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第六十三回 五志化火

 呼びつけた諫臣と宰相が現れると、いよいよ雪瑜の怒りは燃え上がった。

 親ほど年の離れている二人を野獣のような眼光で睨みつけると、つかつかと詰め寄り、激しく(なじ)る。

「今回のことは失望したぞ! その方ら何故大家(ターチャ)を止めなかったのだ! 指を咥えて眺めていたのか! 三州節度使兼任など一人に与えるには大きすぎる権力だ。そのような力は邪な考えを抱かせる、そんなことも分からんのか!」


 権力が人を腐らせるなんて、んなこたァ分かってるよ。

 皇帝から権力を奪いケツを蹴飛ばしてる手前ェみてえな女が目の間にいるしなァ。


 と、魏高輔は内心でかなりイライラとしながら娘以上に年下の小娘の言葉を聞いていた。

 石豹の権力拡大で一番面白くないのは彼である。

 それなのに分かりきったことをクドクドと言われて、喧嘩宰相もまた相当に頭に来ていた。

 だが、ひと先ず雪瑜の矛先は魏澄子に向かった。

「魏澄子よ、何故止めなんだ! それがその方の務めであろう!」

「私も即断は考え直すように申した。しかし陛下は私を押しのけて発言されたのだ。その後も何度も考え直すようにお諫めしているが聞き入れて下さらぬ」

 魏澄子が反論すると雪瑜はさらに苛立ちを露わにした。

「それで? そんな言い訳が罷り通ると思っているのか! 子供の使いではないのだぞ! 私がお前を陛下に推したのは気骨があるという評判を耳にしたからだ。それがなんという体たらく! そして魏宰相! お前は慰労会に出席もしていなかったらしいな! なぜだ!」

 一通り魏澄子を叱責すると、舌鋒の向きが変わる。


 ああ出てなかったよ。お前と同じくな。

 そう思ったが魏高輔は口には出さず、なるべく冷静に反論を張った。

 ──少なくとも初めだけは。

「大なり小なり節度使達はわしを恨んでいて。顔を突き合わせたら喧嘩になるのは目に見えてる。陛下主催の席でそれはまずいと思ったんでィ」

「そのような席ではお前が一歩引けば良いではないか! 不参加など忠心を疑われても仕方のない愚行だぞ!」

「ちょっと待て月巧妃殿、いくらなんでもそりゃ言いがかりだ。忠心を疑うとまで言われちゃ引っ込んでいられねえなあ! 取り消してくれ!」

「はぁ? お前の役目は節度使たちを言い包めることだ。そこから逃げたのは事実だろう! 疑われて不愉快なら行動で疑惑を晴らすことだな!」

「なんだと……! この小娘が!」

 頭に血が上り、熱くなった宰相が口を滑らせた。過去にもこのような短慮で魏高輔は宰相の地位を追われている。

 だが同じく血が上っている雪瑜は、罵倒を打ち返した。

「ほざいたな、ジジイ!」

 そう叫び、宰相に掴みかかりそうになった雪瑜を護衛の馮嘉と亮が慌てて押し留める。

「ちょっ……将軍、そいつはまずいっ!離れて離れて!」

「えええい! 手をはなせ馮嘉!」

 同じく身を乗り出しかけていた魏高輔の方は魏澄子が止めた。

「昭の臣ならば慎みなされィ魏宰相!」


 剥き出しの怒りをぶつけ合う二人の宰相と月巧妃にその場は騒然となったが、しばらくして多少落ち着いた雪瑜が魏高輔に向かって吐き捨てる。

大家(ターチャ)のことは私が何とかしてやる! 貴様は何としてでも石将軍を神都に呼べ! 理由は何でもいい! もしできなんだらどうなるか分かっているだろうな! さあ二人とも出ていけ!」

 と、雪瑜は叫び魏高輔と魏澄子を部屋から追い出した。

 二人が出ていくと雪瑜はイライラと室内を歩き回っていたが、やがて椅子に腰を下ろし、そのとき脇から差し出された茶に気が付いた。

「お疲れ様でございます雪瑜様。昭国を背負うご心労、僕などには想像もできません」

「……」

 無言で茶を飲んだ雪瑜は少し気分が落ち着いたのか、ぽつりぽつりと取り留めのない話を始めた。

「茶を淹れるのが上手くなったな……」

「玉蘭さんに教えていただきました」

「そうか。私が寝ている間はどうだった?」

「雪瑜様同様に、玲様も節度使と朝廷の関係について大変気を揉んでおられました」

「……そのことはもうよい。お前自身のことだ。何か困ったことや気がかりなどあるかな?」

「いえいえ。とんでもございません!」

「そうか、よし。今日は天気も良い。一緒に護景の墓参りにでも行こう」

「え……?」

「いつか行こうと思っていたが、なかなか時間が取れなくてな。案内しておくれ。どうせもう今日は仕事などする気になれんわ」

「はっ、はい! 承知しました!」

 亮は息を呑んだ。

 雪瑜の顔は憑き物の落ちたような穏やかな顔だった。ほんの少し前に激高して宰相に掴みかかろうとしたとは到底思えない、

 他者を思いやるきめ細やかな気配り。このような時の雪瑜はぞっとするほど美しい。

 天子の心を一目で掴んだ微笑である。



 雪瑜は馮嘉、亮、玉蘭らを連れ護景の墓に向かった。

 雪瑜と玉蘭は輿に乗り、亮が先導し馮嘉の兵が周囲を固める。

 市井の人々は艶やかな輿を中心とした貴人の一団が通り過ぎるのを遠巻きに眺めた。

 護景の墓は郊外の一角にあった。

 輿から降りた雪瑜は香を焚き、墓の前に膝を折る。

「おい。お前が死んだおかげで、私は苦労しているぞ、護景。宰相と節度使は闘鶏のように争っているのに、廷臣の多くは我が身可愛さに見て見ぬフリ。やってられんな。だが、今日来たのはそんなことを言う為ではない……」

 雪瑜は膝を折ったまま振り返り、亮を手招きした。

 戸惑いつつ、亮は遠慮がちに雪瑜の傍らに進む。

 すると雪瑜は亮の首に手を回し乱暴に抱き寄せた。

「実はこいつに嫁を取らせることにした。相手はまだ選んでいる途中だが……決まったらそいつを連れてまた来る」

「え!?」

 思わず亮は声を上げて雪瑜を見た。

「なんだ。嫌か?」

「いや、そういうことではなく……。急な話で驚いています……それに僕は宦官ですし……」

「宦官でも家庭を持つことはできる。あの曹操の祖父も宦官だったではないか」

 と雪瑜は涼しい顔で言いさらに続ける。

「護景にも家を持たせてやりたかった。ずっと考えていたのだが、仕事を理由に後回しにしてしまった。それでこのザマだ。二度とそんな後悔はしたくない。亮よ、この月巧妃の傍にある者なら嫁を貰い養子を取って家庭を作れ、ただ一代で灰のようにあっけなく消えるなど許さん」

「卑賎の身に何というお言葉……感謝の念に堪えません……兄も同じでしょう」

 亮は感激のあまり、深く心から叩頭した。

 同時に胸中に痛みを覚えた。雪瑜はこれほど自分を気にかけているのに、自分はその雪瑜の監視の任をしているという裏切りの対しての痛みだ。

 激しく心が揺さぶられる。亮の目から涙がこぼれた。

「泣くな、泣くな」

 雪瑜はそれを見て亮を慰めた。

 さらなる罪悪感が亮の胸を締め付けた。


 帰り際、雪瑜は玉蘭にも冗談めかして言った。

「身を固めないといけないのはお前もだぞ! いつまでもブラブラとしてないでさっさと男を見つけろ」

「あの、一応私後宮で働いているのですけど……」

「関係ない。貴様は私の腰元だ。それに例えお手付きでも抜け道などいくらでもあるだろうが。知らんとは言わせないぞ!」

 雪瑜はケラケラと笑った後、玉蘭にそっと耳打ちした。

「いい()が見つかったら私に言え。今まで通りここで働けるようにしてやる」

「ははは。全く雪瑜様には恐れ入ります~」


 束の間、雪瑜は周囲から恐れられる権力者の鎧を脱ぎ捨てて、純朴な私的な面を露わにした。

 玲の理想の姉と呼ぶに相応しい、身内に対する気遣いと優しさを持つ女性である。

 だが、皇城に近づくにつれて雪瑜は再び心の鎧を纏い孤高の存在へと変身していく。

 娘子将軍府──すなわち雪瑜の(やくしょ)の席に着くとすぐ「魏高輔殿が面会を求めております」という連絡を受けた。

 雪瑜は黙って頷く。

「すぐに会おう」

 その顔には一片の笑みもない。

 ただただ冷徹な独裁者としての顔があった。


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