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第四十六回 血の中の再会、血の中の別れ

「ご、護景……護景……」

 玲は血だまりに倒れた護景の名を何度も読んだが、返事はない。

 冷たくなっていく護景の手を握りながら、玲は涙を流し身を震わせた。

「う、う、う……」

 宗靖にとってもクリシュは一筋縄ではいかない強敵であった。はぁはぁと荒くなった呼吸が中々収まらない。

 その相手に相打ちとは見事なものである。

 勇士をねんごろに弔ってやりたい気持ちはあるが、いまは時間がない。

 宗靖は息を整えると、俯いて哀哭する玲の傍に寄り声をかけた。

「玲、久しぶりだな」

「ええ。本当にね、靖ちゃん……」

 別離以来、五年以上の歳月を経て実現した二人きりの再会だった。積もる話もあるだろう。

 しかし、旧交を温めるにはあまりにも間が悪かった。

 のんびり話をしていられる状況ではない。

 そんな気分でもない。

 宗靖は俯く玲の肩に手を回し、抱きかかえるように立ち上がらせた。

「気持ちは分かるが、いまはもう行こう。お前がここで死んでしまってはこの勇士の死が無駄になってしまう」

 玲は何とか声を絞り出した。

「陛下とはまだ合流できない。わ、私はどうなってもいいけど、陛下から少しでも敵を引きつけなくては……」

「皇帝陛下の心配はいらない。既に羽林軍と金吾衛の兵が合流し、皇帝の周りを固めている。さらに皇城外からも続々と府兵がやってきている。反乱者どもの試みは失敗した。だから……いまは自分のことだけを考えて欲しい」

「私は大丈夫よ」

「そんな訳ないだろう!」

「え?」

 玲は涙を拭きながらも宗靖の言葉に戸惑った。

「お前をあの化け物から助ける方法を見つけた。それにいまならどさくさに紛れて都を離れられる。俺と一緒にここを出よう」

「え……?」

「戸惑う気持ちは分かる。だが俺を信じてくれ、玲!」

「…………!」

 玲は絶句した。

 突如として示された、幼い日の夢の続き。

 もしかしたら、権力を求めて暗闘に明け暮れる後宮から逃れられるかもしれない。

 もしかしたら、雪瑜をこの体から追い出されるかもしれない。

 もしかしたら、宗靖と二人、のんびりと暮らす日々を送れるかもしれない。

 もしかしたら、もしかしたら……。


 でもダメだ。

 玲は視線を落とす。両手は護景とクリシュの血を浴びて真っ赤に染まっていた。

「……そ、それは、できないよ靖ちゃん。私は陛下をお助けしなくてはいけない」

「なあ、玲」

 宗靖は優しく諭すように言った。

「皇帝には千の直参と三千の妃嬪と万を超える奴婢、そして百万の軍勢がいる。そのことはよく知っているだろう? 助けは既に十分だ。逆にお前を助ける者はいるのはいるのか? いまここでお前が皇帝の元を去っても……いや、俺がお前を連れ去っても、道に外れた行為だとは思わない」

「靖ちゃん、鈍い私でもここにいて分かったことがあるの。本当の意味で陛下……風演様を支えている者なんて、焦螟様ぐらいのものよ。誰も彼もが風演様を皇帝という立場でしか見ていない。そして誰も彼もが……風演様を利用しようとしている。私は出来る限り陛下をお守りしなければいけない。こ、これでも、いまの私は月巧妃よ。万人を照らす太陽の伴侶」

「望んでそうなったわけではないだろう。お前が見世物として献上された経緯を知っているぞ。白猴と欧陽乙殿が結託してそうされたのだ」

「初めはそうね。でも……護景も私を守って亡くなった。やっぱり私が後宮から逃げることなんてできないわ」

「で、ではこうしよう。お前が皇帝の元に帰ることを望むならそうすればいい! 俺がお前を預かるのはただ一時(いっとき)だ! 白猴を消すための時間をくれ!」

 玲は涙を拭いながら、首を振った。

 拭っても拭っても指の隙間から涙が溢れてくる。

「ごめん……ごめんなさい……」

「泣くな、お前が悪いはずがない……!」

 二人は自然と抱き合い、互いの生命を感じた。

 長い鍛錬の末に太く強くなった宗靖の胸元、柔らかく膨れた玲の乳房、剣を振るい続けて太くなった腕、琴をつま弾くの為にタコができた指、戦いによって流した汗の匂い、寝る前に塗った麝香の香り。心の中に燃える灼熱のような闘志、慈愛という名の静かな青い炎。

 僅かな時であったが、異なる両者が互いに一つに混じり合ったような時間であった。

 玲の涙が少し治まると宗靖が口を開いた。

「困った……薪を(すす)める指も窮したよ」

「でも、靖ちゃんの想いは伝わっているわ」

「……玲、最後にもう一度だけ言う。俺と一緒に来い! いや来てくれ!」

「それができたらどんなに幸せか。でも私にはやるべきことが……うっ」


 突然、玲の体がワナワナと震え出す。

 再び玲の体に変化が起こり始めたのだ。髪は白髪に、目には炎が灯りつつある。

「に、逃げて、靖ちゃん。雪瑜が来る、今度は抑えられない……!」

「玲!」

 そのとき、玲の目に燃えたぎる火が灯った。

「ええい、私に触れるな!」

 変化の完了した雪瑜は宗靖を振り払う。

「玲の命を助けた礼だ。なぜお前がここに居るのかは聞かないでやる。この月巧妃の体に触れたことも見なかったことにしてやる! 疾く去れ!」

「……白猴……いや、いまは雪瑜か。いつまでもお前の好きにはさせんぞ。いつか必ずお前を止めて見せる」

「無駄なことはやめろ。貴様には私を止められない」

「俺は無駄とは思わない。それにもし、俺が止められなくても……玲がいるさ」

「……!」

「それに少しは自分を顧みたらどうだ? 今日起こったこの騒ぎ、お前に原因がなかったとは言わせないぞ」

「馬鹿な! 私が何をしたというのだ!」

「皇帝に取り入り、後宮のみならず朝廷を引っ掻き回しているだろう。このようなことが起きるのは当然の反応だ」

「私は(まつりごと)を佞臣どもから再び大家(ターチャ)の手に取り戻そうとしているだけだ!」

「玲は、誰もが皇帝を利用しようとしていると言っていた。その筆頭はお前じゃないのか? 政敵を殺して手に入れた実権を皇帝に返せるか?」

「ふざけるな、私と大家(ターチャ)は一心同体だ。利用する、されるなどという浅ましい関係を超越しているのだ!」

「その傲慢に身を滅ぼされぬよう精々気を付けろ」


 それだけ言うと宗靖は足音を殺した足取りで、滑るように階段を駆け下った。

 あとに残された雪瑜は、一旦天を仰ぐ。

 やがてしずしずと歩き出し、護景の遺体の前で座り、首が千切れかけた頭を膝の上に乗せた。

「どいつもこいつも、私の事を悪魔のように言う……だがお前は違うよな、護景……」

 雪瑜もまた泣いた。

 彼女にとって護景は後宮において初めてできた信のおける存在、共に謀を巡らし時に命を預けた仲だった。

「玲を守ってくれてありがとう。お前は本当によくやってくれた……その働きに私はどうやって報いればよい……? なあ護景、教えてくれ……」


 その後雪瑜は反撃に転じた羽林軍によって保護され、無事に風演と再会を果たした。

 生き残った顛末について彼女が語ったのは、危ういところを宦官が救ってくれたという簡潔なものだった。

 そこで出会った幼馴染について、彼女は一言も言わなかった。

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