆を執り、多忙を主な理由にしばらく参朝できぬ旨を記した詫び状を送った。

 次に新たに自領となった青州、次に以前から兼任していた玄州と自らの領地を巡り、その統治に緩みがないことを自分の目で確認していく。

 そして巧みな弁術と人柄で代官、官吏、住人たちを安心させた。

 特に突然の交代劇に動揺している青洲の城では下級の吏まで呼んで宴を開き、可能な限り多くの人間と対面で向き合い「わしとて鬼ではない。何も心配いらぬ」と言って、慈悲深い僧のように振舞った。

 こうして西域三州の人心は安堵したが、朝廷は恐慌状態であった。


 石豹は動かなかった。

 我ら朝廷の意に反して!

 官僚達の間にそのような言説が野火のように広がった。

 そのような不穏な空気は煙のように皇帝の座まで登っていた。

 そこでようやく風演も石豹が野望を抱いている可能性に気が付き、恐れの色を見せた。

「雪瑜……」

「どういたしました大家(ターチャ)?」

「石豹について良くない噂が流れている」

「ほう? どのような?」

「西域で奴が良からぬことを企んでいると、そういう話だ。多忙を理由にこちらの命令を無視したのも怪しいと」

「ふふっ。あっはっはっは!」

 雪瑜は大笑して風演の不安を吹き飛ばした。

「そのようなこと、誰が申したのです? そんなもの石将軍の出世を妬んだ流言蜚語に過ぎませぬ。それに石豹殿は朝廷の意向を無視などしておられませぬ。ちゃんと理由を述べて詫びたではありませんか」

「そうだろうか、そうならよいが……」

 風演はまだ納得がいかない様子で首を傾げた。

大家(ターチャ)

 雪瑜は微笑んだ。

 亮や玉蘭に向けるのとは全く違う顔で。

「何も心配いりませぬ。全ては陛下の御心のままになりましょう」

 見る人間の魂を蕩けさせる魔性の笑みに、風演はあっさりと陥落した。

 大家(ターチャ)はこれでよし。

 だが、問題の根本がまだ解決しておらぬ。


 怯える風演を慰めて彼を安心させると、雪瑜はまっすぐ自分の(やくしょ)に向かった。

 そこで彼女はイライラとしながら魏高輔の部下を呼んだ。

 彼らが現れると鋭い声で官僚たちを叱り飛ばす。

「私は石将軍を連れて来いと申したはずだ! なにをグズグズしていると魏宰相に伝えよ!」

「はっ、はい。それは只今迅速に進めております……それとそれに関連して一つご報告が……」

「申せ」

「はっ。石将軍のご子息である石基様のことなのですが、かなりの数の犯罪に関わっている疑いが出ており、現在調査を進めております」

「犯罪とは?」

「主に禁制品の密輸、土地の違法取得、暴行、権力乱用によってそれらをもみ消したことでございます」

「併せてどれほどの罪だ?」

「仮に全て認められれば良くて官位を剝奪された上で投獄、悪ければ死罪となるかもしれませぬ」

「……その件に関してはくれぐれも軽率な動きはするなと伝えよ。調査するのは構わんが、結論を急いではならぬ」

「委細承知いたしました。宰相にはそのように伝えます」

 もう行け、という手振りをして雪瑜は魏高輔の部下を追い出した。

 その後で彼女は手で顔を覆う。

 くそ!

 私の国で誰であろうと犯罪は見過ごせない。それは私への侮辱、私への攻撃に等しいからだ。

 官吏官僚ならばなおさら許せぬわ。

 だが、いま石将軍の息子を捕縛するのはまずい。


 この時点ではまだ雪瑜は石豹と朝廷の関係を修復できると思っていた。

 実際、石豹ですら戦はあくまで可能性でしかないと考えていた。

 戦禍を回避できる道筋は十分あったといえる。

 だがここから急転直下、坂道を転げ落ちるように事態は悪化していく。

 数日後に雪瑜が受け取った報告は捕吏が石家の屋敷に踏み込み、石基以下神都にいる彼の家族を拘束したという報告だった。

「魏高輔めが!!」

 報せを受けた雪瑜は激怒した。

 火眼金睛(あかめ)を血走らせて叫び、長い白髪を振り回しながら壁を殴りつける。

 周囲の人間はみな怯え、豪傑たちを委縮させたという項王の怒りも斯くやという様子。

 怒りのあまり、雪瑜は自ら尚書省に怒鳴り込んだ。

「魏高輔の馬鹿はどこだ!!」

 月巧妃の怒りに戦慄する役人たちをかき分けて魏高輔が姿を現す。

「よお、月巧妃様。今日は腹の虫が悪そうだな」

「貴様ッ……!!」

 食いしばった歯がギリギリと軋む。

 やっとのことで雪瑜は言葉を絞り出した。

「魏高輔を除いて全員この部屋から出ていけ」

 その場にいたものはあっけに取られて一瞬動きが固まる。

 馮嘉が素早くその意を察して野太い声で叫ぶ。

「お前ら娘子将軍のいうことが聞こえなかったのか、早くしろ! それとも俺に叩き出されたいのか!」

 護衛の兵に脅されて役人たちは騒然としながら部屋を追い出された。

 役人が居なくなると、雪瑜は怒りの形相のまま魏高輔の胸倉を掴む。

「貴様、自分がやったことが分かっているのか!」

 しかし、月巧妃の凄まじい怒りにも魏高輔は簡単に屈しない。

 人目がない為か乱暴なお国言葉のまま雪瑜に食って掛かる。

「へっ当たり()ぇよ。法を犯した奴がいたから捕まえた。それだけのことだだろうがい。なんか文句あんのか、ええ?」

「私は自重しろと言ったはずだぞ!」

「聞いてねえなぁ? 犯罪者捕まえるのに何を躊躇う必要があんだよ」

「お為ごかしも大概にしろ! 法を盾に誤魔化すな! 貴様のお陰で石将軍がこの国の敵に回ったのかも知れんのだぞ! そうなったらどう責任を取るつもりだ!」

「へっ。この首が欲しいならいつでもくれてやらァ!」

 魏高輔は毅然と言い返した。

 既に一度中央を追われ、年齢的にもう先も長くない。もう今の彼にとって命など惜しくないのである。

 よって絶大な権力を握る月巧妃相手にも堂々と自説を述べることができた。

「その前に一言言わせろ!」

「ああ、辞世の句を言うがいい!」

「まだあいつの魂胆が分からんのか!? 石豹は王になりてえのさ! いやもう既に西域では王なのかも知れんな! 仮に今奴を宥めたところで、半年後には理由を付けて昭から離反しようとするだろうよ!」

「石将軍が謀叛を起こすというのか! あれだけ忠義に溢れた男が!」

「忠義に溢れた男ならなぜ法に従わねえ! なぜ良田と交易路を独占し富を貯めこむ! なぜ兵力を隠す!? いい加減目ェ覚ませや、公主(おひめさま)!」

「……!」

 魏高輔が指摘したことの大半は雪瑜も把握していた。

 これまでは見て見ぬふりをしていたことだった。

 だが、もう限界だった。

「相手は驍名を天下に轟かせる驃騎大将軍、そして昭国最高の軍団だぞ……戦えばどうなるか分かっているのだろうな……!」

 睨め付ける雪瑜の目を受け止めながら、魏高輔はなおも皮肉で返す。

公主(おひめさま)がそうやってビビッてくれりゃあ、奴は戦う必要もないってわけだ。昭の領土を削りタダで国をくれてやった方がよかったっちゅうわけで?」

「…………」

 長い沈黙だった。

 雪瑜はゆっくりと魏高輔の首元を掴んでいた手を放す。

「貴様……私の言葉を無視したことは忘れんぞ……この件が片付いたらたっぷりと絞ってやる」

「石基の処分はどうする?」

「罪人の処分など私が一々知るか! 法に従わせろ! この私の法だ!」

「御意」

「……」

 やってきた時は嵐のようだったが、退出時の雪瑜は恐ろしいほど静かだった。

 まるで全てが凍り付いた冬の朝の如くである。

 そしてその日から三日と経たず、石基の胴と首は離れた。

 戦が始まる。

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― 新着の感想 ―
 ついにこうなってしまいましたか。  石豹が初めて登場したときから、安禄山に似ているなと思っておりまして。多分モデルにしたのだろうと推察しますが、しかし安禄山であればこの展開はまさに必然。  楊貴妃な…
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