第六十二回 亀裂
──馬鹿な!
「石豹が三州の節度使を兼ねる!?」
魏高輔は酒宴で風演と石豹が交わしたという会話を知り、思わず声を張り上げた。
陛下は何を考えているのだ!
と、口に出して叫びそうになるのをぐっと堪える。
節度使の特権を削ろうとしている自分が彼らと顔を合わせれば必ずひと悶着あるだろう。
そう考え魏高輔にしては体調不良を理由に酒宴には参加しなかった。
彼にしては珍しく半歩引いたといってよい。
だが、結果的にその判断は致命的な事態を引き起こした。
一見自分と石豹の主導権争いはほぼ互角……いや普段自分の方が皇帝や月巧妃に近いところにいる分、ややこちらが優位だと思っていた。
それがまさか隣州の節度使を言いくるめてその地位を譲り受けるとは、とんでもないことをする奴だ。
これが通れば石豹の動かせる兵は最低でも二十万を優に超える。朝廷に隠している兵力、さらに新たに徴兵する兵も加えれば三十万にも届くだろう。
昭国を揺るがしうる軍事力。これは新法以前の問題だ。
不遜な動きが見え隠れする人間に与えるにはあまりにも過ぎた力。
絶対に通すわけにはいかない。いまからでもなんとか皇帝を翻意させるしかない。
魏高輔は一縷の望みをかけて、皇帝風演に伺候した。
「陛下!」
食い気味に身を乗り出した魏高輔と対照的に、風演はおっとりと構えていた。
「おお、魏宰相。喜べ、石将軍が新法の受け入れを了承したぞ。他の節度使たちも石将軍がそう言ったとたんに折れおったわ。驃騎大将軍の面目躍如よなぁ」
「それは大変喜ばしいことでございますなぁ」
魏高輔はやや棘のある口調で相槌を打った。
「ところでその石豹が三州の節度使を兼ねると聞きましたが?」
「おう。青州節度使の朱将軍が辞めると申し出たせいで空きが出てな。朱将軍も石将軍を後継にと申したので許したわ」
そりゃあ石豹が朱尉を脅すか賺すかして話付けたんだろうが。
なぜ陛下はそこに気付かねえんだ!
怒りを抑えつつも、魏高輔は皇帝に真っ直ぐ自分の意見を表明した。この直情的な所が魏高輔の美点でもあり大いなる欠点でもある。
「陛下。それはいかんですぞ!」
そういわれると風演は露骨に嫌な顔をした。しかし魏高輔は構わず続ける。
「三州節度使の兼任は大変な重責。一個人に背負わせるには不相応ってモンです」
「孤もそう申したのだが朱将軍も石将軍しかおらぬと言っているし、なにより本人も乗り気だ。一旦任せてみて様子を見るのも良かろう」
「……」
魏高輔は言葉に詰まった。
これで石豹は良鉄良馬の生産地と昭国の三分の一に匹敵する兵力を有することになる! 反乱が起きたらどうするつもりだ!
と、叫びたくなった。
だが、それを言ってしまえば風演はますます気分を害し、かえってこちらの不利になるだろう。
「……雪瑜殿も同じ意見でございますか?」
「ここ数日は姿を見ておらぬ。しかし孤と雪瑜は一心同体、きっと雪瑜も孤と同じ意見のはずだ」
自信満々にそう言い切る風演を見て、魏高輔は直接の説得を諦めた。
丁重に話を切り、時間を取らせたことを詫びて、その場を後にする。
だが表面上は穏やかだが、腹の中は煮えくり返っていた。
ああいまなら、皇帝に弓引いた伊玄曹の気持ちがよく分かる!
そう怒りを押し殺していた。
「わっはっはっは。喧嘩宰相と言われた魏高輔殿も焼きが回ったものだ。こちらの動きにまるで気付かなかったようだ!」
石豹はしてやったりとばかりに呵々大笑していた。その隣では宗靖が驚愕の眼差しを向けている。
三州の節度使を兼ねるという話を知らなかったのは魏高輔だけではない。副官である宗靖もまた、主のそのような策略には一切気が付かなかった。
おそらく石炎も知るまい。
「将軍、いつの間に朱将軍を抱き込んだのですか」
「んっふっふ。朱爺さんとは昔から知り合いでなぁ。ま、持ちつ持たれつ融通し合う仲よ。これで宰相といえど易々とはこちらに手が出せまい」
「しかし、皇帝陛下は本当に三州節度使の兼任をお認めになるでしょうか?」
「認めるよ。陛下は義理人情に篤いのだ。わしがねだったのならともかく自ら身を退く老将の訴えを無下にはしない」
「それでも陛下の周囲では反対が起こるはずです」
ふふんと石豹は鼻で笑った。
「今更魏高輔とその一党が騒いだところで無駄よ。陛下の意思は固い。それにわしは降って湧いた話に応じただけ。言い掛かりをつけようにも、こちらに何も瑕疵はないわ! わっはっは!」
勝ち誇る石豹を見て宗靖は、心を痛めた。
玲の考えは裏目に出たな。
これで石将軍は真正面から昭国とがっぷり組み合えるだけの戦力を手に入れる。
もしも戦争が起きたなら、石豹を推していた玲は、皇帝を惑わし国を傾けた女と言われるだろう。
無論そんなことはこの俺がさせないが……。誰を敵に回してでも。
魏高輔の怒りや宗靖の悲壮な覚悟をよそに、任地へ帰るまでの僅か十日余りの中という異例のスピードで、石豹は青州節度使の印綬を授けられた。
早くせねば反対意見が上がるということを風演も分かっていたのである。
直系の頭脳集団である庵室の学士たちに命じて、勅令の発行を急がせたのだ。
魏高輔はギリギリと歯を軋ませたがもう遅い。
石豹は三つ目の印綬を手に入れ、洋々と西域へと引き上げた。
そして玲は言葉にし難い不安感に襲われて、体調を崩していた。
石豹が三州節度使を兼ねるというのはいいことなのか、悪いことなのか自分では判断が付かない。
だが魏高輔を始めとする高官の多くが、それを良くないこととして捉えていた。
ひょっとして私は恐ろしいことを陛下に薦めたのではないか?
陛下を、ひいてはこの巨大な国家を自ら望む方向に動かすなど出過ぎた真似だった。
到底私には背負えぬ重責だ。なんと愚かなことを──。
玲が部屋で寝込んでいると、亮が静かに部屋に入ってきた。
「玲様、少しよろしいでしょうか?」
「なあに?」
と玲は上半身を起こす。
「ただいまお発ちになった宗靖様より言伝を預かっております」
「聞かせて」
「『君が国と陛下を思って行動したことは俺や亮も天地の神々も知っている。何も悪いことなど起きない』とのことでした。また見舞いだと申されて熊胆と茶葉を頂いております」
「そう……やっぱり靖ちゃんは優しいな。私も落ち込んでばかりじゃダメだね……まだできることがあるはず……」
そういって玲が寝床から立ち上がろうとした瞬間、くらりと頭を傾かせた。
「玲様、無理はなさらず!」
「……」
玲は亮の言葉に答えず無言で立ち上がる。
彼女が両手を広げて体を伸ばすと、実際にその体が伸長した。そして黒髪が新雪を被ったかのように白く染まっていく。
「んんんん、あああああ~~」
亮は突然の変身に驚いたが、何事もなかったかのように振舞った。
「おはようございます、雪瑜様」
「おはよう、亮。ふう、ぐっすり眠れたわ。さて、面倒ごとを片付けるか。私が居ない間、何か変わったことはあったか?」
「はい。十節度使の慰労会は滞りなく終わりましたが、宴の終わりに朱節度使が職を辞して隠居すると申されて……」
「ふむ」
「朱節度使の強い希望で空いた席には石節度使を、と推挙されたため、石節度使が青州節度使を兼ねることになりました」
「……十節度使のうち三席も石将軍が兼任……」
雪瑜の顔がみるみる険しくなっていく。
「二刻後、魏高輔と魏澄子を私の衙に呼べ。何があっても遅参は許さないと伝えろ」
「承知いたしました!」
雪瑜の相手はいつも緊張する。だが今回は普段よりさらに緊張した声で揖礼した。
宰相をまるで召使のように呼びつけるとは……。
嵐が来る、と亮は思った。




