第四十九回 家族という繋がり
宮殿のあちこちで、工人たちの声やトーン、トーンと木槌で何かを叩く音が響き渡る。
熱病に浮かされたような一夜のクーデター騒ぎによって、皇城の各門や後宮は損傷し、生々しい戦の痕跡を残していた。
特に後宮部分は大部分が破壊され大規模な修復を余儀なくされた。
その修復工事の音である。
嫦娥宮も損傷激しく、雪瑜/玲は比較的被害が少なかった仙遊宮で寝起きすることになった。
奇岩珍花が並ぶ美しい庭を眺めながらも、雪瑜の口からは愚痴が止まらない。
その愚痴を聞く相手は主に皇帝や玉蘭だったが、この日の相手は焦螟であった。
「これから財政を見直そうとしていた矢先だというに、これでまた人手も金もかかる……」
「ま、ま、仕方ありますまい。雪瑜様のせいではございませぬ。全て伊玄曹が企んだこと」
「それはそうだがその結果、徴税するにせよ人夫に働かせるにせよ、しわ寄せがいくのは、結局何も関係ない昭の民。胸が痛みます」
「は……陛下に仇なし、石将軍や雪瑜様を逆恨みし、民にまで負担を強いるとは、憎んでも憎み切れませぬ。晒された伊玄曹の首には多くの石が投げつけられ既に元の顔が分からぬ有様とか」
雪瑜は怒りをむき出しにした。
「ふん。それこそ当然の報いよ。逃げだした天香妃も同じ目に合わせてくれる。それとも名と位を剥ぎ取って和蕃公主にしてくれようか」
和蕃公主とは辺境の異民族に降嫁させられた皇族のことである。
蕃と和す、という言葉通り異民族と婚姻関係を結び、互いに良好な関係を構築する為、中華の皇族からはしばしばこのような娘が送り込まれた。
ただし自らをもっとも進んだ文明人と位置づける中華の皇族にとって、野蛮とみなされる辺境へ嫁いでいくことは相当の苦痛を伴った
そのため皇族の中でも傍流の者や、実際の皇族ではない者と皇帝が養子縁組して皇族に組み入れ、和蕃公主に仕立て上げるのが常だった。
雪瑜の言うことには何でも相槌を打っていた焦螟だったが、一時は皇帝の寵愛を欲しいままにしていた天香妃を和蕃公主にするという発言には苦笑いを浮かべるに留めた。
それは単に天香妃を殺すよりも問題ある行為と見たのである。
「そういえば……」
と、焦螟は話題を変えた。
「宇文護景の葬儀がもうすぐ行われます」
「……そう、ですか」
雪瑜は溜息をついて椅子に体を沈めた。昭国には宦官の葬儀は宦官だけで執り行われる、という法があった。
月巧妃といえど参列は許されないのである。
いや、仮にそのような法がなくても、三妃の一角が宦官のような卑賤な者の葬儀に参列するというのは異様である。余計な噂が立ちかねないため、やはり参列はできなかっただろう。
「焦螟殿は参加するのでしょうね?」
「はい」
「では私の代わりに懇ろに弔ってください」
「雪瑜様のその言葉こそ、冥府の護景にとってなによりの弔いでありましょう」
「……本当に、早すぎました。あいつにはこれからもっと腕を振るって欲しかったのに」
「は……」
「そういえば、護景には弟がいるらしいですね」
「どこでそれを?」
「今際の際に護景が玲に伝えたのです。弟も宦官なので?」
「はい。しかし血の繋がった弟ではございませぬ。共に故郷で親を亡くしここまで流れてきた義弟でございます」
「血が繋がっていようがいまいが、どの道、護景の推薦なら無下にできませぬ。一度護景の弟の顔を見ておきたいのですが、焦螟殿にお願いしてもよいでしょうか」
「それはもう容易いことです。今日の午後にでもお会いになられますかな?」
「いや、いまは悲しんでいることだろうし、護景の葬儀が終わってから少し間を開けてからにしましょう」
「御意」
「あとは……風閲をどうするか、ですね」
謀反に関わった者たちの大半は既に捕らえられ極刑に処されていたが、神輿として担がれていた風閲の処遇はまだ決まっていなかった。
彼はあまりにも幼い。つい先日まで後宮にいたほどだ。それが皇帝と敵対するわけがない。
責任を取らせるのは酷だろうというのが大方の見方である。
ところが、それをはっきりと口にする者は存外少なかった。それは多くの臣下が雪瑜の顔を窺っていたからである。
伊玄曹という巨星が墜ちたいま、皇帝の寵を一心に受けている雪瑜が政治に与える影響はますます大きくなっている。
雪瑜の怒りを買いたくないと思う者は彼女の意向がはっきりするまで口を噤んでいた。
「焦螟殿はどう思いますか?」
「どう思うと言われましても、拙など所詮は陛下の家奴でございますからには、いやはや……」
焦螟はいつものように宦官という身分を卑下しつつ逃げようとした。
しかし、そうやって逃げるのは許さない、とばかりに笑っていた雪瑜の目の奥が光る。
「焦螟殿。まあそういわず、この小娘に道理というものを教えてください。それに、孝淑妃殿が焦螟殿の所に参ったと聞いています。彼女が何と言っていたか、是非知りたい」
「ご存知でございましたか」
「後宮で飛ぶ羽虫の数さえ知っている、という焦螟殿ほどではなくとも、ここで起こることは大方私の耳に入るようにしたので」
「流石でございますな。長く後宮におられた恵徳妃様でもそれほど耳はお持ちでなかった」
「ふっ。これもその恵徳妃様や焦螟殿の教えのおかげというわけです」
褒められた雪瑜の口調は少し柔らかくなった。
「で、それはそうとして孝淑妃殿はなんと言っていたのか教えてくださいな」
「……」
そのとき、長く陛下の懐刀として後宮の運営に携わってきた焦螟ですら逡巡するように見えた。
恐らく次に言う言葉で孝淑妃と風閲母子の命運が決まるのである。
「孝淑妃様は……陛下の害する試みに加わった風閲様を処刑するように申されております」
「……本当に? 孝淑妃殿が本当にそういったのですか?」
「この老骨。誓うて本当のことでございます」
「…………」
雪瑜の沈黙は長かった。
彼女にしてみれば孝淑妃と風閲などどうでもよいのである。孝淑妃に怨恨はないし、風閲は担がれただけというのは明白。なんの力もない。
だが、どうでもよいということは必ずしも“では放っておくか”を意味しない。どうでもよいから“この機会に片づけておくか”にもなりえる。
どちらに傾くかはもうその日の気分による、というくらい微妙だ。
『陛下の害する試みに加わった者は、例え利用されただけの息子であっても死を』
それは実に雪瑜好みの回答だった。
確かに謀反に関わった者は皆殺しにしてやりたいが、あえて厳しくそう言って息子さえ死に追いやる親子は逆に助けたくなる。
直接孝淑妃にそう言われていたら雪瑜は孝淑妃と風閲を助けただろう。しかし、これを言ったのはあくまで焦螟だ。老宦官が雪瑜の志向に沿う形で回答を考えた可能性がある。
「……焦螟殿はどう思います?」
長く考えた末、雪瑜は最初の問いを繰り返した。
焦螟も今度ははぐらかさない。スラスラと自身の所見を述べる。
「哀しいことでございます。風閲様に咎などないのは明らかでございましょう。しかし事が事ゆえに孝淑妃様としてはそのように申す他ありますまい。その胸中は如何ほどか。いやはや、哀しいことでございます」
パンッ。
雪瑜は膝を打った。
「焦螟殿の言う通りだ。既に多くの者が傷つき悲しんでいる。首謀者である伊玄曹はもう死んだいま、これ以上の悲劇は無用だ! 焦螟殿、どうか孝淑妃殿に伝えてくれないか? 御身と風閲様には誰にも手出しはさせぬとこの月巧妃が請け負うと」
「は、承りました。雪瑜様にそう仰っていただければ孝淑妃様も安堵なされましょう」
「焦螟殿に殺すなと言われたとあればな。私もあえてあの親子に罪を着せられないよ」
「はて何のことやら」
一陣の風が、トトトトトン、というリズミカルな大工作業の音が運んできた。
「……都に来たばかりだというに、このような騒ぎが起こって工部侍郎の兄上はてんてこ舞いの忙しさだろうなぁ」
「は、今日も設計の打ち合わせやら材木の買い付けの調整やらとお忙しそうでございました」
「裏を返せば腕の見せ所だ。上手く切り盛りしてくれれば私も鼻が高い。私の贔屓の引き倒しだと陰口を叩く者も減る」
「は……」
「焦螟殿は、頼りになるのは最後は身内だと言われていましたね。いまになって、その通りだと本当に実感します。親戚の者が近くに居れば安心感が違う」
「雪瑜様と玲様はずっとお一人でここに居らっしゃったので、特に強くそう感じるのでしょう」
「だからこそ……私は護景にも家庭を持たせてやりたかった……!」
「えっ……」
突然の告白に焦螟も驚いた様子を見せた。
「実を言うと、奴の妻になる女を探していたところでした。妻帯して養子を取り跡継ぎがいれば、人生に張りが出るだろうと思ってね。それがまさかこんなに早く……」
「お、驚きましたぞ。それほどまで宇文護景のことを考えて下さっていたとは」
宦官であっても妻帯し養子を取り、家庭を作る場合はある。
むしろ自分では子供を作れない宦官は刹那的な発想で精神を破綻させやすく、宦官にこそ守るべき「家」が必要とさえ言える。
「しかし間に合わなかった。それでも、弟がいると聞いて、私も救われました。家族がいるなら護景の火は絶えていない。次へ伝わる」
「はい……」
しばらく二人の間に気まずい沈黙が流れた。
どこかでまたトントントントントンという木槌の音がする。
「……兄上には悪いが、この建築作業の音、四六時中聞こえていては少々騒がしいな。気分を変えて外出したいのだが、その手配も頼めるかな、焦螟殿? 無論大家と一緒に」
「勿論でございますとも。さてどこへ参りましょうか? 狩りへ? それとも池に船を浮かべて舟遊びでも?」
「いや、街へ繰り出したい。お忍びでって奴だよ。護衛は最小限。そこは馮嘉隊長に頼めば上手くやってくれるはず」
「そ、それはまた……」
「頼んだぞ、焦螟殿!」




